第五章 真相吐露⑤
「過去は変わりません。どんなことをしても、過去を変えることはできないんです」
文芸部の部室に入ると、常盤くんは唐突に切り出した。僕は自分の席に腰を下ろそうとしていたところで、ぴたりと動きを止めた。
「え?」
胸に残っていたはずの、ほんのわずかな希望が断ち切られたようだった。
過去を変える。未来を自分たちの手で掴み取る。そのために僕も美紀も、このタイムループしてきた世界でひたすらに生きてきた。その希望が、バラバラと崩れ落ちていくようだった。
「遠野さんは、永井くんを突き放して……おそらく何らかの意図があって、過去を変えたいと思ったのかもしれません。でも、何をしても過去は変わらない。未来は、決定しているんです。それは、まるで神様がいて、その神様がこの世界を統べるかのように、すべては決定された未来へと収束していくだけなんです」
常盤くんは諦めているように、でもそれを受け入れているように、寂しそうな笑顔で言った。
「だから、私自身も、認めたくないですし、非常に言いづらいのですが、永井くんも、死んでしまいます。どんなことをしても、永井くんの死を避けることは、できないんです」
永井の死の瞬間がフラッシュバックする。時田にナイフで刺されて倒れこむ永井の姿が思い浮かぶ。
唾液を一つ飲みこむ。胸が苦しくなった。唇がわなないた。視界が霞む。腹の底を強烈な圧迫感が襲った。胃液が出てきそうなほど、身体全体がくらくらとする。
何だ、それ……。僕が今までやっていたことは、全部意味がないってこと? どんなことをしても、永井の死は免れないっていうこと?
そして、もう一つの事実にも気づく。過去は変わらず、永井の死が決まっているとしたら、僕の死も美紀の死も、決まっているということなのだ。
「そんなの、嘘だ!」
僕は叫んだ。文芸部の部室は北棟の隅にある。北棟はほとんどが家庭科室や音楽室といった特別教室だった。そのため、廊下も静まり返っている。その中で、僕の声は悲痛な叫びとして、虚しく響いた。
「私も、嘘だと思いたいくらいです。でも、嘘ではないのです。だから、私は遠野さんにお願いをしたんです。永井くんに笑顔を向けてください、と。永井くんを幸せにできるのは、遠野さんだけなんですから、と。もちろん、私だって永井くんのことが好きです。だから、永井くんに想いを伝えました。できることなら、私が永井くんを幸せにしたかった。永井くんを死の運命から救って、私が永井くんのそばにいたい。そんな夢みたいな希望も抱いたりしました。……好きな気持ちって不思議なものですよね。過去は変わらない。分かっているはずなのに、それを変えたいと思ってしまう自分がいる。それほど、誰かを想う気持ちというのは強く、大きなものなのかもしれません」
常盤くんは、歯を食いしばるように、うつむいたまま言った。そして、顔を上げて僕を見つめて、続ける。
「だから、と言ったらおかしいのかもしれませんが、永井くんは、四月に死んでしまいます。それまで、永井くんのそばにいてあげてください。永井くんを幸せにしてあげてください。今のこの一瞬を、永井くんにとって大切な一瞬にしてあげてください」
常盤くんは小さく微笑んだ。永井の幸せを祈っているその微笑みが、永井の幸せを僕に託しているその微笑みが、今まで話したことはすべてが事実であることを、静かに、そして僕の胸に痛いくらいに伝えてくる。
「嘘だ!」
僕は叫んだ。認めたくない。信じたくない。永井が、死ぬ? そして、僕も美紀も、死ぬ? そんなの――。
「嘘だ、嘘だ、嘘だ……。永井が死ぬなんて、嘘だ。だって、過去は少しずつだけど変わっているじゃないか。美紀は早くに陸上部をやめて、タイムループ前だったら、ほとんど顔を出せてなかった合宿にも、毎日いっしょに参加して……。花火大会に行ったときも、亮祐と話したり……。あと、僕が時田と仲良くなったり、時田が永井に告白をしようとしたり……。そうだよ、過去は変わっているじゃないか。道筋が変われば行き着く先も変わる。そんなの当たり前のことじゃないか。そうだよ、そうに決まってる。僕と美紀は、自分たちの意志で未来を変えようとしてきたんだ。未来が決定されていようが、その未来を変えるために、僕たちの意志で変えてきた過程があるんだ」
けれど、美幸さんは亡くなってしまったのだ。そのどうしようもない事実が、僕の目の前に愕然とした姿で現れている。
常盤くんは、淡々とした口調で、諭すように、教師が生徒に問題を分かりやすく解説するみたいに、落ち着いた口調で話し始めた。
「私たちが自分の意志を使ってどんな道筋を辿ろうが、最後には決まった一つの点に辿りつく。それが、この世界なんです。例えるなら、それは、算数の計算でしょうか。答えが0の計算があったとします。0に辿りつく計算は、一つじゃない。いくつもいくつもあります。1-1=0です。2-2=0です。1+3-4も、0です。3+10+4-5-8-4も、0で、8×4÷2-16も0なんです。どんな計算過程を辿ろうが、答えは必ず0になる。それがこの世界なんです。どんな時間過程を辿ろうが、必ず永井くんの死という答えが出てくる……」
「そんな、そんな理屈で説明されても、納得できるわけないじゃないか!」
叫んだ言葉の尻尾が震えた。頭の中が真っ白になる。瞳が揺れる。悲しみとか戸惑いとかそんなものを飛び越えて、ただ認めたくなかった。信じたくなかった。両耳を手で塞いだ。顔を埋めた。「ああぁぁ」と声にならない音が、喉からもれる。
永井が死ぬ、永井が死ぬ、永井が死ぬ。
嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ……。
「だから、委員会からは、極力こちらからは説明しないようにと言われているんです。納得できるわけ、ないんです。そんなの口で言われたからと言って納得できるものではありません。私だって分かっているつもりです。かつての私がそうであったように、そんなに簡単に納得なんかできるわけがないんです。でも、伝えなければいけない。永井くんのために、話さないといけないと思ったんです。永井くんに悲しい顔をさせたまま、永井くんがいなくなってしまうというのは、私には耐えられません。好きな人の笑顔を願う、当たり前のことです。当たり前すぎて口に出すのもはばかられるくらい、当たり前のことなんです。だから、遠野さん」
常盤くんが僕の両肩をつかんだ。ぐっと力が入ってくるのが、肩から伝わってくる。常盤くんの気持ちもいっしょに伝わってくるから、僕は首を横に振った。痙攣するように震えるように、細かく何度も振った。子どもが駄々をこねているみたいに見えるかもしれない。でも、首を振った。認めたくなかった、認められなかった。
「嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ……」
いつの間にか、涙が頬を転がっていた。ころころと、ぽろぽろと、丸い粒みたいな涙が、頬を転がる。悲しいわけじゃない、悔しいわけでもない、何の涙なのか分からないまま、感情を超えたところから感情が流れ出して、でも、その涙は日の光に反射して光ってくれることは、なかった。
「遠野さん、しっかりしてください。遠野さん!」
「永井を死なせはしない。殺させはしない……。絶対に、絶対に……」
「遠野さん! 遠野さん!」
「うわああああ!」
僕は常盤くんの腕を振りほどいて常盤くんを突き飛ばした。
「遠野さん!」
常盤くんの声は無視して、廊下を駆け抜けて行った。下駄箱に降りて、学校の外へ飛び出した。
守る、守る、守る……。僕が永井を守る。過去を変えることができなかろうが、未来が確定されていようが関係ない。僕は、そんなの認めない。僕の好きな人――永井は、永井だけは、笑顔でいてほしい。生きていてほしいのだ。




