第三章 花火大会⑨
花火の打ち上げが終わって、辺り一面が静けさに包まれた。
「終わっちゃったね。何か、まだ目の中に花火が見えているみたい」
永井が夜空を見上げたまま、目をこすった。
「本当だね。はるちゃん、また、来年も、花火見に来たいね」
美紀が永井に笑いかける。
「うん」
永井も満面の笑顔で応えた。
「よーし。それじゃあ、帰ろう!」
亮祐が空に向けて拳を掲げた。それを見て常盤くんが、僕と美紀に目配せをする。
「あ、亮祐。ごめん。ちょっと、このゴミ捨ててくるから、ここで待っててくれないかな?」
僕はとっさに言い訳を考えて、手に持っていたたこ焼きのパックを持ち上げた。
「あ、私も」と美紀もいっしょにプラスッチの容器を見せる。
永井はそれに応えて、「了解です。会場で出たゴミは、会場で捨てないとね」と何とも優等生な発言をして、「私と亮祐くんは、ここでお留守番してるから。ね、亮祐くん」と亮祐に笑いかけた。
「はーい。大人しく待ってます!」
「ごめんな。じゃあ、ちょっと行ってくるから。なるべくすぐ戻るよ」
僕と美紀は、二人に背中を向けて、橋の上を元来た道と反対方向に歩き始めた。 常盤くんもあとに続く。
「花火、綺麗でしたね」
「そうだね」
僕は常盤くんを振り向いて笑った。
「はるちゃんと亮ちゃんを待たせるくらいなら、花火が上がっているときに、私たちに話してくれてもよかったじゃない。わざわざこんなことしなくても」
美紀は体の後ろで手を組んで川面に視線を投げかけながら言う。
「それは、その通りなのですが」
しばらくの沈黙のあと、常盤くんは僕と美紀を追い越して、僕たちを振り向いて「永井くんに、あなたたちといっしょに花火を見せてあげたくて」と微笑んだ。
あなたたち――僕の顔を見ながら常盤くんは言った。
永井に、僕といっしょに花火を見せてあげたくて、という意味なのだろうか。僕は苦虫を噛み潰すように顔を歪めて、アスファルトに顔を落とした。
「まあ、もちろん、私が永井くんといっしょに花火を見たかったというのも、ありますけどね」と常盤くんは最後にいたずらっぽく笑った。
好きな人を想う気持ちと言うのは、どうしてここまで自己犠牲的になってしまうのだろう。
「それで、何よ、話って」
美紀が憮然とした顔で常盤くんを見つめる。
「あ、すみません。もう少し待ってください。そうですね、橋を越えたところに小さな公園があります。そこで話しましょう。そこまで行けば、誰も来ないでしょうし、私にも、ちょっと心の準備が必要なので」
「……ってことは、ちょっと話しづらい話ってこと?」
「はい、まあ……」
橋を渡りきる。そのまま真っ直ぐに進んで、交差点に差し掛かったところで左折した。アパートが並ぶ通りに、ブランコと、木でできたベンチが二つ置いてあるだけの、本当に小さな公園があった。僕たち三人はその寂れた公園の中に進む。
公園の中は灯りもなく暗かった。暗闇の中の方が相手の顔が見えないから話しやすい――そうじゃないと話せない内容なのかもな、と僕は覚悟を決めた。タイムループという不可思議な現象が起こっている状況だ。何が起こっていても、もう不思議ではないことくらい、分かっている、つもりだった。
常盤くんは、ベンチには座らず、ブランコの前に立った。僕と美紀は囲いの中のブランコに腰を下ろす。
静かだった。音も何もない。花火のあとだから、余計に静けさが身体に伝わってくる。
常盤くんはブランコの周りにある手すりに後ろ手をついて、僕たちに向き合った。一つ深呼吸をして、話し始める。
「私は、四十五歳のとき、つまり、今から二十九年後に、死にました。自殺でした」
僕も美紀も、驚いて目を見開いた。あまりの唐突な告白に、驚きで言葉も出てこなかった。常盤くんは自嘲気味に頬を緩めて、淡々とした口調で続ける。
「私には、家族がいました。一つ年下の妻と男の子が二人。どちらも高校生でした。三年生と一年生でした。はは。何か、変な感じですね。私たちと同じくらいの年齢なのに、子どもたちは高校生でしたって」
「常盤くん……」「常盤……」僕と美紀の声が被さる。
常盤くんは、ざっと地面を軽く蹴って続けた。
「妻の友人が詐欺にあいました。友人の連帯保証人として、目を覆いたくなるくらいの額の借金を背負わされました。私が妻から事情を聞くと、その夜、妻は自分の貯金通帳と私の貯金通帳を持って家を出て行きました。家には、私と子どもたちと、借金だけが残りました。私は、気力をなくしてしまって、ただ呆然とするしかありませんでした。仕事も手につかず、ほどなくして仕事をクビになりました。再就職先を探しましたが、四十過ぎた年寄りを雇ってもらえるところなんてどこにもありません。もう、どうしようもありませんでした。だから、私は自殺をしました。私が死ねば、保険金がおりる。何とか子どもたちだけでも、生き抜いてほしかった。そう思って公園のトイレで、私は首を吊りました。そこで、私の命は終わったんです」
一息に喋ると、常盤くんは、悲しそうに、悔しそうに、ぎこちなく笑った。沈黙が続く。常盤くんは「すみません。こんな暗い話をしてしまって、でも、これから話すことを信用してもらうためにも、必要な話だと思ったので」と長く息を吐くように続けた。
「じゃあ、本当に話したいことは別にあるってこと?」
僕は困惑したように尋ねる。
「はい」
常盤くんは静かに頷いて「話したいことというのは、タイムループの原因についてなんです」と言った。
キイッと、ブランコが軋む音がした。僕は、隣の美紀を見た。美紀はブランコの座板をつり下げている鎖を握って、地面を見つめていた。キリッとした目つきも、今はしょんぼりと垂れ下がっている。
「私の命は、そこで終わったはずでした。しかし、私は自殺をしたあと、眠りから覚めるように意識が戻りました。目を疑いました。そこは高校入学前の私の部屋だったのです。今にして思えば、朝日が差し込んでいて、気持ちのいい春の朝でした。もちろん、当時はそんなこと感じる余裕もなくて、ただひたすらに困惑していましたけどね。だって、それはそうでしょう。死んだと思ったら、高校生に戻っていたわけですから」
僕は夜空を見上げる。たくさんの星が光っている。今見ている星の光は、何千年も前の星の明かりだそうだ。常盤くんの話の終着駅が、少しずつ見えてきて、僕はうっすらと目に涙が溜まってきていた。きっと、これは悲しい涙になるのだろう。
常盤くんは、僕の様子を見て、僕の胸の内に気づいたのか気づかなかったのか、俯いて眼鏡を押し上げた。表情は暗がりの中でよく見えなかった。
「タイムループの原因は、死ぬことにあるんです。私は、自殺をしてタイムループして来ました。そして、遠野さんと今野くんは、あのバスの事故で、亡くなられました。そして、今、一年前の『この世界』へタイムループして来ているんです」
ぽたり、と何かが落ちる音が聞こえた。美紀が、地面を見つめて、口をきゅっと結んだまま静かに涙を落としていた。
どんな話が来ても、覚悟はできているつもりだった。でも、やっぱり、自分が一年後に死んでいた、なんて話を聞かされるのは、想像をはるかに超えてキツかった。
「常盤くん」
僕は空に向けていた視線を常盤くんに向けて、静かに言った。目は潤んでいたが、何とかこらえることはできた。
「常盤くん、ありがとう。もう分かったから、大橋に戻ろうか。永井も亮祐も待ってるし。それに」
「続けて」
ぴしゃり、と美紀の声が割り込んだ。
「私、何となく覚えているの。ドーンっていう大きな音が響いて、バスが大きく揺れて、そのまま横に倒れて……。薄目の中、誠太が頭から血を流しているの。私、怖くなって、でも、頭の中はどんどん遠くなっていって……誠太の手を握ったの。ぎゅって、強く握ったの。それなのに、誠太は何も動かなくて、それで……」
美紀の声が恐怖に震える。顔を覆った手の隙間から、大きく見開かれている美紀の目が見えた。美紀の話していることは、僕には全く記憶のないことだった。
常盤くんが美紀を見つめて静かに言った。
「私は、事故が起きたあとも、生きていました。あの事故は、テレビでも大きく報道されました。運転手の居眠り運転だったんです。バス会社の運営方針が運転手に過酷な労働を強いることになった、とテレビの報道は告げていました。乗客四十五名のうち、死者七名、重体五名、重軽傷者合わせて二十三名と、大きな事故となりました」
そんなことになっていたのか。事故現場を想像してみる。僕は記憶のある美紀の辛さを思って胸が苦しくなった。
「じゃあ、もしかして、亮ちゃんがタイムループしてきていないっていうことは……」
美紀が口を開いた。まっすぐに常盤くんを見つめていた。やっぱり、美紀は強くて、こんな時にでも亮祐を思いやれる優しい女の子だった。
「はい。亮祐さんは、生きていました。座席が遠野さんと今野くん、その後ろが亮祐さんとなっていたのが幸いだったようです。亮祐さんは、足の骨を折って入院はしましたが、命に別状はありませんでした」
僕は、ほっとして亮祐のおちゃらけた笑顔を思い浮かべた。亮祐は生きていた。美紀も、泣き顔のまま僕に視線を送って、よかったねというふうに少しだけ頬を緩める。
常盤くんは、僕と美紀の安心した顔を見て、少しだけ安心したのか、ふっと小さく息をもらして、「でも」と続けた。
「死んだ人全てがタイムループをするわけではないのです。そんなことになったら、この世界はタイムループしてきた人で溢れていることになっちゃいますからね」
それは、その通りだった。
「前に言いましたよね。タイムループとは、意識が過去の自分の身体に宿るものだと。死んだ直後、その意識は時間を遡り過去の自分へと繋がる。これが、タイムループということなんです。そして、これは、まだはっきりと確証はないので、あくまで私個人の考えなのですが、タイムループしてしまう人というのは、過去に強い後悔を持ったまま死んでしまった人、なのかもしれません。そして、後悔のある時代へと意識を飛ばされる。世の中に神様がいたとして、私は神様の存在する意味は、後悔のある人をタイムループで過去へと再び送ることにあると思うんです」
過去に強い後悔を持ったまま死んでしまった人、後悔の残っている時代へと飛ばされる意識。それは、僕にとっては永井の死、ということになるのだろう。そして、美紀にとっては、美幸さんの死、ということなのだろう。では、常盤くんにとっては、何だろうか?
「お話は、以上です。すみません、辛く長いお話になってしまって」
深々と頭を下げる。本当に、律儀な人だ、常盤くんは。
「ううん、いいんだよ、謝らなくて。それよりも、話してくれて、ありがとう」
これが、常盤くんが今まで黙っていたタイムループの真実、か。僕は、長いため息を吐いて、ブランコから立ち上がった。美紀は、まだブランコに腰掛けて、キイキイとブランコを鳴らしながら夜空を見上げていた。星は曇ることなく綺麗に見えていた。
「なあ、常盤くん」
「はい?」
「今、話したこと、どうして今まで黙ってたの? 僕たちがタイムループしてきたときに話してくれても、よかったよかったんじゃないか?」
「それは、だって、いきなりこんな話をされても、受け入れられないのが、人間というものですよ。タイムループしてきて、混乱している中で、あなたは死にました、タイムループの原因は……、何て話しても、目の前の事実にちゃんと向き合えないじゃないですか。だから、時期を考えて、っていうことなんですけど……でも、そんなこと言ったら、何かかっこつけすぎですよね。単純に、私が事実を伝える覚悟ができていなかっただけなんですよ」
常盤くんは、照れくさそうに笑いながら、でも、困った顔にもなって、「委員会の規則には、『速やかに伝えること』って書いてあるんですけどね……」とうつむいてしまった。そして、「本当に、嫌な役回りです」と地面の石ころを蹴った。




