第三章 花火大会⑧
「もう、二人とも遅いぞ。花火始まっちゃったじゃないかあ」
永井がぷくっと頬を膨らませた。花火の音に風鈴の音がそっと顔を覗かせて、僕の胸に切なさを刻み込む。
「それで、何の話してたのよ」
美紀は巡り大橋の手すりにかけていた手を離して、僕と亮祐を振り返った。
「別に、何でもないよ。ちょっと、男同士の話」
僕は笑って美紀に答える。美紀に好きな人がいる、という話は、何だか僕にとっても嬉しい話だった。幼稚園から思い返しても、美紀が誰かを好きだという話は聞いたことがなかった。
「何よ、男同士の話って。かっこいい言い方したって、かっこよくないんだからね」と笑う美紀に、亮祐は「花火、綺麗だなあ。今野といっしょに見られて、俺、幸せだよお」と泣きまねをした。
好きなんだな――。僕は心の中で亮祐に話しかける。そんなに好きなのに、思いを伝えない。かっこいいよ、亮祐。最高だよ、お前。
花火が上がる。爆発音がすると、金色の火の粉を引きながら、燃えていき、青色に変化する。綺麗だ。美しい。
「これは皆さん、お揃いで」
声の方向を振り向くと、常盤くんが甚兵衛姿に団扇を持って僕たちの前に立っていた。和風の格好に、縁のない飾り気のない眼鏡が、何とも言えず似合っていた。
「常盤くん。何だ、また一人なの? この前も一人だったし……」
言い終える前に、僕は常盤くんにぎょろっとにらまれてしまった。そうだった、永井と亮祐には、タイムループのこと知られると都合が悪いんだった、と気づいて、僕は苦笑いとともに「久しぶりだね、常盤くん」と後頭部を掻くまねをしながら誤魔化した。
「私もごいっしょさせていただいても構いませんか?」
常盤くんがみんなを見回して尋ねる。僕は「もちろん」と頷き、美紀は「いいんじゃない?」と笑みを浮かべ、亮祐は「俺、よく分からないっす」とよく分からないことを言い、永井は「常盤くんもいっしょに見ようよ。みんなで見た方が、花火もきっと綺麗だよ」と優しさに溢れた笑顔で常盤くんを見つめた。
「で、では、ありがたく、ごいっしょさせていただきましょう」
常盤くんは英国紳士みたいに華麗なお辞儀をした。顔を上げると、頬は赤く染まっていて、照れているように指で眼鏡を押し上げた。永井の優しさが嬉しかったのだろう。
打ち上げ花火は、種類が変わったようだ。銀冠だった。銀色の光が垂れ下がるように落ちてくる。
「あ、ごめん。私、ちょっと、何か食べ物買ってくる。ちょっと、小腹が空いちゃってさ」
美紀がお腹をさすりながら申し訳なさそうに言った。常盤くんに気を遣っているのか、と僕は少し頬を緩めて美紀を見つめる。少し前までは、あんなにけんか腰だったのに。
「花火も、あと一時間くらいあるでしょ。今のうちに何か食べておかないと、クライマックスになってお腹が鳴るとか、嫌だし」
「それもそうだね。いってらっしゃい」
永井が顔の前で小さく手を振って美紀に応えた。
僕は「俺も今野といっしょに行く!」と亮祐が言い出すと思って待っていたのだが、亮祐は黙ったまま花火を見つめていた。仕方がないので、僕は歩き出した美紀の背中を追って、声をかけた。
「美紀、待って。僕もいっしょに行くよ」
「あ、そう。じゃあ、行こうか」
美紀と並んで巡り大橋の上を歩き出す。大橋という名前だけあって、長い橋だった。
前から大学生くらいの女の人が四人並んで歩いてきた。彼女たちは横一列になって、道いっぱいに広がっていたため、僕と美紀は窮屈そうに手すりの隅によけた。その拍子に、美紀の手の甲が僕の手に、一瞬、触れた。
僕は特に気にしていなかったのだが、美紀はものすごい勢いで手をひっこめた。目をまん丸に大きく見開いて、僕の横顔をそっと見上げる。美紀の頬は、花火のせいだろうか、うっすらと赤かった。
屋台が並んでいる通りに来ると、美紀は僕の顔を下から覗き込むように見上げて、ぼそぼそとした声で言った。
「誠太、覚えてる? 私と誠太って、幼稚園のころもよく夏祭り行ったりしたよね」
「覚えてるよ。美幸さんといっしょに来て、僕と美紀で美幸さんを連れ回してたよね」
「うん」美紀が嬉しそうに頷いて「こんなに大きな会場じゃなくってさ、近所の縁日みたいな感じだったけどね」と続けた。
「そうだったかなあ。何か、ここに負けないくらい大きかったような気もするなあ」
「あはは。それは、私たちがまだ子どもだったからだよ」
「うーん、かもしれないね」
「うん、そうだよ」
美紀はにっこりと微笑む。整った眉毛や顔立ちとは対照的に、美紀の笑った顔は、子どものころみたいに幼く、屋台の提燈の明かりによく映えていた。
「ね、ねえ、誠太」
「何?」
「お、覚えてるか分からないけど。昔は、こ、こうやって夏祭りとか来ると、いつも、手を繋いで歩いてたよね」
「ああ、そうだったね。美紀は昔からしっかりしてたから、はぐれないようにって、僕の手を引っ張ってくれてたんだよね」
「うん。あのさ……」
美紀が立ち止まる。屋台通りは、たくさんの人が行き来している。ざわざわと雑音のような音も満ちている。その中でも、花火の綺麗な音は少しも曇ることなく、耳に届く。
「……手、握らない?」
美紀は恥ずかしそうにうつむいて、消え入りそうな声で言った。うつむくだけでは足りなかったのか、体の前で指をもじもじとさせた。
「もう、何言ってるんだよ。高校生なんだから、迷子になんかならないって」
僕が笑いながら答ええると、「そ、そうだよね。もう子どもじゃないんだもんね。私、何言ってるんだろ」と美紀も「あはは」と笑って、髪の毛を触った。
「子どものころも、美紀は美紀だったよね。手を繋いでくれたのはよかったんだけど、美紀ったら自分が行きたいところにばっかり連れ回すんだから、振り回されて大変だったよ。何というか、昔から自己主張が強いっていうか」
「はは、そうだっけ?」
「そうだよ。それで、僕はお面が欲しかったのに、美紀はいつもお面屋の前を素通りしちゃうんだから。本当に、毎年のようにそうだったんだから」
「私、たこ焼き買ってくる」
美紀は、僕の話には応えず、背を向けて歩き出した。
昔から自己主張が強い、と僕は言った。亮祐の言葉を思い出した――「今野は、人に自分の気持ちをぶつけるのが、苦手なんだと思う」。この認識の違いは、何だろう。
美紀の後ろ姿を見つめる。ポニーテールが見える。黒い髪の毛が綺麗に整えられている。亮祐だったら――可愛くまとめられていると微笑むのだろうか。
たこ焼きの列に並んでいるときに、ケータイが鳴った。常盤くんから、僕と美紀の二人に宛てたメールだった。
「後で、お二人に話したいことがあります。タイムループについてです」
僕と美紀は、たこ焼きを買って、橋の上に戻った。常盤くんは永井と楽しそうにお喋りしていた。亮祐は黄昏れるように――この時刻だと、決して黄昏時なんかではないが――物憂げな様子で手すりに肘をかけて、ぼーっと花火を眺めていた。が、僕と美紀が戻ってきたのに気がつくと、ぱっと笑顔を作って手を振った。
「あ、おかえりー。二人とも、何を買ったんだい?」
「たこ焼きだよ。美紀が食べたいって言うから」
たこ焼きの入ったプラスチック容器を掲げた。亮祐の視線は、たこ焼きをすっと通りぬけて、後ろの美紀に向けられていた。顔は笑っているのに、視線は悲しくなるほど寂しげだった。その視線に気づいたのか気づかなかったのか、美紀は何となしの口調で亮祐に声をかけた。
「亮ちゃんも、たこ焼き食べる? 中までふっくらしてて美味しいよ」
「うん、ありがとう。って、たこ焼きってさっきも食べたじゃんか! また食べてるの?」
「だってさあ、美味しかったんだもん。いいから、食べなよ」
「ええー。どうせならさっきとは違うもの食べたかったよお」
「何よ、私があげるって言ってるのに食べないわけ? あ、そう」
美紀がぷいっと顔を背けると、「食べさせていただきます!」と、亮祐は背筋を伸ばしピシッと敬礼をした。
「全く、何をやっているんですか。あなたたちは」
常盤くんが、美紀と亮祐を横目で見ながら、眼鏡の奥の目を細めながら言った。永井も常盤くんを見上げて「いつもこんな感じなの、今野さんと亮祐くんの二人は」と何だか嬉しそうに笑って――僕を見た。永井の口は閉じているのに、「ね、遠野くん」という声が聞こえてきそうだった。
僕の後ろでは、美紀と亮祐がたこ焼きを頬張りながら、たこ焼きについて何やら議論をしていた。どうやら、たこ焼きの蛸は必要かどうかについて、らしい。美紀は蛸がないとたこ焼きではないと言い切り、亮祐は蛸がない方が美味しいと主張していた。本当に、仲が良いんだか、悪いんだか分からないな――とため息をつきたくなるほど、仲が良いのだろうな、あの二人は、と僕は微笑んだ。
花火は上がる。上がり続ける。僕は、心の中で永井に話しかける。花火、綺麗だなあ、また来年も見たいなあ、と。
花火は、一瞬で散ってしまうから美しいのだろうか。でも、例えば永遠に咲き続ける花があったら、人はそれも美しいと呼ぶのだろう。
永井のヘアピンが、花火に照らされて、桜色に淡く光る。桜だって、同じだ。桜の花の短さや、散り際の花びらは何とも言えず美しい。でも、春にしか咲かない桜は、春が何度だって訪れるから、その度に美しいと思えるのかもしれない。
刹那的だから美しく、永遠的だから美しい。永遠とは、時間の概念を越えたものだとしたら、永遠を感じることができるのは、この刹那の瞬間だけであろう。だとしたら、やっぱり、永遠は繰り返されるし、刹那的でもあるのだろう。




