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第一章 いつかの春②

 二年一組の教室から、文芸部の部室がある南棟へ向かった。外に面した渡り廊下からは、グラウンドが見渡せる――桜の木も、いっぱいに広がる。

「ねえ、永井。桜って、どうしてこんなに綺麗なんだろう」

「どうしてだろうね。私も、知りたいな」

 桜は咲いてもすぐに散ってしまう。その短い命が、儚さという寂しげな感情となって心を突き動かす。その散り行く花の姿が、美しいのだと、誰かが言っていた気がする。

 しかし、果たしてそれだけだろうか。それだけで、桜は、こんなにも美しいものだろうか。

 春の風にのって、桜の花びらが一枚、僕のそばを舞って、永井の髪の毛の上に落ちた。

「あ。桜だ」

 桜をのせた永井は、どうしてだろうか、今にも消えてしまいそうなほど儚げに、でも春の日差しに光って見えるほど、圧倒的にここにいた。

「ねえ、遠野くん。花びら、取って。風で舞って行っちゃう前に」

「うん」

 そっと手を伸ばし、永井の髪の毛から桜をつかまえる。永井はくすぐったそうに首を縮めた。花びらは、ふわふわとしていて心地いい。

「はい、取れたよ」

 桜を差し出す。永井はそれを大事そうに受け取って、嬉しそうにはにかんだ。そして、僕の右肩に、そっと頭をのせた。「ぽふっ」という音がしそうなほど、その感触は柔らかだった。

「永井……」

 本当は、告白をしたとき、「僕は永井のそばにいたい。そばにいて、永井の笑顔を見ていたい」とも伝えたかった。昨晩、散々練習したのに、その言葉は、緊張で心の中から出てはくれなかった。口にしなければ、相手には伝わらないというのに。

 今なら、それを言えそうな気がした。けれど。

「もう少しだけ、このまま、こうしていたい」

 永井が微笑みながらそう言うから、僕は「うん。もう少しだけ、こうしていよう」と笑って、二人で桜を眺め続けた。


 文芸部の部室のドアを開けると、美紀も亮祐もすでに来ていた。当たり前だ。今日は十三時集合だったのに、今はもう十三時半近い。僕と永井が大遅刻をしてしまっただけだ。

 今日はお昼から文芸部の活動がある日だった。部活後は、文芸部みんなで帰るため、二人きりになる時間はない。だから、部活が始まる前に教室に来てほしいと永井に言ってあったのだ。

「二人とも遅い! 何やってたのよ。誠太が十三時集合って言ったんでしょ。本人が遅刻してどうすんのよ。はるちゃんも、部長なんだからぴしっとしてよね」

 美紀の鋭い目つきと声が、ドアの前の僕たちに飛んできた。きりっという音が聞こえてきそうなほど凛々しい眉毛に、切れ長の目が、僕と永井を見つめる。永井は「ごめんなさい」と弱々しくうなだれてしまった。

「春休み中にみんなで作品を一本ずつ完成させようって決めたでしょ。はるちゃんはともかくとして、一番ペースの遅い誠太が遅刻してどうするの」

 首筋に毛先がかかるくらいの美紀のポニーテールは、黒色というより青色に近く、凛とした雰囲気が伝わってくる。

「悪かったよ。本当に、美紀は昔から口うるさいんだから」

「何よ、文句あるの」

 美紀とは、家がお向かいということもあって、幼稚園時代からの付き合いだった。だから、これが怒っているわけではなくて、春休み中に完成できるのかと、僕の作品の進行状況を心配してくれているのだと、分かる。

 分かるから、「さあ、部活始めようか」と笑いながら答えることもできる。

「今野は本当、誠太ちゃんのこととなるとうるさくなるんだから。ちょっとは俺にも構ってくれたっていいのにー」

 亮祐が椅子をがたがたと鳴らして、ほっぺたを膨らませた。体の小さい亮祐は言動も子どもっぽくて、可愛らしい。という話を美紀にしたら「誠太、そっち系なんじゃないの」と一蹴されてしまったのだけど。

「亮ちゃんはいつも構ってあげてるでしょ。さっきだって、いっしょに自販機までついて行ってあげたじゃない」

「ふーんだ。今野の意地悪」

 亮祐はすねたようにそっぽを向いてしまった。美紀はそんな亮祐の様子など気にするふうもなく、僕の隣にいる永井に声をかけた。

「今日のノルマは、各自、原稿用紙十五枚枚以上書き上げること。はるちゃん、それでいいかな?」

「あ、うん。そうしよう。何か、本当、今野さんの方が部長さんみたいだね」

永井は美紀の顔を見上げて、困ったような顔で情けなく笑った。

「何言ってるの。文芸部の部長は、はるちゃんだよ。今の文芸部があるのは、はるちゃんが頑張ったからなんだからさ。もっと胸張りなよ」

「うん、ありがとう、今野さん。私も、頑張るよ」

 文芸部には、今度三年生になる僕たち四人しかいない。だから、と言うとあまりよくないのかもしれないが、気心の知れたメンバーで、居心地のいい空間だ。永井がいて、美紀がいて、亮祐がいて、僕がいる――好きな人に、幼馴染に、親友。これほど恵まれた環境があるだろか。


 文芸部の部室を見渡す。部室と言っても、もともとは空き教室だった部屋を、文芸部として使わせてもらっているだけだ。机や椅子も四人分しか置いていない、貧乏臭い部屋だ。でも、ここは、僕たちの居場所であった。

 美紀が、ノートパソコンンでの執筆の手を休めて、椅子にもたれかかった。「うーん」と手を広げて大きく伸びをする。

「来週から、私たちも三年生かあ。嫌だなあ、進級したくないなあ」

「そしたら、卒業できなくなっちゃうじゃないか。でも、時間の流れって、本当に早いよね。もう、ちゃんと将来のこととか考えないとね」

 僕は美紀に応えながら、切実なため息をもらした。そして、「永井は、これからのこととか、考えてる?」と永井に目を向けた。

 ぱちっと、永井と目が合う。何だか急に恥ずかしくなってしまった。永井に話かければ当たり前のように永井と目が合う。そして、永井と会話をすることとなる。永井は、もう僕の恋人なのだ。みんなの前で、どのように永井と接すればいいのか、分からなくなってしまった。

「私は、今を一生懸命に頑張りたいなって思ってるから、将来のこととかは、あまり考えてないかなあ……。って、遠野くん、どうしたの?」

 永井は小首を傾げて、あたふたしている僕を見た。

 永井の声を聞くたびに、僕はいつも思う。永井の声は、まるで風鈴みたいだと。 僕の心を透き通るように震わせて、落ち着かせてくれる――今日は、その声が僕の心臓の鼓動を速めているのだけど。

「え? あ、いや、何でも、何でもないよ。うん、何でもない」

「どうしたの? 変な遠野くん」

「はるちゃんの言うとおり!」

 がたっと椅子から立ち上がって、目を光らせたのは亮祐だった。

「はるちゃんの言うとおり、今を一生懸命に生きればいいんだ! 将来なんて、知ったことじゃない!」

 亮祐は鼻から息を吐き出すように、堂々と胸を張った。何だか亮祐の背中から、ドンッ、という効果音が聞こえてきそうだった。

「はいはい、じゃあ、亮ちゃんは来年も学校に残って文芸部続けてね」

「じゃあ、今野もいっしょに留年してくれるなら、俺も留年する!」

「おおー、何か亮祐くん、かっこいい」

「は、はあ? 今の亮ちゃんのどこにかっこいいところがあったのよ? 変なはるちゃん」

「えへへー」

 永井は、気恥ずかしそうに頭に手をのせて、舌をぺろりと出した。僕はそんな永井を見つめていると、ふっと頬が緩んで、これからの永井との日々は、きっと幸せなものになるのかな、なんて思った。


 僕と永井は、一年生のときから同じクラスだった。そして、入学した最初の席も僕たちは前後だった。席が近ければ、当然よく話すようになる。そういうこともあって、僕と永井は、入学当初から、まるで昔から知ってるみたいに仲が良かった。

 遠野誠太に永井遥花。タ行の一番後ろの僕と、ナ行の一番前の永井。席が前後になるのは当たり前のことなのだが、今にして思えば、この偶然がなかったら、僕が永井のことを好きになることも、なかったのかもしれない。


 僕が永井と最初に話したのは、入学式が始まる前のことだった。僕は、まだ入学式が始まるまで時間があったので、学校の中を探検していた。北棟の一階から三階までを歩き回ったあと、南棟へ行こうと渡り廊下に出た。そこで、手すりに肘をついて、しばらくグラウンドを、桜の木を眺めていた。

 不意に、誰かに制服の裾を引っ張られた。

「入学式、もう始まっちゃうよ?」

 それが、永井だった。

「えっと、どちら様?」

「遠野くんと同じクラスになる永井って言います。先生が、遠野くんが教室にいないから、探しに行ってくれって」

「そうだったんだ。ごめん。……永井さん、だったよね」

「うん。さあ、行こう。入学式、始まるよ」

 永井が踵を返して歩き出す。僕も永井のあとを追って渡り廊下を歩き出した。それが僕と永井が最初に出会った春だった。


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