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第三章 花火大会②

「しんどくない?」

 駅から自宅へと向かう道すがら、美紀に言われた。美紀は心配そうに顔を歪めていた。

「……何が?」

「とぼけないでよ。はるちゃんのこと。あんなに冷たく当たって、はるちゃん、すごく寂しそうな目、してたよ。……誠太だって、本当は辛いんでしょ」

「辛くなんか、ないよ。これは、僕が自分で決めたことなんだからさ」

 僕は、何かを断ち切るように、はっきりとした口調で答えた。美紀はその答えに、余計に眉をひそめた――怒っているようにも見えた。

「……私には、無理しているようにしか見えない」

「心配してくれて、ありがとう。でも、本当に大丈夫だから」

 空はまだまだ明るい。夏だ。日の光は夕方になっても力強く皮膚を照りつける。その強さが、僕には少しだけ羨ましかった。

 黙ったまま二、三歩歩いたところで、背中から「本気なの?」という声がした。僕はゆっくりと後ろを振り返る。美紀は立ち止まって僕を見つめていた。

 蝉の鳴き声が、ジージーと空を埋める。蝉の声は、どうしてこんなにも切ない音に聞こえるのだろう。どうして彼らは、自分が死ぬことを分かっていながら、あんなに一生懸命に声をあげるのだろうか。

「本気だよ。あの雨の日に誓ったとおり。僕は、過去を、未来を変えたい。そのためには、僕は永井と付き合っちゃいけないんだ。それに――」

 僕は、永井と付き合える資格なんて、ないんだから。

 時田の声が蘇る。

 お前が悪いんだからな。お前が永井を奪ったから。

永井を殺したのは、僕なのだから――。

「それに、何よ」

 美紀が問い詰めてくる。

「ううん、ごめん。何でもない。それで、美紀はどうなの? 美幸さんは元気?」

「まあ、元気だけど。私が陸上部やめるって言ったら、すごくビックリしてたけどね。っていうか、私のことは、いいの。それよりも、誠太、」

「合宿、楽しみだよな。今回は、美紀ともずっといっしょにいられるんだろ?」

 僕は美紀の話をさえぎって、話題を変えた。美紀の頬がぽっと赤くなって、「ま、まあね」と答える声は微妙に上擦っていた。

「みんなで、楽しく過ごせたらいいよね。ほら、美紀覚えてる? 合宿最終日に巡り川の花火大会に行ったこと。楽しかったよなあ。途中で、常盤くんとも会ってさ。みんなで打ち上げ花火見たよね。綺麗だったよなあ。うん、すごく綺麗だった。儚い気持ちって、こういうことを言うのかあ、なんて空見上げながら一人で思っててさ。っていうか、常盤くん、花火大会一人で来てたよね。つくづく、よく分からない人だよね」

 僕は「あはは」と一人で思い出し笑いをする。美紀はずっと黙って僕を見つめていた。蝉の声は、本当に、切なく響いている。


 一学期が終わる七月の二十三日の火曜日の朝、僕は二年五組の教室の前に来ていた。時田に、用があったのだ。

 僕は教室の後ろのドアを開けて、五組の教室の中に入った。生徒たちはみな、誰かの席に集まったり、窓際に固まって楽しそうにお喋りをしていた。和やかな雰囲気が伝わってくる。明日から夏休みということで気持ちも浮き立っているのだろう。

 黒板の前に数人で溜まっている時田を見つけた。ひと際背が高いから、すぐに目に付く。心臓が、憎しみでぎゅうっと締めつけられた。

 頬がこわばる。落ち着け、落ち着け、と僕は心の中で繰り返した。今の時田は何もしていないし、きっとするつもりもないはずなのだから。

 鼻から思い切り息を吸って、大きく吐き出した。

 黒板に向かって歩き出す。時田たちは、教卓の上で、消しゴムをシャーペンで飛ばしあっていた。お互いの消しゴムをぶつけ合って、落とされた方が負けとなる「消しピン」という遊びだった。

 いま、消しゴムが一つ床に落ちた。残念そうに教卓に顔をうずめたのは、時田だった。

 僕は、教卓に近づいていって、時田に声をかけた。

「時田くん、ちょっといいかな」

 時田は、のそのそとした仕草でゆっくりと顔を上げて、僕の顔を見た。と、ぎょっとしたような表情を浮かべた。

「な、なに? 遠野くん」

 落ち着け、落ち着け。

「いや、あのさ、この前は、ごめんなさい。急に胸ぐらつかんだりして。ずっと謝りたかったんだけど、なかなか言えなくて、その、本当にごめん」

 深々と頭を下げた。時田の顔が見えなくなる。その方が、気持ちが楽だったからかもしれない。

「う、ううん。全然、全然、怒ってないから。本当に、全然。だから、顔を上げて、ね」

「許してくれるの?」

 僕は頭を下げたまま時田に尋ね返した。

「いや、その、許すも何も、最初から怒ってないっていうか、僕の方こそ、何か遠野くんを怒らせるようなことしちゃったのかなって、ずっと気になってたっていうか、だから、僕の方こそ、ごめんなさい」

 時田は早口で一気にまくしたてる。

 僕はそっと顔を上げた。慌てた様子で手を振り顔を振る時田の姿が見えた。

 心臓が、ドクンッと身体を震わせる。何も知らないくせに――。何も、分かっていないくせに。声にならないうめきが、心によぎる。

「いや、時田くんは何もしてないんだよ。本当に。僕が、その、ちょっと色々あって、本当にごめんね。それで、その、今日はもう一つ、お願いがあって来たんだ」

 精一杯声を丸くして、僕は言った。

「え? な、なに?」

 時田はまだ困惑しているようだった。

「アドレスを教えてほしいなって、思って。今度お詫びにご飯でも奢らせてよ」

 僕は作り笑いを浮かべる。必死に頬を緩める。そうしていないと、心がどうかなってしまいそうだった。

「ええ? 奢るだなんて、そんな、いいよ、別に。でも、アドレスは交換しようよ」

 時田は、僕が低姿勢で話し続けているうちに、少し安心したのか、話し方にも少し余裕がでてきたようだった。幾分か頬がほぐれている。

 アドレスを交換し終えたあと、僕は足早に時田の前をあとにした。

 廊下に出て、壁に寄りかかった。ふうっと心臓を撫で下ろすと、こめかみを汗が伝い落ちた。暑さのせいだけではない、じっとりと重い汗だった。

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