第三章 花火大会①
期末テストが終わって、七月も半ばに差しかかろうとしていた。来週からは、夏休みに入る。僕が美紀といっしょに、一年前のこの世界にタイムループをした日から、もう三週間近く経っていることになる。
日曜日の午後三時。文芸部の部室には、窓から差し込む夏の光が照りつけていた。じりじりとうだるような暑さだ。部屋には冷房はついていない。代わりに風鈴を窓枠に取り付けてあるのだが、暑いことに変わりはない。
僕は自分が中学生だったころ、真夏の炎天下の中、野球部員としてグラウンドを走り回っていたころがあったことが信じられなかった。
「暑い。暑いよお、亮祐ー」
執筆活動をしていたノートパソコンのキーボードの上に、汗がぼたりと垂れ落ちる。僕たちは、律儀にも、土日も部活動をする真面目な文芸部員だったのだ。
「何を言っている誠太ちゃん。暑いときこそ声を出せと、野球部ではよく言われていたことだろう! さあ、声を出すぞー!」
亮祐は元気よく僕に声をかけてくる。
「えー、まあ、いいや。じゃあ、声出しするか」
「そうこなくっちゃ!」
僕と亮祐は二人で思い切り息を吸い込んで、天井に向かって叫んだ。
「しゃあああ! かかってこいや! 文芸部!」
叫んだ拍子に汗が飛び散ったのが、日の反射で見えた。叫び終わったあと、余計に熱くなってしまって、僕は机の上に突っ伏してしまった。
「元野球部は元気がいいねえ」
永井が苦笑いとともに呟いた。永井の机の上には、印刷された原稿が広がっていた。書き上げた小説の最終チェックをしているみたいだった。
「っていうか、亮ちゃん、うるさい。余計暑くなるからやめろ」
美紀は、ノートパソコンと睨めっこしていた顔を上げて、イライラとした視線を亮祐に投げ出す。亮祐は「ええー、誠太ちゃんも叫んでたじゃーん」と唇を尖らせた。
蝉の鳴き声が聞こえる。ジージーと言っているから、アブラゼミだろう。
美紀は、あの雨の次の日に、陸上部に退部届けを出した。最初はなかなか認めてもらえなかったが、何度も頭を下げて辞めさせてもらうようにお願いをしていた、らしい。陸上部の人たちも美紀の必死な様子を見て、退部届けを受理した。退部をする理由も何度も聞かれたが、美紀は口ごもるだけで、何も答えることができなかったという。
しかし、何はともあれ、美紀は過去を、未来を変える道のりの、第一歩を踏み出していた。
本当なら、陸上部を辞めたのは、美幸さんが亡くなったあとの、十二月に入ってからのことだったから、半年近くも早く辞めたことになる。
七月に入る前、常盤くんがタイムループについての新しい事実を教えてくれていた。
「タイムループしているのは、遠野さんや今野くん、私だけではなくて、全国にいるんです。と言っても、本当に、ごくわずかな人数ですけどね。この高校みたいに、一つの場所に数人も集まっているなんて、稀だそうですよ。それで、タイムループしてきた人たちで、一つの集まりを作っているんです。一応、私たちは『委員会』と呼んでいるのですが、タイムループについての情報交換をしたり、現象の究明を行ったり……。主にパソコンでやり取りをしているんですが、年に何回かは、実際に集まって話をしたりもしています。他にも、新しくタイムループしてきた人と接触を持って、タイムループについての事実を伝える、という仕事もしているんです。そして、私が遠野さんや今野くんにお話をするのは、この『委員会』の仕事でもあるんです」
「ねえ、遠野くん」
永井の声――風鈴がちりんと鳴る音と重なった。それは僕の心の奥を震わせる。
「……何?」
「夏休みにさ、文芸部のみんなで合宿をやろうと思うの。どうかな?」
確かに、タイムループ前の二年生の夏休みには、美紀の家で合宿を開いていた。三泊四日で、一日中、みんなで相談をしながら執筆活動をする。一番大きな家が美紀の家だった、ということが、美紀の家で合宿をすることになった理由だった。
「別に、いいんじゃない。みんなでやった方が楽しいだろうし」
僕は永井には目を向けず、机に肘をついて、ぼそりと呟くように言った。
「合宿? おら、やりたい! どこ行く? 海? 山? それとも海外?」
亮祐が目を輝かせた。そうだった。合宿中も、一番はしゃいでいたのは、亮祐だったのだ。亮祐の性格を考えれば当たり前のことなのかもしれないが。
「亮祐くん、はしゃぎすぎだって。そんな大それたものじゃないよ。学校か、できるなら、誰かの家に泊まりこみで、一日中執筆活動に費やすの! いつでもみんながいるから、いつでも相談し合えるし、いいと思わない? 『夏休みが終わるまでに長編小説を一本書き上げようプロジェクト』の成功のためにも!」
永井は、ぐっと拳を握りしめて、亮祐とは違った意味で目を輝かせていた。一日中執筆活動に費やす――小説のこととなると熱くなる永井らしいなと思って、僕の顔には自然と笑みが広がる。
「ね、遠野くん。いいでしょ?」
永井の満面の笑顔が、再び僕を見つめる。僕は、何も答えない。今度は完全に永井を無視した。永井と目が合わないようにしていたため、永井がどんな表情をしているのかは、分からなかった。
結局、合宿は、ただのお泊り会のような形になってしまったのだった。あの時は、美紀はまだ陸上部員で、練習が忙しくて文芸部の合宿にはあまり顔を出せていなかったが、今回は最初から最後までいっしょに参加することになるだろう。
そうだ。まるっきり同じ過去なんてありえない、そして、それは少しずつでも過去を変えていくことができるということの裏返しでもあるのだろうなと思う。
「遠野くん? 聞いてる?」
返事がなかったから不安になったのか、永井が三度僕に話しかけてくる。僕は視線のやりどころに困った部室を見渡した。
机に突っ伏して団扇をだらしなく持った美紀と目が合った。美紀は悲しそうな、寂しそうな目をして、僕を見ていた。
「俺もお泊り会したーい。そういえば、まだ誠太ちゃんの家にしか行ったことないんだよなあ。今野の家が目の前にあるのに、今野、俺だけ家に入れてくれないんだもん」
亮祐がぷくっと頬を膨らませて、椅子をがたがたと鳴らした。美紀は、団扇を扇ぎながら応える。
「うるさい。亮ちゃんみたいな小学生は、家にはいれないから」
「ふえーん。今野にいじめられたよう。誠太ー、慰めておくれよお」
「あはは。よしよし。でも、まあ、いいじゃないか。合宿中は、美紀とずっといっしょにいられるんだぞ」
「そんなこと言ったって……」と亮祐はまだ浮かない顔をしていたが、突如、「あ、いいこと思いついた!」と、ぴょんっと椅子の上に立ち上がった。そして、腰に手をあてて、「合宿は今野の家でやればいいじゃないか!」と高らかに言った。
「はあ? 何で、そうなる……」
と言いかけて、美紀は「あっ」と短く息を吐いた。夏休みの合宿は、美紀の家でやったということを思い出したのだろう。
「だって、今野の家、大きかったし。今野のお母さん、美人さんだし。もう、最高じゃん! ほっほーい!」
亮祐は、椅子から飛び降りて、踊るように部室を飛び回る。暑さなんて吹き飛んでしまったみたいだった。
僕は狂喜乱舞している亮祐に、頬を緩めて相槌を打つ。
「うん、そうだね。僕も美紀の家でいいと思うよ」
「おおー。誠太が俺の味方に……!」
「何言ってるんだ。当たり前だろ。僕たち、友達なんだから」
片目をつむって親指を立ててやったら、亮祐も同じように親指を立ててきた。
「だな! 俺ら、友達だもんな」
「おう!」
僕は亮祐と目を見交わせて笑い合う。二人のそんなやり取りを、永井は「あはは」と笑いながら見つめていた。嬉しそうに笑う永井は、やっぱり、可愛らしかった。
「今野さん、こんな話になってるけど、いいの?」
永井が笑い顔のまま美紀を振り向く。
「別にいいよ、合宿は私の家でやれば。はるちゃんも、その方が助かるでしょ。まあ、大したもてなしはできないけど」
「よっしゃあ! じゃあ、決まり!」
亮祐は、ピンチで三振を取ったピッチャーみたいに、勢いよくガッツポーズを決めて、部屋いっぱいに響き渡るような声で叫んだ。
「それじゃあ、みんな、連絡です!」
永井も、亮祐のテンションにつられたのか、腰に手をあてて文芸部全員を見渡す。
「夏休みは、文芸部で合宿をすることになりました! 場所は、今野さんのお家です!合宿の日にちは決まり次第、また連絡します。それでは、最高の合宿にしようじゃないですか!」
「おおー。はるちゃん、何か、部長っぽい!」
美紀がぱちぱちと永井に拍手を送る。
永井は「えへへ」と照れ笑いを浮かべた。
「ね、誠太もそう思うでしょ? 何か、はるちゃん、部長っぽくなってきたよね!」
美紀が僕に声をかけてきたけど、僕は窓の外に目をやったまま、「うん……」と頷くだけだった。




