第1話「残り火」⑦
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「副長! ここはもう無理だ!」
ノールが金切り声のような悲鳴を上げた。
彼の体もまた血にまみれていた。
剣は既に血でよく切れない、ただのこん棒となっていた。
「まだだ! ここで引くわけにはいかない!」
同じように切れ味の悪くなった斧を相手から引き抜きながらダジリスは怒鳴り返した。
「ここで引けばこのサン=ライス地区は相手の手に落ちる!」
「けど! 物量的に不利過ぎる!」
絶え間なく波状攻撃をしかけてくる共和国軍との数のうえでの差は致命的である。
何度目かもう数えることも忘れた攻撃をなんとかしのいで地面に膝をつく。
「ダジリス、無事か?」
「マートン隊長!」
幅広の剣を肩に担いだ男が寄ってくる。
彼の普段から自慢にしている刈りそろえられたヒゲにも敵の血がべったりとついていた。
「隊長、いったいコレはいつまで続くんですか? もうみんな体力も精神も限界ですよ」
「わからん。だが、アデス様がこのまま耐久戦を続けるほど頭が固いとは思わん。恐らく何か手を打ってくださってるはずだ」
「双竜の片割れですもんね」
大戦中にその実績で指揮官の地位にまで上り詰めた男は、どんな戦地でも部隊を生き残らせてきた。
初めて目通りした時はおちゃらけた感じで心配になったものだが、実際に戦闘が始まると彼自身の強さもさることながら部隊の指揮も他の貴族より心得られていた。
「だが、アデス様でもこの状況で打てる手は限られているはずだ。できて援軍を呼ぶことぐらいかもしれん」
「援軍、ですか。できるだけ実力者か人数がいるとこ、できれば両方欲しいですね」
「全くだな」
体についた敵の血は最初は生温かいもののすぐに体を冷やしていく。
まるで死者が体温を奪っていくようだ。
だが、体の血を落とすまえにそれぞれ獲物の血を拭う。そうでなければ次は自分が体温のない死体になってしまう。
「サン=ライス地区の近くに展開している友軍っていえば、第五突撃部隊とかでしたっけ?」
「そうなるかな。くそっ、南方というひとくくりでいえばアンドリュー将軍とバルエル将軍もいるというのに」
「あ、そういえば噂で聞いたんですけど」
「なんだ? ノール」
横で剣の油を必死に拭き取っていたノールが顔を上げる。
「ラディバル奪還作戦ってあったじゃないですか?」
「あぁ、奇襲強奪作戦だろ?」
「あれ成功したらしいですよ」
「本当か!」
「だからあそこの遊撃部隊とかこっちに回されてくるんじゃないですか?」
「あそこはどこがいたっけ?」
「黒装束ですよ、黒装束」
ざわり、と部隊に波がたつ。希望と畏怖の感情がないまぜになった声があがる。
「黒装束!? まじかよ。今一番勢いのある部隊だろ?」
「第251独立遊撃部隊だっけ? まじで強いらしいしな」
色めき立つ隊員たち。
戦争が始まってすでに3年が経過している。
戦地というものに慣れはするものの誰もがそこに居たいとは思わない。
3年目にして現れた『黒装束』と呼ばれる謎の部隊の活躍は帝国軍に「勝利」という希望を見させるだけの実力を持っていた。
「ええい、静まれ! まだ来るとは決まっていないんだぞ!」
マートン隊長が浮足立った部隊を叱責する。
「来るとしてもあと数日は無理だ。ラディバルからここまでどれくらいの距離があると思ってるんだ」
まだあと数日は耐えねばならん。
そう叱責を続けようとしたときににわかに周囲の騒がしさが増した。
「敵襲だ! 各部隊持ち場につけ!魔術展開用意!」
伝令が馬を駆って友軍への伝達を行っている。
その伝達を聞くやいなや、全員装備をもう一度身につけ整列を始め、そして再び戦いに身を投じた。
「一人たりとも通すな! ここを抜けられたら商都まで道が開けちまうぞ!」
目の前にいた敵兵の剣ごと叩き切りながらダジリスは周囲を鼓舞した。
勢いをもって突っ込んできては撤退していくという攻撃パターンをしていた敵は、今度は粘り強く味方の戦力を削っていく。
「マートン隊長! 波状攻撃の感覚が狭まってきているようです!」
「うむ、ダジリス。これは最終的に全力で押し切ってくるかもしれん。ここが正念場だろう。耐えるぞ! 魔力に余裕のあるものは敵の遠距離攻撃に対して障壁を展開しろ!」
「はい! 聞いたか、野郎ども! 耐えやがれ!」
そういって斧を振るう。
もう手足の感覚などとうになくなっていた。
手はしびれ小刻みに痙攣している。
それでも武器を通して敵の剣を折り、肉を断つ感覚は体へと伝わってくる。
戦い慣れた体は無意識のうちに斧に魔術を薄くまとわせる。
だがーー
「隊長! 副長! 新手だ!」
切り伏せた敵兵の向こうに新たな敵影が見える。
「…時間差で連続…突撃?」
「バカな…」
絶望が心を満たしていく。
態勢を整える暇すらない。
このままでは勢いのまま突っ込んできた敵兵にすべての味方が引きちぎられてしまう。
せめて、家族のあるものだけでも逃がせないのか。自分の残り魔力と防壁の強度を急いで考えながらも思考は絶望に喰われていく。
目の前に迫る敵兵をぼんやりと眺めながら自分の無力さを怨んだ。
その時だった。
マートンたちの部隊の右後方から信じられないスピードで敵軍へと突進した部隊があった。
横殴りのような奇襲。
そのカウンターのような一撃を受けて敵部隊はたちまちマートンたちの数十メートル先で混戦となった。乱戦の中で魔術が暴発した光が時々光る。
「お、おい…あんな無茶どこの部隊だよ」
死を前に決死の特攻をかけたというのか。
「おい、ぼさっと見てる暇はねえぞ! 援護しろ!」
「はっ、はい!」
必死に悲鳴をあげる体に鞭うって援護に駆けつける。
しかし、それは結局徒労に終わった。
「うわっ…」
たどりつく頃には敵の部隊は壊滅していた。
敵の死体の間にポツリポツリと立っている20人弱の小人数の部隊。
その隊服は血を浴びて赤黒く変色している。
ダジリスは目の前の光景が信じられなかった。
(たった一つの部隊でこれだけの敵をやったのか…)
敵の死体は無残に破壊されている。
鋼の鎧は貫かれ血を溢れさせているものもあれば、その鋼に拳の形が残っているものまである。
この部隊のものからすれば鋼など体を守るには不十分すぎるのだろう。
「黒…装束」
畏怖の念をもって部隊名が口をついて出た。
それが聞こえたのか、部隊の中心にいた小柄な男がこちらを見る。
ダジリスはその男の紫金の瞳に射ぬかれた瞬間、心臓が止まりそうになるほどの圧迫感を覚えた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
そして今、あの時と同じ瞳がダジリスを捉えていた。
戦争がおわってから3年だ。
ダジリスが戦場で黒装束の隊長である狂戦士とよばれる男を見てから4年の月日がたっていた。
それでも、間違えるわけがなかった。
あの呑みこまれそうな圧倒的な存在。
(だが、思っていたより若いな)
四年たった現在でも、目の前にたつ黒髪の青年は二十前後のようにみえる。
「く、黒装束って…ライが? え、え、え? 狂戦士? え、まじで、え?」
連れの青年は知らなかったようだ。
ダジリスの周囲にいる仲間も動揺を隠せない。
ダジリスたちは戦場で一度黒装束と遭遇して彼らに命を助けられている。
感謝の気持ちもあるが、それ以上に黒装束の実力を知っているのだ。
「どこかで会った?」
黒髪の青年が血を拭いながら問う。
「3年前の大戦時に、サン=ライス攻防戦に参加していてな。そこで見かけたことがある」
「あぁ、あの時の部隊」
沈黙があたりを満たした。
かがり火はまだ残っているが、数を減らしている。
闇が背後にまで忍び寄っていた。
かつて戦場をともにした友軍同士が今は敵味方に分かれて対立していた。
「なんでだよ」
ぽつりと漏れた呟きが沈黙を破った。
それは今まで端のほうで槍をもったまま立ち尽くしていた守備隊の青年の呟きだった。
素直な疑問が口をついて出る。
サンツは槍を持ったまま肩を震わせていた。
「なんでだよ、それってなんでだよ! チクショウ!」