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第1話「残り火」⑪

「停戦条約。くそったれの条約だ。戦争が終わったようにみせた、見せかけの希望」

「…」

「戦争は終わっちゃいない」

「…」

「お前にも分かるんじゃないのか、狂戦士とまで言われたお前なら」


 剣と斧を打ち合わせた状態から全体重をかけて力を込める。体格差も使ってライを押し込めていく。


「黒装束は全滅したと聞いたぞ。お前も仲間を失ったんじゃないのか」


 剣を折る方法は衝撃だけではない。へし折るように力を掛けていく。


「お前の戦争は終わってしまったのかよ! えぇ!?」

「…俺の戦争、だと?」


 下から見上げるライの瞳が見開かれる。

 一瞬の隙を見て、ダジリスの腹部を蹴りあげて距離をとる。

 ライの頭に、雨のなかで花の大輪のように微笑む女性の姿がよぎった。


 女が――血にまみれながら、笑う。


 あれからどれくらいの時間が経ったのだろう。未だに風化しない記憶だ。

 戦場の記憶はそこで終わっている。


(俺の戦争…)


 剣戟の合間に見える女の笑顔が、どうしても頭から離れない。

 ライは熱に浮かされたような気分で剣を振るい続けた。









◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 女が笑う。

 雨に打たれ、流れていく血はすぐに泥と混じる。

 つい先刻まで溢れていた狂気は霧散していた。

 ロトワールの地は荒れ果てていた。地面には大きな穴がいくつもあり陥没している。亀裂の間に原型を失った死体がいくつも横たわっていた。


『…ごめんね』


 女が笑う。その笑みは引きつっていた。

 抱きかかえる女は冷たい。ライを包みこんでいた暖かさも柔らかさもない。

 悲しみでもなく、憎しみでもない感情が高ぶってくる。


 俺は――


 視界が白く、白く、染められていく。

 頭の中が白熱していく――。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆










「―――ッッ」


 女は杉の木の枝の上で体を震わせた。

 バランスを崩すほどではなかったが、少なくない衝撃が女の心を襲う。

 同時に夜だと言うのに周囲の木々から鳥が本能的に飛び去ろうとしている。

 離れた場所へと目を向ける。


「これほどまでのっ、殺気とは――」


 肌がビリビリと震えるような圧力である。並大抵のものでなければパニック状態になってしまうだろう。それか気絶である。それほどまでにこの気配は恐ろしかった。


「これが、狂戦士」


 彼の2つ名を呟く。

 後ろで従者が静かに同意した。










「ひぃぃいいいい」


 マーヴェル卿はパニックになっていた。一瞬ぞわりと背筋が寒くなったと思ったら体中が粟立つような感覚に陥る。

 体中を何か不快なものが這いずりまわっていく。得も知れない恐怖が湧きあがる。

 もし彼に余裕があって、周りを見渡すことができたなら守備隊のほとんどが同じようにパニック状態になっているのが分かっただろう。

 パニックになっていないのは一人だけだった。


「――静まれッッ」


 鋭い一喝が耳に届くと同時に体がまた別種の気配に支配される。

 圧迫感はあるものの皮膚が粟立つようなものではない。浮足立ちそうになる体を無理やり地面に押さえつけてくるような圧力。


「落ち着けッ! 取り乱すなッ」


 鋭く、それでいて焦らせない落ち着いた声でアデスが叫ぶ。

 守備隊も体を覆う別種の圧力がアデスから発せられていることを理解したのだろう。素直に言葉に従う。


(これが…戦地帰りの騎士か…)


 驚嘆すべき存在感に守備隊は安堵する。

 一方、アデスのほうは周りに悟られないように、胸の奥から湧き上がる焦燥感を必死に押さえつけていた。


(この気配…ただ事ではないぞ、マジやべえ。戦場でも滅多にお目にかかったことがねぇぞ。

 これは――一体!?)










 目の前の青年から信じられないほどの殺気がほとばしっている。

 体格差を利用して斧で押し込めていたはずだが、気配だけで吹き飛ばされそうになる。


「――くそっ」


 思わず再び距離を取る。

 ゆらり、と緩やかに立ち上がった青年の背後に殺気が具現化しているようだった。

 暗く黒い影が青年の背後から滲み出ている。


「!?」


 立ち上がった彼の体から傷がもの凄い勢いで癒えていく。

 流れていた血は一瞬で固まって剥がれ落ちていき、その下には真新しい皮膚が見える。

 軽い切り傷は跡かたもなく治っていく。深い傷も血は止まっているようだ。

 常軌を逸した光景と彼の殺気が混ざって非現実的な感覚が増していく。


「それは…一体何だ?」


 だが、その殺気は行き場所を求めて蠢いているようだった。

 これほどの強烈な殺気を自分に向けて発せられていたら、いくら戦地がえりのダジリスでも動きが鈍る。しかし、この殺気は明確に誰かに向けて発せられているものではないような気がした。


(何に怒っているんだ…この狂戦士は)









◆ ◆ ◆ ◆ ◆





『生きて、ライ』


 女はそう言った。残されたわずかな体力。

 喋らなくてもいつかは尽きるその命を最大限に使おうと、女は必死に言葉を紡いだ。

 それがわかっていたからライも素直にその言葉を聞いていた。


『そして狂わないで』


 狂戦士と言われた小柄な隊長に女は囁く。

 すでに死の淵へと魂が離れていっている。

 それでも、彼に伝えるべきことがあった。


『愛してるわ、ライ』





◆ ◆ ◆ ◆ ◆







(これは…悲しみ?)


 大気に満ちる殺気が微妙に変化する。

 その変化を敏感にダジリスは察知した。戦闘中に感じられる殺気ではない。むしろ戦闘が終わった後に戦友の死を悼んで自軍に満ちる気配に似ていた。


 少し離れた所でライが剣を構える。

 そして――姿が掻き消えた。


 目で捉えきれないスピード。

 反応できないほどのスピードであっても、彼のその気配がダジリスにはありありと把握できた。

 目の前に迫った彼と目線がかち合う。

 ダジリスにはライの浮かべている表情やその瞳に映る感情すら見ることができた。


(あぁ。お前は…狂わなかったんだな)


 戦友が死に、帰る地すらなくなった。だからダジリス達43連隊は狂った。絶望と諦観が体を満たし、狂った。狂って貴族の血を求めた。

 狂ってしまえば楽だった。


(俺はもう、戦友や家族が死んだことが…悲しくなかったから)


 狂ってしまったから。

 だからもう目の前に迫る青年と同じ気配は出すことができない。

 怒り狂うことはできても悲しみ暴れることはできなかったのだ。


(ライオネル、と言ったか…)


 若くして黒装束の隊長であった青年の名を思い出す。

 恐らく多感な少年時代を戦場で過ごしたのだろう。

 それでも彼は狂わなかった。

 繋ぎとめられていた。


(彼のように…俺はなれない)


 諦めといくばくかの羨望に包まれながら、ダジリスは自分の体が鉄の剣で切り裂かれるのを感じていた。

 目を閉じると同時に今までの仲間たちが全員見えた。

 マートン隊長に多くの部下。

 そして――妻と娘。

 彼らが微笑む。お疲れ様、と。

 痛みなどもう既になかった。ただ、狂ってから久しく感じていなかった悲しみが、胸の奥から湧き上がってきた。その強烈さに涙腺が緩む。

 ダジリスは涙を浮かべ微笑みながら絶命した。



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