第1話「残り火」⑩
世の中の術には大きく大別して魔術と霊術がある。魔術は魔力を使い、霊術は霊力を使う。
魔術のほうが一般的だ。人は大抵生まれながらに大なり小なり魔力をもって生まれているために、生活のなかでもそして戦争のなかでも魔術は一般的に使われる。
しかし霊術は違う。大気中に満ちていると言われる霊力を集約し発動する。その威力は魔術の約30倍と言われるほどに強力だが、大気中の霊力を集約できるのは『紋章』を持った貴族にしかできない。紋章は大気中の霊力を集約するためのものであり、またその紋様の違いによって普通の霊術とは違う独技<ユニークスキル>といわれる特殊攻撃が可能になっている。
魔術も霊術もそれぞれ気配でなんとなく存在がわかるものだ。
アデスとマートンの周囲にいる者は、2人がそれぞれ魔術と霊術を発動したことを感じ取った。
戦いが――始まる。
幾度となく剣が打ちあわされる。
その苛烈さと美しさに周囲で争っていた守備隊と元練兵も自分たちの戦いを緩めて目を奪われる。
「…情けなら無用です、アデス様!」
剣を振るいながらマートンが叫ぶ。
「我らはもう行くところがない! そして帰る地もない! 全てを失ってしまったのです」
喋りながら剣を振るうことは体力を消耗する。だが、そんなことはもうどうでもよかった。魔術で限界まで身体を強化する。後先など考えずに、全力で。
剣を振っていると戦場を思い出す。
何年も振り続けた剣は手によく馴染む。
もう、戻れないのだ。
マートンはそう感じていた。
剣が受ける衝撃からアデスが手を抜かずに剣を合わせてきていることがうかがえる。
彼は、そういう人間だ。
こちらの意図を組んで躊躇いない本気で相手をしてくれる。
もう、戻れないのだ。
剣を握るのに慣れることはすなわち人を殺すのにも慣れてしまったことを意味する。
鎧を貫き、割り砕き、肉を裂いてきた。
人の命が自分の剣の先で失せ、肉体が死体へと脱力していくのをこの手でいくつも確かめてきた。
もう、戻れないのだ。
部下の目が自分を見返すときに、そう感じたのだ。
帰る場所のなくなった者たちの切実な想い。
それが例え憎しみであったとしても、それをマートンは否定することができなかった。
俺は、隊長だから。
だから彼らが望むのなら、先頭に立とう。
行き先が地獄であったとしても、先頭に立とう。
誰も助けてくれないのなら、せめて俺が彼らを救わなければ。
だから――
だから――
マートンは自分の鎧の胸板を見た。
赤い――染みが広がり始めていた。
それなりの強度をもっていたはずの鎧から剣が突きだしている。
一瞬の隙をついて霊術による『加速』を使い、背後からの刺突を見舞ったアデスは剣を更にえぐりこむ。
「――ッ」
痛みはなかった。アデスが突いてきたのは急所の一つだ。痛みを感じるよりも先に神経のほうが麻痺してくる。
体の、力が抜ける。
後ろ向きに倒れていくマートンの体をアデスは後ろから体を寄せて支えた。
「…すまなかったね」
アデスがマートンの耳元で囁く。
マートンの手から剣が滑り落ち地面へと転がった。
「停戦条約が結ばれた時にお前たちを殺しておくべきだったのかもしれない。ヌフラの大罪のことを知らないうちに、停戦の喜びに沸いているうちにお前たちを殺しておくべきだったのかもしれない」
第52師団には情報統制が掛けられていた。ヌフラの大罪の事実は、43連隊の士気を下げるとして教えられていなかったのだ。
「絶望を味あわせてすまなかった」
喜びの絶頂にあるうちに、故郷の絶望的な悲報を聞く前に、死んだということも分らないほど圧倒的に焼きつくしてやるべきだったとアデスは後悔した。
「…相、変わらず……よ、く分からな、い方だ…」
最後の力を振り絞って言葉を紡ぐ。
「…でもあ、なたで…よかった…」
この男に殺されるなら文句はない。
貴族の地位でありながら平民のために霊術を振るう心やさしき男。
普通の貴族は師団のために霊術を行使しない。霊術は術者に負担をかける。だから自分のいる司令部を守るためか、騎士隊の進撃のときにしか霊術を使わないのがセオリーだった。
だが、彼はそれをしなかった。
他の傲慢な貴族と相打ちになって憎悪の中で死ぬだろうと思っていた。それよりはかつての戦友に命を奪ってもらう方がマートンにとってはよっぽど良かった。
「…アデス様……部下を…彼ら、も既に…行く、ところがありません……」
最後の頼みを。
傲慢ともいえる頼みを。かつての上官に頼むには相当に重い頼み。
「わかってる」
それでもアデスは頷いた。
そうやさしく囁く。と同時にアデスの右手の紋様が輝く。紋様に集められた霊力が展開した。
「だから、もう休め」
マートンが安堵の笑みを浮かべるのと同時に、彼の体が内部から炎に包まれて一瞬で灰になった。
マートンの体が闇夜のなかでひと際明るく輝いて、消えた。
何も残らなかった。死ぬ前に手放した剣だけが地面に転がっていた。
彼が身に着けていた鎧も何もかもが蒸発していた。
その光景に誰もが動きを止めていた。
守備隊も貴族も。元43連隊の練兵たちも。
だが、一番早くに状況を把握して行動したのは元練兵たちだった。
「――ぐぅッ」
守備隊相手の攻撃を止め、その剣を自らの胸に突きたてる。
一人がそのように自決を図ると、次々と連鎖するように元練兵たちは自決していく。そうして全員が自ら命を断とうとした。
だが、自決というのは簡単ではない。
介錯する人間もおらず、一人で命を断つには相当の苦しみが伴う。
「わかっているよ、マートン」
苦しんでいる元練兵たちを見て、アデスは空中に向かってそう呟くと、右手をかかげた。
「≪展開≫」
右手の紋様が光り、霊力を充填していく。そして目の前に赤い発動陣が展開された。アデスの手に彫られていたワーニー家の紋章が陣には写しこまれている。
「ワーニー家の独技で送らせていただこう。安らかに休め、帝国の戦士たちよ」
そういって少しだけ言葉を区切る。
そして次の瞬間――
「"破炎"」
そうアデスが呟くと展開されていた紋様が光り輝いて四散し、それと同時に赤き閃光が元練兵たちへと奔った。
その眩しさに守備隊が目を覆い、再び目を開けたとき目の前には焼け焦げた地面があるだけで、人のいた痕跡は何もなくなっていたのだった。




