第1話「残り火」⑨
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最初にあったときは軽薄な男だと思った。
「アンドリューのおっさんから話は聞いてる? 新しく第52師団の師団長になったアデスです。よろしこ」
およそ貴族らしからぬ言動。
貴族にも平民に対しても軽薄な態度。前の師団長は貴族意識の高い付き合いにくい男だったが、今回はその対極のようである。
「43連隊で隊長を務めております、マートンと申します」
「ん、まあ気張らずにいきましょ。ここで気を使うより本番でうまくやりたいもんね」
軽薄な男だと思った。
威厳もなく、傲慢さもなく、思慮深いところもない。マートンが初めてアデスに会った時、そんな感想を抱いた。
だが、そう言って一笑に付すほど彼の実績は軽いものではなかった。
『破炎のアデス』
彼が術技で操る炎は敵に破滅をもたらす。死ではない。彼が力を振るった後には敵がいた痕跡すらなくなるという話だった。
存在を抹消する炎の術技。それがアデスの力だ、と。
若干27歳で師団長にまで昇り詰めた若き騎士のホープ。戦場で叩きあげられた若き実力者。
それを示すように、彼の軽薄な態度とは別に彼の身につける武具はどれも使いこまれていた。戦場で戦ってきた者の証だった。
「戦争ってーのは、あれだね、くそったれだねー」
アデスがそんなことを言い出したのはいつだっただろう。酒を煽る彼の頬が野営の炎に照らされ赤くなり、吐く息は白かったから寒い夜だったはずだ。
連隊長を束ねた軍議が終わり、隊長たちが散った後、アデスはマートンを誘って自分のテントの脇で酒を飲んでいた。
「…師団長の騎士様がそんなことを言っていいんですか?」
「マートン厳しいー」
「あなたが緩すぎるだけだと思います」
ハハッとアデスが笑う。
話していると本当に彼はそこら辺にいる人間のようだった。およそ騎士らしくない。どちかと言えば商人などのほうが合っていそうだ。
だが、彼と戦場をいくつか共にしたマートンにはそれとは違う彼の面も知っていた。
冷酷無比に敵を焼き払う破炎の異名をもつ理由をまざまざと見ていた。
「一昨日の指揮は見事でしたよ」
「なーにー? 褒め殺し?」
「そこまで褒めてません。調子に乗らないでください」
「ひっでー!」
戦場にいる時のアデスと、こうして酒を飲みかわしている時のアデスはまるで別人だ。
「よくあの場面で左翼へ展開しましたね。結果的に良かったわけですけど、南東のほうから別働隊が本陣にくる可能性はなかったんですか?」
「あったかもねー」
「…え?」
「でも、ホラ。別働隊ったって数十人でしょ、あっちの兵力的な余裕からいって」
「はあ…まあ」
「数十人だったら問題ないよ」
「でも――」
「俺だけで消し炭に変えられる」
反論しようとしたマートンを遮ってアデスが言い切る。
アデスが操る術技は強力だ。
貴族と平民の違いをまざまざと見せつけられる。
彼が『破炎』であることを恐れる練兵も多い。
だが、マートンは違った感想を持っていた。
このアデスという貴族は「守るために切り捨てることができる男」なのだ。彼は自分が率いる第52師団を生き残らせることを第一に考えているのだ。そのためになら敵を焼き払おうが何をしようが関係ないと考えている。だから味方から畏怖の対象となろうとも力を振るうことを厭わない。
彼が『破炎』と呼ばれる理由はその圧倒的な火力にある。その火力でさえ、敵に苦しみを感じさせないほど一瞬で殺すための彼の情けにすぎない。相手を殺すだけなら体の一部を炎で破壊すればいいだけなのだ。
畏怖の対象となりながらも彼が師団全体から慕われているのはこういう事をどことなしに感じている者が少なからずいるということだろう。
「数十人を相手にできますか。さすがは騎士ですね」
「騎士、ねえ。騎士じゃなくてもできるやつもいるって」
「まさか! そんなの――」
「黒装束、とか」
酒を煽りながらアデスが自嘲的に笑う。
「…会ったことがあるのですか?」
「4つ前の戦場で、かな? 凄いね、彼らは」
「そんなに…」
「ちょっとやそっとじゃ攻略方法が思い浮かばないよ。単純に力負けしそう」
彼らがここにいれば戦場はもっと楽だろうねー、と言いながら酒の最後を飲み干してしまう。
「彼らは今は?」
「確かラディバル奪還作戦で動いているはずだよ」
「…また厳しい戦地ですね」
「だねー」
目の前で焚かれていた火が弾けた。パチパチと音を立てて火の粉を噴出させる焚火を見ながらアデスが誰ともなしに呟く。
「まあ生きていれば会えるよ。何事も生きていることが重要だと思うけどねー」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
シャリン、と剣を引き抜くと鞘が音をたてた。
アデスが使っている剣は3年前と全く変わりがない。使いこまれた剣だ。
それをマートンに向けて構える。
「…構えなよ」
「できることならあなたとは戦いたくなかった」
「知ってるよ」
アデスが悲しそうに微笑む。
その笑みをみてマートンはやはりこの人は人の上にたつ人なのだと思い知った。軽薄さは彼の一部ではあったけれども、それ以上に表面的であったのだ。
「わざわざこんなところまで来たのですか?」
「部下の不始末は俺の不始末だしねー」
「…相変わらずよく分からないことをおっしゃる。もう部下ではないというのに」
「気にすんなって」
「アデス候! 何をのんびりとしているのか! 早くその男を殺さなくては!」
アデスという味方を得たマーヴェル卿が強気になって叫ぶ。
アデスが来るまでは散々アデスのことを疎ましく思っていたが、自分の命の危機であるならそのような事には構っていられない。
「なんたる汚点だ、練兵団が盗賊になるなど! 貴様こそ死をもって帝国に償え!」
盗賊団が練兵団崩れだということには衝撃を受けた。確かに彼らの強さは街の守備隊を遥かに凌駕していた。だが、もと練兵団といえども貴族に逆らうものは許されない。
「さあ、アデス候。さっさと貴殿の術技で彼らを倒して街で祝杯といきましょう。ささやかながら我が屋敷には秘蔵の酒がぐへあっ」
アデスにすり寄りながら今後の関係性をつくろうとするマーヴェル卿の頬にアデスの裏拳が綺麗に入る。
「まあ、お前がなんでこんな事をしているのかは想像がつくよ」
「…」
「俺だって、イライラするからな、こういうクズみたいな貴族を見ると」
そう言って侮蔑のまなざしをマーヴェル卿に向ける。
「マーヴェル卿、貴行の拳についている紋章は飾りなんですか? 所詮紋章をかざして平民に膝をつかせて満足していたのですか? 王家に与えられた紋章が何のためであるかを忘れたのですか? その紋章をもって術技という強大な力行使し民を守れ。そう皇帝はおっしゃってなかったですか? 特権能力という意味を深く考えられよ。霊術を使って民を守ることができないものが貴族を名乗るな!」
そこまで一息に言って少し満足したように息を吐く。
「…正しいけれども綺麗事ですね」
その背中にマートンが語りかける。
「そうかもしれないねー。現にこういう状況になってるし」
「あなたらしいといえば、あなたらしいとも思います」
「そーか? よく分かんねぇや」
お互いそう言って笑い合う。
もうかつての関係には戻れない。師団長と連隊長という関係性には。片方は軍を抜け、反旗をひるがえしている。片方は軍部で力をつけて、政治の領域で才を発揮している兄とともに双竜と言われるまでになっている。
境遇を恨んだりはしない。互いの道が逸れた、ただそれだけのこと。
どちらかが死なないと終わらない戦い。
それはマートンが剣を構えたときから静かに始まった。