第45話:終焉の獣 希望の灯
それは、生命が発して良い音ではなかった。
「……あ、あ……あ、ああああああああああああああッ!!」
鬼龍院仁の絶叫と共に、彼の胸に埋め込まれた古代魔導核が、どす黒い光を放って脈動した。バキ、バキバキと、骨が無理やり組み変わる不気味な音が、静まり返った広場に響き渡る。
彼の肉体から噴き出した漆黒の魔素は、もはや制御など微塵も受けていない。それは意志を持った泥のように仁の体を飲み込み、巨大な異形の影を形作っていく。
「……仁、さん……? 何を……何をしたんですか!?」
葵は戦慄した。目の前にいるのは、もう人間ではない。
数万の古代兵器から供給される膨大な魔素を、自らの命を燃料にして強引に循環させる「星のエネルギーの暴走体」。
人の形はドロドロと溶け落ち、背中からは漆黒の魔素で形成された、毛羽立った六枚の翼が生える。顔には目も鼻もなく、ただ虚無の穴が開いた仮面のような絶望が張り付いていた。
『蓮……下がって! そいつ、自分を起点にして、この星の魔素を逆流させてるわ!』
レイの警告が飛ぶが、既に遅かった。
直後、仁であった「獣」が、その虚無の口を開いた。
「――ガ、オォォォォォォォォォォォォォッ!!」
衝撃波だけで、議事堂周辺の瓦礫が砂となって消えた。
空を埋め尽くしていた魔導兵器群が、獣の咆哮に共鳴して一斉に不気味な赤色に発光する。次の瞬間、空から降り注いだのは、雨というにはあまりに濃密な、無差別の魔導砲撃だった。
「……っ、展開――『水天・万華鏡』!!」
蓮は咄嗟に最大級の防御陣を展開する。しかし、上空からの無数の砲火と、目の前の獣から放たれる漆黒の雷撃――その合撃に対し、賢者の防壁は薄氷のように脆かった。
「ぐ、ああああああっ!!」
内側から焼き切られるような衝撃。蓮は数メートル後方へ吹き飛ばされ、石畳を無様に転がった。
視界が赤く染まる。激痛に耐えて顔を上げた蓮の目に映ったのは、もはや現実とは思えない地獄の光景だった。
東京全域の上空に、巨大な黒い魔法陣が幾重にも重なり、そこから溢れ出す「負の魔素」が、周囲のビルを、地面を、大気を、音もなく侵食していた。触れたものは塵にさえならず、ただ「無」へと還っていく。
遠くからは人々の悲鳴さえ聞こえない。ただ、空間が削り取られる不気味な風鳴りだけが響いている。
「……そんな……。これじゃあ、敵も味方も……一般の人たちまで……みんな消えてしまう……」
『蓮、しっかりしなさい! 奴にはもう、思想も正義もないわ。ただ、世界を無に還すためだけの「終焉の獣」……。このままじゃ、日本どころか、世界が崩壊するわよ!』
レイが必死に蓮を支えるが、彼女の透き通るような銀色の体も、周囲の黒い霧に侵食され、かすかに煤けていた。精霊である彼女にとって、この淀んだ魔素は猛毒に等しい。
獣が、ゆっくりと右腕を振り上げた。
その掌の上には、一国の軍隊を蒸発させるほどのエネルギーが、凝縮された黒い球体となって渦巻いている。
蓮は水の剣を握り直そうとしたが、指先がピクリとも動かない。
魔力の枯渇。肉体の損傷。そして何より、目の前の圧倒的な「虚無」を前に、一ノ瀬蓮としての心が折れかけていた。
(……勝てない。……僕一人じゃ、これには……届かない……)
最強の賢者、葵。
これまでどんな困難も一人で片付けてきた彼が、生まれて初めて「敗北」の底なし沼に足を取られていた。自分が死ぬのは構わない。だが、自分がここで倒れれば、レイが消える。かりんたちが、陽向たちが、雷翔が、必死に掴み取ったはずの未来が、すべてこの黒い泥に飲み込まれてしまう。
「……嫌だ……。……そんなの、絶対に……っ!!」
蓮は血を吐きながら、折れそうな足で立ち上がった。
だが、獣の放った黒い球体は、慈悲のかけらもなく、蓮に向かって解き放たれた。
――死。
真っ黒な光が視界を埋め尽くす。
走馬灯のように、学園での穏やかな日々が駆け巡った。
ドォォォォォォォォォォォンッ!!
広場全体を震わせる爆発音。
しかし、蓮にその衝撃は届かなかった。
「――まったく、一人でカッコつけるのも大概にしなさい、一ノ瀬くん!」
聞き慣れた、凛とした声。
蓮の目の前には、白銀の障壁を全身全霊で張り、歯を食いしばって激震に耐える雪城かりんの背中があった。
「おっそいんだよ、一ノ瀬! 俺たちの出番、とっくに回ってきてんだぜ!」
「もう、一ノ瀬がボロボロすぎて映えないじゃん! ウチらが来たからには、一発逆転狙っちゃうんだからぁ!」
黄金の雷を纏った雷翔が、桃色の魔導銃を構えた陽向が、蓮の両脇を固める。
さらに、後方からは紫苑の茨が獣の脚を絡め取り、きららの爆炎が頭上の兵器を焼き払い、じいの氷結が周囲の黒い霧を凍らせて霧散させた。
「……みんな……っ。……どうして……」
「どうしてじゃないわ。……私たちは、貴方を信じてここを任された。なら、貴方がピンチの時に駆けつけるのは、当たり前でしょう?」
かりんが振り返り、ボロボロの蓮に向かって、最高に不敵で、最高に優しい笑みを向けた。
その瞳には、絶望など一欠片も宿っていない。
東京の終焉。絶望の咆哮。
その真っ只中で、消えかかっていた「正義」の灯が、再び強く、熱く、燃え上がった。
一ノ瀬蓮は、もう独りではなかった。
こんにちは!よつばです!
絶望的な状況から一転。救世主達が。
蓮が他者を拒絶してたら有り得なかった展開。
希望の灯火が。
次回もお楽しみに……




