9 野球教室
登場人物紹介
吉田亮…主人公、野球部エース
田沼七海…亮の彼女、野球部マネージャー
蓮田啓二…亮の親友、野球部キャプテン
子どもたちに連れられるがまま、グラウンドの中に入った。
「吉田が来たよ、吉田吉田」
「こんにちは」
俺がそう言うと、子どもたちだけでなく、おじさんたちも集まってくる。
「おお!亮か、優勝おめでとう」
そんな感じで、口々にかつて教わっていたおじさんたちにお祝いの言葉をもらう。
「せっかくなんで、僕も練習参加していいですか?」
「もちろん、恰好からしてもそのつもりやろ」
家から出るときから既にジャージだった。運動する気満々だった。この際、野球部のユニフォームを着ていくことも考えたが、部の公式活動ではなかったので、やめておいた。
そこからノックをしたり、バットの振り方について教えたり、一緒に走ったり、完全に一メンバーとして、一緒に練習した。近くで七海は見ていて、何も言わないが、心配そうに見ていた。
2時間くらい汗を流し、子どもたちの母親たちが迎えに来たところでそろそろ帰ろうかと思っていたところで、おじさんの一人に呼び止められた。
「良かったら、ちょっと子どもたちに何か話をしてやってくれや」
完全に無茶ぶりだったので断ったが、押し切られ、質問コーナーという形で子どもたちと話をすることになった。
「あのお姉さんと付き合ってるんですか?」
低学年くらいの女の子が最初に質問をしたが、まさかの野球に関係のない質問だった。全員が爆笑し、七海は苦笑いしている。
「実は付き合ってます」
そんなことを言うと、主に大人たちのテンションが上がる。
「じゃあ結婚するの?」
これには固まった。実際ここにいる人たちは俺の病気を知るわけもない。ただ、病気を知っていて、既に病気のことを知っていて結婚が難しいとわかっている七海の前で答えるのはかなり辛かった。
「そうやな……」
答えられないでいると、横から七海が遮った。
「結婚はわからんけど、一生一緒にいると思います」
七海は少し照れながら、ただ強い意思を持って話した。
周りの子どもたちも大人たちも拍手し、おじさんなんかは昭和の感じで指笛なんかを鳴らしたりしている。
「どうやったら、プロ野球選手になれますか?」
今度は高学年で、中学生でもおかしくないようなかなりがたいの大きい少年が聞く。
「僕も知りたいです。まあドラフト指名されたらかな」
プロ野球選手になっていない俺に聞いても意味ないよと思いながらも、子どもたちの無邪気さには勝てない。
「どうして野球やめるの?」
さっきと同じ少年が続けて質問する。子どもの真剣な眼差しで見られると、嘘はつけないと思った。
「実はなかなか話してないんだけど……」
七海が、「言うの?」って顔をしているので、深くうなづく。大人たちも、何か新しいことを言うんじゃないかということで注目している。
「ケガというか、体のコンディション面で問題があって、実はもう野球ができる体じゃなくなったというのが理由です」
全員驚いた表情をしている。
「なのでどうやったらプロ野球選手になれるかってことですが、体調管理がしっかりできる人、ケガや病気を予防できる人じゃないといけないと思います。手洗いうがいして、3食ちゃんと食べて、そういうことからしてもらえるといいなと思います」
本当は誰よりも体調管理には気を遣っていた。それでも病気にかかってしまうのだから、無常だと思う。
とはいえ、そんなことを子どもたちに伝えるわけにもいかないし、実際こうして体調管理の大切さを伝えて、病気やケガで苦しむ人が減るのであればそれで良いと思った。
周りにいた人たち全員が拍手する。いつの間にか、野次馬的に近所のおばさんとかも来ていた。
完全に場が締まったということもあり、解散の流れになる。
「最後に写真一緒に撮りませんか?」
そう言ったのは、七海だった。
子どもたちとそのお母さんたち、おじさんたち、そして真ん中に俺が入る。
七海が写真を撮ろうとすると、野次馬的に来ていたおばさんが、
「あんたも入りなさいよ」
と言って、七海を俺の横に来させた。
それを見て、子どもたちは「ラブラブ」なんて声を掛けてくる。
「それじゃ行くわよ、はいチーズ」
七海のスマホで後から写真を見せてもらうと、俺だけすごい照れくさそうにしていた。
帰るときには、噂を聞きつけてか、かなりの人数が集まっていて、小学校の周りは混沌としていた。そこで、何とか出てからは七海と裏道を全速力で走って、何とか巻くことに成功した。
「久々にこんなに真面目に走ったかも」
試合ですら、もはや全力疾走をしておらず、さっきの練習の時も全力では走っていなかった。全力で走ることは突然倒れたりするリスクが大きいと言われていたからだ。
でも、とっさの事態で走った。よく考えると、もう突然倒れたりすることなんて考えなくて良い。どのみち死ぬときは死ぬし、もう甲子園もない。
「大丈夫?」
「俺死んでない?」
「いやいや、死んでないよ。縁起でもない」
「でもさ、実際死んだことないからさ、死んだかどうかなんてわかんないよね」
「まあ私も幽霊見たことないから、本当は幽霊かもしれないけどね」
二人で笑う。こんな日々がいつまでも続いたらと本当に思う。
「子どもたちかわいかったね」
「そうだね」
「行った甲斐あったね」
「少しは役に立ったかな」
「いやいや、甲子園優勝投手さん、自信持ちなさい。あなたはもう日本中に感動を届けたんやから」
甲子園優勝投手として、日本中に感動か。確かに、よく考えたらかなり恵まれた地位だなと思った。正直準優勝したチームが優勝した方が、そこの優勝投手は多分俺よりも長生きできるはずで、そっちの方がよっぽど社会のためになったのかもしれないとも思った。
「そうやんな……」
「何?暗いから。さっきまで明るかったのに」
表情が自然と暗くなっていたことを気づかれたらしい。
「俺にもできることがあると良いなって」
「あるでしょ、いくらでも。まず部活に顔出したら」
「それもそうなんやけどさ、なんかもっとなんていうか、社会に貢献した感のあるやつ的な」
「どんなんよ。募金みたいな」
「甲子園勝っても別にお金もらえへんから、小遣い分しかないわ」
なんだろう、もっとなんと言うか、もし叶うならそれなりにやった感のあるような規模の大きいことをしたかった。
「まず社会に貢献した感って。感じゃなくてちゃんと貢献したら」
「それもそうやね」
一旦持ち帰って考えることにした。
家に帰ると、父と母は生きて帰ってきたことを喜んでくれた。ただ、そうじゃないことも想像して、ご飯は作ってなかったらしい。宅配ピザを注文して、みんなで食べた。もはや、ジャンキーな具が入ったものは食べられず、チーズしか乗っていないようなシンプルなピザだけを食べた。
なんとなく眠れなかった。
実感として間もなく死ぬというのが現実化してきたのもあるかもしれない。仕方なく、ネットで「社会貢献」や「募金」を検索してみる。
その中で、「海斗君を救う会」というページを見つけた。そこには、野球帽をかぶったやせ細った少年の姿があった。将来の夢は野球選手と書いてある。
お母さんが書いているであろうブログを読むと、3歳の時に病気が発覚し、それからずっと病院か自宅での生活で学校に行けてないことがわかった。そして、一番最近の投稿は昨日で、甲子園決勝を見て、熱く語っている海斗君の話だった。
ちなみに、海外での移植を受けるために1億円をクラウドファンディングで集めようとしているが、今はまだ300万しか集まっていなかった。
このとき偶然ネットで見つけただけだったが、なんとなくこの子を助けることがもうすぐ死ぬ自分の使命のように感じてしまった。
0時を過ぎていたが、すぐに七海に電話を掛けた。
「あのさ、明日頼みあるんやけど…」