物騒な親睦会
結局、折を見て物騒な親睦会は執り行われることとなった。お互いを知り合うのに殴り合えば十分だという体育会系がトップのチームであるので仕方がない。
ゲームのようにみんなで冒険に出てみたい、というトーマの好奇心を満たしてやるために、移動を鑑みて三日間の予定を大人たちはもぎ取っていた。
おかげさまで全員でゾロゾロと斡旋所へ向かう道すがら、トーマは初めて見る「白魔法士」という存在に興味津々だった。
「ねえねえオレストくん。白魔法士って、魔法で怪我治したりすんでしょ?」
「そうだよ。遠慮なく頼ってくれ」
「すげー。腕千切れたりしたのとかは治るの?」
「千切れた直後の腕があれば繋げられるよ。野外で突発的な処置だと断面からゴミや雑菌が入って炎症を起こす可能性は否めないが」
「白魔法すげー」
「いやいやいや、そんなんできるならマジですごいよこの人。白魔法の極地に近いよそれ…」
「オレストくんすげー」
終始ニコニコと笑っているオレストのことを何となく只者ではないと思っていたトーマだが、やはりこのファミリーに派遣される白魔法士は規格外のようだ。
そうこうしているうちに斡旋所に着き、テンライとスクルは高額依頼の掲示板を難しい顔で眺めている。
「多いな」
「最近斡旋所来る暇もなかったからねぇ。溜まっちゃったか」
「いや、中身見てみろ。なんでレア平原にドラゴン討伐なんて出てんだ。もっと北だろ」
「あー、こっちも穏やかじゃないな〜。教皇しょっ引いてアンデッド依頼が落ち着いたら、その分魔物のバランスおかしくなったとか?」
「分からんが、一度本部に顔出して情報もらうか…」
「えー!ダメ! 今回はパーティ組んで狩りに行くっつったじゃん!」
不穏な掲示板の様子にすっかり仕事モードに入りかけたスクルとテンライは、そういえばこいつらと来ていたのだったと頭を切り替えた。
今は騎士団本部から離れ、この危険物の世話こそが彼らの最優先の仕事なのだ。情勢は本部に任せておけば良い。
「おー悪りぃ悪りぃ。ちゃんと行くよ」
「ならいいけど〜。俺パーティ狩りって初めてなんだよね〜ワクワクしちゃう〜」
体を左右に振ってテンションの高さを表すトーマは、こうして見れば新米冒険者のようで可愛げもある。
見ているのはベテラン向けの高額掲示板で、戦いの方は守る必要もフォローもほとんどいらない化け物なのだが。
「どれにしようかね〜。トーマは行きたいところある?」
「よく知らんし。目でも楽しめるおすすめのエリアないの?」
「ドラグーンは?ドラゴンうじゃうじゃいてすごいらしいよ」
「すげー。ファンタジーじゃん」
エスネッサが提案するドラグーンは、その名の通りドラゴンの生息地で、険しい山あり谷あり洞窟あり。ドラゴンの住処になっている洞窟には鉱石や財宝もわんさと溜め込まれている冒険者憧れのスポットだ。
当然のことながら、挑戦者も生きて帰ってくるものもほとんどいない未開の地である。さすがのエスネッサも一人では無理と判断して実際に行ったことはない。
「この人数じゃ後衛うっかり死の恐れがあるからやめよう」
「つか対ドラゴン装備なんて個人で持ってねえよ。こんなことで騎士団の備品借用申請通るわけあるか」
「ちぇー」
「メガロニアはどうだい? 観光地としても人気だよ」
オレストが提案するメガロニアは隣国、工業大国ジェット共和国の大都市だ。蒸気機関とエーテル機関で栄える鋼鉄の街並みは見応え十分でトーマの好奇心を満たしてくれることだろう。
「メガロニアいいね。うーん、でも今依頼票来てないっぽい」
「それは残念。またの機会に」
「よし。これだな」
各々の提案を耳に挟みつつ、スクルが勝手に一枚の依頼票を剥がし取った。
「もー、みんなで相談して決めてるのに。スーちゃんそういうとこ横暴っていうんだよ」
「ごちゃごちゃ言ってるだけで決まらねえじゃねえか。これで行くぞ」
突き出した依頼票の内容は「遺跡ダンジョン最下層の魔物間引き」だった。
航路が通っていて行きやすく、高ランクのダンジョンのためそれなりに空いている。最下層ともなれば自分たちの他に1組いるかいないかだろう。
最寄りの町は乾いた砂漠の中にあるエテ。王都とはまるで違う街並みは初めて行くトーマの目にも楽しめるはずだ。
満場一致でエテ行きが決まった。
「ふぁー。俺砂漠って初めて見た。何もない」
「過酷な自然環境だからその辺の雑魚もやたら硬いわ魔法通りにくいわ毒だのデバフかけてくるわ強いのばっかだから気を付けるんだよ」
「通りで町に屈強なおっさんが多いね。そもそも人が少ねえ〜」
「王都に比べればどこだって人少ねえよ。」
「暴言じゃないかそれは」
「あつい……しぬ……」
各々好き勝手な感想を零しながらエテのメインストリートを歩く。日干しレンガの街並みに、日除けの天幕が通りを覆ってアーケード商店街のようになっている。露店で山積みになっている食材も王都とはまるで違う。ドライフルーツと香辛料が多いように見えた。
ここから東に少し行けば古い遺跡があり、そこからダンジョンに通じている。ダンジョンの入り口はきっちり封印を施しているので中の魔物が町に漏れ出すことはないのだが、適度に間引かなければダンジョン核から生み出される魔物で犇いて誰も手出しできない坩堝と化す。よってダンジョンの間引きは定期的に依頼が出されるのだ。
「ダンジョンってさー何なの? 魔物湧くとこなんで放置しとくわけ?」
「ダンジョンって、要するに魔素の溜まり場なんだよ。自然現象だし壊しようない。わざわざ世界の魔素密度減らして暮らしづらくする意味もないから閉じるような研究もされてない」
「えーと、油田的なことか」
「ダンジョン内の魔物は正確には生物じゃなくて生き物を模したただの魔素の塊。魔素は世界を形作るものだから、高濃度の魔素溜まりでスモールワールドが勝手に形成されてて、それを人がダンジョンって呼んでるだけ」
トーマの素朴な疑問に端的に答えてやるエスネッサはなんだか魔法使いのようだった。
騎士の二人もなるほど〜と頷いている。あまり知られていない現象なのだ。
「つまり、今回我々が受けた依頼は溜まりすぎた魔素を適当に散らして世界に還元する作業の一環だ。世のため人のためだね」
祈る形に手を組むオレストが都合の良い綺麗事を抜かしている。それが本心なのか、そういう建前で狩りという殺戮に臨もうというのかは分からない。分からないが、やることは同じだった。
ダンジョンに入る前の準備として、オレストはエスネッサを捕まえて尋ねた。
「エスネッサくん。ライセンスは何を?」
「とりあえずファイアーショットと、フレイムラインと、サンダラと、アクアレジェネ買っといた」
黒魔術士は黒魔術協会からライセンスを購入して使う。魔術に必要な魔力量と金されあればライセンス自体は購入できるので、実際に使用できるかどうかは本人の技量次第だ。
研究寄りの黒魔術士は協会へライセンス契約をして、自分の開発した魔術が世の中で使われるほどキャッシュが入る。冒険者など魔術を使用する方が主な黒魔術士は日々新しい魔術が開発されていくので便利に自分に合うライセンスを購入すれば良い。ビジネス的な体制をとっているのが黒魔術協会だ。
「ふむふむ。フレイムラインとサンダラを使うときは手を上げて合図を。クイックスペルを入れよう」
対する白魔法士は教会に属し、修道院でストイックに勉強と修行を重ねることで一つずつ白魔法を会得していく。白魔法が基本門外秘となっているのは、人体に対する知識、診療知識なしに使うのが危険だからだ。
冒険者として外部で活動する白魔法士は稀であり、重宝される。
大手ギルドでもない限り白魔法士と組むことなどほとんどないのだ。なのでとりあえずエスネッサは手持ちの魔術を全て晒すことにした。
「あとメテオフォールとエレメンタルクラッシュとコズミックバーン」
「……なんだって?」
ぽろっと零した羅列はどれも巨大魔術。一個人が扱うものではない。そもそも戦争兵器の類だ。
「僕がライセンス元だからデフォで使えるよ」
「君がコズバンの開発者か…」
「へへ。僕その辺吹っ飛ばすしかできない」
聞きしに勝る人間核爆弾ぶりであった。
分かっていたことか、とオレストは一つ頷いて自分を納得させる。
「巨大魔術を使うシーンはないよ。生き埋めだ」
「そーだなー。じゃーよっぽどのことがあって相打ち狙うときに使う」
「やめなさい」
分かってはいたが大変なファミリーに入ってしまったなぁと、オレストは苦笑で済ませた。彼も大概肝が座っていた。
「斬り込めトーマ!」
「よっしゃー! とったりー!」
あんな刃渡りの短い包丁なんぞで何故体長2メートルはあろうビッグマウスを軽々真っ二つに出来るのか。何の技術もない、ただ切っているだけで。
そんな何でも切るトーマを先頭に、多方面の補助としてタンクをテンライが担い、後方からエスネッサの適当な魔術が適当に周辺を焼く。トーマやテンライにはオレストのバフが盛りに盛られ、ちょっとした攻撃のほとんどは彼らに触れられずに弾かれている。殿はスクルが地図を片手に行き先を指示しながらのんびり歩き、たまに背後から湧く魔物をアイテムで追い払って後衛を守っていた。
「超順調じゃない俺たち」
「パーティ狩り楽しい!」
「お前ら素材も拾えよ。魔核結晶は絶対拾え。勿体ねえ」
倒したら倒しっぱなしの雑なアタッカー二人に文句を飛ばしながら魔物の残骸から魔核を拾おうとしたスクルの手をオレストが慌てて掴んで止める。
「スクルは触らないように。これだけ魔素の濃いところでそんなものに触れたら魔術器の誤作動を招くよ」
「そんなんなったことねえよ。大袈裟だな」
「医療魔術器は君が思うより繊細なんだ。ちゃんと諸注意は守ってくれないと困る」
「そうだったの?! だめじゃん! 俺も拾うからスーちゃんは待ってて」
「じれってーなー」
ぐちゃぐちゃの肉塊がじわじわとダンジョンの床に沈んで消えていく中から、消える前に魔核結晶を漁って荷物に放り込む。
魔核結晶は魔力のバッテリーとして重宝されているので回収して売れば良い稼ぎになるのだ。ある程度の魔素をため込んだ強い魔物か、ダンジョン魔物から取れる貴重な資源である。
ダンジョン外の魔物であれば普通に死骸が残るが、ダンジョン内の魔物はエスネッサが言ったように生き物を模しただけの魔素の塊なのだ。倒して散らせばダンジョンに還っていく。
「そろそろ第四層だな」
「ここらから敵が増えるかもね。四層以降入る人少ないから。モンハウに注意していこう」
さすがに騎士二人はダンジョンにも慣れたものだ。彼らからすれば、トーマとエスネッサの火力のおかげで相当楽に進めている。なんなら騎士団の任務として行う間引きにも来て欲しいくらいだ。おまけに今回はオレストという白魔法士がいるのも大きい。
「なら四層に入る前に休憩を入れることをお勧めするよ。トーマは興奮状態になっていて気づかないだけで疲労は溜まっている。エスネッサくんも魔力回復した方がいい」
白魔法士と組んで任務に当たったことはあるが、オレストは並の白魔法士とは一線を画すものがある。
治療院勤務だったはずなのに物怖じしない胆力。パーティメンバー全員に目を配り、絶妙なタイミングで飛んでくる支援。目敏く怪我を指摘し、癒しを使いながら各々の疲労度合いを見て全体のペース配分まで気を配る。
実戦経験の多いテンライにはすぐに分かった。オレストは、恐らく結構な大部隊の支援を長く勤めたことがあるのだ。
オレストの勧め通り、四層に下る階段に入る前、広間の隅で彼らは一度陣を構えることにした。
オレストが遺跡ダンジョンの石床に聖水と魔核結晶を撒いて結界を作る。
「トーマは結界線に気を付けて。君は主神に相対する邪なる者に分類されるからね。触れたらビリっとくると思う」
「どれどれ」
トーマが試しに指先を結界の光に突っ込むと、静電気のような痛みがビリっと走った。
「いって!」
「なしてあえて触りに?」
「興味あんじゃん」
トーマの行動に訳が分からないと怪訝な顔をしているエスネッサの隣でオレストは目を丸くした。
「すごいな。指を入れただけで結界に穴が空くとは…」
魔物の侵入を防ぎ、魔物からの認識を阻害する結界をトーマは排斥対象でありながらいとも容易く破壊できる。トーマがいるだけで白魔法の扱いはかなり工夫する必要があった。
「俺ちょっと四層の入り口見てくるからバフくれる?」
テンライの言葉にオレストは頷いて防御系のバフを片っ端から盛ってくれた。ついでにポーションを追加で持たされる手厚さだ。
「テンちゃん一人で行くの?」
「この中で斥候出来そうなの俺くらいでしょ。大人しく待ってな」
トーマの頭をぐしゃぐしゃ混ぜてテンライはバフが切れないうちにとさっさと階段を降りていった。
そしてすぐさま階下から戦闘らしき轟音が響き出した。
「大丈夫なんあれ。加勢いく?」
「階段前は場が開けてっからモンハウになりやすいんだ。テンライ一人の方が動きやすい。適当に減らすか散らすかして戻ってくるから気にすんな。斥候でドジって死ぬようなタマじゃねえよ」
スクルがのんびり座り込んでいるくらいなのだから大丈夫なのだろう。
トーマも隣に座って荷物を開いた。
「俺ね〜王都でドーナツ買っといたんだ〜。みんなで食べよ」
「ダンジョン狩りを散歩感覚か?」
「でも実際こうやっておやつタイムあったじゃん」
トーマが紙袋から砂糖がまぶされたドーナツを取り出して一つずつ配る。それを見たエスネッサが地面に記号を書きつけて水と火からお湯を作り始めた。
「お前らな……オレストがいるから呑気に休憩してられるんだぞ。普通こんな強固な簡易結界できねえから、礼でも言っとけ」
「オレストくん結界ありがとう!」
「ありがとー」
「どういたしまして。トーマもドーナツありがとう」
いまいちオレストのありがたみが分かっていなさそうなトーマとエスネッサだが、どうせ他の白魔法士と組む機会もないだろうし、当のオレストが軽く受けているのでこんなんでも良いのかもしれない。
そうこうしているうちに息を切らせたテンライが階段を上がってきた。
「人が働いてるのに優雅にピクニック? なにこの光景」
「テンちゃんおっつー。ドーナツ食べなよ」
トーマが結界内に入ってきたテンライにドーナツを差し出し、エスネッサは空中に浮かぶお湯の塊にグリーンハーブを千切って放り込んでいる。
「テンちゃんさん、ポーション使ったでしょ?空き瓶頂戴」
テンライから渡された空き瓶をお湯に突っ込んで、中を満たしては次の空き瓶へ。5本作って順に配る。
「甘いものなら飲み物いるもんねぇ。茶っぱ持ってくればよかった。トーマも言えよな〜」
「あー、たしかに〜」
図太い少年たちは、魔物が闊歩するダンジョンの片隅でのほほんとドーナツに齧り付いてしばし雑談に花を咲かせた。
野郎どものおやつタイムなんてあっという間のことで、五分とたたずに休憩時間を終えて再び狩りの作戦に入った。
「階段下はやっぱモンハウになってて大盛り上がりだったよ。軽く吹っ飛ばして駆け回って散らしといたけど、あれは全員で突入するには厳しいな」
様子を見てきたテンライの提案により、敵を階段におびき寄せてモンハウ潰しをすることとなった。
テンライが引っ張ってきた魔物を階段通路で待ち構えるエスネッサが吹き飛ばす。
トーマはエスネッサの隣で眺めているだけなので暇だった。たまに火達磨状態の魔物が流れてくるのをぶった斬るぐらいだ。
『座標原点固定、4-3-30°、出力25%、フレイムライン』
『旅人に運命の女神の祝福あれ。ヒール! ヒール! リジェネ! リフレク! ガードメディク! アクトオール! エンジェリック! セイフティライン!』
テンライを避けるギリギリを狙った炎の壁が一直線に敵を焼くのと同時にテンライにすごい勢いのバフが飛ぶ。
「トーマぁ、眺めてないで魔核拾え〜」
「俺雑用じゃん〜つまんない〜」
「この後はまたきみが斬り込み隊長だ。ちょっとした息抜きと思って」
オレストにやんわりと嗜められると、なんだか遠い記憶の彼方から懐いていた保育園の先生を思い出してイマイチわがままもそこそこになってしまうトーマだった。
「しょーがないなー。オレストくんは忙しそうだし、スーさんには出来ないんだもんなー」
グロテスクな肉片からキラキラ光る石を探して袋に詰める。エスネッサもしゃがんで石拾いに加わる。
「こんだけあれば今月の家賃と生活費は安泰だな〜。なぁトーマ。パーティ狩り定期開催してよ」
「いいねそれ。採用!」
「おいガキども、次来るぞ」
一番暇そうなスクルだが、テンライの位置と状態を正確に把握できるのはとても便利な機能だった。
スクルに促されて全員が配置につくと魔物を引き連れたテンライが角を曲がってこちらに向かってくるところだった。
「おっけー。そろそろ進もっか」
「テメェ、ちったぁ男前になったか?」
「どうもボロボロですよ! 俺はボロでもカッコイイでしょう!」
「うぜぇ」
「自分で振ったくせに!」
幼馴染騎士の軽快なコントを横目にようやく狭い通路から脱出できたとトーマは体を伸ばす。
今度はトーマが先頭に立ち、お疲れのテンライは殿のスクルとてれてれ歩いている。
テンライが適当にモンハウを散らしてくれたおかげで四層も歩ける程度に落ち着いていた。さすがに上の階より敵が強いし、数も多くなっているが、十分対処できる程度だ。たまに後衛に流れる雑魚はテンライが倒していた。
「今気付いたんだけど、僕が一番重労働?」
ポーションで魔力を回復しながら延々魔法をぶっぱしているエスネッサがついに真理にたどり着いた。
「そうだな」
「エスネッサくんがんば!」
「わけまえふんだくる……ゼッタイ……」
トーマとテンライはどちらかがメインの壁、もう一人がサポートと役割を分けられるので適度に息抜きができる。スクルに至っては後方から指示を飛ばしているだけの非戦闘員状態だ。
オレストはどちらかというと移動狩りの方が手を抜いている。ルーチンワークで決まった補助を撒いて済ませていた。
エスネッサとて、使っている魔術は基本2種類なのだが、仲間を巻き込まないように魔術を撃つのは非常に神経を使う。特に、エスネッサは細かい制御がド下手なのだ。味方認識機能を駆使してもたまに火力過多で前衛に火傷を負わす。
『サ〜ンダラ〜』
もう面倒くさいので八つ当たりに制御の手を抜いてみたら前方のトーマが魔物もろともコントみたいに爆発で吹っ飛んでいった。
「あははははははは!」
「おいエスくん! なにすんだよ!!」
「ちょっとした息抜きで。ごめんごめん」
「ふざけんなよオイ!」
子供な邪神と子供のふりした冥王がなんかわちゃわちゃしている。
仲間を吹き飛ばす神経、しかも邪神トーマを恐れずノリでターゲットにする奴はエスネッサくんをおいて他にあるまい。
やっていることと、それをできるイキモノとやられてピンピンしている人外を見た率直な感想をオレストが述べた。
「背筋が寒くなるじゃれあいだな」
「見てる分にはそのうち慣れるぞ」
スクルは面倒そうにため息を吐くと、悪ガキどもの方へ足を向ける。残されたオレストとテンライはなんとなしに彼らをの背を眺めていた。
「お前らいい加減にしろ! ちゃんと働け!」
「なんで俺まで怒られんの?!」
「うるせぇ!」
「「いたい!」」
「そんでそのうちああやってげんこつ落とせるようになるよ」
「世も末だ」
結局のところ、スクルの一番の仕事はメンバーの操縦なのである。これはいないと困る。
火力過多気味だが順調に四層を二周ほどして魔物を間引き、一行は最下層前に到達していた。まだ補充にもどる必要もなく、このまま最下層まで行ってしまおうということで、再び偵察と休憩を挟むこととした。
「今度はトーマ偵察してみる?」
「え、いいのん? 俺囲まれるのあんま得意じゃないけどいけっかなー」
「最下層は個体が強い代わりに数少ないからトーマ向きだよ。階段付近だけ様子見てすぐ戻っておいで」
「よっしゃ任せろ!」
今回の狩りに一番乗り気のトーマに仕事を与え、他のメンバーはのんびりと荷物整理などしていた。
このパーティーの場合、敵は個が強いより数で押される方が厄介なので最下層はむしろ四層より楽なはずである。いくら最下層まで行くハンターが少ないとはいえそうそう困った事態にはならない。―――はずだった。
何故かやたらテンションの高いトーマが偵察を終えて戻ってくるまでは、誰一人この先を心配などしていなかったのだ。
「ねえねえ、すげーでっかいのいる! ボスっしょアレ! さすがダンジョン! あれ倒そ!」
「は?」
トーマからすれば、ダンジョンの最深部といえばボスである。みんなで必死こいでボスを倒してめでたくクリア! というのが当然の認識だった。
しかし、トーマを迎えるメンバーの顔は困惑一色だ。
「でかいボス……?」
「まあ、こんだけ魔素溜まってればデカイ個体が発生することもあるけど」
トーマはそんな彼らの様子に気付かず、初めて来たいかにもなダンジョンの到達点に盛り上がっていた。
「つーか最下層マジ広い。さすがボス専用舞台! パルテノン神殿! 地下外郭放水路!」
「何言ってんだあいつ」
「アレはトーマ語だね。トーマの世界の謎単語。こういうときあいつ異世界人なんだなって思う」
「いいからみんなはよ来いや! やるぞ!」
「燃えてんな〜」
「そんなにトーマが燃えるようなものいるかな……?」
全員が最下層に足を踏み入れると、そこは通常の遺跡ダンジョンとは様変わりしていた。
「な、なにこれ……どうした……?」
「いくらダンジョンっていっても、建造物がここまで様変わりするなんてありえんよ……」
本来なら四層までと同じような遺跡が続くはずだというのに、最下層に入った途端に巨木のような柱が並んでいる巨大空間が広がっていた。これは異常事態だ。
そして闇の向こうに確かに仰ぐほど大きな蠢く影まで見え、息が止まった。
あんなもの、この世にあってはならない。
脳を直接揺さぶるような威圧感に、この世界の人類はまず膝をつく。
そしてここにいるスクル、テンライ、オレストの三人はこれを経験するのは二度目だ。彼らはあれの脅威を知っている。あれが生み出した惨状が一気に蘇る。
いつもの街並みは一歩ごとに踏み潰され、数時間前まで隣で笑っていた友人が瓦礫の下にひしゃげて埋まった。悲鳴が耳にこだまする。いまだ王都の人々の傷も癒えぬ超級の大厄。身の毛もよだつ、圧倒的な神の機構。
すなわち、神の試練たる【災厄の巨獣】のそれである。
いち早く硬直から正気に戻ったのはスクルだった。
「待て待て待て待て!! 嘘だろ!!!!!」
動揺がそのまま声に出ただけだが、その声量のおかげでテンライとオレストも理性が戻ってきた。
しかし慌てているのは大人たちだけで、トーマとエスネッサは相変わらずである。
「どうするどうする!? 俺先陣でいいよね!」
「わー激ヤバ〜、もしや僕のコズバンが火を噴くときがきたのではー?」
「悪ガキども止まれや!」
駆け出そうとするトーマをスクルの声が止め、首根っこをすかさずテンライが掴む。エスネッサの方は軽口だけだったようで、指一本動かす気配すらなく突っ立っていた。
恐らくこの中で一番平静を保っているのはエスネッサなのだろう。きちんと敵の強大さを認識した上で怯えずにとぼけている。
「冗談だって。クールダウンを図るイッツジョ〜ク」
「笑えない冗談はさておき、どうする。エテの戦力では退治はおろか時間稼ぎも難しい」
オレストが恐る恐る巨獣にちらりと目を向ける。敵はまだ動き出してはいない。
恐らくまだ"未完成"なのだろう。曲がりなりにも全員正気を保っているあたりが生易しい。完成した災厄の巨獣の迫力はあんなものではなかった。
今はダンジョンという魔素溜まりを揺り籠に、動き出す時を待っているのだ。この段階で見つけられたことは不幸中の幸いだろう。いきなり完成体が町のすぐそばに発生しては生存者などいなくなる。
「まずはエテに超高速で戻って住民の避難、一帯の完全封鎖……」
「周辺都市から戦力集めて討伐隊って、その間に動き出すかもだけど」
町の守りの算段をつける大人たちをあっけらかんとした声が遮る。
「つーかさ、雑魚ニンゲン集めてもしゃーないじゃん。どうせここにいるメンツが主力なんでしょーよ。ここでやろうぜ! ひと狩り行こうぜ!」
全員が固まってトーマを見つめた。
恐らく大した考えなしに言っているのだが、残念ながら一理ある。
結局のところ、あの化け物を相手取れるのはテンライ、トーマ、エスネッサぐらいのもので、他の戦闘員はサポーターでしかない。そしてトーマとエスネッサにいたっては災厄の巨獣対策としてこれまでの罪を仮免除されている罪人でもあるので、アレと戦うのは人間社会に生きる上では義務でもある。
しかし、そこまで短絡的にもなれない。
「住民の避難が最優先!」
「ちぇー」
わざとらしく唇を尖らせるトーマはさておき、大人三人は即座に判断を下した。
「見張りと伝令を分けんぞ」
「一番早く町に戻れるのはスクルとテンライかな。二人なら顔も効くし話が早い。」
「む……騎士が真っ先に現場離れるのはどうかと思うけど仕方ないか」
「おいガキどもオレストの指示に従えよ」
「「へぇーい」」
気のなさそうな少年たちの返事にテンライが心配そうにオレストを振り返った。
「オレストくんこの二人任せて大丈夫?」
「まあ大丈夫だと思うよ。早く行きなさい」
「よし、頼んだぞ!」
話をまとめてテンライとスクルが駆け出した瞬間、耳を劈く咆哮に足が竦んだ。
先程まで蹲っていた巨獣は、今やしっかりとこちらに目を向けている。
漆黒のモヤで覆われた、四つ脚の肉食獣のようだ。体高でさえ10メートルはありそうな化け物は、棲家の侵入者に狙いを定めていた。その明確な敵意にゾッと背筋が凍る。
しかし気圧されて大人しく狩られている場合ではない。スクルは咄嗟に覚悟を決め、恐怖を押し込んで叫んだ。
「仕方ねえ、いけトーマ!」
「お、やる? よっしゃ一番乗り!」
「んじゃー僕も手伝うわ」
嬉々として駆け出していくトーマの後をてれてれとエスネッサが追っていく。あの二人に恐怖心というものはないらしい。
巨獣の咆哮や地響きを鳴らす歩みに臆することなく向かう背中は小さいながらも頼もしささえある。あんなのが味方にいると多少心にゆとりを持てるものらしい。
「ここで倒すのかい?!」
「分からん! もう狙われたなら、どの程度足止め出来そうか試してからだ! テンライ抜きがヤバそうなら俺だけ戻る!」
「スーちゃん一人で無茶だよ」
「上の階のハンター探して協力させりゃどうにかなる!」
「その合流前に死ぬって……!」
「うるせえ、ごちゃごちゃ言ってないでテメエも行け!」
「ひどい!」
スクルがテンライのケツにヤクザキックを入れて巨獣に向かわせる。
悪ガキ二人に情けない最強騎士。これが人類の最大戦力だと思うとなかなかにしょっぱい。
さて、先行した少年たちだが、動き出した巨獣を前に距離を詰められず右往左往していた。それというのも巨獣が吐き出す凄まじい熱線だ。
「うぉあー!ゴジラかよ!近づけねー!」
巨獣が口を向けたと思ったら即その場から離れないと直撃である。
トーマは何でも切れるが、その攻撃範囲は包丁による超近接であり、熱線は当たれば痛い。どの程度のダメージなのか、さすがに神の獣の攻撃では死ぬのかどうかは当たってみなければ分からないので当たりたくはない。よって左右に振られてゴロゴロ転げ回るしかなくなっていた。
「トーマだっさー」
「うるへー! 援護しろやー!」
「ほいほい、『最小限定エレメンタルクラッシュ』!」
後方のエスネッサを振り返って文句を飛ばすトーマの後頭部に放たれた熱線に対し、エスネッサは巨大な魔法陣を発動させた。
町や人を守るための細かい制御抜きでその辺を吹き飛ばすだけの大火力ならむしろ彼にとっては容易なのだ。四属性を混ぜ込んだ対消滅魔術が熱戦を掻き消して相殺し、地下空間には一瞬の真空が生まれて引き込むような突風が吹いた。
「さっすがエスくん!」
トーマの明るい声にドヤ顔する暇すらない。巨獣はすぐさま厄介と判断したエスネッサに対し長い爪で強襲する。
「あー!! 物理無理物理は無理!! 冥界行っちゃうー!」
「光の盾よ!」
風のように駆けて割り込んだテンライが光の盾を展開して巨獣の爪を遮った。間一髪である。
「ふんぐっ!!重っ!!!ゔぉりゃぁああああ!!」
そしてその超重量から下される一撃を耐え切り、根性で振り払う。流れた巨獣の爪は床を砕き、その点を中心に円錐状に石床が割れて盛り上がりテンライとエスネッサを宙に放り出した。そこを狙ったように熱線を向けられる。この巨獣には明らかに知性がある。
しかしこちらも冥王の仮姿と人類を超越した英雄は伊達じゃない。エスネッサは難なく空中でくるりと後転してそのまま宙に止まった。自分一人浮遊するくらいは、今のエスネッサにはなんということはない。見捨てられたテンライであるが、こちらも一人で着地するのは何も問題はなかった。
そして彼らが即座に体勢を戻すと踏んですでにオレストは支援に入っていた。
『クイックスペル!』
『エレメンタルクラッシュ!』
クイックスペルで加速された思考回路が通常ではあり得ない速度で魔術構成を組み上げ、エスネッサが中空で熱線を相殺。
いまだ全員無傷で巨獣と拮抗していた。神の化け物を相手にして。
「このままエスネッサくんは術を続けて! 私とテンライでフォローする!」
オレストの指示通り、エスネッサはテンライのそばに降りて巨獣の咆哮に注視する。物理攻撃はテンライが防いでくれると信じて全て無視だ。とにかく熱線を全て相殺し続けてみせようと気合を入れる。そしてエスネッサならばそれが出来ると信じてテンライはトーマを送り出した。
「トーマ突撃! 届く範囲片っ端から切れるか?! そしたら俺も手が空いて加勢できる!」
「りょーうかい!!!」
巨獣が指を失えば、脚を失えば、それだけ物理攻撃は減り、遅く荒くなる。防戦一方のテンライもカウンターくらい狙えるだろう。
「また僕の負担でかいやつじゃん…」
「黙って撃て砲台! おら魔核結晶使え!」
「うわーん大盤振る舞い〜僕の収入になるはずだったのに〜」
「巨獣仕留めたら特別恩賞くらい出るわ気合い入れろや!」
「やらねば」
スクルはエスネッサに魔核結晶の袋を丸ごと投げ渡すと自身は上層への階段に駆けてそこで様子見に足を止めた。この中で一番無力な自身をよくよく理解している。すぐに離脱できる位置を取り、状況を見て避難誘導に向かうつもりでいたのだが…
「よっしゃ届いたぁ!」
巨獣の懐に入ったトーマが包丁を一閃すると、硬い神造物の表皮をものともせずに脚の指を二本落として見せた。巨体がバランスを失ってぐらりと傾いでたたらを踏み、地響きをあげた。
「マジで切り取ってやがる……」
あの体がどれほど強固なのか知っている。人類が用いる武器では表面に筋をつけるだけで血を流させることすら出来なかったのだ。代償魔法で強化したテンライがやっと刃を通したそれを、トーマは単身でいとも容易く切り取った。
「トーマやばー」
「へへへ遠距離来なきゃこっちのもんよ〜! おらー! ドでか黒犬解体ショーじゃー!」
呆然とスクルの足が止まった。
目の前に広がるのは五年前には考えられなかった光景だった。
あの時は巨獣の咆哮一つで殆どの人間は発狂して戦意を失った。狂乱に陥る王都で市民を守ることもできず、ブレスで街はあっという間に火の海になった。ブレスを防ぐ術もなく、数多の仲間の屍を積み上げて、命からがら化け物に届いた剣は表皮に傷一つつけられずに枯れ枝のように折れた。絶望とはあれだった。
あの地獄絵図を超えたからスクル達は今立てているに過ぎないのだが、トーマとエスネッサは怯えすらない。
あの邪神の少年ならば、本当にこの場で狩るかもしれない。
邪神の道を拓く冥王と、それを守る補佐たちが十全に機能すれば。
そうと決めれば、スクルに迷いはない。兵は拙速を尊ぶ。
「『甲種たる勇魚守操の名において、乙種への制限解除を許可する。』 根こそぎ使えテンライ!」
「ちょ、ああもう! また勝手して! やってやるよコンチクショー!!」
スクルから一気に渡される力は、彼の命そのものだ。ほんの一ヶ月前に教会で無茶をして死にかけたと言うのによくやる。
しかし、スクルの判断はどうせ後から考えると大体正しい。今、この瞬間に賭けるべきと本能的に分かっているのが癪に触る。それに応えなければ後はないとテンライも本能的に分かっている。
――それでも、もっと怖気付け、たまには!
心の内でだけ文句を飛ばして、テンライは容赦なくスクルの命を使って闘う。豪速球で投げつけられる信頼を受け取れなければ最強の騎士などやっていられない。
『神殺しの刃をここに! 夢想報復の剣、虹に輝け!!』
テンライの持つ剣が眩い虹色の光を帯びる。教皇事件の比ではない、鋭い輝き。黒魔術でも白魔法でもあり得ない奇異の光彩を今回初めて間近にしたエスネッサは目を丸くした。
その虹の剣は巨獣の爪を受け、そのまま指の股から肘にかけて切り裂いて見せたのだ。巨獣もさすがに仰け反って手を引いた。つい先程まで受け流すのが精一杯で、全く攻撃が通らなかったというのに。まるで邪神トーマの万能包丁にも等しい、これもまた人理を超えた力。
しかし注ぐ力に人造の剣の方が耐えられず、一撃を放った後に刀身が砕け散った。テンライはすぐさま予備の剣を抜く。一太刀浴びせるごとに高ランクの剣を使い捨てるほどの業の剣だった。
「代償魔法もやばー……引くわ〜」
邪神トーマや冥王ギレーと違い、"ただの人間"がこれ程の力を行使する危険性や、現在進行形で使われている代償を考えると素直に「頭おかしいな」と思うエスネッサである。
「スクル……後で説教が必要なようで……」
ついでに背後で支援飛ばしながら静かに激怒しているオレストも怖い。
「トーマ! エスネッサくんも。少数精鋭による短期決戦が必須になった。君たちも死ぬ気でやるように」
「オゥフ……」
距離があってオレストの圧に気付いていないのか、トーマは気楽そうに叫んでいる。
「おけまる〜! おれどーすればいいのー?!」
「トーマはとにかくあの再生速度に勝る速さで刻み続けなさい」
「オレストくん淡々と無茶振りすんじゃん! おっけ、まかせろ」
「エスネッサくんはエレメンタルクラッシュで熱線相殺しながら合間に火力制御外したフレアショットで目を狙い続けて」
「おへぇ、僕の負担が更に激しく……」
「熱線のカウントを行うからそれを目安に。相殺直後にクイックスペルを入れる。フレアショットの速攻に使……っ来るぞ、7、6、5……」
よくこの混戦で攻撃の微妙な仕草を覚えたものだ。それも、熱線だってワンパターンではないのに。オレストは巨獣の所作からカウントの秒数をきっちり調整してゼロと発射を合わせていた。恐ろしく目端の利く大規模戦闘慣れした白魔法士だった。
戦況は上々と言えた。
巨獣が目覚めたばかりというのはこうなっては幸運だったのだろう。
後方のエスネッサ、テンライ、オレストが守備を担い、エスネッサが巨獣の主砲に巨大魔術をぶつけて相殺し続け、魔力切れを起こしそうになるたびに道中拾い集めた魔核結晶を大盤振る舞いで使う。オレストは相殺のタイミングを測るためのカウントを続けながらエスネッサへの支援に専念した。この戦線の生命線はエスネッサだからだ。
巨獣と張り合う巨大魔法を単独で連発できる彼がいなければ一網打尽で終了だ。そしてテンライを失えばエスネッサを守る盾を失い終了。トーマを失えば攻撃手がおらずジリ貧で終了。
とにかくエスネッサを中心に防衛線を維持してもらうべく、オレストは白魔法で魔力を底上げし、頭を回し続ける。脳が焼けそうだが、神の使徒とまともに張り合えている戦況は決して悪くはない。
五年前との大きな違いはトーマだ。
もし、この戦線が瓦解しそうな時に絶対に逃さなければならないのはトーマだろう。
エスネッサの大魔法は多人数の儀式魔法で、テンライの壁役は多大な犠牲でなんとか替えが利く。対してトーマの穴を埋めるのはテンライしかいないが、代償魔法は乱用はできない。
現にテンライはトーマの加勢より消耗の少ない防御を主軸に戦っている。攻撃手に回るほどの武器のストックもなければ、あの虹色の光は【瀕死のスクルが死ぬまでの僅かな間しか使えない】という難点がある。
五年前は代償魔法の効果で巨獣の弱体化とテンライの強化が同時に発動したから討伐できただけで、今やテンライひとりいたところで巨獣退治など本当は不可能なのだ。
ところが、あの小さな邪神はなんの苦もなく、包丁一本で災厄の巨獣を切り裂く。
この世界の人類では通常太刀打ちできない神の下僕に、易々と刃を通す邪神こと異界の稀人。
間違いなくトーマはこの世界の創造神に並ぶ怪異だった。
仲間が拓いた道を猛然と駆け、巨獣の手足を掻い潜り、トーマがついに胴体の中心に迫る。
「突っ込めトーマ!『フレアショット!』」
フレアショットが巨獣の目を焼き、再生までの一時視界を奪う。
「エスくんナイス〜! トドメもらったぁー!!」
その隙を逃さずトーマの凶刃は巨躯の心核を断ち切った。
巨獣が倒れたと見るなりオレストは後方へ駆けた。同じタイミングで駆け出していたテンライが並走する。
「トーマは巨獣を本当に倒せたか見張っていてくれ!」
結局スクルは戦闘中に血反吐を吐いて倒れていた。さもありなん。テンライの強化とスクルの瀕死度は連動する。
テンライはエスネッサの壁役を務めあげた上、虹の光を一度使った。それで巨獣を牽制した意義は大きかったが、その分スクルがいつぞやかのようにまた死の淵にいるのはわかっていた。存在の全部をテンライに預けて彼もまた闘っていたのだ。
「スーちゃん死ぬな! 絶対死ぬなよ! 2回も巨獣退治やりきったのに名誉の死なんてつまんないぞ!」
「うるせぇ……死なねぇ……」
転げるように傍らに膝をついたオレストは、虫の息のスクルを慎重に横向けに倒すと、躊躇なく口に指を突っ込んで口内に溜まっている吐血を掻き出す。窒息を防ぐためだ。
「冥王の契約で死ねないだけだ! まったく無茶をする。死ねないだけで廃人にはなるぞ! させないが!」
そのまま上衣をひん剥いて首から腹にかけて順に手を這わせ、慎重に魔力を流して体内を探っていく。
その様子に、この場に医者がいて良かったとテンライは心底思った。こんなダンジョンの最深部で死にかけるなど通常なら手遅れ死亡間違いなしだ。
「おい、巨獣とガキどもは……」
「トーマが討った。今は見張らせてる」
「マジでやりおった……」
「ほんとそれ……」
「こら、重傷者は許可なく喋るな。患者を喋らせるな!」
「「ハイ……」」
戦闘が終われば医師が一番偉い。戦う者の不文律だ。
「オレストくん! 俺なんか役に立てる?」
「状態は分かった。緊急処置に入るから魔力回復できるアイテム根こそぎ持ってきてくれ」
「了解です先生!」
テンライの手持ちの魔力ポーションをその場に置いて、スクルとオレストの荷物から同じように回復剤を取り出して並べる。
全然足りないとの指摘を受けてエスネッサとトーマを連れて、上の階で魔核結晶を集めてのポンプ輸送までした。因果なもので、スクルが死に近いほど代償魔法の効力は高い。
テンライがあらゆる敵をほぼ一撃で無双する光景は圧巻であった、と後にエスネッサは語る。
だがまあ終わりが見えなくてハードで、なんなら巨獣と戦うのと同じくらいかそれ以上に緊迫した救命ミッションであった、と後にトーマは語っている。
スクルが一命を取り留め、一行は楽しい我が家になんとか帰還を果たした。重傷者1名、軽傷者4名、死亡0名の快挙だ。
その日のうちにダンジョンは一時封鎖され、翌日からは調査隊が組まれて騎士団や専門家がエテに集まり、最下層での調査が始まった。
災厄の巨獣はダンジョンの魔物と違い、遺体はそのまま残されているのだ。生物学、神学、魔道学――様々な観点から調べた後に解体されて灰にして教会に封印されることになる。
テンライとオレストは帰還してからも討伐の立役者として散々事情聴取を受けて疲れ切っていた。今は事後調査からも解放されて休養中だ。スクルは言わずもがなの絶対安静。
トーマとエスネッサはどこ吹く風で相変わらず仲良くつるんで近所をぶらついている。
疲れ切った大人たちは流石にホームでのんびりだべっていた。
帰ってきた平和な我が家はどこか時間の進みさえもゆっくりに感じる。いつもはバーカウンターで飲み物片手に寛ぐところだが、ここのところはスクルがソファを寝椅子にしているのでラウンジのローテーブルの方に自然と集まりがちだ。
新聞を広げていたテンライがエテの記事を指す。休養中の今は騎士団にも出勤していないので新聞が調査状況を知るための情報源になっていた。
「結局アレは発生したての幼体だったんだって」
あのままダンジョンの魔力全部吸い上げて成体になっていた場合、体長は五年前の王都の巨獣に匹敵するかそれよりも大きくなっていた筈だと専門家の見解が新聞にはあった。
恐怖だ。エテの町など一刻と保たずに潰されていただろう。
勢いで始めてしまった戦闘だったが、結果は最善だったということだ。被害らしい被害といえば、未だに半死人のスクルと、エスネッサの取らぬ狸になった財布事情くらいのもの。奇跡的悪運と呼べる邂逅だった。
「とにかく今回はトーマの存在に助けられたな…」
傍らに座るテンライの手の新聞をちらと覗き込み、スクルが遠い目をしてため息をついた。
勿論あの場にいた全員が死力を尽くして戦った。中でもトーマの存在は大きい。無鉄砲というか、無知と慢心の塊の少年の勢いが無ければあの場で倒そうなんて判断はできなかったし、邪神トーマの力が無ければ防戦一方で押し負けていただろう。
「ただトーマだからなぁ。何がきっかけで本気で人類の敵に回るかも分からんのだよなアイツ……」
トーマの人間嫌いは何も変わっていない。何人かの身内を大事にしているだけで、それ以外の人間はいつ自身や身内に手を出してくるかわからないと考えている。
残念なことにそれはある程度正しい現実なのだ。何度も経験している上で形成された基準を今更覆しようはない。このファミリーの中にいてなんとなく大人たちの言うことをきいている風なのは、単に彼らだけがトーマの身内認識に入ったからに過ぎないのだ。
今も上層部でときおり湧いては有耶無耶になる邪神トーマの扱い如何の会議を聞こうものなら静止なんて全く効かずにそのまま何人か殺すだろう。教皇の件ではブチ切れた原因であるエスネッサが戻ってきて宥めることができたが、いざやる気になったトーマを誰にも止めることはできない。
災厄の巨獣に匹敵するものがいつ手のひらを返すか分からない、ということが今回の件で明確になった。
「トーマも災厄の小獣では……」
「少なくともトーマは神の試練とは別物だよ」
神官であるオレストが断言するからにはそうなのだろう。
「ただの異世界からの来訪者なのか、はたまた我らが創造主に敵対する何かが災厄の巨獣を退治するために降臨したのか、純粋に人の願いの結晶なのか、異界より来りてこの世界を裁定して滅ぼすものなのか。本人も全く分かっていないようだけれどね」
「何にせよトーマのおかげで助かったのは事実だねぇ。圧倒的な攻撃性能だったもんな」
「……五年前にあいつがいれば代償魔法なんぞいらなかったのでは?」
「現実は変わらないよ。当時トーマはおらず、君の行動がなければ君とテンライは確実に死んでいて、王都はとっくに焼け野原。国も市民もガタガタ無法地帯さ。そしてテンライは覚悟のある君一人の犠牲で作られた英雄だが、トーマは主に邪教徒とはいえ一般人を三桁単位で犠牲にして顕現している。命は数で計れないとは言っても、人の営みである社会形成には数が必要な以上、自分が所属する人類の枠組みではどちらが有益か判断はできる」
慰めなのかと思いきや、淡々と語られる内容は恐ろしいほどドライで整然としていた。一切の感情を排除した客観的意見なのだが、共に王都の地獄絵図を経験している二人は素直に受け取れるはずなのに固まってしまった。
「オレストくんって本当に司祭なの?」
「論理的な説法が出来たと思ったんだが……だめかな」
「いやいいけどよ……」
オレストのありがたい説法がひと段落したタイミングで玄関戸が勢いよく開いた。
「たっだいまー!」
「っすー」
つづいて元気なガキどもの声が響く。
トーマとエスネッサはちょっと目を離すと何かやらかしているので行動範囲と帰宅時間はしっかり決めることを条件に外出が許されている。
「ねー、スーさん。まだ体調戻らん? 面白そうな依頼があってさー」
「ていうか金が欲しい」
今日はギルドに掲示板を見に行っていたらしい。トーマはエテのダンジョン探索が余程面白かったと見え、相変わらず金欠のエスネッサもギルドでの情報収集はお決まりの散歩コースとなっていた。
「結局こないだはタダ働きみたいなもんだったし……ライセンス代勿体なかった」
「エスネッサくん……世界の危機を未然に食い止めたってのに君の関心はライセンス代かい……」
「やっぱボス狩りがいいね! エテたのしかったし!」
トーマも軽傷とはいえ、まだ擦り傷切り傷打撲だらけで結構大変だったと思うのだが、彼にとってはいい感じの超えられる苦戦だったらしく、あのギリギリ感に味を占めたらしい。
輝かんばかりの笑顔で宣った。
「またやろうね!」
聞かされた側はドン引きだ。あんな化け物退治にハマられてはたまったもんじゃない。
「「あと五年はやりたくない」」
幼馴染騎士の意思が完全一致した瞬間だった。
エテの奇跡と呼ばれる第二の災厄の巨獣討伐であった。