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番外編 盛大なタコパと友情



 これは二ヶ月に渡るはじまりの村紀行の一ページである。


 王都を出て三週間。目的地まで距離的には残すところ四分の一。

 ここまで十分すぎるほど過酷な道のりは割愛するが、迷いの森を突っ切ってきた現在、エスネッサなどは力尽きて、交代で背負われて運ばれている。そのあたりで察してほしい。ちなみに今はオレストの背で完全に寝ている。

 ようやく安全域に出られ、そして目の前で道を断つのは対岸の見えないどこまでも広がる水面。波は穏やか。


 何故人は広がる一面の水にこうも感動してしまうのだろう。トーマは森がひらけてその光景を目にした瞬間指さして叫んだ。


「海だ!」

「湖だよ。大陸一でかいミスミナ湖」

「へぇ〜雄大〜」


 通りで潮の香りがしないわけだ。

 朝に着いたおかげで山の麓はいまだ薄暗い。霧たちこめる雰囲気抜群の湖は、今にも死体が上がって古風な探偵がやって来そうだった。少し先にぼんやりと桟橋と集落らしきものが見え、そこに向けてテンライが進み出したのでついて行く。


「船で対岸に渡るよ。半日くらいかかるかな」

「な、長え〜……船酔いするかな、酔い止め薬ってこの世界でもある?」

「あるよ。港町なら薬屋で手に入るだろう。一緒に選んであげるよ」

「持つべきものは医者の仲間だわ」


 湖畔は砂利で足元からジャクジャク鳴るのがやけに怪しく響いた。


 しばらく歩くと波止場と人影が見えてきた。

 その人影というのが、カソック姿の男が桟橋から湖に花を投げるところだった。誰か湖で亡くなったのかもしれない。

 ここの村の神父だろう彼が、こちらに気付いて目を向け、そして固まった。まるで幽霊でも見たような。それは驚きか、恐怖か。

 怪しげな雰囲気の湖が死者の霊でも連れてきたのかとトーマは背後を振り返ったが、当然何もない。ではなんなのか、こちらが問う前に神父が震え声で呟いた。


「お、オレスト……」

「やあ、ヤシム。まさかきみに会えるとは。奇遇ですね」


 なぜオレストを見てあんな反応をするのか。ご指名の男はいつも通りのスマイルで何を考えてるのか読めない。

 教会関係者はトーマにとって基本敵だが、オレストが親しくしている相手となると一様の判断が出来ずにいる。


「しりあい?」

「彼はヤシム。私が修道院に入った時に同室だった昔馴染みだ。以来良くしてもらっていた」


 つまり、友人とかルームメイトとか同期とか、そんな感じの人だ。それだけの材料では足りない。


「いい奴? 悪い奴?」

「口は悪いし教えは破るけど芯の通ったいい人だよ」

「うーん、俺の敵になる?」

「ならないんじゃないかな」

「ならいいか」


 さしあたりトーマの関心から外れた。名前ももう覚えていないだろう。

 しかしヤシムの方は逆だ。彼の脳内で特大の警報が響き出した。


「ちょっと待て、オレストと一緒にいるってことは、そいつら例の……」

「ああ、知ってるのか。彼が異界の来訪者トーマだ」

「ども。俺に喧嘩売ったら死ぬことは覚えておいてね」


 軽く手を挙げて物騒な挨拶をかましてくるトーマの脳天にスクルのげんこつが落ちる。

「威嚇すんじゃねえ」

「いってえな!」

 特務班にとってはいつもの光景だが、初対面の人間には困惑だ。


「殴っても平気なのか……」

「人によるのでやめといた方がいいですよ」


 その油断は危ないと、テンライが即座に忠告する。

 トーマに手を挙げても無事でいる人間は数少ない。教育的指導として許容されている主にスクル、たまにテンライ。友人なので魔法で吹っ飛ばしてもなあなあで流されるエスネッサ、この三人だけだ。オレストやスレイも大丈夫だろうが、この二人はお説教はあっても体罰はやらないので不明。


 口を挟んできたテンライをちょうど良いとばかりに、オレストは彼らをヤシムに紹介した。


「こちら、私が今お世話になっている王国騎士団特務班のスクル殿とテンライ殿だ」

「英雄騎士テンライ……まじもん……」


 ヤシムの反応は喜びよりも引いている。ミーハー心がなければ、化け物と英雄がまとめて日常に現れた異常事態が怖すぎるためだ。

 さらに紹介されていない化け物がもう一人いる。オレストに背負われて完全に寝落ちしており、とんがり帽子のせいで顔もろくに見えない少年だ。


「そんで背中で死んでるのがもう一人の災厄級か」


 怖いもの見たさで恐る恐る帽子を少し持ち上げると、ガキみたいな寝顔で、人の背中によだれを垂らしていた。眠っているのに太々しい。


「ああ、エスネッサくんだよ。迷いの森で体力の限界だったらしい」

「迷いの森突っ切ってきたのか?! ばかじゃねーの!」

「あまり王都を空けられなくて急いでいてね。経験者が行けると言うものだから」


 そう言って目線を向けるのは騎士二人。テンライが無言でスクルを勢いよく指差し、「自分じゃない、こいつだ」と主張している。


 通りで全員くたびれた格好をしている。さぞや地獄の行軍だったことだろう。

 しかしエスネッサ以外の生き残り四人は元気なものだった。まだ少年と青年の間という様子のトーマでさえ、装備は薄汚れても本人はピンピンしている。さすが邪神。常識では測れない生き物なのだ。

 頬を引き攣らせるヤシムに、スクルは更に先を急ぐべく問う。


「アンタこの辺に勤めて長いのか? 次の渡しの時間分かるか?」

「船で対岸に行くつもりだったのか。そりゃあ災難だったな」

「災難?」

「ああ、クラーケンが出るってんで沖へ船が出せなくなってる。ここ四ヶ月」

「はー?!」


 最悪だった。


◇◆◇


 聞けば、沿岸部から離れて水深が深くなるあたりに船を出すとクラーケンという巨大魔物の餌食になるそうだ。

 近隣の村々は貧しく、ハンターギルドに緊急依頼を出すほど資金がないし、国に申請したがこんな僻地じゃなかなか討伐隊はこない。まして水生魔物は討伐が難しい上に水上戦になるため予算がえぐい。申請を受けた騎士団も対応したくても優先順位があげられない。

 一生対応しないということはないが、いつになるか分からないのが現状だ。


「騎士団員として申し訳なく思う」

「こっちも組織人なんで内情は察するに余りある。支援物資だけは来てるし、村人たちも苦しいなりに生活できてるよ」


 頭を下げるスクルに、ヤシムが逼迫しているなりに暮らしている旨を語る。

 大人たちのやりとりをぼんやり眺めていたトーマは、そんなことより自分の抱く単純な疑問を誰とも無しに投げかけた。


「クラーケンって、でかいイカ?」

「は?」


 大人たちが呆気に取られてトーマを見つめる。

 トーマの脳裏に描かれているのはゲームでよくある白い巨大なイカが帆船を襲う絵面だ。現実に見るのは映画とは比べ物にならない大迫力だろう。

 そんな疑問に、いつの間にか目覚めていたエスネッサが寝ぼけ眼で簡潔に答えてくれた。


「タコだよ」

「タコかぁ。いいなータコ食べたいなぁ」

「「は??」」


 素直な感想を述べたら全員に怪訝そうな顔をされた。トーマ的には心外だった。水族館で出る一般的な感想ではなかろうか。


「もしかしてここじゃタコ食わないの?」

「ていうか、魔物だぞ」

「でかいタコなんでしょ? なら色々作れるじゃん。タコ刺し、茹で蛸、たこ焼き、たこ飯、タコのからあげ。いいなぁタコ食いたい」

 トーマの夢は止まらない。

「そのタコでタコパしようぜ」

「タコパ?」

「たこ焼きパーティ。でも何でもいいよ。オールジャンルタコ料理」

「トーマ本気?」

「どうせ船出てないなら狩るしかないじゃん。そんでタコパしよ」


 トーマの頭の中はタコパでいっぱいだった。絶対旅の思い出になるだろう。

 笑顔を浮かべるでもなく真顔で淡々と要望を語るトーマを眺めてエスネッサが匙を投げた。


「こりゃもうだめだ。トーマが決めたらどうにもならんやつだよ」


 邪神トーマの決定は絶対である。正確には、意見を変えさせるのに命懸けの多大な労力がかかるので割に合わない。

 そして今回はタコパは置いておいて、悪い判断ではなかった。


「まあ確かに船さえどうにかなりゃあ俺らで狩るのがいい」


 近隣の村のためにもクラーケンを討伐し、船を出してもらって湖を渡るのが旅程的にも最良だ。

 このメンツ、戦力だけは有り余っている。あとはクラーケン退治に付き合ってくれる肝の太い船長がいれば良い。

 班長の一声で方針が決まったところで、オレストがヤシムに向き直った。


「ヤシム、討伐のために船を出してくれそうな人はいませんか?」


 異論もなくトントン拍子に決まっていくクラーケン討伐。現地で四ヶ月も苦しい思いをしてきた人間からすれば有難いのと同時に腑に落ちない気持ちもある。


「今更そんな酔狂な奴ら、お前ら以外にいるかよ」


 村人達だって無抵抗に湖を眺めていたわけではない。誘き寄せている間に漁が出来ないか、どこまでなら沖に出られるか、散々試行錯誤して漁場を縮小してなんとか生活している。これまでの調査で犠牲だって何人も出ている。

 国やギルドへの救助要請が通ったのではなく、偶然やって来た少数班なんぞを信じて、これ以上身を削って危険な沖に出ようなんて輩はそうそういない。

 そのあたりの事情も理解したスクルは親指で傍らの派手な金髪男を指して言った。


「英雄テンライと化け物退治に行く根性のある野郎はいるか、と発破かけてくれ。こいつ連れてっていい」

「なるほど……」


 明るいニュースのなかった地域に突然の英雄の来訪。さらには英雄への助力。

 彼の活躍を間近にし、共に戦って自分たちの村を救う誉れが餌となれば、それはもう面白いように片田舎のプライド高い野郎どもを釣り上げることだろう。

 本人がいるのだ。説得力しかない。


「都合よく俺を使うじゃん」

「その傍迷惑な肩書をたまには活用しろ。ついでに良さそうな宿も見つけてこい」

「ほんとによく使うな! いいけども!」



◇◆◇



 班長からの雑な命令を受けてテンライとヤシムは近くの酒場へと出掛けていった。トーマ達がいると、どうせややこしいことになるので待機だ。


 さびれた定食屋を見つけてのんびりと飯を食い、市場を冷やかして、良いご身分だった。

 トーマがスレイへの土産に名産品を探すと言うので乾物屋で物色していたら、店のおばちゃんが声を掛けてきた。


「あんたたちこんな時に来るなんて災難だったねぇ。本当はミスミナ湖遊覧船で紅葉が楽しめるいい季節だってのに」


 少年二人いるおかげで観光客だと思われているらしい。大陸一の巨大湖なのだから本来は有名観光地なのだ。

「まあ紅葉は来るまでに堪能したからいいよ」

 迷いの森を4日間の強行軍。紅葉が綺麗で食える木の実が成っている以外にいいことは何もなかった。

「漁獲量が減ってるから干物も通常の三倍価格よ。悪いわねぇ」

「そうなの? しゃーないけど、残念だなー。でも味はいいんでしょ?」

「それはもちろん! ミスミナ湖名物のメズルとか、そろそろ脂乗っててうまいんだよ。試食してきなよ」

「やった〜」


 うまいこと試食をゲットしているトーマ。なんだかんだではじまりの村紀行を楽しんでいる。

 こういうのは乗っておいた方が勝ちとばかりに、エスネッサも一緒になって試食をもらって美味い美味いとご満悦だ。

「せっかく来たなら楽しまないとだよね」

「そうだよエスくん、バテてる場合じゃないよ」

 少年たちがあまりに美味そうに食べるものだから、おばちゃんは機嫌を良くしてとっておきのネタを教えてくれた。

「湖には出られないけど、今来たあんたたちある意味ラッキーかもしれないよ」

「なんで?」

「ここだけの話、この町にあのテンライ様が来てるんだってよ!」

「あの」

「救国の英雄騎士テンライ様だよ。この先の酒場にいらっしゃるんだって。こっそり見てきたら?」

「わはは、すげー。行こうかな〜」


 早くもテンライの噂が回っている。さすが、田舎の噂は風よりも速い。

 その店ではお勧めされたメズルとかいう魚の干物を買ったら、魚が高い分おまけにと乾燥キノコの詰め合わせをつけてくれた。買い物では愛想良くすべしとトーマに教えてくれたのは件の英雄殿である。

 随分と騒がれているが、ここらの村人と変わらない庶民派なのだ。



◇◆◇



 噂のテンライ様はものの2時間で戻ってきた。スマホもなく、待ち合わせもせずに合流できるのだから代償魔法の繋がりは便利だ。

 一人で戻ってきたテンライを見て、オレストが彼の背後に目を向けた。


「ヤシムは?」

「付き合いきれないって一旦帰ったよ。俺たちもとりあえず泊まるとこに移動しよう」


 宿ではなく村長の家に泊めてもらうことになったそうだ。手厚い歓待。彼らは久々に温かな寝床と美味い食事にありつけた。


 そして肝心の船だが、酒場では誰が船を出すか立候補者多数で喧喧囂囂となっているという。

 血気盛んな漁師達に上手いこと火が付きすぎて、この村だけでなくたまたま訪れていた別の村の民から話が回ってしまい、近隣の村々を巻き込んで『誰が一番勇敢か』『操船が上手いか』『誰の船が一番速くて丈夫か』と揉めに揉めている。

 今日中に結論を出して村長の家に伝えてくれ、と丸投げして逃げてきたテンライである。どうせ誰が良いのかなんて特務班の誰にも分からない。湖に慣れた村人達で決めてくれるのが一番いい。


 久しぶりのベッドにごろごろしながら経緯を聞いていたトーマだが、一抹の不安が過った。


「そういうのって最終的に実力じゃなくて一番金持ちとかエライ奴になりがちじゃないの?」

「トーマの心配もわかるけど、さすがに地域の存続がかかってるから真面目に選ぶでしょ」

「明日の朝ヤシムさんにも確認してもらうことにしたから大丈夫だと思うよ」

「なるほど。教会からの派遣司祭なら地域の権力関係ないもんねぇ」

「ヤシムなら安心だ。地域住民とも仲良くやっているだろうから」


 テンライの張ってきた予防線にオレストのお墨付きをいただいて一同安堵し、船については問題なしと判断した。

 明日からは大物退治だ。短時間で決めたいからこそ、今のうちに疲れをとるべし、ということでさっさと寝るに限る。


「でもオレストくんはヤシムさんに会いにいったりしなくていいの?」

「あー、ああ……クラーケン退治後には行こうかな……」


 親しい間の雑さなのか、結構薄情なのか、単に疲れているのか。オレストは生返事でベッドに潜り込んでしまった。すぐに寝息が聞こえてくる。

 まあいいか、とふた部屋に分かれて全員泥のように眠った。夢も見なかった。



◇◆◇



 無事に船を出してくれる人が決まり、翌日は作戦計画と準備で潰れた。

 大人たちは何やら忙しそうだったが、切るしか能のないトーマは近隣を観光して終わった。



 翌早朝。まだ朝日も昇らぬうちにクラーケン討伐隊は出発することとなった。

 ミスミナ湖畔に着いて三日目のことだ。過剰戦力にモノを言わせた、ほぼ行き当たりばったりの強行軍である。

 トーマが眠い目を擦りながら村長の家を出れば、すでにテンライがストレッチをしながら待っていた。


「おはよー」

「おはようトーマ」

「ボス狩りなのにテンちゃんやけに軽装じゃね?」


 テンライがガチのときは鎧、手甲、足甲、盾フル装備に剣が複数本。今回の旅にあたっては機動性重視で軽鎧の胸当て、革製のグローブ、ブーツといった装備だったが、今日はその胸当てすらない。いつもと違うのは借り物らしい弓矢を背負っていることくらいだ。


「水上戦で鎧着られないよ。水に落ちたら溺れかねない」

「なるほど……フラグか?」


 軟弱な木造の漁船で巨大タコに挑もうというのだ。確かに湖に投げ出されたり船ごと沈没くらい想定すべきだ。

 トーマは自分の荷物をざっと確認して、左のポケットから出てきた非常食のビスケットの紙包みを開いてその場で食った。これで万全である。


「スーさんはどこいったの?」

「先に港で船長と打ち合わせ中」

「エスくんは知ってる? 起きたらもういなかった」

「船に魔術強化するって魔力タンクとしてオレストくんに引っ張られてったよ」


 そしてテンライがトーマお目付役というわけだ。トーマ以外みんな忙しそうだ。

 まあ良いのだ。価値は戦闘で示せば。



◇◆◇



 まだ暗い湖に二隻で乗り出した船。水深が深くなり、クラーケン危険域に入る頃に日が昇りだし、あたりが薄明るくなってきた。日の入と日の出が一番魚がかかるというが、人間が戦うためには視界が効かなければ話にならないので朝だ。

 トーマたちが乗る討伐船と平行して走る囮船が長いロープに餌袋を付けて水に放り込んだ。どんどんロープが水中に吸い込まれていく。

 囮船と並走して獲物がかかるのを待つこと20分。

 釣りは退屈だ。船縁に背を預けてぼんやり鳥を眺めるくらいしかやることがない。

 ふと気付くと、鳥の数が増えてみんなしてビュンビュン加速して船を抜いていった。


「この先に小魚の群れでもいるのかな〜」


 空を指差す呑気なトーマの呟きに、隣のエスネッサがバッと船の後方を振り返った。ベテランの漁師たちはすでに腰を上げて船の後方に移動していく。

 帽子の鍔を持ち上げて、船から尾を引く白い波の向こうに目を凝らす。深い青の湖のはずが、黒々とした影が広がっていた。


「立て、トーマ! かかるぞ!」

「全員配置つけ!!」


 エスネッサがトーマを引っ張るのと同時に船長の怒号が被った。ようやくクラーケンのお出ましだと、トーマも目を爛々と輝かせて手摺りから身を乗り出しすと、後方の囮船が突然ウイリーした。


「はっ?!」


 クラーケンが餌にかかった瞬間だったようだ。船が水面を叩く反動で出来た波がこちらの船も大きく揺らす。慌てて手摺りを掴んで耐えたが、油断すると本当に湖に投げ出されて戦力外だ。これはなかなか大変な大捕物である。

 囮船の方は想定の範囲のようで手際よくロープを切って、そのまま風魔法を駆使して一気に離脱していく。残されたトーマたちの討伐船では戦闘準備に入り、クラーケンをこちらに寄せるべく漁師が撒き餌をスコップでガンガン撒いていた。


 確か、始めは漁師たちの銛突きで弱らせつつ、近づいたところでトーマによる剣戟で仕留めるという話だ。

 銛が届く距離となると蛸足も届くという地獄の攻防になるため、到底地元の漁師たちでは太刀打ちできない。まずは交戦距離にある間、船を守るのが特務班の役割だ。

 水面は警戒体勢の蛸足が視界に入りきらないサイズ感で柱のように何本もうねうねしていた。


「こりゃあデビルフィッシュですわ」

「あんなの本当に食べたいのトーマ」

「硬そうだけど外側剥けばいけるっしょ」


 軽口を叩く少年たちを見て、スクルが操舵室に手を上げて合図を送った。


「船長、接敵はじめ!」

「おうよ! 覚悟決めろ野郎ども!」


 船の速度を落とし、じわじわとクラーケンとの距離が縮む。

 最初に攻撃に転じたのは蛸足の方だった。

 船の幅より太い足が水面に出てくるだけで大波が立つ。船員たちは巧みに船を波に立て、ギリギリで転覆せぬよう対処するので手一杯だ。そのまま船を叩かれて即終了、という場面だが、今船には化け物が三匹乗っている。


『フレイボム』


 炎の球が襲い来る蛸足の中程にヒット。ド派手な音と光で破裂した。そのへん吹き飛ばすしか能がない少年にとっては的がでかいのはよいことだ。


「ありゃ、魔法耐性たっか。焦げただけか」

「手加減しすぎなんじゃん?」

「即時発動の小術式ミニマムじゃこんなもんよ」


 残念ながら足を吹き飛ばすには足りないようだ。音と光でビビらせることはできたようで、僅かに蛸足の動きが引く。


「銛いけ!」


 その隙を見逃さず、スクルが銛担当の漁師の肩を叩く。爆発に目を白黒させていた男はハッとして、真剣な眼差しで銛を振りかぶった。

 まるで全身を弓にしたような、見事な一投。鋭く一直線に飛翔する銛は足の付け根、本体に迫る。完璧なタイミング、位置。村一番の銛突きを自負する男、マルコにとっても土壇場で、ここ数年で一番の投擲だったと言える。


 それが、ぽよーんと、やわらか表皮に弾かれたときの全員のツラといったら。



「第一段階中止、銛やめ!」


 真っ先に復活したのはスクルだった。判断が早い。

 漁師が投げた銛が刺さらない。銛が刺さらなきゃはじまらない。

 獲物を前にして尻尾巻いて逃げるくらいなら、とトーマはエスネッサを指した。


「真っ向勝負できないならエスくんがメテオやっちまえよ」

「僕はかまわんけど、湖岸の村は津波で壊滅しても知らんよ」


 元日本人として津波というワードの忌避感は強い。

 三桁人数を殺害したトーマでも、一般人の巻き添えは可哀想かな、くらいは思う。さっと視線をテンライに移した。


「じゃあテンちゃんは? 矢も虹色に光らせろ!」

「それは最終手段だ。使われたらこの先の旅程が狂う」

「ああ……」


 次案を即座に却下したのはスクルだ。

 これは、「テンライにやらせたらスクルが死んで大幅に旅程が遅れる」という意味だった。

 今回の旅にもぎ取った期間は二ヶ月。大幅な遅れは許されない大人の事情があるのだ。でなければわざわざ危険地帯を通ったり、騎士団本部になんの連絡もなくクラーケンを正面突破しようとしたりしない。


「えー、じゃあ一旦逃げ帰るの?」


 湖にぷかぷか船を浮かべてタコに撒き餌のおやつをあげただけとは虚しすぎる。


「勝算なく船まで出すか。トーマ、お前がやれ」

「やだ! 包丁は絶対手放さねえ!」

「違う、銛投げろ!」

「え?わ、わかった」


 てっきり包丁の投擲を命じられたのかと思ったが、銛を投げるくらいなら全然構わない。しかしただの銛では刺さらないのではないか。

 疑問を抱きつつ、スクルの判断は疑っていない。とりあえずトーマは船縁にセットされている銛の一本を掴み、思いっきりぶん投げた。


「そーーーれい!!!」


 槍投げの経験など皆無。さらには船上の不安定な足場。投げた銛は、プロの漁師の時の軌道とは違い、へろへろの放物線を描きつつ、辛うじてタコの側頭部に届いた。

 なんとそれがビックリするほど刺さったのだ。武器を跳ね返す柔らか表皮のはずが。大した速度も出せていない銛の重さ頼りの一投が。


「刺さったー!!」


 ワッと船上が湧き立つ。これで活路が開いた。


「やっぱりな。前にこいつが放り投げた棒が丸太に刺さったの見た。包丁ほどじゃないが、トーマが持った武器も全部魔装になるんだ」

「こわ……」


 邪神トーマのヤバさが積まれて班員は慄いた。

 しかしこの場では有難い能力だ。一撃必殺が狙える包丁や代償魔法ほどではないが十分な威力。


「ロープかけろ! 巻け巻けぇ!!」


 慌ただしく漁師達が駆け回る。銛に掛かっていたロープを引き、船の大きなローラーに巻きつけて引く。

 銛が刺さればクラーケンとの駆け引きは漁師の領分だ。船とクラーケンの距離が十分近づいて安定すればトーマの包丁でどうとでもなるだろう。


 クラーケンをじっと観察していたオレストが浮き足立つ船上へ叫ぶ。


「銛が抜けはじめてるぞ!」

「浅すぎる! 第二投いけ!」


 船長の合図にテンライがトーマに銛を投げ渡す。

 しかし二投目は外してボチャンと重い音を立てて水に沈んだ。水中に引き摺り込まれていくロープをスクルが咄嗟に掴んで引き戻していた。銛の本数にも限りがあるのだ。

 その間にもトーマの元へ船員から三本目の銛が渡される。息つく暇もない。


「ノーコン! 腕で投げんじゃねえ、トーシロが!!」

「うるせえ! そのど素人頼みのくせに! 雑な文句じゃなくてアドバイスしろや!」

「腰落とせ!重心下げて踏ん張れや! 全身で投げんだ!」

「分かんねーよ、くそ野郎!!」


 漁師たちに文句を言いつつ、分からないなりに膝を深く曲げて第三投。脚の一本、中間部に刺さった。これは深いが位置が悪い。


「難しい〜! ぐぬ〜!!」


 地団駄踏むトーマの銛ヤバさに、さすがにクラーケンも気付いたのか、二本の蛸足が鞭のようにしなって船に襲いかかる。

 瞬時にテンライが間に入り、二本まとめて剣で薙ぎ払うと深い傷が入って、マンホールみたいな吸盤のついた脚がすごすごと水に戻っていく。剣が壊れるほどの力を使わずとも、護衛役はこなせるようだ。


「めげんなトーマ! ほら次!」

「わーかってらー!!」


 第四投が脚の根本に深く刺さった。今までで一番の手応えと言っていい。


「おっしゃ引け引け!!」


 二台目のローラーにロープをセット。巧みに引いては緩め、漁師の真剣勝負が始まる。


「ボウズはもう一投いけ!」

「はいはいー!!」


 攻防すること15分、クラーケンとの距離が近づいて、ついに白兵戦の射程に入った。

 タコの頭頂部に刺さった銛のロープをトーマに掴ませてスクルは少年の背を押した。


「いけトーマ!」

「おれ絶対池ポチャする役じゃん」

「早よ行け!」

「わーかったよ! 仕方ねえな!!」


 ヤケ気味にトーマが船の手摺りを蹴って飛び出す。左手に巻いたロープをめいっぱい引いた反動で上手くクラーケンの頭部に着地できた。

 そのまま切り掛かるのと、暴れた蛸足が船の横っ面を叩くのはほぼ同時だった。


 結果は相打ちか、ギリ人間の勝利か。


 タコは真っ二つになり絶命し、船はひしゃげて廃材と化した。



◇◆◇



 タコ墨が広がり、タンカー事故映像並みに黒い水面から顔を出した船長が周りを見渡して叫ぶ。


「全員生きてるかー!」


 あちこちから大丈夫です!と返事があがる。みんな湖にばら撒かれた樽やら木片に捕まっており、人数を数えてもとりあえず行方不明者は居なそうだ。精鋭だけあってあの瞬間に自ら湖に飛び込んだ者がほとんどだった。

 安堵する暇もなく、船体の一番大きな残骸によじ登ったオレストが声を張り上げた。


「みんな私の周辺に集まって! 他の水生魔物が来たらひとたまりもない」


 この手の討伐任務はターゲットを倒した直後の気の緩みが一番危ないのを彼は経験上知っていた。

 オレストの言葉に背筋が凍り、慌ててみんな泳いで集まってくる。

 彼が転覆した船の上から魔物避けの結界広げると、雲の隙間から光が降りて彼らを照らした。まるで祝福のようだ。


「お、おお……こんな状況で道具の一つもなく、すげー神父さんだな……」


 ひとまずこれでしばらく漂流していても問題ない。

 何故か全く濡れずに船の残骸の上につっ立っているエスネッサを見つけて、スクルは彼に指示した。


「エスネッサ、合図あげてくれ」

「はいよー」


 エスネッサの信号弾で、逃げた囮船と浅瀬に控えていた他の船が三隻で迎えにきてくれることになっている。

 転覆した船とクラーケンを岸まで引っ張って討伐は無事完了した。


 討伐隊が全員救助船に引き上げられて、みんな疲れ果てて甲板に座り込んだ。しかし表情は明るい。

 ついにあのクラーケンを倒した。やってやった!と興奮冷めやらぬ様子で村人たちは盛り上がっている。

 特務班メンバーはその輪には入らずに疲労感に死んでいた。迷いの森を抜ける強行軍の後に慣れぬ水上戦での大型退治、転覆付き。さすがに疲れ果てた。


 周りの景色に目を向ければ、ようやく帰る港が見えてきた。

 たくさんの大漁旗がはためいて、大勢が港に出てきて英雄たちの凱旋を待っているようだ。



◇◆◇



 トーマの本題はここからになる。


 港に待ち構えていた村人たちは、討伐隊の成功を信じて祭り支度をしてくれていた。

 広場に簡易ではあるが出店が立ち並び、タコ料理の看板が並ぶ。引き上げられたクラーケンは解体されて、列に並ぶ人々に配られていき、慌ただしくタコパの準備が進められて行く。

 開始は夕方からということで、討伐隊はひとまず6時間ほどの休息を得た。

 一旦村長の家に戻り、風呂を借りて、次に装備の手入れ。少し仮眠を取ったらもうタコパのスタートだ。何もかも強行軍である。


 しかしトーマ少年の体力は無限大だった。


◇◆◇


「タコパだー!」


 眠たげな仲間らを叩き起こしてメイン会場の村役場前広場に繰り出した。

 そもそも討伐など前座なのだ。やっとタコパにありつけたのに眠ってなどいられない。


「場所取っとくからお前らこれで好きなもん買ってこい」


 面倒がったスクルは早々に休日のズルい父親ムーブで少年たちを放逐し、大人組は簡易テーブルが並ぶ飲食エリアに留まった。

 結構な小遣いを手に入れたトーマの顔は明るいが、エスネッサは渋面だ。


「何から行くかな! まあ料理名見てもさっぱり分からんから端からぐるっと回るか!」

「大人ども、僕にトーマ押し付けて先に呑み始める気だ。ひでえ……」


 エスネッサの不満を華麗にスルーし、彼の手首を掴んで出店を連れまわす。

「これどんなもの?しょっぱい系甘い系?」

 などと聞きながらトーマは興味のあるものを次々買っていき、その場で口に放り込む。美味いと追加でお買い上げだ。

 両手が塞がったら、その辺のおっさんが盆代わりにと板切れをくれたもんだから、なかなか席に帰ろうとしない。


「ほら、エスくんも食えよ。タコ串うまいぜ」


 クラーケンの足を串に刺して魚醤をかけながら焼いたやつだ。なにせ獲物が巨大なので皮より内側の肉をサイコロ状にカットしており、見た目は謎の白いブロックの焼いたやつである。

 クラーケンに毒性はないが、エスネッサとしては美味しそうとも思ったことはなかった。


「トーマってさあ、当たり前のように魔物食おう思考だよね。抵抗ないの?」

「ジビエに抵抗ない派。魚介類なんて天然物のが持て囃されんじゃん」

「ジビエ感覚なんだ……動物と魔物の区別がないのか」


 せっかくだから、と食べ歩きをしながら『エスくんの魔物講座』が始まった。


 魔物は大昔に魔族圏で主に生息してた生物だそうだ。

 普通の動物との違いは存在するだけでマナの消費がすさまじく高く、周囲の環境に悪影響を及ぼすという点。


「迷いの森でも黒々としたエリアとか通ってきたけどあれのこと」

「あー、食料調達厳しい圏ね。きつかった」


 そして攻撃的で他の生物を捕食目的以外でも殺すのも魔物の特徴だ。動物が他の生き物を殺すのは食べる時だけで、縄張り争いなら力を示して追い払えれば殺すまで至らないのがほとんどだが、魔物は本能として他の動くものを攻撃し、狩った後放置するので疫病の原因にもなる。

 人間にとっても百害あって一利なし。魔物は討伐してしまうが吉なのだ。


「肉も毒性が高いか単純にまずいもんが多いから素人判断で適当に食うのはダメだよ」

「道中も食ってなかった?」

「そこは大人たちが異様にサバイバル力高かったおかげだね。ちゃんと食えるって分かってるものしか肉にしてない」

「そうだったのかー」


 日本人だって謎の執念でこんにゃく芋やフグを食い続けてきたのだ。この世界だって飢饉の度に魔物食にチャレンジする猛者がいたのだろう。先人たちの探究心のおかげで比較的安全に食料調達ができるのだから感謝感謝だ。


 クラーケンの串焼きを噛みちぎりながら、そういえばあの巨大生物は食えないのだろうかとトーマは思った。


「デカいタコと災厄の巨獣の違いは何なの?」

「災厄の巨獣との大きな違いは、行動原理」


 災厄の巨獣については謎が多いが、ほぼ確実と考えられているのは『人類を殺戮するための獣』ということだ。


「あれは神が創造した"人類への試練"だから。実際、第一の巨獣が発生したのは王都近くの森だったけど、森の生き物には興味は示さず、一直線に王都を潰しに来たらしいよ」


 人間を殺し、街を破壊したが捕食しない。ただ殺すだけ。生き物の形をした災害だった。


「星のサイクルから完全に外れた、生産者でも消費者でもない災厄なんだよ」


 生態系の話がピンとこないと見えて、トーマのためにさっくりと分かりやすい説明を付け加えた。


「クラーケンが災厄の巨獣だったら呑気に沖を縄張りにしとらんで、この辺の村とっくに全滅してる」


 今こうして陽気に宴をしている人間たちは根こそぎ死んでいて、この町だってぐちゃぐちゃにゴミの山になっているはずだと。

 それは確かに、動物とも魔物とも全然違うナニカだ。少なくとも人類にとっては。


「何となくわかった気持ちになったわ。たぶん忘れてまた聞くけど」


 魔物講座を聞いているうちに買い食いさんぽはスタート地点に戻っていた。


◇◆◇


 飲食ブースはすでにほぼ満席。その中でやたら盛り上がっている一角があり、よく見ればテンライ目当てで村人たちが老若男女問わずにひっきりなしにやって来る握手会場と化している。スクルはといえば別の集団で漁師の野郎どもと酒盛りをしていた。

 なにが場所取りをしておく、だ。トーマたちのために空けておいた席などない。


「失礼してしまうわ。せっかく食い物調達してきてやったのに」

「だから適当に追っ払われただけだって…」


 途方に暮れるトーマたちだったが、近くの席の家族連れが声を掛けてきた。

 広場の外側の芝生にゴザを敷いて、楽しげな家族団欒のご様子。


「おうお前さん、討伐隊にいたボウズだよな! なんだ、座るとこがないのか?」

「なんだよ馴れ馴れしいな」

「トーマ、この人救助船メンバーだよ。引き上げてもらったじゃん」

「その節はお世話になったな、サンキュー」


 仕方なく棒読みの礼を述べれば、救助船の男性は目を丸くして、隣の恰幅の良い女性がからからと笑った。


「ははは、面白いボウヤだね。場所ないなら座んなよ」

「すわんなよ〜」

「クラーケン退治の話聞かせてくれよ」

「ききたーい!」

「ききたーい!」


 二人の子供の合いの手を挟んだお誘いに、トーマとエスネッサはチラと顔を合わせて頷きあい、その輪にお邪魔した。


「子供ら、これ食っていいぞ」

「いいのー?」

「いいのいいの。ダメな大人に食わせてやることないない」


 誘ってくれた家族に買い集めた屋台飯を勧めると、彼らの方も広げていた食事を分けてくれてなかなか充実した夕飯となった。

 家族にせがまれるままにクラーケン討伐の話をするトーマは結構得意げだ。


「そんで俺が投げた銛が刺さってぇ」

「うそー」

「マルコおじさんでもダメだったのに兄ちゃんの銛なんか刺さるもんかぁ〜」

「刺さるわい! 見てろよ、この串だってあそこの石壁に刺せっから! たぶんな!」

「やめなトーマ、本当にやめな」

「やっぱできないんだ〜」

「テンライ様がやったんでしょどうせ〜」

「さ、刺せるもん! 嘘じゃないやい!」


 子供に絡まれて同レベルで面白おかしい会話を盛り上げてやっているトーマを見るに、元々は面倒見の良いタイプだったのかもしれない。

 普段年上の監視員に囲まれているのでこんな一面は見る機会がなかった。

 先ほどのダメな大人たちの姿を思い返してエスネッサは一人首を傾げた。


「そいやちゃんと下の面倒見るタイプの監視員一人足りなかったな……」



◇◆◇



 そんなオレストは宴会場を歩き回っていた。

 長身にカソック姿の彼は目立つらしく、そこらの酔っ払いが上機嫌に声をかけてきては礼と共に酒を注いでくるものだから、最初からなみなみと酒の入った杯を持って歩くことにした。注がれては唇を濡らすだけで誤魔化して、歩き回ってはヤシムを探している。

 そうして見つけた元ルームメイトは、喧騒から離れた港の岸壁に一人立っていた。


『天と地を作りたもう我らが主よ。湖に沈む者たちに安らかな眠りをお与え下さい』


 手にしていた酒を湖に注ぎ、祈りを終えるとその場に座り込んで残りはラッパ飲みしていた。

 別に聖王道教会では酒を禁じてはいないが、行儀が悪いのはいただけない。しかしヤシムは昔からこんな感じだ。だからオレストも気にせずに隣に腰を下ろした。

 気付かない訳がなかろうに、彼の目線は真っ暗な湖から動かない。


「今回は協力してくれてありがとう。助かったよ」

「礼を言うのは地元のもんのほうだろ」


 声をかければすぐに返事があった。オレストは招かれざる客というわけでもないらしい。


「お前……が、来るんだったら、お前にやらせりゃあ良かった。その方が、死んだ奴らも浮かばれる」

「この地で尽くしてきた君に祈ってもらう方が喜ぶと思うが」

「俺じゃ神に届かねえ」

「死者と生者の心に届く方がいい。神はただおわすものだ」


 しかし、祈りはいくつあっても良い。オレストは手にしていた杯に月を映して彼らの神に祈った。


『幾千の彼方でまた、失われた魂が愛する人々と出会えますよう。どうか見守り下さい』


 その酒を湖に零せばそこから淡い光の波紋が一つ、広い水面にどこまでも広がって静かに消えた。

 生臭坊主の己とはえらい違いだ、とヤシムは眉間に皺を寄せた。

 オレストは今起こした奇跡を意にも解さずに湖面を眺めたまま語る。


「やっとクラーケンが退治されたから、近いうちに犠牲者を弔う灯籠流しをやりたいと村長が言っていたよ。ヤシムが大変なのはまだ続きそうだな」

「俺は形式通りにやるだけだ」


 言外に誰かさんのように奇跡の術を求められたりしない、と詰っていることにオレストは気付いて苦笑した。やはり己は招かれざる客だったかもしれないと。


「お前も討伐隊の船乗ってたのか?」

「怪我人が出るかもしれないからね」


 あっさり答えるオレストに、ヤシムがものすごい渋面をした。


「お前は昔からそうだな。当たり前みたいな顔して行く」


◇◆◇


 ヤシムとオレストは同期だった。子供の頃、たまたま同じ日に同じ修道院に入って、流れでずっと同室だった。

 付き合いが長い分、ヤシムは多少オレストの人となりを知っている。


 どんな過酷な任務与えられてもしれっと受けて、ちょっと疲れた風に帰ってきたと思ったら、一瞬の判断ミスで死んでいたような話を聞く羽目になる。しかもオレスト本人ではなく他人の口から。

 曰く、命の危機に直面しても冷静な判断をくだして、時には任務を放り投げても自分と味方を生かしてくれたとか。守護天使のような人だとか、なんとか。

 他人の分厚いフィルターが鬱陶しいことこの上ない。

 一方で、そうやって誰にでもいい顔してシンパを作って何を企んでいるのやら、とか。ただの命知らずの馬鹿野郎だとか。やたらめったら嫌われて、煙たがられている。


 だから、地獄の坩堝みたいなメンツの特務班に配属されたと聞いた時も驚きもしなかった。

 白羽の矢が刺さった時だって、どうせ顔色ひとつ変えずに承知しましたと答えて、少ない荷物をサッとまとめて出て行ったのだろう。いつものように。


「そうかよ、そりゃあさぞかしご立派なのだろうさ。

自分の命まで他人事みたいに、この世に生きてないみたいに、流されるままフラフラ生きてるだけのくせに。ほんと気色悪りぃ」


 なにが気色悪いって、なぜかみんなしてヤシムに絡んでくるのだ。口を開けばオレストがどうのこうのと、調べもしていないのに勝手に玉石混合な噂を聞かされる。

 オレストを崇拝するシンパたちは嫉妬で、ときには取り入ろうとやたら接触してくるし、オレストを邪険にする上層部は親しくしている同類としてヤシムにも険悪だ。


「勝手に周りが叩いて持ち上げて騒いでると思いやがって、全部お前だ、お前がそんなんだから悪い」


 問題はオレストなのだ。

 スタンスを示さないから周りが増長する。オレスト自身にはなにが降りかかってもスルーだが、ヤシムなど親しい者の火の粉には彼は反応する。

 こんな奴がヤシムを庇おうと間に立てば、シンパの嫉妬は一層燃え上がり、上層部には弱みを見つけたと喜ばせることになる。

 そして巻き込まれて散々迷惑を被ったヤシムは今現在こうして教会本部から遠く離され、田舎の派遣神父としてやっと平穏に暮らしていたのだ。

 清清していた。人間の汚い部分の煮凝りみたいなものを浴びるのはもう懲り懲りだ。

 いまだにヤシムにオレストのことを聞いてくる知り合いも多い。何故か勝手にヤシムの元にオレストの情報が集まってくるので、ある程度知っているのがなお悪い。


 いつになったらこの呪縛から解放されるのかと。元はと言えば、ただ同じ部屋で暮らしていただけなのに。


 ヤシムは募る思いを全部飲み込んでオレストをじっと睨んだ。


「これが俺からお前にやれる最後の手向だ、聞いていけ」

「うん?」


 ヤシムがこんなに剣呑な空気を出しているのに、オレストが向ける目は相変わらず凪いだものだ。この夜の湖面のように。


「お前は最悪な野郎だよ、邪神とまとめて隔離されてやっと平和になるわ」

「手厳しいなあ」

「誰も言わないから俺が言ってやるんだよ! 俺はもう二度とお前に関わらねえからな! 例え死んでも報告はいらねえ!」


 縁切り宣言を受けて少しでも痛めばまだ可愛げがあるものを、オレストの反応ときたら酷かった。


「いや……、私からヤシムに近況報告したことないんだけどな……」

「そういうとこだよテメェ!」

「えぇぇ……」


 こんなに友達甲斐のない輩は人生に一人で十分だとヤシムは思う。

 先日波止場で長身のシルエットを見た時の思いなどこの男は知るまい。せいぜい自分とは関わりのないところで元気にしていろというのだ。



◇◆◇



 翌日には対岸へ渡る船を出してもらって彼らは大勢の村人に見送られて港を発った。


 昨日とは打って変わって、のんびりした船旅だ。外洋と違い、湖は波が弱い。元々この船旅を迷いの森を抜けてからの休憩と見込んでいたのに、更に予定外の大物狩りを挟んでしまった。

 その分まともな宿と食事にありつけたので体力的にはトントンか。トーマなど初めての船旅でずっと船の手すりに張り付いている。


「みんな見ろ! 水ん中建物沈んでるぞ!」

「あー、これが水中遺跡ミスミナかあ。すご〜」

「前見た時より崩れてんな」

「クラーケンのせいかねえ……」

「波でよく見えねえ! 船長にちょっと船止めてもらってくる!」

「おいふざけんなトーマ、クラーケンで三日押してんだぞ!」

「なら今更15分程度どーでもいいじゃん」

「一理ある」


 わやわやしてる仲間をぼんやり眺めていたらオレストの口からぽつりと言葉が漏れ出ていた。


「みんな、仲よくていいな……」


 朝からずっと物思いにふけっていたオレストが、やっと自ら口を開いたかと思ったら変なことを言い出して、みんな鳩が豆鉄砲を食ったような顔して彼を振り返った。

 口火を切ったのはトーマだ。


「あの神父友達と喧嘩でもした?」

「喧嘩とも言えない。ついに見限られてしまった」

「あらら〜。もう会うことも無さそうな相手だし気にしなくていいんじゃ?」

「エスくんはそういう奴だよな」


 この少年たちは誰に対しても大変不遜で失礼なのがデフォだ。良くも悪くも遠慮がない。

 それでいていつも仲良くつるんでいる彼らにオレストは訊いてみた。


「友人と親しく付き合う秘訣はあるのかな」


 二人して顔を見合わせた後、トーマがしたり顔で語る。


「エスくんと付き合う秘訣はねえ、細かいことは気にしない、だね!」

「それトーマと付き合う秘訣でしょぉ」

「ええ〜」


 息の合った少年たちのやりとり。彼らの迷惑を主に被っているスクルは呆れ顔だ。


「ほんと似た者同士だなこいつら……」

「実際この世界で話が合う奴なんて誰もいないんだもん。エスくんぐらい雑な感じが気楽だよね〜」

「わかる〜」


 特異な生き物ゆえの誰とも合わない価値観をそれぞれに有し、深入りしすぎない上辺の関係がいい感じに噛み合っているようだ。他人に興味がないフリーダム同士の奇跡のマッチングである。

 普通の人間には参考にならない。オレストは諦めてもうひと組のフレンズに尋ねた。


「スクルとテンライは?」


 二人とも何故か話を振られると思っていなかったらしく、言葉を詰まらせて瞬いた。

 それでもテンライはオレストのために何か答えてやろうと、腕を組んで首を傾げ、自問自答のようなことを呟き出した。


「なんだろう。秘訣もくそもない……責任感?義務感? で一緒にいるような……スーちゃんは一人でなんでもできるけど、ほっとくと勝手に死ぬ生き物だから……」


 しどろもどろに語るテンライに全員が怪訝そうに顔を歪める。


「テンちゃん、それは介護だよ」

「だって昔っから、このひと危ないことばっかしてる」


 先ほどの思いはスクルが半死人になってからのことではなく、ずっと抱いているもののようだ。

 もう友情というか家族の責務の類いである。他人同士が好意でつるむものとはちょっと違う。

 テンライは手の施しようがないと見えて、トーマはスクルの方に切り替えた。


「スーさんはどう思ってんの?」

「サブ機関だと思ってる」


 困惑から復帰したと思ったらひどかった。スクルの回答はいつもどおり簡潔で明快なのだが、ひどかった。

 思わずトーマがバカみたいにそのまま繰り返したくらいだ。


「テンちゃんは、スーさんの、サブ機関」

「ああ。勝手について来て口うるさいが、使える」


 とんだ暴君がいた。

 さすがにこれにはテンライも物申す。


「おま、俺の厚情は無限じゃないんだからね! あんまり横暴してて尽きても知らんよ!」

「頼んでねえ」

「ほんと最低なんだよ。みんな聞いた?」


 おそらく昔からこんな感じなのだろう。テンライの非難は本気だろうが深刻さはなかった。

 一見スクルの一方的な搾取のように見えるが、テンライが勝手にやっていることとして双方納得している。そしてテンライ自身もスクルに面倒ごとを頼って気楽な人生をしている気がする。

 この関係をエスネッサが嫌な感じに一言でまとめた。


「この幼馴染、自己の境目が曖昧なところあるね」

「そんなんでも生きていけるんだなぁ…」


 二人いるのをいいことに得意分野を分担する生活スタイルが染み付いているのだ。ニコイチが前提であり、友情やら気遣いやら存在していない。


「ううん、参考にならないな……」


 身近なフレンズを見ても全くヒントなどなかった。

 オレストがまともに友達付き合いが出来る日はいつか来るのだろうか。




番外編をこの辺で入れたかっただけで、本編終わったわけじゃないのです。

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