2話 新しい生活が始まる
――翌日。シュラは朝からバタバタしていた。
誰のものか解らない記憶の中から、思いついた調味料を試していたのだ。
作り方は簡単――果物酢と植物油、そして虫の卵を混ぜて撹拌すれば良い。
撹拌にはハンドミキサーを使う。発電機があるなら当然、モーターもある。作動原理は一緒。
モーターの端子に電球をつけて軸を回転させれば、明るく点灯する――つまり発電できたってことになる。
調味料の試作品――味を調整して色々と作っては味見を繰り返す。
彼は料理が得意だ。父親が遠出の仕事で帰ってこない時は、自分で料理を作っていた。
無論、基礎は彼の父親から教わったものである。
(それぞれに個性があってもどれも美味いけど、名前はなんにしよう……)
シュラが悩んでいると、ある単語が浮かんできた――『マヨネーズ』
「マヨネーズか! よし! こいつはマヨネーズに決定だ!」
早速、作りたてのマヨネーズを使って、彼は料理を色々と作り始めた。
(どれを食べても、美味い美味すぎる! そして何にでも合う!)
彼が成功に喜んでいると、玄関のドアを開けて、キラが入ってきた。
「おはよー! 何をしているんだ?」
「昨日言ってた調味料の試作品だよ。食べてみるか?」
「おおっ! 早速やっているのか? 試食させてくれ!」
キラが手にとったのは、サンドイッチ。薄く切ったパンに野菜と焼いた虫の肉、そしてマヨネーズが入っている。
虫の肉は、蟹に良く似ている。蟹にマヨネーズが合うのは当然なので、虫の肉にマヨネーズが合うのは自明の理といえる。
「こりゃ、うめぇぇ!」
一口たべたキラが目を見開いた。
「美味いだろ? この調味料は、ここにある物で簡単に作れるんだ」
「本当か?」
「ああ」
シェラは、キラの父親が営んでいるリンガーロール商会との契約を望んでいることを伝えた。
「ウチの親父と?! 本気か?!」
「もちろん――この調味料はこの街だけじゃなく、帝都まで広まるような調味料だと思うよ?」
「う~ん……」
キラは悩んでいる様子。
(こいつはすげぇ! 俺の商人アンテナにビビビっときた。シュラが言っているように、帝都まで広がる調味料に違いねぇ……う~ん。よし! 男は度胸! ウチのクソオヤジに一泡吹かせるためには、ここはやるっきゃないか!)
「シュラ! こいつの権利を俺に売ってくれ!」
「本気か?」
「本気も本気! 俺はなぁ――自分の商会を作るつもりなんだ。そのために、こいつは絶対に役に立つ!」
「俺はてっきりリンガーロール商会を継ぐものだと……」
「誰があんなクソオヤジの商会を継ぐかよ! あれよりデカい商会を作って、上から目線で笑い飛ばしてやる」
(キラの親父さんが厳しいのは知っていたけど――彼が、そんなことを考えていたなんて)
「俺は、それなりの金額を言うつもりだぞ?」
「ああ、この調味料もそうだが――このパンも絶対に売れる。飛びながら食えるし、マニューバ乗り――ナイツにピッタリじゃねぇか」
「ナイツだけじゃないぞ、机仕事しながらでも食えるし、大工仕事しながらでも食える。材料を工夫すれば、種類も増やせる」
「だからさ! こいつは絶対に売れる!」
シュラは、話を聞いてキラと契約を結ぶことにした。
「契約金は金貨5枚(100万円)、さらに年間の売上の1%を払うこと。期間は――そうだな10年かな……」
「金貨5枚か……いや、これで帝都まで進出できりゃ、はした金だ」
「金貨5枚の契約金は大金だ。別に即金じゃなくてもいいぞ。売れてから払ってくれても」
15歳の少年たちには100万円は大金だろう。だが、この土地で15歳になれば、普通に働いて年間4桁万円稼ぐ奴らもいる。
結婚して子供がいる奴だっているのだ。
(俺だって負けていられねぇ。そのために、貯金だってしてきたんだ)
どうやら、キラには焦りがあるようである。
――シュラとキラが自分たちの未来について、語りあっている頃。
マキが、バスケットを抱えてシェラの家に向かっていた。バスケットの中身は、自慢の手料理である。
(昨日は調子悪そうだったけど、私の料理を食べてくれたし。今日も沢山作って来たけど、食べてくれるかな?)
彼女は、いつもの明るい笑顔で、シュラの家の玄関を開けた。
「おっはよー! シュラ、今日も沢山作ってきてあげたよ!」
「ああマキ、おはよう……作ったって何を作ったの?」
「もう、料理に決まっているじゃない!」
「ごめん――俺は料理の試作をしてて、色々食べてしまったから……」
「え~? なになに? 何を作ったの?」
マキは、シュラの作ったものに興味津々である。サンドイッチが載った皿に、目が釘つけになっている。
「良かったら、マキも食べて、意見を聞かせて欲しいんだけど」
「食べる食べる~! いただきま~す」
彼女は、サンドイッチを大きく頬張った。
「すご~い! 美味しい! 凄い美味しいよ、これ!」
「美味いだろ!? コレをシュラから買って、俺の店で売り出すんだ」
「キラの店?」
「そうだよ、キラが親父さんのリンガーロール商会から独立すんだって」
「へぇ~」
サンドイッチを頬張っているマキは、あまり興味なさそうである。
「これを使って店を大きくして、親父さんを超えるんだって張り切っているんだよ」
「おうよ! だからさ、マキ! 俺に唾をつけておくなら今のうちだぜ?」
「え~? やだよ。私にはシュラがいるし」
そう言って彼女は、椅子に座っているシュラに抱きついて頬を寄せた。
彼なりのプロポーズのはずだったのであろうが……。
マキのそっけない言葉を聞いたキラは、奈落の底へ落ちたような顔のまま固まって、ボロボロを崩れ落ちそうである。
(うわぁ……見事に瞬殺されたなぁ。マキは結構ハッキリした性格だから……凄く親切で優しくもあるけど、辛辣でもあるんだよね)
「ち、ちくしょー! 絶対に店をデカくしてやるからな! シュラ! 待ってろ! 契約書の紙を持ってくる!」
彼なりに――店を大きくして金持ちになれば、マキがなびいてくれるのではないか? ――という打算なのだ。
「ちょっとマキ、キラが可哀想じゃない?」
「そんなことないでしょ。私にはシュラがいるってのは間違いないんだし……」
「そもそも、なんで俺に拘るのか解らないんだけど……?」
「ひっどーい! あの日のことを忘れちゃったの?!」
あの日というのは――森でマキが、シュラに助けられた日のこと。巨大な管虫に襲われていたところをシュラが助けたのだ。
「俺が、大きな管虫からマキを助けたことかい? そりゃ、女の子が虫に襲われていたら、助けるに決まってるから……」
「それじゃ、私でなくても助けたってこと?」
「そりゃそうだよ」
「ひっどーい!」
マキは手をパタパタさせて、シュラの肩を叩いている。
「酷くはないと思うんだけど……」
「もう! 私は……あの時から、シュラのものになるって……決めてたんだから……」
(困った、彼女を説得しなくちゃ)
「マキ……俺は無職なんだよ。これからどうなるか解らない。でも、ナイツになる夢は捨てていないんだ」
「わかってるよ、そんなことぉ」
「だったら……」
「それじゃ! 私が働いて、シュラを食べさせてあげる! キラが店をやるんでしょ? そこで働かせてもらうよ!」
「それは、ちょっと困るんだけど……」
「なんでぇ?!」
(なんでって――それじゃヒモじゃないか)
キラが契約書を取りに実家に戻った後――シュラはマキに迫られて、食卓の近くにあったベッドに追い詰められている。
このベッドは元々、父親が使っていたものだが、今は彼が使って寝ている。
熱で寝込んだ時もこのベッドで寝ていた。
「ねぇ、シュラは私のこと嫌い?」
「そりゃ、好きだけどさ……俺の話を聞いてた? 無職なんだよ?」
「だからぁ……そんなことはいいの」
マキがシュラに抱きつくと、柔らかい唇を彼の口に押しつけた。
「ん~っ! これで、私とシュラは恋人同士だね」
「そ、そういうことになるの?」
「もう! そうに決まってるでしょ!?」
マキが再度彼に抱きつくと、胸の辺りをクンカクンカしている。
「ちょっとマキ、くすぐったいから」
「シュラ……シュラの匂いを嗅いでると、おへその下辺りがジンジンしてきちゃった……」
彼女は固く抱きついて、彼から離れない。
「ちょっとちょっとマキ、まずいって」
2人がベッドの上でバタバタしていると、玄関の扉が開いた。
くんずほぐれつ状態になっているシュラとマキをみて、キラが大声を上げた。
「ちょっとまてぇ! お前等! 真っ昼間から何をやってんだよ!」
「なんだっていいじゃない。ねぇ~シュラ?」
マキは、ベッドの縁に座ったシュラの後ろに隠れた。
「オラ! シュラ、契約書だ! 親父から正式なやつをもらってきた。親父にも、俺が独立するって宣言してきたからな!」
キラは持ってきた紙をベッドの前のテーブルに叩きつけた。
「本当に言ったのか?」
「当たり前だ! 俺は本気だぞ! 親父には鼻で笑われたけどな――絶対に、鼻を明かしてやる!」
シュラは彼が持ってきた契約書に目を通している。彼と交わした約束の通りの契約になっているようだ。
「キラが商会を作るって本気なの?」
「本気も本気」
「それじゃ、そこで私も働いていい?」
意外な彼女の申し出に、彼も驚いたようである。
「ああ! 人手は必要だからな」
「それじゃ、やるー!」
「シュラも一緒にやるか?」
「俺に客商売は無理だよ。キラみたいに、洒落たことも言えないし」
「ホント、口だけは上手いよね」
「だけってなんだよ! 限りなき誠意の人を捕まえてよぉ!」
「シュラは1人のほうが好きだよね~」
マキは、シュラのことをよく知っているのだ。いつも1人の彼は、単独でコツコツやるタイプの人間――だが、それはナイツになるための素質ともいえる。
高く寒い空を延々と1人で飛ぶマニューバ乗り――ナイツは孤独に耐性がなければやっていられない。
シュラは契約書を読んでサインをした。
「よっしゃ! これで契約は成立だな」
「うん、それじゃマヨネーズのレシピを教えるよ」
「マヨネーズ?」
聞きなれない単語を聞いたマキが、不思議そうな顔をした。
「そう、マヨネーズって言うんだよ」
そして、彼がマヨネーズの作り方のデモンストレーションを行う。
「こ、これでできちゃうのか? こんな美味いものが?」
「すごーい!」
「うん」
マヨネーズ談義に花が咲くシュラとキラの前に、マキが持ってきた料理を差し出した。
「私も作ってきたんだから、食べてね」
彼女が作ってきたのは鍋に入ったスープと広口の瓶に詰まった漬物らしい。しかし、やたらと色がカラフルだ。
どうやら果実入りのポタージュの評判が良かったので、スープや漬物も作ってみたようだ。
「果実も漬物にしたのかい?」
「うん、綺麗でしょ?」
(料理に綺麗という単語は必要なのかなぁ……)
シュラが瓶から漬物を摘むと、口に放り込んだ。
「酸っぱい……」
何故か『梅干し』というワードが浮かぶ。
(梅干しってなんだっけ? だが、記憶の奥底にある梅干しなるものは、こんな歯ごたえはなかったような気がする)
彼は、自分の記憶と、謎の記憶に整合性に苦しんでいるようであるが――何かを思いついて、漬物を包丁で切り始めた。
「包丁で切ってどうするの?」
「パンに挟むんだよ」
彼が作ったサンドイッチに、漬物が追加された。
「ええ~? パンに漬物かよ」
「俺は美味いと思うよ」
そういって、シュラは一口サンドイッチを食べてみた。
「うん、美味しい」
「それじゃ、私も食べてみる!」
そう言って食べたマキも美味しいと言っているので、キラも食べてみることにした。
「うめぇぇ! 味に凄い変化がついたな」
「彩りもよくなれば、女の人にも受けそうだよ」
「でしょでしょ! 綺麗っていうのは、女には大事なことなんだよ」
「さて――こいつをどうやって売るかだな……」
キラは、腕を組んで目をつぶり、顎を上げて唸っている。
「小さいものを作って、最初はタダで配ればいい」
「タダで?」
「ああ、見たことない料理だから、敬遠されるかもしれないけど、タダで一口でも食べてもらえれば、美味しいって解ってもらえるだろ?」
「ははぁ――親父が言う、『損して得取れ』だな。親父の言うとおりにするのは癪だが――商売の秘訣には変わらねぇ。よっしゃ! それでいくか!」
「それじゃ、私は漬物を作るよ!」
張り切っている彼女ではあるが、ブレーキを掛けないと少々まずいかもしれない。
「マキ、作ってもいいけど、種類を選定したほうがいいと思うよ」
「そうだな――合う合わないもあるだろうし」
「ぷぅ――色んな色が沢山入ってたほうが可愛いのに」
(食べものに可愛いって単語は必要なのかなぁ……)
ケーキなどのお菓子は、見た目も大事なので、マキのいうこともあながち間違いでもない。
彼女の言うことも一理あるとはいえ、これを食べるのは、主に働いているオッサン達なのだ。
張り切っている彼女の前でそんなことを言えるはずもなく、「売上を見ながら調整をしよう」ってことになった。
「よっしゃ! やるぜぇぇぇ! 俺達の戦いは始まったばかりだ!」
「ちょっとキラ、そのフレーズは止めようよ。あまり縁起がよくないと思う……」
そうだ――シュラの謎の記憶がそう囁くのだ。
「ねぇねぇ! この料理の名前はどうするの?」
「そうだな、名前を忘れていた。 それじゃ発案者のシュラ――どうぞ」
「これはサンドイッチに決まっているんだよ」
「「サンドイッチ?」」
キラとマキが、不思議な単語に顔を見合わせている。
「どんな意味なの?」
「解らないけど、俺の中ではこの名前に決まっていたんだ」
「え~?」
マキが怪訝が顔をしているが、謎の記憶の中にある単語なのだ。
どんな意味なのか、シュラにもよく解らないが――これはサンドイッチなのだ。
「いいじゃん! それじゃサンドイッチな! それと、あの調味料はマヨネーズ! 決まり!」
「お~!」
キラが宣言して、マキが気勢を上げる。二人はシュラの説明に納得したようだ。
「よ~し! 売って売って売りまくるぜ!」
キラが気合を入れまくっている。
父親を亡くし、先行き不透明なシュラだったが、新しい生活がスタートした。