08.闇夜に少女は異形と踊る
『……本当にどうしようもないわね』
深層にて。
女は嘆く。
愚かな二人の持ち主のことを。
けれども二人に直接言葉を伝えるつもりは一切無い。
あくまでも助言を与えるのみ。真実に辿り着くには、自分自身でなければ意味が無いから。
『――――』
黙して語らず。
それが女の役目。彼女はただ導き手であればいい。
――――そう思えれば、どれだけ幸せだっただろう。
どれだけ苦しまずに済んだだろう。
どうしてと、女は問いを投げ掛ける。
決して答えの返ってこない問いを。
けれども女は問い続ける。
何年も。何百年も繰り返し、問う。
どうして私に心を持たせたのか。
どうして私に意思を与えたのか。
『――――――――』
問いは切実。
されども答えは返らず。
繰り返される悲劇だけが女の心を摩耗させる。
今回も同じだ。
未来は変わらない。
変えられない。
故に女は心を殺す。
ナイフを突き立て、バラバラに引き裂き。
――――涙を流すのだ。
※※※※※※※※※
見詰めて。
見詰めて、見詰めて、見詰めて見詰めて見詰めて見詰めて見詰めて見詰めて見詰めて見詰めて見詰めて見詰めて見詰めて見詰めて見詰めて見詰めて見詰めて見詰めて――――
それでも、止められぬ自分に嫌悪を抱く。
幸福だけの日々は遥かな過去に。
現在は少しの幸せが共に。
そして未来は悲しみが訪れる。
愛していました。いいえ、愛しています。
この思いは永劫に普遍だと、胸を張って言えるだろう。
例え肉体を奪われ、人としての尊厳を奪われ、都合の良い道具としか思われていないとしても。
それでも、彼女を、愛しています。
人はそれを狂気と呼ぶのでしょう。
けれども一体誰が、この思いを否定出来るのだろう。
これもまた、一つの愛の形。
歪だとしても。
醜くとも。
繋いだ思いは、確かにここに。
それを私は――――愛と呼びましょう。
※※※※※※※※※
深夜二時。草木も眠る丑三つ時に瑞希は家を出た。
とはいえ少女が何時に家を出ようと、それを咎める者は誰も居ない。文字通り居ないのだ。本来家族四人ほどで過ごすであろう広々とした家は、今では少女以外の主を持たない。だから瑞希が夜遅くに家を出ようとも、何も言葉は無い。
「行ってきます」
けれどもこの言葉だけは、忘れず口にする。
返事が無くとも。虚空に言葉が反響しようとも。暗闇だけが広がっていようとも。
ここが瑞希の帰る家だから。
少女は今も尚、行ってきますと口にするのだ。
玄関を出て外に。深夜二時、時期的に春を迎えているが、未だに夜はかなり冷え込む。瑞希は寒そうに身を縮め、白い息を吐く。吐息は夜闇に溶け、幻のように消滅する。
空を見上げれば満点の星空。
地平線の近くに座す月は玲瓏な輝きを放ち、夜の世界に君臨していた。周りに侍らせた星の輝きなど、月と比べれば宝石と路肩の石。所詮、星は月の引き立て役でしかないのだと雄弁に物語っている。
数秒だけ月に目を奪われ、瑞希は茫然と立ち尽くす。
だが直ぐに正面に向き直り、ゆっくりと歩き始めた。手はコートのポケットに入れ、少しでも温もりを求めて奥へ奥へと突っ込む。微かな温もりが、少女に与えられた全てだった。
「…………」
夜の闇は深い。
科学が進歩し、人工的な光が街を支配したとしても、闇は常に存在している。人の隣に。或いは後ろに。或いは前、或いは上、或いは或いは或いは――――如何に光をもたらそうと、闇は決して消滅しない。
光と闇は常にセットなのだ。
光があれば闇があり、闇があれば光がある。
まるでコインの裏表。常に同時に存在する二つの領域は、しかし明らかな偏りが存在する。
今、この場所に限って言えばそれは闇だった。
夜の支配者である月の明かりも、深淵には及ばない。
先の見えない暗闇は、まるで瑞希の未来を暗示しているかのようだった。
「――――」
歩みを止め、瑞希は闇を見詰める。
ここから先は漆黒。光が存在しない真の闇。
一歩でも進めば、帰ってこられるか分からない。
だとしても、躊躇する理由は無かった。
カッと、靴音が響く。
そして世界は、闇に落ちる。
「――――」
「――――」
闇の向こう。
光の届かぬ黒色の先に。
蠢く影二つ。
少女は歩みを再開する。
影に向かって。
足音だけが響き渡る。
それ以外、音は無い。
否――――音は確かに存在した。
肉を貪り食らう異形の叫び声が。
だがそれは、人には届かぬ声音。
あくまでも同胞にしか通じぬ声。
故に気が付いたとき、少女は包囲されていた。
飢えた異形の濁った瞳が、夜空に輝く星のように闇に散らばる。殺意と飢餓に満ちた幾つもの視線が、瑞希の全身を射抜いた。
「随分と呼んだね。これだけ居るとちょっと骨が折れるかも」
渇いた笑顔と共に、少女の手に長弓が出現する。
『蒼き空を穿つ』。少女の有する『奇跡』。そして少女の人生を歪めた全ての原因。
「さあて――――掃除、しようか」
あらん限りの憎悪を込めて、少女は矢を放った。
闇を薙ぐ清浄なる蒼の光。一体いつ矢を番え、構え、放ったのか。異形には分からなかった。ただ気が付けば矢が頭部を吹き飛ばし、その命を終えていた。
「まずは一匹」
続くニ射目。放たれた矢は三本。暗闇の中だとしても、瑞希が狙いを外すことは絶対に無い。正確無比な一撃に射抜かれ、為す術無く三体の異形が死を迎える。
「どんどん行くよ。『蒼き空を穿つ』――――【割れた空】」
三射目は、異形ではなく空へと放たれた。
それは天の力を希う祈りの一矢。澄み切った夜空に吸い込まれた矢は、確かに少女の祈りを具現化する。
まるで空が割れたかのように、上空を無数の線が走った。縦横無尽に空を翔ける線の正体は分裂した最初の一矢だ。幾百幾千と数を増した矢は、さながら流星群のように地上へ向けて降り注ぐ。
「――――!」
身構える。回避する。そのどれもが瑞希の矢からすれば遅すぎる。如何に人智を越えた異形であろうと、対応出来る限界を超えた攻撃を防げる道理は無い。
周囲を覆い尽くしていた異形達が矢に射抜かれ、その数を見る見るうちに減らしていく。瑞希は歓喜の笑みを浮かべ、高揚感に身を震わせた。
「――――――――!」
「――――!」
同胞を殺された恨みからか。それとも単純に現状への怒りからか。残った異形の群れの咆哮が闇の中に轟く。
その咆哮を以て瑞希の独壇場は終わりを告げた。異形も愚かではない。瑞希の速射も既に見切られている。度重なる仲間の死が、異形達に対処法を示していた。
「ここから先は辛いなぁ」
異形の数に限りは無い。
押し寄せる波のように視界を埋め尽くしている。
「でも逃げる理由にはならないよね」
状況は明らかに不利と言えた。
このまま戦いを続けたとしても勝てる確率は決して高くない。彼我の物量差はそれだけ圧倒的だった。
……だとしても。
「その時はその時かな」
死んだとしたらそれまでのこと。
今更後悔も無ければ怒りも無かった。
「行くよ『蒼き空を穿つ』」
少女は一切の躊躇なく死地へと飛び込む。
何度目か分からぬ少女と異形との邂逅。
辿り着くのは果たして生か死か。
知っているのは、彼女だけだった。




