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不死の少女は旅をする  作者: マリィ
2章 純白の魂
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30.亡骸に彼は誓う









 誰一人として遊ぶ者の居ない閑散とした公園。

 そこに設置されたベンチに秋とベアトリーチェは座っていた。


 彼がベアトリーチェから聞いていたのはドストエフスキー達との戦いの顛末だ。キースと蓮華。ドストエフスキーとベアトリーチェ。そして『騎士団』。彼等の戦いの中で何があったのか。


 全てを聞き終えた秋は、無言で空を仰ぐ。吸い込まれそうなくらい澄んだ青空と眩い太陽に目を細め、ぽつりと、呟いた。


「……何も出来なかったな」


 その言葉に込められた後悔の念はどれほどのものか。

 秋は今にも泣き出しそうな笑みを浮かべる。


「ごめんなリーチェ。役に立てなくて」

「っ! そんなことは……!」


 そんなことないと、秋に言って何になる。

 事実は残酷だ。秋が目覚めたのは全てが終わり、解決した後。どれだけ言葉を尽くそうと、彼が役立たずだった事実は変わらない。慰めの言葉など秋を傷付けるだけだ。


「本当に……弱いな俺は。だから蓮華も……」


 秋は顔を伏せ、強く拳を握り締める。爪が皮膚を突き破り、血が流れても握り締めることを止めはしない。まるでそれが、己への罰だとでも言うかのように。


「…………秋。確かに貴方は今回の戦いではその……活躍出来なかったかもしれない。でもそれは……」

「ありがとなリーチェ。慰めてくれてるんだろ。でも大丈夫だ。次はない(・・・・)

「え……?」

「強くなってみせる。俺は誰よりも。今度こそ。今度こそは……」


 虚ろな瞳で秋は繰り返す。

 そこに込められた壮絶なまでの後悔と覚悟。到底一人の人間が抱くには重すぎる感情だ。最早狂気と形容することも出来るだろう。


 何が彼をここまで追い詰めたのか。

 ベアトリーチェは過去に思いを馳せる。


 全てが終わり、秋が目覚め、そして彼女と再会した日まで。









※※※※※※※※※









 何も無い部屋だった。

 正確に言えばベッドが一つ置かれている。

 それ以外、この部屋には何もない。

 家具も、何もかも。


「…………」


 秋は呆然と、ベッドに横たわる少女を見詰める。

 艷やかな黒髪と整った白磁の美貌を備えた彼女。

 氷室蓮華。月宮秋の友人であり、『奇跡』を知る仲間。そして秋が守りたいと思った少女の一人。


 彼女は眠っていた。

 規則正しく呼吸を繰り返し、穏やかに。

 もう一週間以上、彼女は目覚めていない。


「……治療は完璧だったわ」


 いつの間にか、秋の後ろにベアトリーチェは居た。蓮華とは対照的な白髪の少女は悲痛な面持ちで言葉を続ける。


「でも彼女の状態が悪かった。彼女はまさに死の直前で自分を凍り付かせていた。いいえ、むしろ半分(・・)死んでいた(・・・・・)かもしれない(・・・・・・)。だから蓮華は……」

「目を……覚まさない」

「…………ええ」


 氷室蓮華とキース・ブライトの戦いは熾烈を極めた。

 特に蓮華はキースの『奇跡』――――『破壊の暴君(タイラント)』の一撃を受けるだけでなく、自分の命を代償に『奇跡』を行使した。何度も何度も、限界を越えて。


 結果、彼女は死んだ(・・・)

 しかし死に抗う本能か、それとも単なる偶然か、氷室蓮華は死にゆく最中、己を凍らせた。まるで秋を助けた時のように、自分を氷の中へと封じたのだ。


 その後、秋と同じく『千の魔術を統べる者(へカーティア)』で治療を受けた。万能の『奇跡』である『千の魔術を統べる者(へカーティア)』、そしてベアトリーチェの技術によって命だけは繋ぐことが出来た。


 しかし蓮華は目を覚まさない。確かに命は助かり、傷も完治したが、死に限りなく近付いた肉体は未だに生死の境を彷徨っている。


 生きてはいる。だが、いつ死んでもおかしくない。それが今の蓮華の状態だった。


「蓮華は……ずっとこのままなのか……?」

「いいえ、と言いたいけど……ごめんなさい。分からない、というのが本当の所ね。回復に特化した『奇跡』なら何か分かったかもしれないけれど……」

「そう、か……」

「……目を覚ますことも期待はしない方がいいわ。彼女は私が治療する前から殆ど死人も同然だった。それを『咎人眠る永遠の氷棺(コキュートス)』と『千の魔術を統べる者(へカーティア)』の力で何とか生き延びさせた。だから命は戻っても意識は……」

「…………そうか」


 そっと、秋は蓮華の手を握る。

 少女の手は冷たく、とても小さい。

 かつて握った時に感じた温もりは、もう感じない。


「…………ッ」


 自然と涙が溢れ出す。

 後悔か、それとも悲哀か。


 蓮華を守ると秋は誓った。

 彼女を背負うと心に決めた。


 だが、これが現実だ。秋は無様に敗北し、蓮華を救えなかった。蓮華が傷付き戦う中、一人で眠りこけていた。


 弱い。誰よりも、秋は弱い。

 そして今ほど、自分の弱さを呪ったことはない。

 秋が強ければ、こんなことにはならなかった。蓮華が傷付く必要もなかった。


 全て秋の所為だ。

 全て秋の弱さが招いた悲劇。


「…………約束するよ」


 強く蓮華の手を握り締める。

 既に彼の瞳に涙は無い。

 泣く資格など、秋には無かった。


「俺は強くなる。今度こそ……今度こそは……」


 此処に誓う。

 月宮秋は、強くなると。

 ありとあらゆる脅威から、愛する仲間を守れるように。


 それが例え、叶わぬ夢だとしても。


 それが例え、代償を伴う願いだとしても。


「強くなってみせる……ッ!」


 彼の旅は続く。

 苦痛と絶望の旅路は、未だ終わりに至らず。









※※※※※※※※※










 風が白髪を揺らす。澄んだ青空には雲一つなく、燦々と輝く太陽だけが空に浮かんでいた。春が終わり、次第に夏へと移り変わっていくのが分かる。


「……いい天気ね」


 蒼穹を見詰め、ベアトリーチェはぽつりと独り言を呟く。目の前の光景を見て、自然と心から溢れた言葉だった。


「はぁ…………」


 しかし心穏やかにという訳にはいかない。

 秋や蓮華のこともそうだが、何より『騎士団』の残した言葉が問題だった。


「『桜花同盟』…………ね」


 今から十分ほど前のこと。

 秋に全てを伝え、その後彼と別れたベアトリーチェは『騎士団』の下へ赴いていた。


 ネロとフランチェスカも先の戦いで重傷を負った。ベアトリーチェの助けもあり、何とか傷は癒えたが本来ならまだ安静にしていなければならない状態だ。

 しかし彼等は『騎士団』。常に戦場に身を置く者達。長々と同じ場所に留まる訳にはいかない。それにネロ達には追わねばならない者達が居た。


 ドストエフスキーもキースも、所詮はその副産物。()()に繋がる手掛かりでしかない。


 その彼等の名こそ――――


「『桜花同盟』…………」


 ネロに告げられた名をベアトリーチェは繰り返す。それは長い時を生きてきたベアトリーチェでも知らぬ名だった。


「流石のお前でも知らないか。ま、当然だろうな。『騎士団』ですらここ最近まで認知していなかった組織だ。名前が判明したのもつい最近だからな」

「『騎士団』ですら認知していなかった……いったい何者なの?」


 『騎士団』は三大組織の中では最も規模が小さい。しかし彼等には他にはないアドバンテージがある。

 全てを予言する全知の能力者――――『賢者』だ。『賢者』の予言と諜報に長けた騎士達。彼等の力が有るからこそ『騎士団』は最小の規模でありながら最高の情報網を持つ。その『騎士団』が、認知出来ていなかった。


 それはつまり、『桜花同盟』は『騎士団』の情報網に引っ掛からないだけの能力があるということ。少なくとも単なる奇跡所有者の集まりには出来ない所業だ。


「何者か…………それが分かったら苦労しない。『桜花同盟』に関して分かっているのは名前だけだ。それ以外、一切の情報が無い。今回の一件も『賢者』の予言がなければ『桜花同盟』と関係しているなんて思わなかっただろうさ」


 目的も規模も首魁も、全てが謎。

 判明しているのは『桜花同盟』という名。そして多くの奇跡所有者を使って様々な事件を起こしているということ。


「気を付けろベアトリーチェ。今回の一件、狙いはお前だった。それにドストエフスキーだけじゃない。アリオス(・・・・)。奴の狙いもお前だった。これは偶然か? それとも……」


 そこから先の言葉をネロは口にしなかった。

 彼としても確信を得ている訳ではなく、あくまでも予想に過ぎない。ここで悪戯に煽り立てるのは得策ではないと判断したのだろう。


「……そうね。気を付けるわ」


 ベアトリーチェも言葉少なく返す。

 だが内心では確信していた。

 『桜花同盟』。彼等の狙いは、自分に有ると。


 『千の魔術を統べる者(へカーティア)』か。それとも不死性か。それとも――――


 ――――いいえ。今は考えても詮無きことね。それに『桜花同盟』の目的が私ならいずれ分かること。あれこれと考えて変な思考になる方が問題だわ。


 確かに『桜花同盟』の目的は気になる。

 だがベアトリーチェには他にも気にせねばならないことが山ほどあるのだ。月宮秋のこと、氷室蓮華のこと、へカーティアのこと。それに比べれば現状謎ばかりの『桜花同盟』など後回しだ。


「……ま、お前なら大丈夫だろう。不老不死のお前ならな。さてと。俺が渡せる情報はここまでだ。後は…………いずれ分かるだろうさ」


 そう言い残し、ネロは姿を消した。

 ベアトリーチェは残されたフランチェスカに視線を向ける。


「行かなくていいの?」

「行くわ。でもその前に貴女に伝えておきたいことがあったから」

「……? 何かしら?」

「蓮華を頼むわ。彼女は……色々と危うい」


 蓮華とフランチェスカの間に何があったのか、ベアトリーチェは知らない。だから何故、彼女が蓮華の身を案じるのか分かる筈もない。


 けれどもフランチェスカが蓮華に向ける情は、本物だと思った。嘘偽りの無い彼女の本心だと。


「ええ分かってる。彼女のことは任せてちょうだい」


 フランチェスカはベアトリーチェの言葉を聞き、表情を緩めた。それだけが心残りだったのだろう。ネロの後を追い、フランチェスカも姿を消す。


 そしてベアトリーチェだけが、残された。


 何をするでもなく空を仰ぐ。

 柔らかい風が頬を撫で、長く伸ばされた白髪を弄ぶ。眩い陽光に目を細めた。


 そうして時は流れ、今に至る。


 色々と考えた。

 秋のこと。蓮華のこと。へカーティアのこと。『桜花同盟』のこと。どれだけ考えたところで答えなど出る筈がないのに、考え続ける。


「…………」


 そうして時は流れ――――いつしか少女は眠りについていた。


 満天の星空に見守られ、少女は眠る。


「…………ッ!」


 されども少女に安眠は訪れず。

 彼女は夢を見る。悪夢と言うのには余りに悲しく、優しい夢を。


「ぁ…………」


 涙が頬を伝う。拭う者の居ない涙が。


 ――――それは誰も、何も救えなかった過去。

 今でも少女を苛む呪い。


 されども少女にとっては幸福の記憶であり、愛の物語でもあった。


 少女は呟く。


「――――」


 愛しき者の名を。

 最早、この世に居ない者の名を。


 涙は、止まらない。

 いつか、誰かが、彼女の手を取るその時まで。









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