29.罪人は荊の道を進み行く
ベアトリーチェは術式を構築しつつ、敵の姿を観察する。
つい最近もアリオスという怪物とベアトリーチェは戦った。暴力と怨念の極致とも言えた魔獣に比べれば、圧倒的に目の前の怪物は劣っている。
しかし怪物の恐ろしさは単純な力や得意な能力ではない。彼等は単純にしぶとい。どれだけ傷を負わせようと、肉体を消し飛ばそうと、一心不乱に襲い掛かるしぶとさこそ怪物の真価。
だが、死なぬ訳ではない。それこそベアトリーチェの様な不死でもなければ如何に怪物とて最終的には死ぬ。死ぬまでが長いだけのこと。
それに今回は既に終わりは見えている。ドストエフスキーの命は、力の代償として風前の灯火だ。間違いなく長くは保たない。
されども手加減するつもりはベアトリーチェには一切無い。ドストエフスキーの全力に、全力を以て応える。それこそ彼が求めているものであり、何より手加減出来るほど今のドストエフスキーは弱くない。
「『荊の庭園』!」
荊の塊が、ドストエフスキー自身が突撃する。
前とは違い、荊の一本一本は細く脆い。恐らく簡単な魔術でも破壊出来る。だがそこにドストエフスキーという贄が、狂気を注ぎ込む。
「『荊の庭園』! 『荊の庭園』! 『荊の庭園』! 『荊の庭園』!」
叫ぶ度に魂が喰われ、肉が喰われる。ドストエフスキーという存在が喰われる。自分が無くなる苦痛はとても常人には耐えられないだろう。幾度も罪を喰らい、同じ痛みを受けてきたドストエフスキーだからこそ、自分が喰われる痛みすら享受出来る。
「――――【荊の雨】!」
大きくドストエフスキーは跳躍した。文字通り我が身を削り、空から荊を落とす。地に這うベアトリーチェを穿ち、滅ぼさんと。
「『牢獄』!」
即座に術式を構築。間を置かず魔力が弾け、強固な結界が創造される。
だがベアトリーチェの予想に反し、【荊の雨】に破壊力は皆無だった。落ちた荊は何も傷付けることなく大地に広がり、『牢獄』の周囲を囲っていく。
「【荊の宮】」
そして、彼の世界が完成する。
荊に囲われた真の牢獄。罪と罰だけが存在する空間。
「――――ッ! 『海原』!」
危険を感じ、灼熱の波で焼き払おうとする。赤く滾った炎が荊の世界を染め上げ、高温が空間を満たす。
だが燃えない。炎程度では、ドストエフスキーの世界は焼き払えない。
「なら『神槍』で……!」
『千の魔術を統べる者』の魔術の中でも最高の攻撃力を持つ『神槍』で、ベアトリーチェは世界を壊そうとする。
幾重にも術式を構築し、幾度も重ね合わせ、しかしドストエフスキーが魔術の完成を待つ筈もない。
「私の命は尽きかけている! 故に短期決戦でいかせてもらう!」
ここは彼の世界であり、荊の世界。
庭園などという矮小な枠組みは既に崩壊している。
ここでは彼の願いこそが真実。そして法。
「荊よ!」
ありとあらゆる空間から、荊が突き出した。
空を砕き、大地を砕き、荊を砕き、無限に等しい荊が圧倒的質量でベアトリーチェへ襲い来る。
(この力……半分『天昇』に至っている! 全力で対抗しないと負ける……!)
『奇跡』の極致、『天昇』。
ドストエフスキーはそこに至りかけていた。
『荊の庭園』の残滓という本体に遠く及ばない力のみで、彼は天へと昇ろうとしている。
「ならこっちも――――全力よ! 『神槍』!」
数万以上の術式を組み合わせ、最高の魔術が発動する。
それは神の裁き。如何なる防御も無効化し、敵の確実に穿つ一撃必殺の槍。
膨大な魔力が術式を中心に渦を巻く。
尋常ならざる力が周囲の空間すら歪ませ――――神の槍は放たれた。
無限の荊と神の槍が衝突する。
衝撃波が辺りの風景を消し飛ばし、飛び散る荊が醜く地面を彩る。
全てを破壊する槍は、容易く荊を貫いた。
しかし無限の質量を貫くには至らない。そも無限を貫くことなど不可能だ。如何に『神槍』といえど、終わりのない防御は突破出来ない。
それでも『神槍』は止まらない。防御を突破することは出来ずとも、その破壊力は絶大だ。
盤面は膠着している。
勝負のつかぬ千日手。
「――――――――」
ベアトリーチェは無言で術式を組む。
魔力が唸りを上げ、紫の光が吹き荒れ、少女は血涙を流す。
「アアアアアアアアアアアアッ!」
ドストエフスキーは咆哮し、世界を震わせる。
【荊の宮】が彼の願いを現実と化す。
最早二人は止まらない。この戦いが決着するまで。何方かが消滅するまで。二人は限界を越えて『奇跡』を振るい、己の全力をぶつける。
――――そして、時は来る。
極限。究極。極位。
全てを捧げた一撃が――――此処に。
「『千の魔術を統べる者』――――『神槍』!」
「【荊の宮】――――『罪人は荊の道を進み行く』ッ!」
二人の最高は完成す。
天を覆う無数の術式――――それら全てが『神槍』の術式と知れば、彼女と相対した者は誰もが驚愕するだろう。到底彼女には似つかわしくない力技だ、と。
ベアトリーチェの戦い方はその多彩な魔術だ。ありとあらゆる魔術を行使可能という応用の高さこそベアトリーチェの――――『千の魔術を統べる者』の真骨頂といえる。
だが彼女は敢えて『神槍』による力技を選んだ。
無限の荊――――終わりなき災厄に対し、彼女は真正面からそれを突破しようとする。
何せ『神槍』の一本では突破出来なかったのだ。そこへ他の魔術をぶつけようと、『神槍』以下の攻撃力では話にならない。
故に『神槍』の乱れ打ち。
極限まで効率化した術式と、緻密な魔力操作が織り成す神業。
「行ッけええええええええええええええッ!」
ベアトリーチェの叫びと共に、槍が降り注ぐ。
紫の閃光が空を夜明けのように照らし、次いでありとあらゆる空間を破滅の槍が満たす。
対するドストエフスキーは余りにも貧弱と言う他ない。
本来、彼程度では『神槍』を止めることは出来ない。如何に肉体を魂を捧げようと彼我の根本的な実力差だけはどうにもならない。
この戦いは、彼の敗北で決している。
無限の荊であろうと、万を越す『神槍』は止められない。
されども、足掻くことにこそ、意味はある。
『罪人は荊の道を進み行く』は、その具現。
勝つ為、ではない。
足掻く為の、力。
ドストエフスキーの肉体が――――荊が膨れ上がり、そして破裂する。
溢れ出す荊。荊、荊、荊。
彼が喰い続けた罪を吐き出すかの如く、荊が溢れる。
ドストエフスキーは自らが変質していく最中、声高に叫んだ。
「この荊ノ道コそ私の足掻キ! 正真正銘――――ドストエフスキーとイう男の全てだァァァァァァァァァァァァ!」
肉を削ぎ、心を削ぎ、魂を削ぎ、男は道を進む。
それは、二度と諦めないという誓いの現れ。
如何なる苦痛にも耐え、次こそは全てを救うという救済の祈り。
「アアアアアアアァァァァァァ――――――――!」
ドストエフスキーの叫びが消えていく。
声帯も咽も、最早荊と化した。
己の全てを荊へと変貌させ、ドストエフスキーは『神槍』に立ち向かう。
(救えぬ者がそこには居た)
かくして二度目の衝突が、此処に起こる。
天地を埋め尽くす荊。神の如き奇跡を前に同じく神の槍は勇ましく突き刺さる。無限すら穿ち滅ぼさんと、突き進む。
(救うことを諦めた者がそこには居た)
幾重にも幾重にも重ねられた荊が一撃で穿たれた。一本ならまだしも数十にも及ぶ槍が一度に直撃されては耐え切ることは出来ない。まるで紙を貫くように無数の槍が荊の壁を突破していく。
(私は全てを諦めた。殺し合う人間を何回も何回も見せ付けられ、私は絶望した。私には、誰も救えないのだと苦悩した)
無限の壁が突破される。
そも、この力は不完全。所詮は残滓を無理矢理暴走させて力を引き出した模造の『奇跡』。真の『奇跡』が作り出す無限ならまだしも、模造品にはこれが限界だ。
(だが……それは間違いだったのだな。私はただ救おうとしなかった……それだけだった。目の前の惨劇に絶望し、逃げることを選んでしまった。それこそ……私の罪)
次々と荊が破られる。
『神槍』は数を大きく減らせど、まだかなりの数が残っていた。ドストエフスキーを消し飛ばすには充分過ぎるだろう。
(だからこそ私は……救済を求めた。今度こそ。二度目の生こそは間違わぬ為に)
槍が降り注ぐ。
必殺を定められた神の槍は狙いを違えることなくドストエフスキーへと殺到する。
(だというのに……私はまた間違えた。救済という夢に溺れ、現実を見ようとしなかった。私が喰らい続け、奪い続けてきた罪。それは……きっと……私が何よりも救おうと追い求めた物だった筈なのに)
ドストエフスキーの半身を『神槍』が消し飛ばす。直ぐに肉体を再生しようとするが、それよりも早く第二、第三の槍がドストエフスキーに突き刺さる。
最早、『罪人は荊の道を進み行く』は破られた。
『神槍』は並み居る荊を消滅させ、根源であるドストエフスキーを貫いていく。圧倒的な攻撃力を前に、力無きドストエフスキーでは何も出来ない。
――――それから、どれだけの時間が経っただろうか。
戦場はまるで爆撃を受けた後のようだった。周囲に存在していた建物、草木、荊全てが消滅し、地面には無数のクレーター。此処に町があったとは到底思えない光景だった。
「……………………」
「気は済んだかしら」
ベアトリーチェは青い瞳を下へ向ける。
そこに彼は居た。肩から下を全て消し飛ばされ、顔も半分近く失い、半ば死にかけた状態で。
ドストエフスキーは残された目をベアトリーチェへ向け、笑う。しかしそれは弱々しい死人の笑みだ。
「満足だ……私はずっと後悔していた。足掻くことをせず逃げたことを。救うことなど出来ぬと諦めたことを。だが……今度は足掻いた……ぞ」
限界を超越した力の行使を続けてきた所為だろう。遂に肉体が崩壊を始めた。残された肉体が塵と化し、風に乗り、空に昇る。
「……一つ、教えてはくれないかベアトリーチェ」
「何かしら」
「罪とは、何だ?」
それは、男がずっと追い求めていた答え。
彼は訊いてみたかった。世界で唯一、罪を知らぬという純白の魂。その持ち主である彼女に。
「罪……ね」
ベアトリーチェは笑う。
まるで彼の問いが、心底可笑しそうに。
「何故、笑う」
「だってそうでしょう? 罪とは何か、貴方は私に問うた。でも貴方は、既に答えを得ている。なら訊く必要はないじゃない」
「――――」
永遠にも思える時間を悩み続け、それでも答えが出なかった問い。その答えを既に得ていると、彼女は言う。だがドストエフスキーに心当たりはない。
――――それとも、彼女の言葉が意味するのは。
「……ああ、そうか」
そして彼は、答えに辿り着く。
それは同時に彼の旅の終わりでもあり、新たな旅の始まりでもあった。
彼の進む道は、荊に覆われている。
決して楽な道程ではない。
けれどもドストエフスキーは笑みを浮かべ、己の未来を祝福する。
後悔は、無い。
目を閉じ、崩壊に身を委ねる。
そして彼の旅は、終わった。
これは死人が歩んだ救済の物語。
誰も救えず絶望し、諦めたことを後悔し、奪った罪に苦悶し、果てに旅立つ男のいつか悲劇として語られる御伽話。
そして彼の旅は、始まった。
これは死人の歩む贖罪の物語。
罪の正体に絶望し、奪ったことを後悔し。罪の重さに苦悶し、果てに消え行く男の真実。
「幸運を」
彼の旅路に、幸運を。




