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ねらたま  作者: 春日あきと
第1章 彼女の望み
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シーン3「素顔」

シーン3「素顔」



 ガチャリ。

 寮の自室に帰るなり後ろ手に鍵をかける。

 途端に、それまでツンと張り詰めていた円の表情は、にへら~と一気にとろけて消えた。


「ふへへへ~」


 ゆるんだ頬を震わせて奇妙な笑い声を上げながら、二段ベッドの下段、自分のベッドの上にぽーんと鞄を放り投げる。

 ぼふっと布団のなかに沈む鞄。


「ないっしゅー! おしゃー! いえーい!」


 靴脱ぎがてら、ぴょん、とジャンプする。スカートがふわりとめくれるけれどそんなのは気にしない。とん、とフローリングの床に着地した円は、我を讃えよ、とばかりに両腕を伸ばして全身でYの形になる。

 と。


「……なにしてる」


 声がした。見れば、二段ベッドの上段に、ショートボブの頭がのぞいている。うろんな目つきを向けてくる。


「あ、ごっめーん。びっくりさせちゃった?」

「べつに……」


 それより、と彼女、ルームメイトの倉本縷々くらもと るるこ――ルルは続けてきた。


「まどか……ほうおういんを袖にしたって、ほんとう?」

「ふへへへへ~。そうで~す!」

「……そう」

「あれぇ~? 反応が薄いぞぉ!」

「……まどかがテンション上げすぎ」

「ふっふっふ~。これが上げずにいられるかってーの!」


 笑いながら、ふわふわした足取りで円は部屋の奥まで移動すると、身を投げ出すように勢いよくチェアに尻を預けた。

 くるくる回る。


「あはっ、すごい! 世界が! 世界がわたしを中心に回っている!」

「……おめ」

「あっりがとぉぉお!」


 くるくる。くるくる。

 髪を振り乱して、円は回り続けた。

 あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははは、


 ――五分後。


「気持ちわる……」

「……当たり前」

「どうしたというの……わたしの三半規管……」


 ぜーはー、と息を荒げて円が机に突っ伏すと、目の前にコップが置かれた。顔を上げると部屋着姿のルルが隣に立っていた。


「水」

「ありがと、ルル」


 礼を言ってコップに口をつけ、ぐいっと一気に飲み干す。


「ぷはー、この一杯のために生きてるっ、ルル、グッジョブ!」

「……おおげさ」


 ルルがもじもじした。

 ……お?

 ほんのりと頬を赤らめているのを目ざとく見つけて、円は頭ひとつ分小さい小柄な体に抱きついた。ぐりぐりと頭に頬をこすりつけてやる。


「んもー、ルルったら照れちゃって、きゃっわいいっ」

「は、離せ」


 口ではそういいつつ、ルルは突っ立ったまま身じろぎもしない。されるがままだ。


「はなすもんかー」

「うう……」


 むぎゅー。

 硬直したルルの感触を円は存分に堪能した。


 ……ルルが金持ちだったらよかったのに。


 たまに思わなくもない円である。

 ルルは、円がただひとり、自分を飾らずにいられる相手だ。


「ルル、シャワー空いたよ」

「……そ」


 ジャージに着替えた円が、濡れた髪をバスタオルでふきふきシャワーから戻ると、部屋の隅でルルは椅子にも座らず膝の上に置いたノートパソコンとにらめっこしていた。

 こちらに返事はしたものの、明らかに生返事である。

 時折、ものすごい早さでキーボードを打っている。

 なにをしているのか知らないけれど、この状態になったルルとは一方通行のやり取りしかできない。


 肩をすくめて、机に向かう。


 引き出しから黒縁の眼鏡を取り出してかける。眼鏡に芋ジャージ。野暮ったいにもほどがあるけれど、昔からの習慣でこのスタイルでないと調子が出ない。

 参考書を広げて今日とったノートをあらためてまとめていく。

 要点を抜き出し、自分なりの解釈を加えながら、知識を咀嚼して自分のものにする。

 学力は容姿に並ぶ円の武器だ。

 奨学金入学を果たしたからといって、油断して錆び付かせていいものではない。

 学年トップをいく『お嬢様』は、残念ながら天才ではなく、こうした日課の上に成り立っている。


 ……あー、でも、もういいのかしら。


 なんてったって獲物はもう釣り上げたも同然なのである。


「ふへへ」


 自然と口元が緩んでしまう。


「……まどか。疑問があるんだけど」


 昼間の出来事を思い出してにやけていると、ルルが声をかけてきた。集中から戻ってきたらしい。時計を見ると一時間くらい経っている。ペンを置き、くるりと向き直る。


「ん。いいよ。なに?」


 折りたたんだノートパソコンを胸に抱えて体育座りしたルルが、じっと上目遣いにこちらを見てくる。


「まどかの目的はほうおういんだったんじゃないの? どうしてフッたの?」

「なんだ、そんなこと。んー、わからない?」

「わからないから聞いている」


 ルルがむっと頬をふくらませるので、円は抱きしめたい衝動に耐えなければならなかった。かわいい!

 軽く咳払い。


「えっとね。なんて言えばいいかな。ルルはわたしの目的、知ってるでしょ?」

「……たまのこし」

「イエス。だからね、普通の恋愛じゃ駄目なの。彼氏彼女の関係になるだけじゃ、意味がない。例えばあそこでわたしがオーケーしたとして……」


 顎に手を当てて、考える。脳内シュミレーションを終わらせる。


「うん。三日で捨てられるのがオチよ。鳳凰院貴志って男は、そういう奴。手に入れたものからはあっさり興味を失っちゃう。わたしの野望もそこでおしまい。ジ・エンド。もちろんこれはわたしの勝手な予想だし、もしかしたらそのままゴールインできるかもしれないけれど……まあ、確率は限りなく低いでしょうね。ここまで大丈夫?」


 こくん、とルルがうなずくのを確認して、円は続けた。


「で、ここからはどうやれば確率を上げられるかって話ね。それはつまり、どれだけ鳳凰院貴志にとってのトクベツになれるかってことよ。あそこでうなずく女は彼にとって大勢のうちのひとりと変わらない。だからフッたの。みんな見ている前で、完膚無きまで、プライドをズタズタにしてやった……拒絶して初めて、わたしは一歩分、飛び抜けることに成功したってわけ。ふふ、いまごろ彼の頭のなかはわたしのことでいっぱいのハズ!」


 言いながら自分の唇の端がどんどんつり上がっていくのを感じていた。背筋にぶるりと震えが走り、両腕で体を抱きすくめた。顔を上向けると、蛍光灯の光が眼鏡越しに目を灼いて、視界が白く染まる。


「ああ、考えただけでゾクゾクしてきた。サイッコーの気分……!」

「……危険」

「ふぇ?」


 ルルのつぶやきがそんな気分に水を差した。ふっと我に返る。


「彼がマドカに危害を加えないという保証はない」


 あまりにも真剣に言ってくれるものだから、悪いと思いつつ、円はにやけてしまった。


「へー、心配してくれるんだ?」

「べつに」


 ぷいっとそっぽを向いてしまう。

 しかし、ルルの懸念はもっともだった。逆恨みや過度の愛情表現。思い詰めた人間は怖い。そういった恋愛がらみのトラブルは、実際、過去に例がないわけでもなく、危うい場面は何度かあったのだ。まして相手は鳳凰院である。報復に対して泣き寝入り以外の選択肢はない。

 けれど、その点に関しては、円は楽観している。安心させるように微笑んでみせた。


「ありがとね、ルル。でも大丈夫。鳳凰院貴志は少なくとも卑怯者じゃない。彼はルールをわかってる」

「……どうしてわかる?」


 拗ねているのか声が低い。円は親指をビシッと立てた指を突き出してみせた。


「へへへ、女の勘! て、なーによその疑いの目はー。信じてねぇなぁ? うーん、まあ、理屈は色々つけられるけど」


 丸めた拳で額をこつこつ叩く。


「会って、見て、話して、感じた。それで思った。それじゃダメ?」

「……いい。円の判断は、ほとんどの場合において正しい」


 そう言って立ち上がったルルは、床に転がっていた下着を一枚つまみ上げた。円の横を通り過ぎざま、小さな声でつぶやいてくる。


「でも間違うこともある……気をつけて」


 頬がまたかゆくなった。ばたばたと足音。円が振り向いてのぞいたときには、バスルームの戸は閉まっていた。すぐに水の流れる音が聞こえてくる。冷やしてるのかな、と思った。ほんとう庶民にしておくのはもったいない。


「さて」


 声に出して円は机に向き直った。

 さっさと仕上げて、今日は早く寝てしまおう。

 明日が待ち遠しかった。


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