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ねらたま  作者: 春日あきと
第1章 彼女の望み
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シーン2「鳳凰院貴志(ほうおういん きし)の来訪」

シーン2「鳳凰院貴志ほうおういん きしの来訪」



 私立浅上学園は小高い丘の上にある。

 下界の街並みを見下ろすそこは、古くから資産家の子女たちの集う伝統と格式ある、中高一貫の学舎だ。

 しかし昨今では家柄に関係なく一般生徒にも門戸が開かれ……それにともない元々あった旧校舎とはべつに、新たにふたつの棟が建てられたという。


 一般の生徒のための、通称『一般棟』。

 資産家の子女のための、通称『セレブ棟』。


 ふたつの棟で授業は別々に行われている……わかりやすく言えば、『普通科』と、それとはべつに『セレブ科』なるものがあるわけだ。


 ……考えてみたら、ヘンなとこよね。


 効率が悪いというか、そんなことをするくらいなら最初から一般庶民の受け入れなんてしなければよいのに。たしか試験的試みだとかなんだとか、それっぽい理屈が入学案内のパンフレットに載っていたような気がする。奨学生として高等部からの編入した円にはわからない複雑な事情があるのだろう。


 ……ま、わたしの目的には都合いいから、いいんだけど。


「ではこの問題を、桜枝。頼む」

「はい」


 教師の声に円は思考を打ち切った。意識を教室に戻す。

 四限目の数学である。

 席から立ち上がると、教室中の視線が『お嬢様』に集まるのを感じた。

 癖のないまっすぐな黒髪に白磁のような肌。親に唯一感謝することがあるとすれば、『人形みたい』とよく評されるこの美貌を与えてくれたことだった。もちろん努力は怠っていない。ただ、ベースのよさは大きなアドバンテージである。

 羨望とか、嫉妬とか、心地よい。

 ただ……胸の部分に向けられてくる、残念そうなものを見る目はいちじるしく腹立たしいけれど……おいコラ、そこの男子、おまえだよおまえ、なにが言いたい?


「よくできたな。さすが桜枝だ」


 胸の内の感情はどうであれ、黒板に解答を書き終え戻るまで、着席してからも、うっすらとした笑顔を円は崩さない。


「そんな、先生。先生の教え方が上手なんです」


 堅物で有名な数学教師が、厳めしい面をでれっとさせる。


「お、そうか?」

「そうですよ」


 ははは。

 うふふ。

 円の周囲に展開したキラキラ光る粒子を受けて、ほぅ、と誰かが感嘆のため息をつく。


「嗚呼、円様……円様ぁあん」

「あんな難しい問題をいともたやすく……それでいてなんて謙虚なお方なんだろう……」

「はっ、こ、この気持ちは、えるおーぶいいー……愛!?」


 そこここから賞賛の声が聞こえてきて、円は目を細め、笑みをいっそう濃くした。

 演技をしている自覚は、ない。最初のころはあったのかもしれないけれど、もうない。

 外面なんて思いのままだ。

 どうすれば他人によく映るのかなんて、考えるまでもなく身体が動く。

 事実、この一般棟において、優雅で知的な円のキャラクターは男女を問わず魅了した。


 いわく、一般棟には高嶺の花が咲いている。


 ならばと、その花をさらなる高みから摘み取ってみるのもおもしろい、などと考える傲慢な人種がここにはたくさんいて――彼らの誘いを断る度、円の噂は大きくなり、それを聞きつけた誰かがまた、我こそはと挑んでくる。そうしていつか、本当の高みにも手か届く……

 けれどまだまだこれからだ。

 今までは外堀を埋めていただけ。本丸を攻めるのは、ここから――


 油断なくノートをとりながら円が決意を新たにしていると、バン、と音を立てて教室前の戸が開いた。

 チョークを動かす手を止めた数学教師がぎょっと目をむく。

「き、君は……」


「フン、このオレに名を尋ねるのか?」


 円の位置からでは姿は確認できないが、開いた戸の向こうから聞こえた声は、高圧的な男のもの……絶対的な自信に満ちて、甘ったるく響いたその声に、円の背筋はぞくりと震える。

 まさか――と思った。 

 前方では脂汗を浮かべた数学教師が首をブンブン振っている。


「い、いえ……そういうわけでは……」

「わかっているなら退け、教師。オレが通るぞ」


 ……ああ。

 間違いない。

 堪らず顔をうつむける。


「くっ」


 引きつった口元から笑いが漏れた。いっそ大声で笑えたらどんなに爽快だろう。

 まさか、こんなに早く――!

 昂ぶった感情は胸に灯る静かな炎にくべる。瞬時に表情を整えて円は顔をあげた。


 さあ、来なさい。


 ざわつく教室のなかに、その人物は悠然と踏みいってくる。


「よぉ諸君、オレが来たぞ」


 夢じゃない。

 夢にまで見た『あの人』がそこにいた。

 牡丹を象った『セレブ棟』の記章を襟につけた学ランを着崩していて、覗く首もとには金のネックレスが巻き付いている。まるでヤのつく職業の人のような格好だが、スレンダーな外見とあいまって不思議と気品があった……ときに人はそれをホストと呼ぶのだけれど。片手をズボンのポケットに突っ込んだまま、教師を退かせた教壇に立つと、クラス全体を睥睨し、もう片方の手を指揮者のように振る。


「静まれ!」


 彼の一言で、ぴたりとざわめきが収まる。空気を読まずにまだ喋ろうとした奴もいたが周りのクラスメートに口を押さえられた。結果、一瞬にして教室は静寂に包まれた。張り詰めている。


「――ああ、まだ低いな」


 そう言うと、おもむろに彼は教卓に足をかけ、その上に乗った。器用にも片手をポケットに突っ込んだままである。


「ふむ……」


 見上げる全員を見下ろしてくる。

 威圧的な眼光が全員を一巡して、円のところに戻ってきた。


「なるほど」


 ひとり納得したようにうなずき、今度は前方の生徒の机に足をかける。自分の机に革靴を乗せられた生徒は慌てて通路に逃げる。彼はそんな生徒に一瞥もすることなく、次の机に踏み出した。


 ダン、ダン、ダン。と続けて三歩。


 ダン。四歩目で、円の机の上に彼は立つ。


 目の前に並んだ革靴から、円はゆっくりと顔を上げた。


「降りてください。机が汚れてしまいます」


 毅然と告げる。

 ハッ、と口角をつり上げて彼は笑う。


「おまえが桜枝か」

「ええ。そしてあなたは鳳凰院ですね」


 見下ろす視線と見上げる視線。

 しばらく無言で見つめ合い、ふいに彼は――鳳凰院貴志は、どかっと机の上に腰を下ろした。膝を立てた姿勢で、円のほうに手を伸ばしてくる。

 顎をつかまれ、ぐいと顔を近づけられて、円は顔をしかめた。


「離してください」

「黙れよ、小娘」


 息がかかる距離で貴志はぴしゃりと言った。


「ああ、そうだ。オレが鳳凰院だ。それを知っていて、おまえはオレに意見するのか?」

「してはいけませんか」

「いけないな」

「何故です」

「何故?」


 貴志の眉がかすかに動く。瞳に困惑が浮かんだ。彼にとって、まったく想定外の返しだったに違いない。

 円はその隙を逃さない。


「そもそもあなたは、ここにはなにをしに来たのです? 『第一棟』の方々が『第二棟』などに用はないでしょうに。まして鳳凰院ならばなおさらです。いいえ、状況を見ればわかりますね。あなたはわたしに会いに来た。違いますか?」

「……だったら、どうだと――」

「だから、何故、と申し上げました」


 畳みかける。


「出向いてきたのはあなたです。ならばわたしはあなたを客人として迎えましょう。いいですか? 客人として、です。主人としてではありません。そこを勘違いされては困ります……わからないようでしたらもう一度言いましょうか。出向いてきたのは、あなたです」

「……つまり、この場においては、おまえのほうが上位だと?」

「少なくとも対等でしょうね。何故なら、『フる側』なのはわたしのほうなのですから」


 言い切り、円は椅子を蹴倒して立ち上がった。同じ高さに目線がそろう。貴志は呆然としていた。顎をつかんだままの彼の手をちらりと見やる。


「離してください」


 ゆるゆると腕は下がっていった。

 円の見据える先で貴志は目を閉じ、うつむいた。肩が小刻みに震え始める。


「……く、くっくっく」


 笑っている。


「くくくく、く、ハ、ハハ、ハーッハッハッハッハ――!」


 最後には上体を反らして、貴志は教室中に響く笑い声を立てていた。

 逃げるように近くのクラスメートから次々と席を離れていき、みんなしてこちらに好奇と怯え混じりの視線を遠巻きに向けてくるに至り、ようやく収まる。


「――フン。おもしろいな。実におもしろい」


 円に向けられた双眸には再び力が宿っていた。ギラギラしている。


「まるでこのオレがキサマに告白をしに来たというような物言いではないか?」


 蛙をにらむ蛇のような視線を正面から受け止めて、円は……微笑んでみせた。


「あら、違うのです?」

「違うな。間違っている。死ね」


 そのまま数秒見つめ合う。

 重苦しい沈黙に誰かが唾を呑みこむ音が聞こえて、先に目をそらしたのは貴志だった。チッ、と舌打ちひとつ。


「……たいした度胸だ」

「だって答えは出ていますから」


 貴志は苦虫を噛みつぶしたような顔をした。眉間にしわが寄る。


「本当に違うのだがな……オレはただ、噂の『お嬢様』がどの程度のものか、少し興味があっただけだ」

「嘘ですね」

「なに?」


 円は深呼吸して息を整えた。前髪を梳いて耳にかける。


「嘘というか、苦しい言い訳です。負け惜しみは鳳凰院の格を下げますよ。あなたは間違いなく、わたしに告白しに来たんです」

「ハッ。なぜ、そう言い切れる?」

「なら聞きますけど。大勢が必死になって手に入れようと足掻いているものを横からかっさらうのって、どんな気分です?」

「…………」


 なにか言いかけるが、けっきょくは押し黙る。


「あなたは鳳凰院ですから。手に入らないものなどない。そうお考えでしょうけれど。ふふ……思い知るべきです。手に入らない女がここにいることを」


 円が口をつぐむと、三度目の静寂が訪れた。

 時計の秒針の音さえ聞こえてくる。

 そして。


「桜枝、円……」


 厳かな口調で貴志は言ってきた。


「オレのものに、なれ」


 真摯なまなざしが円を射る。

 弓なりに目を細め、作り慣れた笑顔で円は応える。


「ごめんなさい」


 観衆がにわかにどよめいた。


「……フった」「フッたぞ」「フッたわ」「鳳凰院を……」「フッた」


 すぅっと表情をなくした貴志はこちらと目を合わせることなく机を降りると、そのままなにごともなかったかのような足取りで教室の出口に向かっていった。人垣が割れて道ができる。

 去っていく後ろ姿を見送って――


(っしゃあ!)


 円は胸中でガッツポーズを決めた。

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