シーン1「桜枝円(さくらえまどか)という少女」
――さて、これは幸福がなんであるか知らなかった不器用な少女が、幸福を得るまでの物語だ。
彼女がどれくらい不器用だったかというと……
第1章「射止めんは将」
シーン1「桜枝円という少女」
バサバサバサッ――
下駄箱を開けると、つまっていた手紙の山が雪崩を起こした。事前に設置しておいたゴミ箱の底へと、次々に落ちていった。
最後の一通が落ちたのを見下ろし、
「……ふん」
と、彼女――桜枝円は小さく鼻を鳴らした。
……よくもまぁ、懲りずに集まるものよね。
やだやだ。
胸のなかでつぶやく。
上履きを出して、ゴミ箱を元の場所へ戻しに向かった。
手紙たちがガサガサと抗議の声をあげても、無視である。ラブレターなんてもらったところで、気持ち悪くて、メモ帳にすることもできやしないのだ。つまりチラシの裏ほども役に立たない。資源の無駄遣い。ああ、すっごくもったいない……身の程知らずの勘違い野郎どもめ、地球に謝れ。
「まったく……」
入学して早二ヶ月。一連の作業はもはや日課だ。めんどくさいったらない。けれど、これも目的への道のりだと思えば、しかたない。成果がでているのは喜ばしいことである。
――目的。
円には目的があった。野望と言い換えてもいい。
そのためになら、なんでもできる。
カタッ。
円の背後、下駄箱のほうからスノコを踏む音がした。
「ん?」
ゴミ箱を床におろして円が振り向くと、背の低い男子が立っていた。なんとなく小動物っぽい。円と目が合うと、びくっと全身を強ばらせて、手に持っていたなにかを慌てて背中に隠す。
ちらっと見えたそれは……ふぅん。
「わたしになにか用かしら」
「え……あ、その」
「ふふ、わたしに用があるんでしょう?」
ニコニコ笑顔を浮かべながら、その場で固まってしまっている彼に円は近づいていった。
耳まで真っ赤にしてうつむいた彼の前に、すっと手のひらを差しだして、
「ほら、さっさと渡してください」
三秒待った。
ようやく、後ろに回されていた彼の手が油の切れた機械のように、こちらに向かって動き出す。ギ、ギ、ギ。
手の届く間合いに入ったそれを円はぱっと奪い取った。
「あ……」
「なになに……桜枝円さんへ、か……やっぱりわたし宛て。でも、いちおう確認しておかないとね、っと」
肩越しに振り向いてぽいっと投げる。
くるくる回ってゴミ箱へ、in。
呆然と口を半開きにした彼に向き直る。
「怒りました? でもわたし、手紙は受け取らないんです」
「不誠実じゃないですか。なんで直接口で言わないんです?」
彼の肩がぶるぶると震え出した。赤かった顔は青ざめていく。
「だ、だって……」
「だって、なんです? 勇気が出せない? 覚悟が持てない? それならそれは、所詮その程度ってことじゃないんですか」
ふぅ、と円は息を吐いた。いけない。ちょっとからかうつもりがだいぶ感情的になっている。
――手紙は嫌いだ。
「まあ、つまり、そういうことです……さようなら」
ひらひらと手を振って、立ち去ろうとする。
「ま、待ってください……っ」
「……なんですか。早く行かないと遅刻してしまいます」
「好き、です」
「…………」
「僕と付き合ってください!」
彼は深々と頭を下げてきた。
「……顔を上げてください」
顔を上げた彼は、再び真っ赤になっている。
円は彼の目をまっすぐみ見つめ返した。
「うん。ちゃんと言ってくれて嬉しかったわ。ありがとう。だから、わたしもちゃんと答えます。ごめんなさい。あなたとは付き合えません……なぜ、なんて聞かないでくださいね」
では、と彼を残して、今度こそその場を後にする。
階段を登りながら、胸に手を当てて、心臓の鼓動を数えてみた。
……変わりなし。
先ほどの不意打ちには驚いた。嬉しかったのも本当だ。ここ最近の告白のなかでは一番誠実だと思えた。
けれど円の心は揺らがない。
なぜ、と問われていたら、きっとこう答えていただろう。
『わたしには好きな人がいます』
しかしそれも、正確には嘘だ。
……わたしはただ、手に入れたい。なんとしても『あの人』をものにしたい。
そう。『あの人』は、日本一といわれる資産家の息子だから。
……わたしの目的の、手段!
日本一の金持ちと結婚して、日本一の玉の輿に乗る。
そうして自分を捨てた母を悔しがらせたい。
くだらないと笑われようと、それが円の野望で――
復讐だ。
鞄を持つ手にぎゅっと力が入る。
決意を胸に、円はその男の名をつぶやいた。
「鳳凰院、貴志。必ずあなたを、射止めてみせる」