四輪〈クレープ〉
六時間目、総合の授業。合宿では主に班行動になるので、この時間は話し合いをすることになった。親睦を深めるために合宿へ行くはずなのに、今何を話し合えばいいと言うのだろう。
私の班は女子三人、男子二人の五人班。
大人しそうに見えるけれど、高身長でバスケ部に所属している風間君。
日焼け美人でテニス部所属の南雲さん。
小動物のようにかわいらしい雨音さん。
そして……。
「なぁなぁ夕月ちゃん、ちょっといい?」
明るい茶髪、両耳のピアス、着崩された制服。隣の席に座る、円明暁だ。
初めて会った時から馴れ馴れしく下の名前で呼んできて、私にまで名前で呼べと強要してきたほど。軽い調子で接してくるから最初は話しやすかったけれど、最近はうっとおしい。
「そろそろ紹介してくれてもいいんじゃね?」
「……」
「えー、無視ですかぁ?」
「……」
「なぁ、夕月ちゃーー」
「あー、もう! 今は班で話し合う時間なんだから、ちゃんと参加してよ」
「へーい」
ムスッとしながらも机の上にある合宿のしおりをペラペラとめくり始めた。
彼がこんなにもしつこく要求してくるのは、もちろん初めてではない。始まりは、入学式当日までさかのぼる……。
* * *
中学を卒業して、近くの高校に入学。新たな生活がスタートしたその日、私はとても緊張していた。友達はちゃんとできるだろうか、授業についていけるだろうかと不安は山積み。
担任の先生の話を遠くの方で聞きながらうつむいていた時、右側から小さく声をかけられた。
「なぁなぁ、名前なんてーの?」
「……え、空本です、けど」
「何で敬語なんだよ、ウケる! あと、俺が聞いたのは苗字じゃなくて下の名前の方ね」
「夕月……」
「へぇ、夕月ちゃんか。俺は円明暁! 暁って呼んでくれよな!」
「いや、それはまだちょっと……」
「暁だよ、あーきーらー!」
「わ、分かったから、あんまり大きい声出さないでよ。先生こっち睨んでるし……」
朝日先生の鋭い目付きを一瞬チラッと見ただけで、暁は話をやめようとはしなかった。むしろエスカレートしているような気もする。
出身中学の話からこの高校を選んだ理由なんかを話して、私の緊張がだいぶほぐれた頃だった。
「友達、紹介してくれない?」
「……え?」
「女の子、紹介して!」
こんなナンパがあるのか、なんて思ってしまった。
それからの私の対応は目に見えて冷たくなり、それでも暁は変わることなく話しかけ続けてきた。元々真面目に授業を受けるタイプではないらしく、朝日先生の注意を受けてからは不登校気味になり、珍しく来たかと思えば爆睡して一日を過ごす。
あっちが話しかけてこなければ、関わることのない人種だっただろうな、と今でも思う。
* * *
森林散策の道順、カレー作りの分担、自由時間の大まかな過ごし方等を一通り話し終えた後、暁がこっそりと机の陰からスマホの画面を見せてきた。メモ画面らしく、文が打ってある。
《今朝見たぞ》
文の意味を理解した瞬間ドクンと心臓が嫌な音を立てて、思わず表情が歪む。
暁を睨むと、ニヤニヤと不敵な笑みを浮かべながら新しく文字を打っていた。
《付き合ってんの?》
スマホを持っていない手で、朝日先生を指差している。
私は両手と首を横に振って全身で否定した。あと朝日先生と付き合ってるとか、そんな恐れ多い……。
「ふーん、あっそ」
そう言葉を漏らしつつも未だに笑みを絶やさない暁が、何を考えているのか全く分からない。今朝の私達も見られてしまった。今回の噂を流されたりしたら、もう二度と先生と楽しく話せなくなるかもしれない。
「(……いや、そんなことよりも……)」
この数日で築いてきた朝日先生との関係がリセットされるのは、仕方ないけれどまだいい。問題なのは、朝日先生に大きな迷惑がかかるということ。
それだけは、絶対に嫌だ。
「……あの、さ。内緒にしてもらいたいんだけど」
「あれ~、そういうこと言っちゃう?」
言うに決まってるでしょ。その言葉を飲み込んで目だけで訴えていると、暁の笑みがますます強まっていくのが見えた。
しまった……。ここまできて、ようやく気付いた私は大馬鹿者だ。
「じゃあ、条件を出しても文句ねーよな?」
予想が的中して、私の顔が青ざめたのは言うまでもない……。
* * *
「……それで、私のことを紹介したってこと?」
「申し訳ありません……」
あからさまに、呆れた様子でため息をつく茜。眉間のシワの数が、暁への第一印象の悪さを物語っていた。
そんな彼女に、私はただ頭を下げることしかできなくて。後ろにいる笑顔の男に口答えすることさえできないのです。
「初めまして~! 俺は円明暁っス! よろしくねぇ茜ちゃん!」
暁の言った条件は、とりあえずお試しに放課後に遊ぶこと。
私がこんな風に紹介なんてしなくても、暁の容姿は整っているように思える。性格に難ありとかの理由でモテないんだろうか。
「とりあえず、クレープでも食いに行かね? 出会いの記念に俺が奢るからさ!」
ノリノリの暁と対照的に、茜はひたすら嫌悪感をにじませている。
そんな茜を私が引っ張るようにして、私達は街で人気のクレープ屋へと来た。学校帰りの生徒が、今日も既に長い行列を作っている。
「一緒に並――」
「私、あっちの本屋で待ってるわ」
案の定、と言うべきだろうか。暁の言葉を無視して、茜はスタスタと本屋の中へ消えて行ってしまう。
残された私は、少し落ち込んでいるようにも見える暁と一緒に並ぶことにした。同じように並んでいる他校の女子達がチラチラと視線を送っているが、あれだけチャラいイメージを植え付けてきた暁は無反応。と言うより、無視。
「夕月ちゃんさぁ、アイツのどこがそんなにいいわけ?」
「は……どこって言われても」
突然の質問に、思わず顔に熱が集まる。暁は驚いたように目を開いたけれど、すぐにスッと目を細めてニヤリと笑った。
「どうせあれだろ。背が高いわ、公務員で収入がいいわ、年上でクールでステキー! みたいな」
「はぁ? 私はそんなんじゃないから」
「嘘つくなよ。女ってみんなこういうこと考えてんだろ?」
「どんなイメージよ、それ……」
暁は私をからかっているだけ。分かってはいるけれど、素直に恥ずかしがっていることが情けなくて悔しい。
それでも頭の中ではしっかりと先生のことを考えていて……。
『私をオッサン扱いするな』
『アールグレイは好きか?』
『すまなかったな』
『……手作りの物を渡されるのは、初めてでな』
『私がいつそんな顔をしたんだ』
ここ数日の出来事が、まるで再生ボタンを押したように流れ始める。
きっと今、私はこれ以上ないくらい赤い顔をしているだろう。指の背で頬を触るとそれだけで冷たくて、熱が引いていくような気がした。
「私は、先生には先生なりにいいところがあるって気付いたから……」
「ギャップってヤツ?」
「そうかも」
「最初はあんなに怖がってたのにな」
「え……何で知って――」
「お待たせしました! ご注文はお決まりですか?」
元気なお姉さんの声に、ビクリと肩が震える。慌ててメニューを見て一番目立っている二つを私と茜用に頼み、鞄の中から財布を探す。暁に奢ってもらうという名目だったけれど、あれはきっと茜を連れてくるための口説き文句みたいなものだろう。暁に借りを作ると、今度はどんな要求をされるか分からないし。
けれど、こんな時に限って教材に阻まれて財布がなかなか見つからない。
そうこうしている内に暁が私の体を軽く押しのけて、レジ台のメニューを覗き込んだ。
「俺は五番のヤツ。三つまとめて払います」
「はい、お会計は一四八〇円です!」
「じゃあこれで」
私が出すよりも早く、暁は財布からお金をスッと取り出す。その素早さに唖然としている私を見て、暁が軽く睨みながら手をヒラヒラさせた。言わんとしていることが伝わって、大人しく鞄のファスナーを静かに閉める。
出来上がったクレープを受け取って本屋へ向かう最中、暁は少し元気がなくなっているような気がした。
「俺が奢るって言ったんだから、次からは財布出すなよ」
「はい、おいしくいただきます……」
本屋に食べ物を持ち込むことはできないので外で待っていると、見計らったように茜が出てきた。
見覚えのある人影を引き連れて。
「え……先生!?」
「ほう、学生が買い食いとは感心しないな」
説教が始まるのかと思いきや、朝日先生は私の手元をジッと見下ろして微動だにしない。
私のストロベリーレアチーズケーキと茜のプレミアムチョコブラウニーをそれぞれ見比べ、私の顔に視線を移した。
「空本、二つも食うのか」
「ち、違います! 一つは茜のですから!」
少し強引ながらも茜に受け取ってもらう。その時の茜がニヤニヤしていたけれど、気付いていないことにしよう。
でも茜さん、先生を連れてきてくれてありがとう!
「あっれ~、いいのかな~? 教師が生徒にちょっかい出しちゃって~」
突然の大きな声だった。まるで、周りに聞かせる意図があるような。そのせいか、通行人の何人かがこちらを見ている。
私の背中を、嫌な汗が伝った。
「ちょっと暁、何言ってんの?」
「あーでも、教師ならこれは補導対象になるんだっけ? 普段は見て見ぬふりするくせに、特定の生徒には声かけるんスねー! 贔屓だろ」
「何だ円明、言いたいことがあるならハッキリ言ってみろ」
一触即発を思わせる雰囲気に、私はオロオロと状況を見守ることしかできない。
ハッキリと物を言ってくれる茜は、今に限ってクレープをこれでもかと頬張っている。それが、私にどうにかしろと暗に言っているようで余計とプレッシャーだ。
「俺、見たんスよ。夕月とセンセが朝一緒に歩いてんの。もしかして、登校デートってヤツっスか~?」
「だったら何だ」
「は? それって教師としてどうなのかって言ってんだよ、エロ教師。教育委員会とかにバレたらクビなんだろ?」
「目的地が同じなら、バッタリ会ってそのまま歩けば自然と同じ道を通るだろう。そんなに羨ましかったのなら、これから毎朝お前が空本と登校すればいい」
「な……そういうこと言ってんじゃねぇんだよ!!」
話してる内容はともかく、どうやら先生が有利らしい。でも、暁の言葉が同じ学校の生徒や関係者に聞こえたらと思うと気が気じゃない。
暁が怯んだ今の内だと、私は思い切って二人の間に入った。
「ほら、ここお店の前だし、この辺にしときましょう? 先生、このクレープすごくおいしいですよ! 今度一緒に買いませんか?」
「はぁ!? こんなオッサンがあの店に並ぶの!? ちょーウケるんだけど!!」
「私も気になっていたところだ、悪くないな」
「ありえねぇよ、嘘だろ!?」
酷くショックを受けている暁には悪いけれど、私は内心舞い上がっていた。思わず口をついて出てしまったとはいえ、朝日先生と約束をしてしまったのだ。日にちは? 時間は? 何を頼みますか?
今から楽しみで、ワクワクした気持ちを胸にクレープにかぶりついた。