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そら模様  作者: アル
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5/10

五輪〈キャラメル〉


 合宿当日、午前七時二十五分。

 雲は多いけれど温かな日差しが照らす校庭で、最後の点呼が行われていた。五分後には校庭の端で待機している大型バスへクラスごとに乗り込み、二時間の移動を経て目的地へ到着する予定。

 まだ入学したてで緊張感が残っているせいか、遅刻をして予定を狂わせる生徒は一人もいなかった。遅刻をしたら朝日先生に説教される、という噂が流れているのも理由の一つかもしれない。その噂を知っているのかは分からないけれど、クラスの一人ひとりを確認しながら歩いている朝日先生の表情が、どことなく険しいように思えた。

 先生は普段のカッチリしたスーツを脱ぎ、ラフな黒のジャージを身に纏っている。他の先生方も持ち前のジャージを着ていて、合宿を楽しもうとしている雰囲気がある。朝日先生に限っては、何を着ていようと気分に変化はないようだった。


「次、空本。忘れ物はないな」

「はい、大丈夫です」


 前々日から持ち物の確認を三度も行った私に死角はない。もちろん、先生と約束した団子も買っていて、保冷剤と一緒に鞄に入れてある。

 完璧です、と言わんばかりの私の表情に少し口元を緩めた先生は、すぐに視線をずらして点呼の続きに戻った。


「……なぁにニヤニヤしてんだよ」

「なっ!? 誰がニヤニヤなんて…!」


 朝日先生の後ろ姿をこっそり見つめていたところで、背後から聞こえた暁の声にビクリと肩が震えた。

 恨めしそうに先生を睨む暁は昨日よりも元気がないように見えて、目の下にうっすらとクマがある。眠れなかったのか、と聞く前に彼は大きな欠伸を一つして、そのままため息をついた。


「つまんねぇ。今から帰りてぇ」

「まだ出発もしてないのに」

「茜ちゃんに声かけたら無視された、泣きてぇ」

「そりゃ大号泣ものだわ」


 嘘泣きを始めた暁の背中を、私は呆れて笑いながらもポンポンと叩く。誰でも無視されれば悲しい、と同情せずにはいられない。


「……よし、全員いるな。出席番号順にバスに乗れ」


 大きい荷物を運転手に預けてバスに乗り込むと、見慣れない豪華な内装に感嘆の声が漏れた。天井では小さなシャンデリアのような飾りが高い音をたてながら揺れていて、座席の足元には収納式の足置きがついている。たったそれだけのことだけれど、私は高揚感で胸がいっぱいになっていた。

 少し固めの座席に腰を下ろして一息ついた頃、バスの入り口付近で顔をしかめているクラスメイトと目が合った。


「あ、夕月ちょっといい? あたしと席変わってくれない?」

「え……別に、いいけど」


 そう言った直後、通路を挟んだ反対側の席から嬉しそうな声がした。私が席を離れるのと同時に、声をかけてきた子も笑顔で座り込む。そういえばこの二人はクラスでもよく一緒にいる子達だ、と思いながら移動する。どこに座っても同じだから私は構わないのだけれど、親しい友人とお喋りしながら道中を楽しく過ごせるのは羨ましい。

 入り口に向かって席を探すと一番前に空きがあり、大きなフロントガラスが視界いっぱいに広がって普段は味わえない開放感があった。友達の隣がいいという理由があっても、この席は二つの座席を一人で使えるため誰かに譲るのはもったいない気がする。

 そう思っていたけれど、彼女が移動したがる理由がすぐそばにあった。


「全員座ったな。次にバスを降りられるのは一時間後だ」


 通路の向こう側で、朝日先生が後方に向かって叫んでいる。

 スラリと長い足を窮屈そうに折り曲げている姿が、普段見ないためかとても可愛らしい。

 そんなことを思いながら見つめていると目が合ってしまい、慌ててそらしたが先生は何も言わず居心地が悪そうに身をよじっただけだった。


「そこはお前の席じゃないだろう、空本」

「え、えっと……替わって欲しいと頼まれたので……戻った方がいいですか?」

「いや、構わない。今日の目的は親睦会だからな、お前も楽しめばいい」


 その言葉の後、先生は背もたれに体重を預けて目を閉じると、電池の切れた人形のように動かなくなった。先ほどの流れでもう少し会話を楽しめると思ったけれど、連日準備に追われていたせいで疲れているのなら仕方ない。

 残念に思いながらも、私は流れ始めた景色を見つめることにした。



  * * *



 バスが発車して二時間ほど経ち、そろそろ到着という頃。景色はずいぶんと前に見覚えのないものへと変化していて、無意識に胸が高鳴っていた。

 いつの間にかバスの中も緊張感がなくなって賑やかになり、私の後の席では移動してきた暁が何個目かも分からない菓子箱をバリバリと破っている。

 トイレ休憩でバスが止まった時以外のほとんどを眠って過ごしていた朝日先生も、少し朧気な眼差しでバスの前方を見ていた。


「もうすぐ着く?」

「たぶんね。さっきから思ってたけど、食べすぎじゃない?」

「だって暇じゃん。ゲーム持ってこれたら、ずっとそれやってたわ」


 クッキーでチョコを挟んだお菓子を数秒置きに口へ放り込んでいる暁を見ていると、彼の後ろからキャラメルが入った袋が回ってきた。クラスの皆が一つずつ取って食べているようで、暁も一つ取り出して袋を私に回す。残りが二つもあることを確認して袋をひっくり返すと、暁が嘲笑うように私の頭を菓子箱で小突いた。


「そんなに食ってたら太るぞ?」

「今のあんたに言われたくないし、私が両方食べるわけじゃないから」


 キャラメルを一粒手の平に乗せてチラリと横目で隣の席を見ると、相も変わらず朝日先生はボーッと前を向いている。

 どう声をかければ自然だろうかと思案していると、私の視線に気付いた先生がふとこちらを見た。


「どうした、空本」

「え、えっと……キャラメル! 食べますか…?」


 声をかけられるとは思わなかった。そのせいで挙動不審になってしまったけれど、先生は気にも止めていないようで私の手元に視線を送っている。

 緊張しながらキャラメルを差し出すと、指先でつまんで珍しそうにじっくりと見つめ始めた。

 そんな先生を見ながら、指先が手の平に少し触れてドキドキしていることを悟られまいと深呼吸を一つして、自分のキャラメルを口に含む。

 優しくも濃厚な甘さが少しずつ口いっぱいに広がって、思わず顔がほころんだ。


「先生、キャラメル好きですよね? この間もラテ飲んでましたし」

「ああ。だが、菓子を食ったのは何年前だったか」


 じっと見ていたのは、そういう理由だったのか。

 先生もキャラメルを口に放り込んでしばらく転がした後、私と同じように頬を緩めていた。

 私と朝日先生は今、同じ味を楽しんでいる。それがたまらなく嬉しくて、同時にとても恥ずかしくなった。

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