第1話 帝国軍vs北方貴族軍①
帝都北方、シュタース平原。
遮るもののない広大な地で、双方合わせて十万を越える軍勢が睨み合っていた。
北に陣を張ったのは、ハイメンダール公爵が率いる軍勢、およそ五万。正統バルトラント帝国を名乗り、北方貴族の半数以上をまとめ上げている。
対するはディアムント率いる帝国軍、およそ六万。数の上では拮抗しているが、騎兵や重装歩兵部隊を多く揃え、下級兵士の装備も比較的恵まれている。正面から堅実な戦いをすれば優位に立てるだろう。
けれど、一人で戦場を引っ繰り返す者もいる。
魔導士の存在を、両軍ともに警戒し合っていた。
加えてもうひとつ、ディアムントには懸念があった。
「その報告は確かなのか?」
本陣に建てた天幕の中で、帝国軍は軍議を行っていた。おおよその議題が決したところで、その報告は飛び込んできた。
戦い方を根本から見直す必要もある報告に、ほぼ全員が顔を顰めたのも当然だった。
「複数の住民からの証言があり、諜報部隊でも確認致しました。反逆者ハイメンダールの領地には、レミディアの飛翔船が停泊しております」
繰り返しとなる報告を受けて、一同が腕組みをして呻る。
しばしの沈黙を挟んで、一人の騎士が苦々しく呟いた。
「まさかレミディアと手を組むとは……」
その可能性も考えられてはいた。しかし武断派であるハイメンダールの性格からして、極めて低い可能性だと思われていたのだ。
飛翔船が見掛けられた、というだけならば偶然とも考えられる。
しかし領地に停泊となれば、手を組んでいるというのが自然だろう。
「だが、偵察ではレミディア兵の姿は確認できなかったのでは?」
「なればこそ危険だ。目立つような大勢の兵士ではなく、目立たぬ戦力を運んできたのではないか?」
つまりは、レミディアの魔導士が敵方に加わっている。
帝国にとって、レミディアの兵だけならば恐れるものではない。たとえ倍の数を揃えてきても、士気と錬度の差で蹴散らせる自信がある。
しかし国土内に多くの古代遺跡を抱えるレミディアは、魔導遺物の扱いに関しては一歩長じている。強力な魔導士も多い。
とりわけ近衛を務める十二騎士は、全員が”戦術級”を越えた、”戦略級”の魔導士として名を轟かせている。
敵に対して、恐ろしい、とは誇り高い帝国騎士はけっして口にしない。
しかしそんな帝国騎士でも、油断ならない、と評するほどの相手なのだ。
「いずれにせよ、今更に撤退はできぬ」
椅子の背もたれに体重を預けたまま、ディアムントは低く声を響かせた。
場の全員から視線を向けられ、自信たっぷりに一笑する。
「それとも、其方らはもう敗北したつもりか?」
「いえ。けっしてそのようなことは……」
「左様。反逆者が小細工を弄しただけのこと。恐れるものではありませぬ」
やや芝居がかっているが、本心から勝利を誓う者ばかりだ。
強力な魔導士が相手でも、いくらでも戦いようはある。臨機応変な対応が求められ、厳しい戦場となるだろうが、それこそ騎士にとっては本望でもある。
それに、”戦略級”というならば、この場にも一人控えていた。
「其方は、どう考える?」
末席に控えているシャロンへ、ディアムントが声を投げた。
全身鎧を着た騎士の中で、シャロンは一人だけ軽甲冑を身につけていた。胸当てを主とした銀色の鎧には、複雑な魔術付与が施されている。所々に傷があるのは、幾つもの激戦をくぐり抜けてきた逸品である証拠だ。
細身の身体にもよく似合っている。艶のある銀髪とも相まって、静かに佇んでいると敵兵すら魅了しそうな美しさを漂わせていた。
初対面の際には、この場にいる騎士たちも陶然として目を奪われた。
けれどいまは、畏敬に似た感情を持つ者ばかりだ。
繰り返し、ディアムントが問う。
「『殲滅の極雷』としては、胸躍る戦いではないか?」
「お戯れを……ですが、その名に恥じぬ戦果をお約束致します」
伏し目がちな表情で述べたシャロンだが、声には自信も滲ませていた。
殺戮の業炎、虐殺の氷嵐、銀髪の悪魔、死を呼ぶ女魔術師―――、
どれも数十年前に、帝国がシャロンにつけた仇名だ。
なかなかに恥ずかしい、と本人は思っている。
しかし過去を否定するつもりはないし、この場での役目も理解している。戦場を前にして士気を挫く訳にはいかないのだ。
「レミディアの十二騎士に関しては、その能力についても聞かせていただきました。なかなかに戦い難い相手もいるようですが……」
「其方でも臆するか?」
「まさか。いくら犠牲を出しても良いというのでしたら、何人でも討ち果たしてみせましょう」
場の全員が揃って息を呑んだ。
この女魔術師ならばやりかねない、と幾名もが胸の内で呻る。
だがそれでも、黙り込む者ばかりではなかった。
「ふん。大言壮語だけならば誰にでもできよう」
比較的若い騎士の一人が、シャロンへと食って掛かる。そのヘルラーン侯爵は、曾祖父をシャロンに討たれたという因縁を抱えていた。
「陛下、この者が強大な魔術師であるのは認めまする。しかし一人に頼った戦術では、取り返しのつかない事態を招きますぞ」
「ふむ……無論、其方らの力も頼りにさせてもらう」
私怨も入っているが、意見としては真っ当だった。
ディアムントはひとつ頷くと、あらためてシャロンへ目配せする。
「ヘルラーン殿」
涼やかな声を放って、シャロンはヘルラーンを真っ直ぐに見つめた。
「貴殿の曾祖父のことはよく覚えております。猛将と呼ぶに相応しい御方でした」
「む……」
「あの御方の血族であれば、激しい気性も当然でしょう。私への遺恨があると仰られるならば、逃げも隠れも致しませぬ。いつでも決闘をお受けしましょう」
物騒な単語に、場がざわつく。
ヘルラーンは腰に手を伸ばしかけたが、それを制したのはシャロンの言葉だった。
「ですが、いまは反逆者を討つことを優先すべき。私も皇女殿下の御側に仕えさせていただき、御二方の平穏を心より願っております。そのために戦うのです。この想いだけは偽りでないこと、どうか信じてもらえませぬか?」
「……承知した。だが、其方ではない。皇女殿下の人徳を信じたのだ」
席に座り直したヘルラーンに、シャロンは恭しく一礼する。
周囲の者はほっと胸を撫で下ろし、そっと感嘆を漏らす者もいた。
そうして、あらためて軍議が再開される。
騎士たちが議論を交わすのを聞きながら、シャロンは探索鳥によって敵陣の様子も眺めていた。
取り立てて珍しいものは窺えない。
まだ本格的な布陣は固まっていないが、比較的密集した陣形を取っている。
だからシャロンは、ぽつりと思った。
まとめて吹き飛ばせば楽そうだな、と。
◇ ◇ ◇
翌日、両軍は平原の中央で対峙した。
ハイデンダールの指示により、北方軍は密集陣形を取って帝国軍を待ち受けている。魔物の群れを相手にする機会が多い北方貴族の兵士たちは、遮二無二向かってくる敵を迎撃するのを得意としていた。
密集陣形を取ったのには、もうひとつ大きな理由がある。
この戦場の勝敗を決する秘策を隠すためだ。
「おお……これは素晴らしいな」
豊かな顎鬚を擦りながら、ハイメンダールは感嘆の声を上げた。
本陣から少し離れた場所に、その天幕は置かれていた。
糧食をまとめて保管できるほど広い天幕に、さらに地面を掘って空間を増している。そうしなければ、この巨体を隠しきれなかったからだ。
「この屍竜を見れば、ディアムントの小僧も恐れおののくに違いない」
ハイメンダールが見上げる先では、つい先程まで氷漬けにされていた竜が太い首をもたげていた。その瞳も、冷え切った体からも、一切の生気が感じられない。
けれど低く呻り、咽喉の奥には赤い炎が渦巻いているのが窺えた。
「ネグロス卿、貴様の力、確かに見せてもらったぞ」
「賞讃の言葉をいただけたこと、こちらも嬉しく思います」
赤黒い屍竜の横で、若い男が一礼した。
レミディア国近衛十二騎士、九位であるネグロスは、およそ騎士とは思えぬほどに痩せた男だった。頭まで覆う暗灰色のローブがひどく似合っている。いっそ死霊術士と名乗った方が、誰もが納得するだろう。
骨と皮だけのような細い手には、漆黒の杖が握られていた。
魔導遺物『死叛天杖』、木炭を歪めて固めたような杖は、あらゆる死体を操れる。準備に多少の時間は掛かるが、生前の能力を持ったまま、幾らでも下僕を増やせるのだ。一匹で万の軍勢に匹敵する竜でさえ例外ではない。
「この赤竜は、かつてレミディア聖都を襲ったもの。十二騎士の一人によって討伐されましたが、私の……いえ、我が国の奥の手でございます。これほどの力をお貸しする意味、なにとぞご理解くださいませ」
「うむ。しかと心に留めておこう」
暗い眼差しを正面から受け止めて、ハイメンダールは鷹揚に頷いた。
なにも言質は与えていない。
戦力として認めはしたが、それだけの関係だ。
協力を申し出てきたレミディアからの使者は、ハイメンダールに皇帝の座に就いてもらいたいと述べた。友好的な関係を築いていきたい、とも。
それを額面通りに受けるほど、ハイメンダールは愚かではない。
帝国の疲弊を狙っての策だとは推測できたが、敢えて乗ってやることにした。
利用できる限りは利用してやればよいのだ。その後は、背後からでも斬り捨ててやればよい。どうせ相手もそのつもりなのだから。
正面から戦うのであれば、ハイメンダールは屍竜さえも討ち果たせる自信を抱いていた。
「しかし……こやつの出番は無いかも知れぬのであろう?」
「そうですな。すでに戦場は、我が配下のものと言っても過言ではありませぬ」
低く咽喉を鳴らして、ネグロスは握った杖を愛でるように撫でる。
痩せこけた指先が、愉悦を味わうみたいに小刻みに震えた。
「巨大狂蟻の群れが、何も知らずに向かってくる奴等に襲い掛かるのです。突然に地下から現れる蟻どもに、次々と喰われ、醜く果てていくでしょう」
「ネグロス殿、私にも活躍の場を残しておいて貰わねば困るぞ」
それまで沈黙していた男が、苦笑混じりに言葉を挟んだ。
レミディアからの援軍は二名いた。全身甲冑に身を包んだアイザッドは、ふとすれば悪趣味に走るネグロスの制止役なのだろう。真っ当な騎士らしい格好をしていて、顔立ちも程々に整っており、それなりに鍛えられた体格をしている。
悪く言えば、これといった特徴の無い男だと言える。
近衛十二騎士の十位であり、魔導遺物『反骨鏡』を持つ。
あらゆる魔術を反射”可能”な力は、巨大狂蟻の群れと合わせれば、とてつもなく厄介なものとなるだろう。
その体液で鋼をも溶かす巨大狂蟻には、接近戦を挑むのは愚の骨頂とされている。弓矢程度では硬い甲羅に阻まれるので、まともな対抗手段は魔術しかない。
しかしアイザッドがいる限り、その魔術はすべて術者に跳ね返される。
たとえ戦術級魔術を雨のように降らされても対処できる。それだけの準備を整えてきたのだ。
「我ら二人の力で、僭帝ディアムントを討ち果たそうではないか」
「う、うむ。そうだな……」
爽やかに微笑むアイザッドに、ネグロスは困惑混じりに頷き返す。どうやら階位は上でも、ネグロスはアイザッドを苦手としているらしい。
二人の遣り取りを窺いつつ、ハイメンダールはまた顎鬚を撫でた。
やはりこやつらの力は捨て置けぬ。
戦いの後に討つべきだな、と。
そんなことを考えていたが、ふと気づいて首を捻る。
「……? なにやら外が騒がしいが……」
呟くと、ちょうど一人の兵士が駆け込んできた。
古めかしい造りの甲冑を鳴らしながら、息を荒げたまま一礼して告げる。
「は、ハイメンダール様、その、外に……」
「なんだ? はっきりと申せ」
「そ、外を御覧ください! なんと申せばよいのか……妙なのです!」
怪訝に眉を寄せながらも、ハイメンダールは天幕の外へと向かう。アイザッドとネグロスも後に続いた。
そして、揃って息を呑む。
「……なんだ、これは……!?」
上空を見つめて、ハイメンダールは呻くように困惑の声を漏らした。
まだ昼前で、つい先程までは青々とした空が広がっていた。
けれどいまは紅く染まっている。天空を業火で焼いたかのように、不自然な光が渦巻いていた。
しかもその焼けるような紅は、帝国軍が布陣する南方から広がっている。
微かに肌を刺すような魔力の流れも感じられた。
まるで、北方軍に対する何か大きな攻撃の準備でもしているかのように。
「いや……有り得ぬ。この距離だぞ。どんな魔術でも届くはずが―――」
否定の言葉を吐き出そうとした直後、ハイメンダールは凍りついた。
見上げる南の空から、何かが迫ってくる。
赤々とした、空を焼くほどの、巨大な、幾つもの―――、
それが降り落ちる大岩の群れだと理解した時には、すでに手遅れだった。
シャロン「メテオ!(極大)」




