第8話 皇帝の責務
子供が老人に剣を突きつける。
まったくもって酷い世界だ。笑ったところで慰めにもならない。
誰だって、こんな光景は望んでいないだろう。
だけど、それでも―――この世界には、剣を握る価値くらいはある。
「…………」
複雑な内心を押し殺しながら、ヴィレッサは真剣な眼差しをアドラバルトへと向けていた。
その力強い眼光を、アドラバルドも正面から受け止めている。
誰一人として、一言も発しない。
周囲の騎士も、文官も、影騎士たちも息を呑んで事態を見守っていた。
永遠にも感じられる時が過ぎて―――、
「……王は一人では成り立たぬ」
退いたのはアドラバルドだった。
ふっと肩を落として、一歩だけ後ろへ下がる。黒剣からも手を離すと、ぐるりと周囲へ視線を巡らせた。
「皆、忠節大義であった。これからも帝国のために尽くして欲しい」
まだ充分に覇気のこもった声で告げる。
そのアドラバルドの顔には、ほんの微かに、けれど確かに笑みが浮かんでいた。
一拍の間を置いて、皆が揃って姿勢を正して礼をする。
ヴィレッサも、若干の緊張感を保ったまま、剣を引いて殺意を治めた。
次にアドラバルドが頷くと、周囲の魔力が大きく動いた。
影兵士たちが光に包まれる。恭しく礼をしたまま、幻想的な光に溶けるように、その姿は消えていった。
後には、現世に生きる人間だけが残された。
「……とうに我は、皇帝である資格を失っていたのかも知れぬな」
ひとつ息を吐くと、アドラバルドは顔を上げた。
天井の上、遥か先にある空を眺めるように目を細める。
「子が項垂れる国に未来はない。偉大なる賢帝ブロスフェルトの言葉にもあったのだ。その言葉を踏み躙った時から、我は間違っていたのであろう」
「……どうして、あたしたちを捨てた?」
ヴィレッサは耳元の髪をそっとなぞりながら訊ねる。
エルフィン族の血が混じっていたからか?
もしや、実の両親は別のところにいるのでは―――、
そう言外に訊ねたのだが、アドラバルドは静かに首を振った。
「其方の血統は完全に正統なるものだ。エルフィンの血も、何代か前に混じったのであろう。医術師によれば、先祖返りというものらしい」
正確には隔世遺伝だろうか、とヴィレッサは考える。
帝国には、数十年前にエルフィンの国と戦争をした歴史がある。しかし現在では講和から時が経ち、比較的友好的な関係が築かれている。貴族の中にも、側室としてなら美しいエルフィンの女を迎える者がいるらしい。
長い耳を持った皇族となれば、奇異の目は避けられなかっただろう。けれどそれも、皇帝が一言を添えれば、貴族たちを黙らせるのは難しくなかった。
ヴィレッサとルヴィスが皇女として育つ可能性は充分にあったのだ。
「だが、当時の我には忌まわしい兆しとしか思えなかった。もしも他に跡継ぎが生まれなければ、国が乱れるのではないかと。その動乱によって、帝国が滅びるのではないかと」
「それで、妙な予言に惑わされたのか?」
いったい、どんな予言だったのか?
ヴィレッサが眼差しで訊ねると、アドラバルドは斜め後ろへ顔を向けた。
そこには藍色のローブを纏った痩せ型の男が、へたり込んだまま震えている。
この場にヴィレッサが乱入した際、最初に逃げ出そうとしていた相談役だ。
自分に注意を向けられると、その男は小さく悲鳴を上げた。
「其方らは、吉兆にも凶兆にもなると言われた。試練を与え、やがて我の元へ戻ってくる際には、帝国の未来を照らす希望になると、な」
「馬鹿馬鹿しい」
ヴィレッサはにべもなく吐き捨てる。
占いや予言なんて、どうとでも受け取れる言葉を尤もらしく並べているだけだ。たとえ的中したとしても、運命なんてものは存在しない。
そう、心の底から断言できる。
「あたしがここに居るのは、自分の意志で選んできた結果だ。大切な人との出会いにも、地獄みてえな戦場にも、予言や運命なんて欠片も関わっちゃいねえ」
「……そうだな。いまならば、その言葉が正しいと分かる」
アドラバルドは首肯して、深く目蓋を伏せた。
「もっと自分と、そして息子を信じておればよかったのだ」
そうして再び目を見開くと、もう一度ヴィレッサを見つめて、玉座の脇にあった黒剣へ手を伸ばした。
ヴィレッサは僅かに眉を揺らす。けれど止めはしなかった。
「この罪は我が背負い、断ち切らねばならぬ」
アドラバルドは身を翻すと、部屋の端へと足を向けた。
まだ立ち上がれない相談役は、みっともなく這いずって逃げ出そうとしていた。
「お、お待ちを、陛下! 新たな予言によれば……」
「もはや聞く耳持たん!」
言い捨てると同時に、アドラバルドは黒剣を振り下ろした。
怯えきった表情ごと頭部を真っ二つにされ、男は血の海へと沈む。
凄惨な光景だったが、誰も悲しみや悼みを向けていなかった。
そして―――、
「ディアムント、そしてヴィレッサよ」
剣から血を払い、再び身を翻したアドラバルドは、その刃を自身の首筋へと当てた。
「後のことは、すべて其方らに任せる。意思のままに生きよ」
「っ、待て―――!」
「―――父上!」
ヴィレッサもディアムントも、咄嗟に駆け出していた。
無論、アドラバルドを止めるために。
けれど、間に合わない。
黒剣には、一切の迷いなく力が込められ―――、
鮮血を噴き上げながら、老体は背後へと崩れ落ちる。
そうして満足げな笑みを浮かべて、アドラバルドは息を引き取った。
◇ ◇ ◇
初めて帝都を訪れた。
その日に、実の父親と祖父に再会した。
城に乗り込んだ。
祖父と戦い、勝つと、祖父が自害して息を引き取った。
「……箇条書きにすると、とんでもねえな」
『城に乱入、とするのが正しい表現かと』
小声で雑談を交わしながら、ヴィレッサは人気のない道を歩いていた。
城の裏手から出て、ゼグードの屋敷へと帰る途中だ。ディアムントが選んでくれた護衛騎士が数名、周囲を固めてくれている。
帝都全体が騒然としていた。
皇帝の急逝はまだ公にされていない。けれど、断傲剣の起動は知れ渡っていた。起動の際に巨大な本体が光り輝くので、隠しようがなかった。
帝国の象徴とも言える魔導遺物が起動したのだ。大騒ぎにもなる。
貴族たちは血相を変えて登城し、住民たちも何事かと不安な顔を浮かべていた。
そんな時に一人で城を出れば、いくら小さな子供でも注目を浴びる。また衛兵達と追いかけっこをする訳にもいかない。
そんな訳で、ヴィレッサはこっそりと帰路についた。
城に留まるという選択肢もディアムントから提示された。けれど落ち着いて考えると、ヴィレッサは密かに屋敷を抜け出してきたのだ。
そう。ルヴィスやシャロンたちに黙ったまま。
きっとゼグードなども異常を察して蒼い顔をしているに違いない。老人に心配を掛ける趣味はなかったので、ひとまず報告のためにも帰ることにした。
シャロン先生にどう報告したものかと考えると、頭を抱えたくなる。
笑って誤魔化すのも、ごめんちゃいしてはぐらかすのも、まず無理だろう。
ともあれ、後日あらためて面会する約束をして、ヴィレッサは城を後にした。
「ま、なんとかなるだろ」
『肯定できかねますが……それよりも、怪我の具合はどうなのでしょう?』
「ん? 怪我?」
『先程の戦闘により、肋骨の損傷が確認されています』
あ、とヴィレッサは思わず声を漏らす。
話を聞いていた護衛騎士も、眉を吊り上げて蒼ざめた顔をしていた。
『まさか、忘れていたのですか?』
「あのな、そういうことはもっと早くに……ぁ、痛っ、思い出したら急に……」
「皇女殿下!? 城へ戻りましょう、すぐに治療術師を……」
「変な呼び方するんじゃねえ! それに、大した怪我じゃねえんだよ!」
大声を上げただけで、全身に痺れるような痛みが走った。
それでもヴィレッサは護衛騎士を押し退け、足を進めようとする。
だけど数歩進んだところで立ち止まった。
頭上から、いきなり真っ白な鳥が舞い降りてきたからだ。
護衛騎士たちが腰の剣に手を掛ける。
けれどヴィレッサは、その鳥に見覚えがあった。
「―――待て!」
制止の声を上げると、また脇腹から痛みが沸き上がった。だけど安堵もする。
舞い降りてきたのは、シャロンの探索鳥だ。どうやらヴィレッサを探してくれていたらしい。
鳩に似た探索鳥は、小さく首を傾げつつ口を開いた。
『ヴィレッサ、貴方いったい何をしてるの? その騎士たちは!?』
「大丈夫。味方だから。ちょっと城に行ってただけで、えっと……」
『城に? まさか、この騒ぎと関係してるの!?』
「詳しくは後で話すから、迎えに来てくれると嬉しいかなあ」
冷や汗混じりの笑みを浮かべながら、ヴィレッサは道の脇へと足を向けた。
ふらふらと木陰へ歩み寄る。そうして、ぺたりと腰を下ろした。
『っ……分かったわ。そこでじっとしてなさい!』
探索鳥に頷いてから、ヴィレッサはぼんやりと空を眺める。
やっぱり怒られるかなあ。言い訳はしない方がいいかも。
それに、今日のことは悪い結果じゃないと思いたい―――。
そんな風に考えている内に、上空から人影が近づいてきた。
空飛ぶ修道女なんて、きっと帝国でも一人しかいない。
「―――ヴィレッサ!」
安心できる声を聞いて、ヴィレッサは静かに目を閉じた。
非公式ながら幼女皇女誕生です。
そして帝都編は、実はまだ半分もいってないですかね。




