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政略ではなく

 今思い返せば、あの日、自分が男の子の熱を鎮められたのは、里で測られるような〝異能の強さ〟ゆえではなかったのかもしれない。

 自分の異能は、猛吹雪を起こせる氷華のような量的な強さではなく、特定の相手に深く作用する、繊細で的確な力だったのではないだろうか。量は少なくとも、質において誰にも真似できないものだったのだろう。


(里で〝無能〟と思われていたことはつらかった。けれど、この力が灯哉様をお救いするためのものだったのだとしたら……とても、うれしい)


 意識を漂わせながら、雪菜はぼんやりとそう思う。


「……あの時の男の子が、灯哉様だったのですね」

「ああ。あれからおまえの存在にどれだけ励まされていたことか。いつかお礼を伝えたいと、ずっと捜していた。まさか、贄として遣わされたのがおまえだったとはな」

「……わたし、思い出しました。あの日、あなた様と交わした約束のことを。あなた様をお助けできて、わたしの異能でも誰かの役に立てるのではないかと――そう信じて、今日まで生きて来られたのです。あのとき出会ってくださって、ありがとうございます、灯哉様」


 雪菜は、今までの感謝を込めて、心からの笑顔を灯哉に向ける。今まで、周囲を窺うような控えめな表情しか浮かべられなかったけれど、このあふれるほどの感謝の気持ちを伝えたくて、ありったけの想いを込めて雪菜は笑んだ。

 その不意打ちのような笑顔に、灯哉が息を呑む。


「……っ」


 言葉にならないまま、灯哉が雪菜の体をぐっと引き寄せ、強く抱きしめた。


「灯哉様……⁉」


 驚いて身を固くする雪菜の耳もとで、灯哉が切なげにささやく。


「あの日から、俺はずっとおまえを待っていたのかもしれない。……雪菜。政略などではなく、俺はおまえ自身に、俺の隣にいてほしいと思っている」


 雪菜の目に、じわりと涙がにじむ。誰からも必要とされないと思い込んでいた自分に、こんな未来が待っていたなんて。

 雪菜は、遠慮がちに、灯哉の大きな胸もとに頬を寄せる。


「わたしで、よろしいのですか。……こんな、弱い異能しか持たないわたしで」

「弱いだと? おまえは俺の炎を鎮められる、この世でただひとりの存在だ。それ以上、なにを望む」


 力強い言葉に、雪菜は静かにうなずいた。頬を伝う涙は、もう悲しみのものではない。

 灯哉は、雪菜の頬に伝う涙を、指先でそっとぬぐう。


「……雪菜」


 名を呼ぶ声に、これまでにない甘さが混じっている。

 灯哉の指先が、雪菜の顎に触れ、そっと持ち上げた。金色の瞳が、まっすぐに雪菜を映している。


「嫌なら、突き放せ」


 そう言った灯哉の声は、けれどもわずかに震えていた。突き放されることを、どこかで恐れているかのように。

 雪菜は、答える代わりに、そっと目を伏せた。

 そうして触れた唇は、驚くほど熱かった。灯哉の体温そのままの、燃えるような熱。けれどその熱は、雪菜を焼くのではなく、ただ優しく包み込むだけだった。

 短く触れて離れたそれに、雪菜はゆっくりとまぶたを上げる。

 至近距離で目が合うと、灯哉は珍しく、ばつが悪そうに視線をわずかに逸らした。その仕草に、いつもの威厳ある炎鬼の姿ではなく、ひとりの青年としての灯哉が垣間見える。


「……すまない。我慢が、きかなかった」

「……いいえ」


 雪菜は小さく首を振ると、頬を染めながら、もう一度、灯哉の胸にそっと身を寄せた。


「わたしも、ずっと灯哉様のお側にいたいと、思っていましたから」


 灯哉の腕が、確かめるようにゆっくりと雪菜の体を包み込む。

 燃えるような炎の力と、それを鎮める雪の力――ふたつがようやく、ひとつに溶け合っていくようだった。



***



 数日後、千影は大広間に呼び出された。

 灯哉が、下級妖魔を雇い雪菜を陥れた罪を、すでに調べ上げていたのだ。


「……千影。申し開きすることはあるか」


 灯哉の低い声に、千影は初めてうろたえた表情を見せる。


「灯哉様……。わたくしは、ただ」

「雪菜を傷つけた。事実はそれだけで十分だ」


 千影はしばらく唇を噛みしめていたが、やがて肩を落とし、静かに頭を垂れた。


「……悔しいですけれど、負けを認めますわ。灯哉様が、そこまでひとりの女性を想われる姿を見るのは、初めてでしたから」


 それだけ言うと、千影は振り返ることなく屋敷を後にした。


 ――またいつか、会うことができるだろうか……。


 雪菜は遠ざかる背中に向かって、静かに頭を下げた。

 そうして千影は妖魔を雇った罪により、都からの追放を言い渡された。


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