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幼き日の約束

(あれ、ここは――)


 目を覚ました雪菜の傍らには、憔悴しきった様子の灯哉がいた。傷の手当てをされた腕には、真新しい包帯が巻かれている。

 瞬きしている雪菜を目に入れるなり、灯哉が心底ホッとしたふうに顔をゆるめた。


「……気がついたか、雪菜」

「灯哉様……。ご心配をおかけしてしまって、申し訳ございません。あの、わたし、あれからなにがあったのでしょうか」


 現世の霊山で、異能を暴走させてしまった灯哉を鎮めてから、記憶が途切れている。

 おそらく自分は倒れてしまったのではないだろうか……。


「傷ついたおまえを常世の屋敷へ連れ帰り、そのままおまえは一晩目を覚まさなかった。桔梗がつきっきりで看病してくれていた」


 灯哉はそう言うと、雪菜の顔をまじまじと見つめた。その瞳には、これまで見たことのない後悔と自責の念が浮かんでいる。


「……すまなかった。俺のせいで、おまえを傷つけた」

「そんな、灯哉様のせいではございません。それに、灯哉様は現世までわたしを助けに来てくださいました。命の恩人でございます」


 あのとき灯哉が駆けつけてくれなかったら、どうなっていたことか。

 あのまま妖魔の餌食になり、今ごろ自分はこの世に存在していなかったかもしれない。

 元気なところを見せようと身を起こそうとすると、全身に軋むような痛みが走った。そんな雪菜の肩を、灯哉が慌てて支える。その大きな手の温もりに、雪菜は思わず頬を染めた。


「無理をするな。まだ、傷が塞がっていない」

「……ありがとうございます」


 雪菜が微笑むと、灯哉は少しためらうように、ぽつりと語り始めた。


「……実を言うと、俺とおまえが会うのは、これが初めてじゃない」

「え……?」

「昨晩、おまえを看病する桔梗と共にいた時に、思い出したのだ。幼い頃、まだ力を制御できずにいた俺は、火焔を抑え込める雪呼びの民の噂を聞いて、ろくに考えもせずに里の近くまでやって来たことがあったんだ」


 記憶を呼び起こしている雪菜に、灯哉が言葉を続ける。


「幼い俺は、まだ制御できない炎鬼の力を無意識に垂れ流している状態だった。……あの時、霧の中で俺を救ってくれたのはおまえだったんだな」

「そんなことが……?」


 けれど、なぜだろう。遠い昔、その光景を知っているような――。


「俺はどうしていいかわからず、情けなくもただ泣いていた。そこで、近くを通りかかったらしい小さな女の子に助けられたんだ。『いつかわたしの力があなたの役に立てますように』と、言われたのを覚えている」

「あ……」


 灯哉の言葉に導かれるように、雪菜の脳裏に、その日の光景が鮮やかに蘇ってくる。


 ――そうだ。確かに、幼い頃に見知らぬ男の子と出会ったことがあった。


 あの時、自分もなにか用事をこなしている最中であったから、他愛のない出来事として忘れてしまっていたけれど……。


(もしかして、あの時お助けした男の子が、灯哉様……?)


 雪菜は、光景を思い出すように目を閉じた。



***



 雪の降りしきる森の中、五歳の雪菜は、誰かの尋常ではない泣き叫ぶ声を聞いて足を止めた。

 様子を窺うように木々の隙間から覗いた先には、小さな男の子がうずくまっている。その身の周りだけ、雪が近づくそばから、じゅっと音を立てて蒸発し、湯気となって立ち昇っていた。


「うわああああっ……!」


 男の子の泣き声に呼応するように、周囲の陽炎が激しく揺らめく。木の幹が焦げ、雪解け水が沸き立った。誰か大人を呼ばなければ――そう思うより先に、男の子の悲痛な叫びに寄り添いたくて、雪菜の足は自然と男の子のほうへ駆け出していた。

 目の前で震えている小さな背中が、あまりにも心細そうに見えた。雪菜がそっと手を伸ばすと、男の子の肩がびくりと震えた。


「……近づいては、ダメだ。熱いから。離れて」


 かすれた声で、男の子が言った。

 触れれば火傷をするとわかっていながら、それでも雪菜は手を止めなかった。


「大丈夫。わたしも、こわいのも、さみしいのも、わかるから」


 雪菜は小さな手で神楽鈴を取り出すと、たどたどしく神楽を舞い始める。ただ目の前の男の子に寄り添いたいという、その一心だけだった。それなのに、神楽鈴から発せられる弱々しくも清らかな輝きが、燃え盛っていた炎をやわらかく包み込んでいく。

 男の子の荒かった息が、少しずつ静かになっていく。焦げついていた木々の匂いに混じって、しん、と冷たい空気が戻ってくるのがわかった。安心させるように、雪菜は男の子の手を握った。


「……おまえの手、あったかい」


 ぽつりと、男の子がつぶやいた。火傷をするほど熱かったはずの体温が、いつのまにか、雪菜の手のひらに馴染むくらいまで落ち着いている。


「よかった。わたしもよくわからないけれど、なんだかうまくいったみたい。きっと、もう大丈夫だよ」


 雪菜は微笑むと、つないだ手にもう一度、そっと力を込めた。


「いつか、わたしの力があなたの役に立てますように」


 なぜそんな言葉が口をついて出たのか、幼い雪菜自身にもわからなかった。

 ただ、目の前の男の子の悲しみが、少しでも和らげばいい――それだけを、心から願っていた。

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