Episode 42:前編
Episode 42:前編
「純白の論理と消えたカカオ(J-A-N-V-I-E-R)――几帳面な探偵と不揃いな密室」
ヤードに現れた「1ミリの歪みも許さぬ紳士」
ロンドンの夏空に、時折気まぐれな通り雨がパラつく平日の朝。
スコットランドヤード広報課のオフィスに、異様なほど端正な身のこなしをした小柄な紳士がやってきた。
彼の歩調はきめて独特で、ヤードの床のタイルの継ぎ目をミリ単位で気にしながら、完全に均等な歩幅で歩を進めている。衣服には塵ひとつなく、眼鏡のフレームの角度まで完全に水平だ。
「失礼、マドモアゼル。私はベルギーから参りました、私立探偵のルネ・ジャンヴィエと申します。本日は大英帝国の誇るスコットランドヤードに、非常に『秩序と左右対称』を欠いた不愉快な事件の相談に参りました」
その極度の潔癖症と思える仕草とは裏腹に、彼の瞳はまるで研ぎ澄まされたレーザーのように、オフィスの配置を鋭く観察していた。
ハナコ・ハート刑事は、お盆の上のティーカップの向きを彼の美学に合わせて正確に揃えながら出迎えた。
「ジャンヴィエ先生、ようこそヤードへ。どのような事件でしょうか?」
ジャンヴィエ氏は、ポケットから真っ白な絹のハンカチを取り出し、デスクの上のわずかな歪みを整えてから、厳かに話し始めた。
「実は、ベルギー王室に献上されるはずだった、特殊な高密度分子データを含む『暗号化チョコレート』の新作サンプル一箱が、ロンドンへ搬送される国際特急のコンパートメントから丸ごと消失したのです。鍵は内側からかかっており、泥棒の靴跡すら残されていない。まさに、私の『純白の論理回路』に対する不調和な挑戦ですな」
(……ふむ。暗号化チョコだと? 間違いない。白猫が、次世代の超高密度データ記憶媒体のプロトタイプを強奪したな。奴はそのチョコの分子構造に、大英帝国の国家機密データを書き込んで密輸しようとしているのだ)
ポケット・ビーグルのホームズは、デスクの上からこの完璧主義の外国人探偵へと冷徹なロジックの視線を走らせた。二つの偉大なる知性が、無言のまま火花を散らす。
ホームズのブロック配列と、バーバラの「素直な秩序解読」
(ハート君、バーバラ君。ジャンヴィエ氏は神経質に振る舞っているが、彼の頭脳はすでに犯人が乗り換えた車の『ギアシフトの音の不調和』と、現場に残された『特有のワックスの匂い』を完全にプロットしている。このパズル、ベルギーの美学とヤードのデータを同期させて解くぞ!)
ホームズはデスクの上のアルファベットブロックを7つ、前足で一寸の狂いもない直線状に並べ替えた。
[ J - A - N - V - I - E - R ]
「ホームズ様、私、ジャンヴィエさんのノートの取り方を見ていて気づいたべ!」
お茶を淹れ直してきたバーバラが、いつも通り素直で曇りのない視線で、彼が几帳面にペンを置いた位置を指差した。
「ジャンヴィエさんがペンをカチカチと置くリズム、これ、ベルギーの国際列車の時刻表の『発車ベルの周波数(JANVIER)』ぴったりだべ! 犯人が密室からチョコを連れ出した正確な【分単位のタイムライン】を、そのリズムで私たちに教えてくれてるべ!」
(素晴らしいぞ、バーバラ君! 君の素直な秩序への感応力は、彼の完璧主義と完全に共鳴している! 『JANVIER』のコードとは、密室の謎を解くための、完璧なる『時間のグリッド』だ!)
ハート刑事は、デスクに並んだ7つの文字を静かに見つめ、トレンチコートの襟を正した。
「……なるほど。ジャンヴィエ(JANVIER)。犯人は完璧な密室を作ったつもりでしょうけど、ベルギーが誇る『秩序の塊』と、大英帝国の名探偵を同時に敵に回したのが最大の計算違いね。バーバラちゃんの言う通り、列車の発車時刻とワックスの匂いのデータから、犯人がチョコを運び込んだ『ロンドンブリッジ裏の地下製菓工場』の座標が完全に逆算できるわ!」
「そういうことだべ、ハナコ姉様! どんなに隠しても、不揃いなデータはすぐにバレるべ!」
ハート刑事は、几帳面な探偵の「静かなる秩序」を素直に受け止めた3人と一匹は、消えたチョコレートの謎を解き明かすため、決戦の地へと向かって猛スピードでヤードを飛び出した。




