Episode 63:中編
Episode 63:中編
「血統のシンメトリー(M-O-T-H-E-R)――老犬ヴィクトリアの暗号と、静かなる脅威」
2頭のポケット・ビーグルが紡ぐ「無音のロジック」
「聖マルタ養老院」の静かな中庭で、ホームズと母犬ヴィクトリアは、じっとお互いの瞳を見つめ合っていた。
そこには言葉も、ハナコ刑事の豪快なアクションも、バーバラちゃんの賑やかなステップもない。ただ、大英帝国最高峰の遺伝子が交わす、完璧な対称性を持つ「無音の会話」だけが流れていた。
(お久しぶりです、母上。貴女のその冷徹かつ健全な瞳の輝き……私がロンドンの街で悪のバグを修正し続けるための論理の針は、多分、貴女から受け継いだものだったのですね)
老犬ヴィクトリアは、愛おしそうにホームズの耳元をひと舐めすると、敷物の隅っこを前足で小さく引っ掻いた。
そこには、彼女が日々静かに並べ替えていたと思われる、養老院のレクリエーション用の小さなアルファベット・ブロックが隠されていた。
[ M - O - T - H - E - R ]
「ハナコ姉様、見てるべ……大先生とお母さん、11ミリのズレもなく同じ角度でブロックを見つめてるべ。ハチャメチャを封印して静かに見守ってると、二人の周りだけ時間がノーリミッツに優しく流れてるのがわかるべ……」
バーバラがデータノートをそっと抱きしめ、素直な瞳に涙を浮かべて呟いた。
ハート刑事も、息を呑んでその美しい光景を見守っていた。
「ええ、バーバラちゃん。ポチ君がいつも私たちの前で見せる『正義のレシーブ』の原点が、あの優しいお母さんの眼差しの中にあるのね」
ブロックが示した「11ミリの違和感」
しかし、世界一知的な名探偵の灰色の脳細胞は、母犬が示したブロックの配列の、わずかな「非対称」を見逃さなかった。
(ふむ? 『MOTHER』の配列の右端……養老院の地下から伸びる中央暖房のパイプの振動と、ブロックの影の落ち方が、わずかに【1.1ミリ】だけ歪んでいる。これは……母上が私に遺した、ただの親子の挨拶ではない。この静謐なる養老院のインフラの底に、何者かが仕掛けた冷酷な電脳トラップのノイズか!)
ヴィクトリアはホームズの意図を察したように、「クゥン」と小さく鳴き、中庭の奥にある地下ボイラー室への鉄扉を視線で指し示した。
「大先生、どうしたべ? お母さんのメッセージに、何か事件のシグナルが混ざってるべか!?」
バーバラが素早くデータノートを起動し、養老院のセキュリティ・ログをスキャンした。
「ハナコ姉様! 大変だべ! キャサリンの高級タワマンの建築グリッドと、この歴史ある養老院の地下データ弁が、何者かの手によって不自然に同期されてるべ! 次の**【110秒間】**の間に地下のメインバルブをニュートラルに戻さないと、この養老院全体のインフラが過負荷で完全シャットダウンしてしまうべ!」
「なんですって!? 聖なる養老院と、お母さんの静かな余生を脅かすバグなんて、絶対に許さないわ!」
ハート刑事の瞳に、鋭い正義の炎が灯った。
(ハート君、バーバラ君、足音を立てず、11ミリの無駄もなく、白猫さえも驚くような静寂のロジックで地下へ潜入するぞ!)
「ワン(静かに)」
母犬ヴィクトリアの健全な想いを背負い、ホームズを先頭に地下の暗闇へと足を進める2人と一匹。養老院の平和を守るための、最も静かで、最も張り詰めたカウントダウンが、今まさに始まる――!




