エピソード10:今日も四畳半から、世界の平和(と流行)が作られる(最終回)
東京スカイツリーでの死闘(主にシロップと虫による物理攻撃)から、数日が経過した。
全身をドロドロのタピオカ漬けにされ、完全に心を折られた白鳩の使者は、泣きながら天界……もとい、中央統括委員会へと逃げ帰っていった。
後日、黒江のネットワークに入った情報によると、シロハトは上層部に対して『人間は予測不能で不衛生極まりないため、初期化は困難。無期限の観察処分とするのが妥当』と涙ながらに報告したらしい。
こうして、神々による「人間初期化計画」は事実上の凍結となった。
地球全土を巻き込むはずだった未曾有の危機は、ニュースにすらならず、ひっそりと回避されたのだ。
「……おいサル。私の紅茶が冷めているぞ。アルミホイルの輝きも足りない。やり直しだ」
「健太ー! 昨日のピザの耳、もう全部食べちゃった! 新しいジャンクフード買ってきてー!」
「……お前ら、世界を救った大恩人に対してその態度はどうなんだ」
俺の家賃三万円の四畳半ボロアパートは、今日も相変わらず騒がしかった。
窓際では黒江が偉そうに足を組み、押し入れの奥ではチャコが腹をさすって転がっている。
人類は滅亡を免れたが、俺の平穏な日常が戻ってきたわけではない。
むしろ、クーデターを成功させたことで、この四畳半は正式に「中央の干渉を受けない、極東エリア独自の共同戦略会議・永世中立地帯」として箔がついてしまったのだ。
「フン。大恩人などと調子に乗るな。お前はただ、我々上位存在の機嫌をとるのが少し上手くなっただけの、ただのファシリテーター(世話係)だろう」
黒江は鼻を鳴らしながらも、俺が新しく買ってきた金色の折り紙を嬉しそうに受け取った。
「そうだよー! 健太はアタシたちの特別顧問なんだから、もっと美味しいものを供給する義務があるんだよ!」
チャコも文句を言いながら、俺が差し出した特売のポテトチップスをひったくるように受け取り、満面の笑みを浮かべる。
「ハイハイ。特別顧問でも世話係でも、なんでもいいよ」
俺は苦笑しながら、自分用に淹れた安いインスタントコーヒーをすすった。
相変わらず口は悪いし、態度はデカいし、家賃も払わない。
だが、あの日、俺の手の上に重ねられた二人の手の感触を、俺は忘れていない。こいつらはポンコツで欲深い神様だが、俺たち人間の「くだらないけど快適な文化」を愛してくれた、大切な同居人だ。
「さて、本日の『共同戦略会議』を始めるぞ。今日の議題だが……」
黒江がコホンと咳払いをして、表情を引き締める。
「最近、人間の若者の間で『暗髪』が流行っているらしいな。これは良くない。黒は我々カラスの特権だ。金髪か、せめて茶髪を流行らせるようにSNSを操作しようと思う」
「えー! 茶色はアタシたちゴキブリの色でしょ! 勝手に使わせないでよ! もっと奇抜な緑とかピンクにさせようよ!」
「……お前ら、相変わらずしょうもないことで世界を動かそうとするな」
俺はやれやれと肩をすくめながら、いつものようにツッコミを入れる。
生態系のトップに君臨していると思い込んでいる人間たち。
だが、その世界の裏側では、誇り高いカラスと、しぶといゴキブリが、今日も人間の流行やインフラを勝手にコントロールしている。
そして俺は、そんな神々の会議を「三百円のチョコレート」や「特売のポテチ」でなだめすかし、世界が変な方向に転がらないように調整する、人類の影の守護者。
「ほら、二人とも落ち着け。髪の色なんてどうでもいいだろ。それより、明日の天気の話でもしようぜ。黒江、明日バイト休みだから晴れにしてくれない?」
「フン、仕方ないサルだな。アルミホイル一枚で手を打とう」
人間が万物の霊長だと思っていた時期が、俺にもありました。
でもまあ、今のこの、四畳半から世界を回す理不尽で騒がしい生活も、悪くない。
(了)




