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超えた時間と越えられない感情  作者: 間中未森


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2/2

記憶 閉ざされた世界で

久しぶりの投稿です。

今回は休眠前のお話になります。よろしくお願いします。

 迎えに来た車に乗って、どのくらい時間が経過してだろうか。何度も道を曲がり、橋を渡った。車窓から見える景色が、街並みから背の低い家々に変わり、やがて視界の多くが木々に変わる。


 助手席の職員に、窓を開けてもいいか尋ねる。いい顔はしなかったが、拒否もされなかったので、手元のスイッチで窓を開けた。

 入り込む風とともに木々の香りと水の音がコウタを包む。木々に隠れて見えないが、近くに川でも流れているようだ。山に入るのか登りの道が続き、身体に重力を感じる。ここまで離れても道は舗装されており、車が揺れることはない。時々景色が開ければ、遠くに街が見えた。


 これが、最後の景色だ。肺一杯に息を吸う。ゆっくり息を吐きながら、視界が霞みそうになるのを気付かないようにしていた。


「そろそろ到着します」


 助手席の職員に声をかけられ、コウタは、声をかけてきた職員に一瞥してまたすぐに外を見る。名残惜しむように窓を閉めた後も、窓越しにずっと流れる景色を見ていた。


 ほどなくして、十台ほどが止められる駐車場で車から降ろされた。車のトランクから荷物を受け取り、男とともに駐車場脇の小道を下る。すると、そこには同じように荷物を持った五人の男女とスーツ姿の男がいた。荷物を持った五人は、恰好はばらばらだが、皆一様に若い。


(人口休眠の募集年齢が16歳から25歳だから当然か)


 コウタは、一人納得して周囲を見るが、建物らしきものはない。どういうことかと思っていると、スーツ姿の男が説明してくれた。


「あそこに見えるのが人工休眠の施設です。外気の影響を最小限にするため、施設は地下にあります。ある程度の衝撃にも耐えられるよう、シェルターの役割も担っています。では、こちらへどうぞ」


 一緒に乗っていた職員が、動き出した集団についていくようコウタを促す。促された方へ視線を向けると、少し離れたところにある洞窟のような穴の奥に無機質な扉が見えた。周囲の岩に色を寄せているせいか、言われるまで気づかなかった。


 近づいてみると、見るからに重そうな扉は、こちらの世界との隔絶を感じさせた。これをくぐればもう戻ることはできないのだと、コウタの身体が少し強ばる。家族を見捨てる後ろめたさか、家族に縋られる恐怖から逃げられる喜びか、コウタ自身にもよく分からなかった。ただ、目の前の扉には、最後の覚悟を求められているように感じた。


 職員が、扉の横にあるパネルへ手を翳す。すると、ロックが外れるような機械音のあと、扉が左右に開き始める。扉の向こう側が陽圧になっているのか、施設の中から空気の塊が押し寄せるのを感じて、一瞬怯む。反動で身体が傾いたところを隣にいた職員に支えられる。


「っ、……すみません」


 コウタの身長は、標準的な高校生と大差ない。しかし、体格は明らかに細身だった。両親と妹の介護を優先する生活で、自身の食事はいつも後回しだったからだ。


「大丈夫ですか?」

「大丈夫です」


 隣を歩いていた職員に声をかけられる。コウタは、気まずさを隠すように視線を外しながら答え、施設の中へ足を進める。全員が施設に入ると、扉は自動的に閉まった。入る前に感じた圧は、中に入ってしまえば特に感じることはなかった。


 コウタは改めて周囲を見る。大人が三人ほど並べる広さの廊下が十メートルほど真っすぐ伸び、つきあたりは壁になっていた。地下の施設のためか、窓はない。コンクリートと配管がむき出しの天井は工場といわれても遜色ない。一定間隔で照明がついているため、十分に明るいはずだが、どこか暗さと閉塞感を感じる。


 先頭を歩く職員に続いてつきあたりまで進んだところで、横手にエレベーターが現れた。促されるまま全員が乗り込み、職員がパネルを操作する。エレベーター内の表示ランプが一つずつ下に移動していく。

 表示ランプの一番下でエレベーターが止まり、扉が開く。先ほどとうってかわって、正面に黒い大理石と木目のアクセントの入った壁が視界に入る。間接照明もあって、ホテルのラウンジのような雰囲気だ。


「ここは、人工休眠のカプセルに入るまで、みなさんに過ごしていただく居住区です」


 職員の話では、人工休眠の精度を上げるために、身体の状態を整える必要があるらしい。準備が整うまでの約四〜五週間、この居住区で過ごすようだ。


「あちらは共用スペースで、食堂、ラウンジ、ジムコーナー、シャワールームがあります。エレベーターを挟んで反対側が皆さんの部屋です。すべて個室です。部屋の正面は職員用のワークスペース、検査室、共用のトイレ、洗面所です」


 職員の話を聞きながら、コウタは、この施設での過ごし方などを把握していなかったことを思い出す。普段なら説明書はしっかり読むのだが、この半年はそんな余裕はなかった。身体的にだけでなく精神的にも追い込まれた。そんな日々から逃げたくて、縋る思いでこの人工休眠に申し込み、説明をとばして今日を迎えていた。


(そのくらい追い込まれていた)


 毎日のようにコウタを呼ぶ声。

 ――――あなただけが頼りなの。

 ――――家族だから安心できる。

 ――――お兄ちゃんだけが障害がないの。

 ――――私たちを助けて。

 ――――少しだけ。

 ――――お兄ちゃんが学校行ってる間は、私も我慢してるの。

 ――――動けない気持ちをわかって。


 巻き込まれた事故で大怪我をしたものの、コウタだけが障害が残らなかったのは、偶然でしかない。はじめは純粋に家族の助けになりたかった。しかし、絶え間なく続くお願いに心が疲れてしまった。

 学校なんて、もう何ヶ月も行ってない。人が生きていくのに、こんなにお金がかかるなんて思ってもいなかった。いろんな支援を受けていても、いつの間にか無くなっていて、学校どころではなくなってしまった。

 けれど、それを家族には言えなかった。言えば、家族のお願いが増える気がして怖かった。


 (だから、逃げたんだ。家族が届かないところに)


 コウタは、気持ちを切り替えるように頭を振る。

 一通りフロアの説明を終えた職員は、胸ポケットから何かを取り出し、コウタたちに配り始めた。どうやら部屋の鍵らしい。


「何か質問はありますか?」


 職員に問われ、一人が手を挙げた。癖のある髪を後ろで一つに結んだ小柄な女の人だ。制服を着ているところ見ると、コウタと同じ高校生かもしれない。


「ここって何人いるの?」

「個室は全部で十五室あります。今は、皆さんを含め十人です」

「準備って、何するの?」

「日々の健康チェックの他に採血や処置などがあります。検査や処置は前日までにお知らせします」

「処置って?」

「詳細は別の職員が後で説明しますが、痛みを伴うものではないと聞いています」

「ふーん、準備ができたら、どうするの?」

「職員が個別に声をかけさせていただき、カプセルまでご案内します」

「あ、そ」


 立て続けに質問して満足したのか静かになる。すると、やり取りが終わるのを待っていたのか、次の手が上がる。


「ここにいる間、面会はできますか?」

「申し訳ありません。外部との接触は休眠時の身体に影響が出るので、面会はできません。居住者同士の交流は昼間の時間であれば問題ありません」

「そうなんだ……」

「あ、俺も聞いていいか? 部屋で食事してもいいのか?」

「飲み物以外はご遠慮ください」

「だりぃな」


 一通りの質疑応答が終わると、いったん解散となった。コウタは、受け取った鍵が示す部屋に移動する。

 部屋の中は、淡いブルーグレーの落ち着いた印象だった。シンプルな簡易ベッドと一人用のテーブル、椅子が備え付けられている。テーブルには、両手ほどの大きさのタブレットが置かれていた。


 持っていた荷物を椅子に置き、コウタはベッドに腰掛けた。

 鞄の中には、数枚の着替えと家族の写真。連絡がとれる端末は全て置いてきた。コウタは、写真を手にとる。家族から逃げたのに、この写真だけは手放せなかった。写真の中の家族は、楽しそうに笑っていた。


 何をするわけでもなくぼんやりしていると、ノックが鳴った。返事をすると、扉を開けて知らない顔が覗く。灰色に紺のラインが入ったスクラブを着ており、ここの職員のようだ。


「食事の準備ができたので、食堂までご案内します」

「あ、はい」


 さして空腹では無かったが、食堂の場所を把握するために部屋を出る。ここに来たエレベーターを通り過ぎ、食堂に入る。中は、部屋の中央に広めのテーブルが二つ並び、壁際にも奥行きの狭いテーブルが設えてあった。入り口横の棚には料理が並べられており、セルフサービスシステムのようだ。


「食べられないものはありますか?」

「特に、ない、です」

「わかりました。メニューは、体調管理を考えて調理されています。主食、主菜、副菜、汁物のコーナーから一品ずつおとりください。食堂の座席は好きなところをお使いください。終わりましたら、あちらの返却口に食器をお戻しください」

「はい」


 職員はコウタが返事をすると、「では、失礼します」と言って、食堂から出ていった。コウタは、料理が並べられた棚から皿をとり、座席を見る。中央のテーブル席には既に人の姿があり、空いているのは、奥行きの少ない壁際のテーブルだけだった。コウタは壁際の端で唯一空いていた席に座る。


 すると、コウタに近づいてくる者がいた。


「隣、いい?」


 見上げると、職員に質問をしていた女子だった。どうして自分の隣なのかコウタは不思議に思ったが、断る理由もなく頷く。


「私は、イラ。あんたは?」

「コウタ」

「ふーん、それ、好きなの?」


 視線が示すのは、コウタの食事。トレイには焼き魚とお浸し、味噌汁が載っている。


「特別好きなわけではないけど……何?」

「何が?」

「……いや、なんでもない」


 コウタは、初対面で急に距離を詰められ、思わず体が引いてしまった。

 この施設には人口休眠をするために来ている者しかいない。いずれは全員眠りにつくのならば、無理に馴れ合う必要もない。コウタは視線を食事に戻し、食べ始める。時々イラからの視線を感じたが、気づかないふりをして食事を続けた。


 食事を終えて部屋に向かい、扉に手をかけたところで声をかけられた。声の方に振り返ると、職員用のワークスペースから、小柄な女性職員がコウタに近づいてきた。


「食事は終えられました?」

「ええ、まあ」

「担当職員のモチヅキと申します。食事のすぐ後で申し訳ないですが、お部屋で健康チェックの説明をしてもいいですか?」

「あ、はい。分かりました」


 特にすることもないので、了承とともに部屋に入る。部屋には椅子が一脚しかないので、どうするか迷っていると、モチヅキに椅子を勧められた。


「到着したばかりで、落ち着かないですよね」


 モチヅキは、穏やかに微笑む。


「ああ、まあ」

「今、体調はどうですか?」

「特に何も」

「では、健康チェックについて説明しますね。こちらのテーブルにあるタブレットを使用します。コウタさん、タブレットに掌を置いてもらえますか?」


 言われるがままに、タブレットに手を置く。


「ありがとうございます。掌をのせると、タブレット内のセンサーが体温と脈拍、酸素飽和度などを測定します。測定された値は、自動でタブレットに記録されます」


 説明とともに、タブレットの画面が光り、スキャンのような動きをする。


「いいですね。では、今日から毎日、起床時と就寝前の二回、このタブレットに触れるようお願いします」

「起床時と就寝前、ですね」

「はい、お願いします。次に、脳波を測定する端末シールを貼ります。シールといっても、スタンプのようなものなので、違和感はないと思います。一応、剥がれないように両耳の中に貼ります」

「耳の中ですか?」

「はい。えっと……こんな感じのものです」


 モチヅキは、持参していた鞄の中から、ペンのような形をした金属と透明なシートを取り出した。


「シールの大きさはペン先くらいです。貼る時に少しだけ冷たく感じるくらいで、痛みはありません」


 モチヅキが、ペンのようなものを透明なシートに押さえつけた後、離す。シートには、極小さな白い点ができていた。


「触っても大丈夫ですよ」


 触ってみると、表面に凹凸はなく、色が変わっただけのようだ。


「耳掃除くらいなら大丈夫ですが、もし薄くなるようなら再度貼り直すことがあります」

「これ、どうやって測定するんですか?」

「シールを基点にして、専用の装置で微弱な電気をキャッチします。人体への影響はないので、心配しなくて大丈夫です。では、今から貼りますね」


 拒否できるわけでもなさそうなので、指示されるがまま両耳に処置される。思いのほか耳の奥まで金属のペンが入ったこととペンが冷たかったのもあり、無意識に肩が跳ねたが問題なく処置できたようだ。


「そういえば、検査って、他にもあるんですか?」

「そうですね、一週間に一回採血があります。あとは、検査ではないですが、一週間に一回点滴をします。かかる時間は一時間くらいですね」

「点滴?」

「ええ、休眠中の身体を保護する薬が入ってます。点滴中は少し身体が温かくなる感じがしますが、他に副作用はないですよ。コウタさんは、今日が入所日なので検査も処置もありません。明日一日の体調を確認して、明後日が採血と点滴の予定です」

「そう、ですか」

「何か質問が?」

「いえ。事前に聞いてなくて」

「まあ、そうでしたか。説明不足で申し訳ありません」

「あ、いや、あの、申し込んですぐここに来たので」


 モチヅキの謝罪に、コウタは言葉の選択を失敗したことに気づく。説明を聞かなかったのは、自分の都合だ。


「でしたら、人工休眠と施設についてのパンフレットをお持ちしますね」


 コウタの言葉に気を悪くするわけでもなく、モチヅキは穏やかな笑みで答え、退室していった。



 施設での生活は、単調だった。毎日の健康チェックと一週間ごとの採血、点滴以外は自由に過ごせた。気になったことといえば、採血スピッツの本数が僕だけ違うくらいで、それも個人によってバラバラだと説明されれば納得するしかなかった。


 他の休眠者とは食事場所が同じだから、顔を合わせる程度だが、挨拶くらいはするようになった。彼らの話題の多くは、食事の味付けや職員の対応など、他愛のないものだった。


 入所から二週過ぎると、僕より先に施設に入っていた人たちの休眠が決まり、一人また一人と食堂に来る人が減った。四週目に入ると、コウタと同じ日に入所した一人の休眠が決まった。

 以前より声がしなくなった食堂で、コウタは、トレーを持って壁際の席に座る。いなくなった人が座っていたテーブル席を選ぶこともできたが、コウタは慣れた席を選んでいた。


「ここ、いい?」


 食べ始めたところで、声をかけられる。箸を口に運ぶことをやめ視線を上げると、イラがトレイを持って立っていた。


「どうぞ。っていうか、他にも席は空いてるけど?」

「慣れたところが落ちつくのよ」


 コウタの呆れたような返事に、イラは何でもないかのように答えて席につく。お互いしばらく無言で食事をしていたが、イラが一度後ろを振り返って話し出す。


「……少なくなったわね」

「そうだね。僕たちの後も入ってこないしね」


 コウタも振り返って食堂を見渡す。限られた時間の中での付き合いだからと、積極的に関わることはしなかった。それでも人の姿が減れば寂しさを感じていた。


「あれ? あんた知らないの? もう人工休眠は募集停止したのよ」


 イラの言葉にコウタが箸をとめる。


「え? そうなの? なんで?」

「そんなの私が知るわけないじゃん。おおかた、配るお金が無くなったんじゃない?」


 人工休眠の募集には報奨金がつけられていた。コウタも報奨金目当てで申し込んだ一人だ。逃げるかわりに報奨金を渡すことで、少しでも罪悪感を減らしたかった。金額もそれなりにあったことを思い出す。そんな額をいつまでも支払い続けることはできないだろう。


「あー……ありそう」

「でしょ」

「じゃあ、結構人数集まったのかな」

「どうかしらね。ここ以外にも施設はあるらしいから、それなりにいるのかもね」

「眠って、目が覚めたら違う世界か。申し込んではみたけど、想像つかないや」 


 コウタは視線を落とし、息を吐くと食事を再開した。逃げることだけを考えていたコウタは、この施設に入ることが全てだった。施設の生活で自分の時間を得たものの、休眠した後のことまでは考えていなかった。


「だね。そもそもこの人工休眠って、隕石対策の一つでしょ? そんな大きさの隕石なら事前に把握できるだろうに、本当に隕石衝突なんて起こるのかしらね」

「そういえば、そんな話だったね」


 コウタを含め家族が事故にあう前の記憶を辿る。ニュースで、数十年以内に衝突レベルの隕石落下が予測され、世界中でシェルターや防衛システムなどの対策を進める報道があったことを思い出す。


「だいたいさ、本当に隕石なんて落ちてきたら、シェルターなんて意味がないと思わない?」

「直撃もしくは近くに落ちれば、そうだろうね」

「でしょ。だからさ、私は何か違う理由があるんじゃないかと思うのよね」

「……陰謀論とか好きなの?」

「別に? ただここにいると暇だから、そうやって暇つぶししてるだけ」

「……そう」


 今日はよく喋るなと思いながら、コウタは残り少なくなった食事を口に運ぶ。何気なく視界に入ったイラの食事は、途中から手が付けられていなかった。どうしたのかと、イラの顔を見る。コウタの視線にイラも気づき、一瞬視線が泳ぐ。


「……私、明後日カプセルに入ることが決まったわ」

「そう、なんだ。……あ、えっと、おめでとう、なのかな?」

「あはは、おめでとう、か。そうね、ありがとう」 


 イラは、コウタの言葉に苦笑いをする。


「私さ、孤児なの。親に捨てられたところを拾われたの」


 突然の身の上話に、どう返答すればいいのか分からず、コウタは黙ってイラを見る。


「施設の人間も屑でさ、、碌な奴がいなかった。あげくには、報奨金目当てでここに売られるし。でも、チャンスだと思った。あんな奴らから離れて、新しい世界で生きられるって」


 イラが手元の食器から視線を外し、コウタを見る。


「あんたは、どうして人工休眠に?」

「……」


 コウタの顔が強張り、視線が下がる。イラと違って、コウタの理由は自分本位なものだ。話すことで侮蔑されるかもしれないと、一瞬迷いが生じた。その表情にイラは何かを察したようだ。


「ああ、ごめん。変なこと聞いたね。無理に……」

「僕は、家族から逃げたんだ」


 イラが言葉に被せるようにコウタが口を開く。相手の理由を聞いておいて、自分は何も言わないのは不誠実だと思った。が、すぐに、やはり言わなければよかったと後悔した。


「……そう、あんたも大変だったのね」


 強張る表情のコウタに、イラは侮蔑ではなく同情を寄せた。コウタは、肩の力が抜けるとともに、申し訳なさを感じた。


「ごめん、気を使わせたね」

「別に」

「……うまく言えないけど、次の世界がいいことを願ってるよ」

「ふふ、ありがとう。明日は休眠前の準備で調整室に入るらしいから、顔を見るのは今日が最後かな。……じゃあね」

「……うん、じゃあ」


 食事が残ったままのトレイを持って、イラが立ち上がる。コウタは、その背中を静かに見送った。



 イラが眠り、同日に入所した他の二人も数日かけて眠りに入った。最後に残されたコウタは、一週間が過ぎても休眠の声はかからなかった。


「僕の身体は、適性がないんですかね」

「……どうしてそう思うんです?」


 週に一度の採血で、コウタは、何となく感じていたことをこぼした。モチヅキは、採血の手は止めずに、コウタに視線を向ける。

「一緒にここに来た人達は、もう、全員眠ったでしょう? 僕はいつまでも呼ばれないから」

「なるほど。一人だといろいろ考えちゃいますよね」

「……今までに、休眠できなかった人って、いるんですか?」

「私の知る限りでは、申し込まれた皆さん全て、休眠なさいましたよ」


 コウタは、モチヅキの返答に少し安心する。適正がないならやめるか、というわけにもいかない。家族にあてた報奨金を今さら返還と言われても困る。何より、コウタ自身が家族のいる場所に帰りたくなかった。


 採血を終えたモチヅキは、コウタに止血テープを貼り、採血スピッツを保存容器に収納する。


「カプセルの準備状況もありますから、心配はいらないかと」

「身体の準備だけが理由ではないと?」

「そうです。だから、適性とかあんまり気にしなくていいと思いますよ」

「……そう、ですね」


 モチヅキは穏やかに答えた。うまく宥められたような気もするが、コウタはそれ以上言葉を重ねるのを諦めた。

 コウタにとって、休眠自体は成功しようが失敗しようが、どちらでもよかった。休眠対象から外されなければ、それでいい。

 ふと、イラを思い出す。彼女は、次の世界に希望を持っていた。コウタには、次の世界に対する希望はない。


(いっそ、休眠中に死んでもいいかな)


 家族から逃げて安心するなど、まともではない。そんな思考が、コウタから生への執着を遠ざけていた。


(こんな息子でごめんなさい)


「コウタさん、大丈夫ですか?」


 モチヅキの声に、コウタは我に返る。


「え、あ……だ、大丈夫です。ごめんなさい、ぼうっとしてました」

「……」


 モチヅキが、まっすぐコウタを見る。何かを見透かされそうな気がして、コウタは慌てて言い訳をする。


「ここ最近、眠りが浅かったので、そのせいかもしれません」


 脳波を測定されているので、嘘はつけない。事実、コウタの眠りは浅かった。モチヅキは、採血スピッツと一緒に持っていた端末を確認する。


「ああ、確かに。気づかなくてごめんなさい。今日は、ゆっくり休めるように睡眠導入剤をお渡ししますね」


 そう言って、モチヅキはコウタの部屋を退室していった。


 そんなモチヅキとのやりとりから数日して、ようやくコウタの準備が整ったことを知らされた。

 案内された調整室は、コウタの個室と大差ない広さだった。淡いグリーンの壁に木目のベッドは、緊張を和らげる意図のようだ。微かな音でヒーリングミュージックが流れている。部屋の雰囲気にそぐわない点滴架台には、透明な液の入った袋がかけられ、そこから伸びたラインがコウタの腕に繋がっている。


(イラも、この部屋に入ったんだな)


 食事は、休眠中の消化機能を考慮して粥だけだった。夜に睡眠導入剤を渡されて、コウタは休眠前最後の日を終えた。

 次の日に、休眠カプセルの部屋に案内された。居住棟よりもさらに地下にあったその部屋は、全体が薄暗くひんやりとした体感だった。仕切りのないワンフロアの部屋には、人ひとりが入るくらいのカプセルが十台ほど並んでいた。視界に入るカプセルの中には、既に人が眠りについていた。


(棺桶みたいだ)


 一番手前にあるカプセルのカバーが開けられる。コウタは、促されるままカプセルの端に腰掛けた。点滴に注意しながら、靴を脱いでカプセルの中に入り横たわる。


「それでは、今からはじめます」


 このフロアの担当と思われる職員の合図を受けて、こめかみや四肢にモニターらしき物が装着された。もう少し緊張するかもしれないと考えていたが、思いのほか冷静だった。胸のポケットに忍ばせた家族写真へ手を添える。


(父さん、母さん、クルミ、逃げてごめん)


 カプセルのカバーを閉じられる。目を閉じて静かにしていると、少し甘い香りが鼻をくすぐった。


「コウタさんわかりますか?」


 声をかけられて頷こうとしたところで、意識がぶつりと途絶えた。


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