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超えた時間と越えられない感情  作者: 間中未森


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1/1

超えた時間と越えられない感情

 


―――キコエマスカ?


 突然聞こえてきた音に、散らばっていた意識が急速に集まってくる。繰り返す音が声だと気づくと、意識とともに自分の輪郭が鮮明になってきた。声に反応しようとするが、思うように喉を動かせない。


「目は開けられそうですか?」


 声に応えるように、瞼を持ち上げることに集中する。開きかけた瞼の隙間から差し込む光が眩しくて、思わず顔をゆがめる。瞬きを繰り返し、何とか光に耐えながら目を開けると、周囲の景色がぼんやりと入ってきた。


 ―――知らない天井だ。


「お名前を教えていただけますか?」


 声のするほうに視線を動かすと、若い女性が穏やかな笑みを浮かべていた。見覚えのない顔だ。


「……コウタ……です」


 口から漏れる空気に混じって、やや掠れた声が出た。ひどく喉が渇いている。水が欲しい。


「コウタさん、ね。私はアンリ。今、身体のどこかに違和感はないかしら?」

「大丈……っ」


 大丈夫と答えようとして、軽く咳き込む。

 アンリが傍のテーブルから水差しを手に取る。コウタの上半身を少し起こして、水を含ませてくれた。含んだ水が口内に染み込む。


「……ありがとう、ございます」

「どういたしまして」


 アンリが穏やかに微笑む。

 コウタは呼吸が落ち着くと、自分が何人かに囲まれていたことに気づいた。全員が、息を詰めるようにコウタを凝視している。


「……あの、ここは……」


 名前を聞かれて反射的に応えたものの、自分の状況が掴めず戸惑う。何をどう考えればいいのか、思考がぼんやりとする。身体もひどく気怠い。


「ごめんなさいね。こんなに人がいたら、びっくりするわよね」

「あ……いえ……」

「ここは、人工休眠者の覚醒施設で、ここにいる人たちは皆、施設の職員よ。コウタさんはね、人工休眠から初めて完全な覚醒に成功した人なの」


 ―――人工休眠


 まだ、ぼんやりとする頭を何とか繋ぎ止め、眠る前の記憶を思い出した。


(ああ、起こされたのか)


 そして、アンリの言葉を反芻して、違和感に気づく。


「完全に覚醒……?」


 アンリの話によれば、五年ほど前から休眠者の覚醒事業というものが始まったらしい。

 ただ、人工休眠からの覚醒は、想定していたようには巧く進まなかった。多くは個体の管理状態に起因していたが、技術的な問題もあり、覚醒をしたものの身体機能の一部を失ったり、亡くなったりすることも少なくなかったようだ。

 覚醒事業は一進一退を繰り返しつつ覚醒技術を磨き、初めて完全な状態での覚醒に成功したということらしい。


「……僕は、どのくらい眠っていたんですか?」

「そうね……だいたい七十年ってところかしら」


(じゃあ、父さんたちは、もう……)


 とはいえ、コウタ自身は眠っている間に七十年も過ぎていた感覚はない。置かれた状況についていけず、どう反応していいのか分からず、コウタは視線を彷徨わせた。


「突然目覚めて、戸惑うわよね。少し休むといいわ」


 傍にいたアンリが、コウタの肩を優しく触れ、席を立つ。それに合わせて、周囲にいた人たちも退室していった。


 彼らを見送った後、ぼんやりとした頭で自分の周囲を伺う。部屋には自分以外にいないようだ。一人の部屋にしては広さがある。窓はなく、今が昼なのか夜なのかは分からない。天井にある、淡くオレンジを含んだ照明が部屋全体を照らしている。

 むき出しのコンクリート壁の前には、モニターが並べられ、そこから伸びるコードの先端はコウタにつながっていた。モニターに映し出されている波形や数字は、コウタの身体の値を示しているのだろう。


 ふと動かした手に、シーツが引っかかった。コウタを覆っていたカプセルのカバーは外されているが、カプセル内にあったベッドは眠る前に見たものと同じだ。

 正直、まだ実感がわかない。コウタは上体を起こしているのが辛くなり、倒れるように横になった。そのままぼんやりと天井を見ていると、眠気が寄ってくる。覚醒後の身体は、コウタが感じていたよりも負担がかかっていたらしい。いつの間にか眠りについていた。

 




 再び目を覚ましたのは、訪れたアンリに声をかけられたときだった。どのくらいの時間が経過したのかわからず尋ねると、覚醒してから半日ほど過ぎていたらしい。時間を尋ねると、夕方だと教えられた。


「体調はどう?」

「特に……変わりないと思います」


 上体を起こすのに、アンリの手を借りる。ひと眠りしたせいか、気怠さは少し残るものの、覚醒した時よりも意識がはっきりしている。


「明日までは覚醒状況を確認したいから、モニターのコードは体に装着させてね」

「わかりました。……あ、あの」

「ん?」

「水って貰えますか?」


 最初に目覚めたときに少しの水分を口に含んだだけで、喉の奥が渇いて仕方がない。


「ああ、そうね。まず一口飲んでみて、大丈夫そうなら特に制限はないわ。ただ、感覚としては寝て起きたくらいでも、実際は百年経過しているから、刺激の強いものや糖分の高い物は避けてね。飲み物が大丈夫なら食事も開始するけど、はじめは消化のいいものから用意するので、普通の食事になるまでは少し時間がかかるわよ」


 説明をしながらアンリがコップに水を注ぎ、コウタに手渡す。受け取ったコップの水を少し口に含み、ゆっくり飲み込む。アンリは、コウタが問題なく水を飲めたことを確認して「大丈夫そうね」と頷いた。

 もう一口、水を飲む。特に味がするわけでもないが、身体に染み込む水が自分という形をコウタに教えているようだった。


(二度と目覚めなくてもいいつもりだったんだけどな……)


 コウタの気持ちとは裏腹に、身体が水を喜んでいるような感覚にコウタは戸惑うばかりだった。

 アンリはいくつかの質問をコウタに投げかけ体調を確認すると、長居をすることなく出ていった。

 




 翌日、再びアンリが訪れ、コウタの体調確認をする。特に問題はなかったようで、昼前に部屋を移動すると知らされた。状態が安定したため、回復棟でリハビリテーションをするらしい。休眠によって衰えた筋力では、歩くことは負担になるだろうと、アンリに車椅子を押してもらう。


 案内された新しい部屋は、一人分のベッドとソファー、テーブル、シャワールーム、トイレを備え付けたコンパクトな仕様だ。休眠前の個室と同じくらいの広さだが、薄いカーテンの奥にある窓がコウタの目を引く。


(外だ……)


 休眠前も含め、随分と外の空気に触れていない。最後に見た外の景色を思い出し、焦がれるように窓に手を伸ばす。コウタの行動に何かを察したアンリが窓辺に向けて、車椅子を押した。

 窓に近づいたコウタは窓枠に手をかけるが、嵌め殺しになっていることに気づく。外の空気に触れられないことに少し眉を下げた。

 窓から見える景色は、コウタの記憶とは異なっていた。空は霞んでいて、さほど明るさはない。風が強いのだろうか、まばらに立つ常緑樹は幹が傾いて伸びている。他に緑の葉は無く、背の低い家が並ぶばかりだ。行き交う人の姿は少なく、厚手の上着を着込み背を丸くしている。


「今は、冬ですか?」

「フユ?」

「あ、外が寒そうだから」

「……ああ、そうね。あなたの時代だとそういう表現だったわね。確か……四季といったかしら?」


 アンリが少しの間を置いて、答える。彼女の反応に、コウタが不思議そうな顔をして、アンリの方に振り返る。


「今の時代には、四季はないのよ。基本的に氷河期だからね。といっても、この辺りは北に山があるので、雪は少ないの。そのかわり風が強くて。山や海沿いの方は雪と氷に覆われていると聞くわ」

「氷河期……」

「五十年くらい前に隕石が落ちたのよ」


 アンリが他人事のように話す。見たところ二十歳代だから、五十年前というと彼女の生まれる前の出来事になる。


(本当に隕石が落ちたんだ……)


「どこに落ちたんですか?」

「落ちた場所? 正確な場所は覚えてないけど海だったわよ。ただ、火山がそばにあって複合災害になった影響で氷河期に入ったって、昔、学校で習ったわね」


 歴史苦手だったのよ、とアンリが苦笑いする。


「じゃあ、一年中寒いんですね」

「んー、一年中ずっとってわけでもないのよ。花季といって一年のうち三カ月ほど暖かい時期があるわ。あと半年くらい先ね」


(……僕の知っている世界と、全然違う)


 コウタが視線を窓に戻す。休眠前の生活がつい昨日のことだったはずなのに、目の前の景色とアンリの話が否をつきつける。


「手荷物は、テーブルの上でいいかしら?」

「あ、はい。ありがとうございます」


 アンリは車椅子が動かないように固定し、一緒に持ってきた手荷物をテーブルに置く。


「もう少し、外を見る?」

「あ、いえ。もう大丈夫です」

「そう? なら、いつでもベッドに移れるように車椅子を動かすわね」

「はい」

「ベッドには、自分で移れそう?」

「はい」


 車椅子に乗る時も特にふらつくことは無く、コウタは大丈夫だろうと判断する。「では、また後日に今後の説明に伺うわね」と、アンリは退室していった。

 コウタは、すぐにベッドには戻らず、ベッド横のテーブルに手を伸ばした。テーブルに置かれた荷物は、休眠前に持っていたものだ。鞄を開けると、一枚の写真が出てくる。


「父さん、母さん、クルミ……」


 妹の入学式の日に家族で撮った写真は、皆が笑顔で写っている。

 あの時は、そんな生活がずっと続くと疑わなかった。帰り道で事故に巻き込まれるまでは……。

 もう会うことは叶わない家族の写真をそっとなでる。せめて、人工休眠の報奨金が生活の助けになったと思いたい。


(それにしても、本当に隕石が落ちるなんて思ってなかったな)


 人工休眠は、隕石衝突後の環境変化と人類滅亡リスクの対策として実施された。

 当時は、いつ来るか、どこに落ちるかわからない隕石への対策なんて馬鹿げていると思っていた。それよりも、すでに顕著になっていた人口減少と気候変化への対策の方が優先すべきではないかと、友人たちと話していたくらいだ。

 報奨金を出さなければならないほど希望者がいないということは、隕石衝突という未来を多くの人が想像できなかったということだ。


(まあ、その報奨金につられたわけだけど)


 コウタは、自嘲気味に笑う。


 巻き込まれた事故で、コウタ以外の家族は重い障害を負った。コウタも重傷ではあったが、障害は残らなかった。それが、家族を変えてしまった。


 ―――あなただけ障害がない。

 ―――お兄ちゃんだけ動ける。

 ―――動けない私たちを助けて。

 ―――お願い、コウタ。

 ―――お願い、お兄ちゃん。

 ―――オネガイ。


 コウタは、家族のことをするのは当たり前だ、仕方ないと思っていた。負担だと思うことは許されないことだと自分に言い聞かせた。だが、確実にコウタを追い詰めた。


(僕は、逃げたんだ)


 写真の中の家族が、コウタを見る。幸せだった記憶と逃げ出した申し訳なさに、コウタの顔が歪む。


 その時、ノックがして部屋の扉が開いた。


「コウタさん、お食事をお持ちしました」


 食事をのせたトレイを両手に持ち、アンリとは違う制服を着た中年の女性が入ってきた。

 コウタは、慌てて写真を鞄にしまい、平静を装う。


「ありがとうございます」


 コウタは、配膳場所の確保をするべく、テーブルの上に置いていた鞄をベッドに移した。


「今日は粥食です。様子を見ながら、段階的に普通の食事に近づけていきます」


 そう言ってテーブルに置かれた食事は、流動状の粥であった。見た目はともかく、ほのかに立ち上がる湯気が食欲をそそる。


「美味しそうですね」

「トロトロの状態ですが、よく噛んで三十分以上かけて食べてくださいね」

「はい」


 一匙掬って口に入れる。熱すぎず、舌に塩味を感じる。


「……美味しい」


 女性職員は僕を見て、穏やかに微笑んだ。

 休眠直前の食事も粥だったことを思い出す。そこで、氷河期になってから食べるものが変わったのか疑問に思った。


「氷河期以降、食べ物は変わったんですか?」


 つい口に出して、仕事の手を止めてしまったと後悔したが、女性職員は気にすることなく答える。


「そうですねえ、野菜類や魚は種類が減りましたね。肉や果物は貴重品になりました。今は、豆類が多いですかね。休眠から目覚めた方は皆さんびっくりされていますよ」


 ふふ、と笑顔をこぼし「食べ終わった頃、下膳に伺いますね」と言って、部屋を出ていった。


 一匙一匙ゆっくり口に運ぶ。食器の音だけが部屋に響く。


 全て食べ終えると、身体が温かくなった。同時に眠気がコウタを誘う。

 ベッドに移ろうと車椅子の向きを変える。そのまま立ち上がろうとして、バランスを崩した。


「あっ……!」


 足が車椅子に引っ掛かり、車椅子ごと倒れる。テーブルとベッドの間が狭かったことで完全に倒れはしなかったが、車椅子の片輪が浮き、ベッドの縁に寄りかかっている。


「……っ」


 これ以上倒れないよう体を支えるのに精一杯で助けを呼びたくても、どうすることもできないでいると、扉の開く音がした。


「どうしま……っ! 誰か来て! コウタさん、大丈夫ですか!?」


 誰かが部屋に入ってくるなり、反射的に声を張り上げながらコウタに駆け寄る。そして、コウタの背後から掬い上げるように支えた。時間を置かずに他の人が入ってくる。


「そっち支えて」

「一二三でいくよ」

「一、二、三!」


 掛け声とともに、コウタの身体が浮く。同時に傾いた車椅子も正され、コウタは座り直すことができた。コウタを助けたのは、先ほどの女性職員とアンリと同じ制服を着た若い男性職員だった。姿勢が安定すると、申し訳なさがコウタを襲う。


「すみません、立ち上がった時に足を引っ掛けちゃって……」

「覚醒したてだからねえ、仕方ないっすよ。それより、怪我はないっすか?」

「あ……、大丈夫、です」


 引っ掛けた右足に痛みを感じる。が、反射的に口から出たのは、感じていたことと反対の言葉だった。


「他に気分が悪いとかもないっすか?」

「大丈夫です」

「よし。食事は――――」


男性職員がテーブルの方を見る。すると、ちょうど女性職員がトレイを確認していた。ちょうど下膳のタイミングだったようだ。


「食事は……食べられたようなので、下膳しますね」

「なら、ベッド戻ります?」


 男性職員がコウタに向き直り尋ねる。


「あ、自分で―――」

「転んだばっかりなので、無理はダメっすよ。俺が支えるんで、ベッドに戻りましょうかね」


 コウタの言葉を遮るように、男性職員が答える。表情はにこやかだが、有無を言わさない圧を感じる。コウタは、仕方なく男性職員の手を借りて、ベッドに移った。男性職員は、ベッド周囲を見回し、「また後で様子を見に来ますね」と女性職員とともに退室していった。

 二人が部屋を出てから、自分が緊張していたことに気づき、コウタは深呼吸をした。足の痛みはあるものの、そのうち治まるだろうと、コウタはそのまま目を閉じた。




 ―――夢を見る。

 繰り返し呼ばれる名前。

 自分に向かって伸ばされる数多の手。

 足元は何かに縫い付けられたようで、思うように動かない。


「……っ」


 目が覚めると、ひどい汗をかいていた。大きく一度息を吐く。辺りを見ると、枕灯が灯るのみで部屋全体が暗い。窓の方に目をやると、カーテンが閉められていた。


(夜か。何時だろう?)


 薄暗い部屋の中には、時計らしきものは見当たらない。汗をかいたせいか喉が渇いた。何か飲み物がないか探そうと体を動かす。すると右足に鈍い痛みを感じた。何故だろうと思考を巡らせ、コウタは昼間の出来事を思い出す。


(夢の中で足が動かなかったのはこのせいか)


 小さく溜息をつく。水一杯のために人を呼ぶのは気が引けるが、水は飲みたい。


(片足だし、気をつければ何とかなるか)


 両足をベッドから降ろして座り、ベッド横においてある車椅子を、片手で自分の傍に寄せる。ベッド柵と車椅子のアームサポートに手をかけ、少しずつ身体をずらす。左足と両手で体のバランスを取るが、思ったより片足では重心がとりづらい。半ば勢いで車椅子のシートに体を移した。姿勢を整えるため、両手をアームサポートにかけ、身体を持ち上げる。座り終えたときには腕が張っていて、思わず両手をひらひらと動かす。


(思ったより、力がないな)


 休眠前は特に考えることなくできていたことが、覚醒後は少し難しくなっている。コウタは、七十年の時間を実感した。

 腕に力が戻ると、コウタは方向転換するべく車椅子を動かすが、さほど広くない部屋の中では難しいことに気づく。仕方なく、後ろ向きのまま扉まで進むが、今度は後ろ向きのためにスライド式の扉が開けられないことに気づく。

 水一杯のために何をやっているのかと考えなくもなかったが、ここまでやったことを無駄にしたくなくてコウタは意地になった。

 しばらく扉と格闘していると、ふいに扉が開いた。


「わ!……って、コウタさん、どうしたんですか?」

「あ……」


 そこにいたのは、昼間とは違う男性職員だった。手首でほのかに灯るライトを見ると、夜間巡回に来たのだろう。


「目が覚めて、水を飲みたくて……」

 コウタは仕方なく自分の状況を話す。

「あー、なるほど?」


 男性職員は、分かったような分かってないような返事をする。


「じゃあ、ラウンジまで案内しますね」

「あ、いえ、自分で……」

「場所、分かります?」


 そういわれて、自分ではどうにもできないことを知る。巡回の途中なのに、彼に余分な仕事を増やしてしまい、申し訳なくなる。が引き返すこともできず、コウタは情けない気持ちで「お願いします」と俯いた。


 男性職員に車椅子を押されて廊下を進む。夜間だけあって、照明は最小限に抑えられ、静かだ。どこかから規則的な機械音が聞こえてくる。寝衣一枚で過ごせるほどの環境なのに、人気がなく暗いだけで体感温度が下がる。先ほど汗をかいたせいもあり、自分の手がひどく冷たく感じた。


「寒いです? 掛物もってこればよかったですね」


 コウタの動きに気づいたのか、男性職員が声をかける。大丈夫、と答える前に男性職員が「ちょっと待ってください」と言って車椅子を持つ手が離れた。通りかかったのが、ちょうどリネン類の倉庫の前だったらしく、倉庫に入ると一枚の毛布を持ってくる。


「すみません……」

「いえいえ」


 首から下を覆うように広げ、足元までくるまれ、再びラウンジに向かう。


 ラウンジにつくと、壁の一角に煌々と輝く自動販売機がいくつか並んでいた。こういったのは休眠前とあまり変わらないものかと感心しながら、その横にあるウォーターサーバーの前に車椅子を近づけてもらう。男性職員がサーバー横の蓋つきカップで温かい茶を汲んでくれた。


「体が冷えてるなら、冷たい物よりも温かい物がいいと思って」

「ありがとう、ございます」


 受け取ったカップから手のひらにじんわりと熱が伝わる。


「ほかの飲み物はいいですか?」

「いえ……大丈夫です」


 コウタだけなら、窓から外の様子でもと思ったが、これ以上男性職員の仕事を邪魔しても悪いと遠慮した。コウタの返答に、男性職員は「そうですか? じゃあ、部屋に戻りましょうかね」と言って、車椅子を押し始めた。


 部屋に戻ると、コウタは有無を言わさずコウタをベッドに戻された。男性職員は、昼間の出来事を申し送られていたようで「頑張ることと無理することは違いますからね」と言って爽やかに釘を差してきた。

 迷惑をかけた自覚があるので、コウタはおとなしく従い、ベッドの上でカップの茶を啜る。

 もう少し茶が欲しかったが、さすがに同じことはできず、朝まで我慢するかと諦めた時、扉をノックする音がした。

 入ってきたのは、先ほどの男性職員で、手には茶を入れたボトルを持っていた。


「部屋に飲み物ないですもんね。また、飲みたくなったらすぐ飲めるように置いときますね」


 コウタの気持ちを読んだかのような対応に驚いて、コウタはすぐに返事ができなかった。男性職員は気にすることなく「じゃ、おやすみなさい」と部屋を去っていった。






 翌々日、アンリが部屋にやってきた。覚醒してから、出会う人すべてが知らない顔だったからか、数度顔を合わせているアンリの存在は、コウタの緊張を少し解く。


「一昨日、転んだそうね? その後、大丈夫?」

「大丈夫です」


 まだ右足が少し痛むが、言うほどでもない。アンリが来る前に、洗面したり窓まで歩いたりした。覚醒してからまだ二日だが、日を追うごとに身体が戻ってきていることを感じる。


「そう、ならいいわ。少しは環境に慣れた?」


 ほとんど部屋から出ていないので、正直よくわからなかった。ただ、配膳の職員や巡回の職員との会話で、休眠前と環境が違うことは少しずつ感じていた。


「どう、ですかね。そういえば、ここは僕が眠る前にいた施設とは違うんですね」

「ああ、そうね。コウタさんのいた施設は老朽化と機材不足だったから、新たにできたの」


 いわれてみれば、隕石衝突前からの施設だから老朽化していても不思議はないと、コウタは頷く。


「休眠前の施設にいた人はみんな覚醒したんですか?」

「そう……ね。いろいろ……とだけ言っておくわ」


 含みを持ったアンリの返答に、コウタは自分が初めて完全覚醒に成功したといわれたことを思い出す。


(僕も、そっち側でよかったんだけどな……)


 ふと、自分以外の覚醒者が、今どうしているのか気になった。


「僕以外に覚醒した人って、どうしているんですか?」

「それも、いろいろ、だわね。町で働いている人もいるわよ。覚醒者だからって特別扱いされるわけじゃないから、この世界で何とか生きていくしかないものね」


 アンリの言い方に、コウタは決して楽な生活ではないのだろうと勘繰る。そういう意味では、他の覚醒者には悪いが完全覚醒者で良かったかもしれないと、思い直す。


「ところで、コウタさんは覚醒後にやりたいことはあるの?」

「……やりたいこと、ですか?」

「そう、今まで覚醒した人は、覚醒後の世界に目的を持っている人が多かったから。それに合わせて社会適応プログラムを組む方がいいでしょ」


 コウタは、家族から逃げる選択をしたときに、せめて家族にお金が残るようにと考えて休眠を選んだだけだ。覚醒後の目的と言われても、何も思いつかない。


「……特に、僕は、普通に暮らせれば……」

「普通、ねえ。また、難しいことを……」


 アンリが目元に指を添えて、思案顔になる。わずかに沈黙した後、


「じゃあ、今の社会を見てもらってから、改めてどうするか考えていきましょうか」


 なら早速、と言わんばかりに、アンリがコウタを車椅子へ誘導し部屋から連れ出した。

 アンリに車椅子を押されながら廊下を進むと、自分と同じように車椅子に乗っている人を何人か見かけた。来ている服も同じところから、コウタは自分と同じ覚醒者だろうと推察する。


「この施設には、覚醒者ってどのくらいいるんですか?」

「コウタさんを含めて十人程ね。技術的な問題もあって、一度に多くの覚醒は難しいのよ。でも、コウタさんの完全覚醒を皮切りに技術がこれから発展していけば、覚醒者の数も増えていくかもね」

「休眠者って、そんなにいるんですか?」

「うーん、正確な数は覚えてないけど、隕石衝突前の記録に残っている休眠者は三百人くらいだったかしら。そのうち、現時点で覚醒処置をしたのは三割くらいね」


その数が多いのか少ないのかは、コウタにはわからなかった。


「ここ以外にも覚醒施設があるんですか?」

「もちろん。施設の規模に違いはあるけど、ここ以外に二つあるわ。と、さあ着いたわ」


 扉が開くと、急に視界が開けた。


「ここは、この施設で一番人気のある展望室よ。四方が窓になっているから、町全体が見えるの」

「すご……」

「寒くない?」


 言われて、肌に触れる空気がひんやりしていることに気づく。


「施設内と違って、外は寒いからね。ここは、外気に慣れるためほかの場所よりも温度が低くなっているのよ。ここに来るときは、体を冷やし過ぎないように防寒具を忘れないでね」


 アンリに車椅子を押されながら、窓に沿って室内を廻る。部屋からは見えない景色は新鮮だった。


「アンリさん、少し、自分で歩いてもいいですか?」

「そうね。転ばないようにだけ気をつけて。疲れたら休めるように、乗っていた車椅子を支えにしながら歩くといいわ」

「はい」


 アンリが車椅子のロックをかけたのを確認して、ゆっくり立ち上がり車椅子の背後に回る。車椅子を支えにすれば、右足の負担も大丈夫そうだと判断する。コウタは、車椅子を押しながら歩きだした。

 立ち上がったことで視線が高くなり、景色の見える範囲が広がった。

 覚醒後から見ている空は、相変わらず霞んでいて全体的に青灰色だ。コウタの部屋から見える景色とは方角が異なるのか建物が多い。今日も風が強いのだろう、外を歩く人は厚手の上着を着こんでいる。近くの建物から横に伸びる白い蒸気も風の強さを表していた。


「ちょっとあんた」


 知らない声にコウタが振り向く。

 少し離れたところで、小柄な老人女性が車椅子に座っていた。


「膝掛けが落ちちゃったから拾ってくれないかい」


 見ると、車椅子の足元に掛物らしきものが落ちている。アンリは少し離れたところで、別の職員と話をしていた。このくらいならと思って、コウタは自分の車椅子を押して彼女に近づく。掛物を拾い、老人女性の足に掛物を広げた。


「これでいいですか?」

「ああ、ありがと。ここは寒いからね」

「そうですね」


 コウタは、特に話をすることもないので、そのまま離れようとすると、再び声をかけられた。


「悪いけど、背中のポケットにある袋をとってくれるかい?」

「え、あ、袋? ああ、これですか?」


 続けて何かを頼まれるとは思わず、コウタは少し動揺しながら老人女性の背後から袋を取り出す。コウタの背中に嫌な汗が流れた。 


「そうそう、それの中から財布を出しておくれ」

「……あ」

「それから、あそこの自動販売機で温かいお茶を買ってきてくれんかの」

「…………は」

「ついでに―――」


 次々と依頼をしてくる彼女に、休眠前の家族の姿が重なる。


 ―――あなただけ障害がない。

 ―――お兄ちゃんだけ動ける。

 ―――動けない私たちを助けて。

 ―――お願い、コウタ。

 ―――お願い、お兄ちゃん。

 ―――オネガイ。


 コウタの顔が強張り、手が震え、呼吸が浅くなる。


「コウタさん!」


 アンリの声を聴いたような気がしたが、コウタはそれを確認することなく崩れ落ちるように気を失った。




ピ、ピ、ピ、と規則的な機械音がする。

 瞼を開けて視界に入ったのは、見覚えのある天井だった。機械音の方を見ると、以前見たモニターが置いてある。


「あ、目が覚めたっすか?」


 コウタに声をかけたのは、以前車椅子で倒れた時に助けてくれた男性職員だった。


「気分はどうです? どっか、変なところあるっすか?」

「……いえ、大丈夫です」


 時間が分からず男性職員に尋ねると、夕方だと教えられた。


「展望室で倒れちゃったの覚えてます?」

「あ……」


 言われて老人女性とのやりとりを思い出す。その全身が急に冷える感覚に陥る。


「大丈夫……じゃないですね。顔、真っ青っすよ」 


 男性職員が、少し焦ったようにモニターを確認する。


「バイタルは変わりないな。コウタさん、ゆっくり、ゆっくり深呼吸しましょう」


 コウタは、震える口で意識的にゆっくり呼吸をする。男性職員がコウタの顔を覗きながら手を握る。冷えた指先がピクリと動いた。


 ―――ごめんなさい

 ―――ごめんなさい


 コウタの目から、涙が溢れた。


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