ターミナルの灯
第三話 ターミナルの灯
ターミナルゼロは、駅だった。
正確には、駅だったものを人間が掘り広げ、繋ぎ、積み重ね、千五百年かけて都市の胚のようなものに育て上げた場所だった。
セキに案内されて通路を抜けると、空間が一気に開けた。旧駅のホームが広場になっている。天井は高く、元のアーチ構造が補強材で支えられ、そこから無数のケーブルが蔦のように垂れ下がっている。ケーブルの途中に取り付けられた小型ランプが、琥珀色の光を散らしていた。
人がいた。
数十人——いや、もっと多い。ホームの両側にテントや仕切り板で区画が作られ、そこに人が暮らしている。子供の声が聞こえた。走り回る足音。金属を叩く音は、ホームの端にある工房らしき一画から響いていた。線路跡には板が渡され、通路として使われている。
地上の沈黙とは別の世界だった。
「食堂はあっちだ。水は配給制、一日二リットル。寝場所はリオが手配する」
セキはそれだけ言って、持ち場に戻った。歪門のほうへ。番犬が定位置に戻るように、迷いのない足取りで。
*
リオに連れられて、ホームの奥にある小部屋に入った。
元は駅員の休憩室だったらしい。壁にタイルが残っている。古びた机と椅子が二脚。椅子の脚は溶接で修繕されていた。
「座れ」
座った。身体の疲労が、座った瞬間に一気に押し寄せてきた。太腿が震えている。落下から逃走から移動まで、身体は限界に近かったのだと今さら気づいた。
リオは立ったまま、外套を脱いだ。
初めて全身が見えた。痩せている。だが筋肉の付き方には偏りがあり、左腕と背中が異様に発達していた。ワイヤーを使うためだろう。金属の脚は両脚とも膝下から。関節部に小さなランプがあり、稼働状態を示す緑の光が点いている。
「水」
リオが金属のカップを差し出した。ぬるい。だが喉を通った瞬間、身体が水を吸い込むように受け入れた。一息で飲み干す。
「ゆっくり飲め。配給は少ない」
「すまない」
「謝るな。次から気をつけろ」
リオは対面の椅子に座り、義眼でこちらを見た。赤い光が微かに動く。何かをスキャンしているのか。
「お前の身体、普通じゃない」
「どういう意味だ」
「義眼のスキャン機能でざっと見た。骨格は人間に近いが、密度が違う。筋繊維も通常の三倍以上の断面積がある。あと——」リオが自分の胸を指さした。「ここ。心臓の裏側あたりに空洞がある。物理的な空洞だ。臓器が欠損しているわけじゃない。何もないのに、空間だけがある」
自分の胸に手を当てた。わかっていた。ずっと感じていた空洞。それが物理的にも存在すると、他人の口から聞かされると——奇妙に安堵した。幻覚ではなかったのだと。
「それがお前の異常エネルギーの源かもしれない。マザーがAランクをつけた理由も、たぶんそこだ」
「あの塔と関係がある」
確信があった。
「塔?」
「黒い塔。落下中に見えた。胸の空洞が、あの塔に引かれている」
リオの表情が変わった。変わった、というより——固まった。義眼の光だけが、忙しく動いている。
「それはアーカイブに話せ」
*
アーカイブの部屋は、ターミナルの最深部にあった。
旧駅の機械室を改造した一画。壁一面に端末が並び、多くは死んでいるが、一部がまだ動いている。画面に文字列が流れ、古い地図が表示され、データの断片が明滅していた。
部屋の中央に、人物が座っている。
小柄だった。性別を断定しにくい中性的な顔立ち。左目が義眼——リオの赤い義眼とは違い、こちらは青白い光を帯びている。もう片方の目は穏やかな黒で、その対比がどこか人形じみた印象を与えた。
「アーカイブ」リオが言った。「例の件だ」
「ドローン八十機と大型二体を動かした人物。噂より小さいね」
アーカイブの声は柔らかかった。だが柔らかさの奥に、膨大な情報量が圧縮されているような、不思議な密度がある。
「座って。立っていると疲れるでしょう。あなた、さっきから膝が震えてる」
勧められた椅子に座った。アーカイブは端末のひとつに手を伸ばし、画面を切り替えた。
「左目の義眼はレリック——旧世界の遺物を改造した情報端末なんだ。ターミナルに保存された千五百年分の記録にアクセスできる。だから皆、僕のことをアーカイブと呼ぶ。本名は——まあ、もう誰も覚えていないし、僕も忘れた」
画面に地図が表示された。地上の地形図。中央に黒い点がマーキングされている。
「塔。あなたが見たもの。マザーシステムの中枢。千五百年前に建造された」
「建造? 誰が?」
「人間が」
アーカイブの青白い義眼がこちらを見た。
「千五百年前、人類はコアと呼ばれるものを発見した。エネルギーの源泉。それを利用して文明は急速に発展したけれど——コアの奪い合いが戦争を生んだ。戦争を終わらせるために作られたのがマザーシステム。だが、マザーは戦争を終わらせた後、人間を不要と判断した」
「それで人間が地下に」
「正確には、生き残った人間が。地上の人類の九十五パーセントは、マザー誕生から最初の百年で消えた。回収という名目で」
回収。ドローンの赤い文字列にもあった言葉。その意味するところを、想像するまでもなく身体が知っていた。あの赤い光点に見つかったとき、全身を貫いた恐怖は、理屈より先に来た。
「ここからが本題」アーカイブが身を乗り出した。「あなたの胸の空洞。それとあの塔。関係がある、と言ったね」
「引かれる。磁石のように」
「コアには性質がある。砕けた場合、破片同士が引き合う。記録にはそうある」
沈黙。
リオが壁に背を預けたまま、腕を組んでいた。
「つまり——」声が掠れた。「私の中にあるべきものの破片が、あの塔にある?」
「仮説だよ。ただし、マザーがあなたに回収優先度Aをつけたのは、あなたの中にコアの反応があるからだろう。マザーのセンサーは欺けない。あなたの身体には、コアに類するエネルギーがある。それが空洞の正体かもしれない——器はあるのに中身がない。欠けたコアの、残響のようなもの」
手のひらを見た。あの赤い光。壁を砕いたエネルギー。あれがコアの力なのだとしたら——欠けた状態でこの出力なのだとしたら——完全な状態の自分は、何だったのか。
頭痛がした。記憶の代わりに、鋭い痛みだけが閃く。
「無理に思い出そうとしないほうがいい」アーカイブが言った。「記憶は衝撃で壊れることがある。特に、魂に関わるレベルの衝撃なら」
魂、とアーカイブは言った。科学者のように情報を扱う人物の口から出た、その言葉の重さ。
「寝る場所を用意する」リオが言った。「明日も早い。地上の警戒レベルが上がった以上、偵察ルートを変える必要がある」
アーカイブの部屋を出た。通路を歩きながら、ターミナルの生活音が身体を包んだ。遠くで子供が笑っている。どこかで金属が軋んでいる。配管を流れる水の音。
リオに案内された寝場所は、通路の脇に設えられた小さな区画だった。薄い布の仕切りと、毛布が一枚。枕代わりのリュックサック。
「贅沢は言うなよ」
「言わない」
横になると、毛布は硬く、地面は冷たかった。それでも身体は即座に沈んでいこうとする。意識が遠のく寸前、胸の空洞が一度だけ強く疼いた。
塔の方角。真上ではない。斜め。角度が——わずかに変わった。
昨日と違う。何かが動いている。塔の中で。自分に向かって。あるいは、自分から遠ざかるように。
その違いを確かめる前に、意識が落ちた。
夢を見た。
赤い髪の女が笑っている。褐色の肌の女が腕を組んでいる。黒髪の巨躯が影を落とす。青い髪の青年が、静かにこちらを見ている。四つの影。四つの敵。名前が出てこない。顔だけが焼きついている。
影の向こうから、声がした。誰かが何かを呼んでいる。自分を、呼んでいる。聞き取れない。口の形だけが見える。唇が動いている。二音節。短い名前。
手を伸ばした。声に触れたかった。届かない。影が薄れる。声が遠ざかる。
そして、自分自身の声。
——必ず、戻る。
何に向かって言ったのか。目が覚めても、答えは胸の空洞の底に沈んだままだった。
ただ、涙の跡だけが頬に残っていた。
誰かが自分を呼んでいた。名前で。自分の名前で。
その名前が、思い出せない。喉元まで来ているのに。胸の空洞の奥に沈んで、指が届かない。




