5-9
洞窟をくだれば、風に乗ってすえたニオイが鼻についた。
虫臭い、というのか。
ヤスデやらムカデやらを思わせる、このイヤなニオイ。
さて、ダンジョンの最奥にいますのは、足のある虫か、それとも、ない虫か。
「ムカデ退治の展開になったら、それはそれでオツなもんだな。藤原秀郷知ってる? ムカデ退治で有名なすげー人だけど」
「わ、わしがこんなに重圧を感じているというのに、貴様はなぜ、そんなにも軽く振る舞える?」
「そりゃあ他人事だからですよ。当事者は気が気じゃねーだろうけど、それでいい。問題は全員がそんな雰囲気になって、萎縮して選択肢が狭まることだ。あんたは当事者だからシリアスでいろ。俺たちは柔軟に横から口を出す。今、このパーティーのリーダーはあんたなんだぜ、ウー・フー」
ウーばあさんは口をつぐんだ。
と、ばあさんと逆方向から、俺の腰あたりを叩く者がいた。
ダヴィッドだ。
「アレクサンダー、このダンジョン、やべェぞ」
「なんだよ、なにがどうやべーんだ」
「……流れてくるニオイから判断して、だいぶ入り組んでやがる。ダリウスの街でアタシらが掘ってたダンジョンな、あれを思わせる」
「……ああ、あの、迷宮系の」
「時間がねェのはわかるが、早期攻略に向いてるようには見えねェ。……それにな、アタシの鼻も利きが悪い。このダンジョンはとにかく、くせェんだ」
「虫臭だな」
「たぶんな。……だから、石のニオイでナビゲートしたりってのは無理だ」
「わかった。サロモン」
さっさと進もうとしてるエルフがいたので、呼び止める。
サロモンは相変わらず眉間に一本深いシワを刻んだ顔で振り返った。
「なんだアレクサンダー。一刻を争うのであろう?」
「……お前、案外、一生懸命にドライアドを救いだそうとしてる?」
「ふん。…………ふん」
なにか言い訳をしたかったんだろうが、思いつかなかったらしい。
素直じゃないよな、本当に……
「サロモン、ここは足を進めるだけじゃ攻略できそうもねーんだ。立ち止まって作戦を立ててる時間は無駄にならない。結果的に、探索時間をまくことになる」
「……」
「で、お前の耳はどう? 音の反響で道がわかるか?」
「……風の音からして、とてつもなく入り組んでいることだけはわかる。細い道が無数にあるらしい」
「土を掘る虫の巣そのままって感じか。こりゃあサイズのでかい蟻塚だな……」
「ダンジョンごと崩すか?」
「ドライアドがいるかもしれないのに?」
「……使えぬ弱者どもめ」
「たいていのヤツは洞窟の崩落にゃ耐えきれねーよ。そこで弱者認定してたら全人類が弱者になる」
「だからなんだ。全人類が弱者になろうが、脆弱は脆弱だ。……まったく、面倒なことだ。こういう場所こそ、あの万能男の出番であろうに」
万能男。
サロモンの口から出た発言だと思うと、それはずいぶん、そう呼んだ相手のことを評価しているように聞こえる。
実際、評価してるんだろう。
サロモンは万能男――シロのことを。
今は、ここにいない、彼のことを。
「アレクサンダー、なぜ、やつを外に残した?」
俺たちは四人で迷宮に入っていた。
俺、サロモン、ダヴィッド、ウーばあさん――以上、四名のパーティーだ。
イーリィと、シロと、姉さんと、カグヤと、それから残ったドライアドは置いてきた。
「残したわけじゃねーよ。たんに部隊を分けただけだ。モンスターが全部ダンジョンに戻ったとは限らねーからな。背後から来られても面倒くせーだろ」
「そう言いつつ、なにかまた悪だくみをしているのであろう」
「お前らは俺をなんだと思ってんだ……それにな、シロだって初見のダンジョンでスイスイ正解ルートを進めるほど万能じゃねーって。あいつができるのは『努力でどうにかなること』だけだ。『初見のダンジョンの道がわかる』なんていうのは、努力じゃどうにもならねーだろうが」
「そういうものか」
「……まあ、とにかく地道にやってくしかねーな。サロモン、灯りを頼む」
「ふん」
サロモンはぼそりと呪文をつぶやき、指先に明かりを灯す。
俺たちの開発した呪文は『妄想癖のないヤツでも、魔法を行使できるように』という代物だが……
サロモンの場合は、妄想そのままだと『目が潰れるほどまぶしい光』とか出しかねないので、出力を下げるために呪文詠唱をおこなっている感じだ。
適切な光量の明かりがあたりを照らし出す。
あんまり明るくても俺たちの目が潰れるので仕方ないが、柔らかな土でできた穴が縦横無尽に広がっているであろうダンジョンは、この程度の明かりだと奥まで見通すことはできない。
なだらかに地面が下っているので、おそらく地下へ地下へと続いているのだろう。
しかし洞窟奥からは相変わらず不気味な風鳴りの音があった。
どこからか風が吹いている。
俺はダンジョンに思いを馳せる。
発生について。
ダンジョンが生えたとドライアドは言っていたが――
それは本当に生えたんじゃなく、『長年、森の地下で巣穴を拡張していた虫型モンスターが、今回、偶然ドライアドの里に巣穴の出口を掘った』という方が自然だろう。
モンスターどもは食事も排泄もしない。
少なくとも今まで出会った連中は、そういう生物らしいことは一切していなかった。
だからきっと、長年、地下で食事もとらずに潜伏していたんだろう。
……その仮説に基づいて考えれば、このダンジョンは相当に深く、相当に広く、相当に、入り組んでいる可能性が高い。
下手をすると、探索に『年』という単位で時間がかかる。
しかしドライアドどもが生きていると仮定すれば、そう時間をかけることができない。
初見の迷路系ダンジョンで、俺たちはRTAをしなけりゃならない状況だ。
「……いいじゃねーか。キリキリする。この種の重苦しい焦燥感は久しぶりだ」
「のう、のう、アレクサンダーよ……考えはまとまったか?」
ウーばあさんが、今すぐにでも歩き出したいという感じでたずねてくる。
俺はうなずき、腰のポーチからダリウスのおっさんにもらった和紙と筆を取り出し、
「ウーばあさん、マッピングやってくれ」
「……まっぴんぐ?」
「そうだ。広い迷宮を闇雲に進んだら、探索してる俺らが遭難する。だから、マッピングだ。頭の中なんていう不確かな場所じゃなくて、紙に、しっかり、俺たちが歩んだ道を記す。地図を作る――それがマッピングだぜ」
「……し、しかし、そんなこと、わしはやったことがないぞ……」
「本当なら俺がやりてーんだが、初見ダンジョンで初見モンスターと当たるし、イーリィは地上に残してるし、どう考えても俺が先陣切らなきゃならねー状況なんだよ。初見だろうが弱点看破のできるシロがいたら先頭を任せてもいいがな。だから、俺の後ろで地図を描いてくれ。サロモンもダヴィッドも戦闘要員だし、あんたしかいない」
「わ、わかった」
「頼むぜ。その地図が俺たちの命綱だ」
「……うぶっ……き、気持ち悪くなってきおった……めまいがする……重圧……重圧が……」
「深呼吸しろ。なに、あんたの双肩にはもとから里のドライアド四十九名の命が乗っかってるんだよ。俺たち三人ぐらい追加されたところで、もう誤差だろ」
「五十の大台に乗ったわ!」
「十の位を切り捨てたらゼロじゃねーか」
「なんじゃそれは!? わけのわからんことを言うな!」
「とにかく『気にすんな』ってことだよ。まあ、なんとかなるって」
「具体的に、どうすれば、なんとかなる?」
「知るかよ。『なんとかなる』っていうのは『どうにもならなくても後悔しないぐらいの覚悟がある』って意味だぜ。具体的なプランなんざあるわけねーだろうが」
「貴様……貴様……おぶえっ……だ、だめじゃ、吐く……」
「どうせ虫臭いんだし多少ゲロ臭くなってもいいよ。吐け吐け。吐きながら進もう。ほら行くどー」
「待て……待て……」
「覚悟は地上で決めたろ」
「……んむ、そうじゃ。決めた。決めている。……が、その、新しい覚悟が必要じゃ」
「そうか。歩きながらでいいな? じゃあ行くぞ」
俺たちは暗い洞窟のなだらかな坂道を下っていく。
目指す先からは不気味な風鳴り音と、より濃くなっていく、すえたニオイがした。




