5-10
朗報、と言っていいのかわからないが――
ここのモンスターどもは赤いぶよぶよした体表を持つ、ミミズをでかくしたような連中で合っていた。
で、俺たちは、連中の巣穴を『立って』『歩いて』進んでいたわけだが……
這って進む生物なら、穴の大きさは、そのまま、体の太さになる。
つまり、太さは直径で二メートルほど、全長五メートルほどの、無数のヒゲをうごめかす大ミミズが、このダンジョンに棲息するモンスターであった。
この連中の攻撃手段は二つ。
一つは、口まわりに生えたヒゲ状触手をあやつっての殴打。
もう一つは――丸呑みだ。
「ぐあー! 超臭い!」
消えていくローパーの死体から這い出ながら叫ぶ。
名状しがたい臭さを持つ体液が、俺の全身を濡らしていた。
たぶん連中の消化液だ。
指先などがヌルヌルするのは皮膚が微妙に溶けているからだろう。
それで朗報っていうのは、連中の体内で得た情報に基づくものである。
「連中、消化速度は早くない。よかったなばあさん、『呑まれてた』としてもドライアドどもはしばらく生きてるぜ。まあ、それが幸福な生存かは微妙だけどな」
目を閉じて身を固くしてれば、そこそこ長生きできるだろう。
多少の欠損などがあっても、イーリィにかかれば元通りにできる。
ただ連中の体内が臭いのと、息苦しいのは気になる。
消化よりも窒息の方が早いかもしれない。
「というか消化液は『モンスターを倒す前にぶんどった部位』扱いなのか……」
モンスターは倒せばあとかたもなく消える。
が、その前に奪い取っていた部位は、残る。
俺の全身を濡らすローパーの消化液は残ってて臭い。
濃縮したヤスデ臭って感じ。
ダヴィッドがさりげなく三歩ぐらい俺から遠ざかったのを、俺は見逃さなかった。
「あとな、連中、体が硬くない。切り刻むことは簡単だ。ただ、中にいる人のことを考えないといけないのがちょっと面倒くせーな。サロモンの矢がバスバス俺に刺さってる。返すぜ」
「いらん。臭い」
臭いけどさ。
……人選ミスかもしれない。
鼻のいいダヴィッドと、貫通攻撃しかできないサロモンは、このダンジョン攻略にあんまり向いてない。
まあ、かと言って、『外での役割』をこいつらに任すのもな……
「……かははは……」
ほんの少しだけ思案していたら、乾いた笑い声が聞こえた。
発生源を見れば、そこにはウーばあさんがいる。
彼女はボリュームのある緑髪をしおらせ、血走った目を見開きながら肩を震わせて笑っていた。
「どうした、ばあさん。臭すぎて笑えるのか?」
「……みなが、呑まれて……じわじわ、溶かされ……」
「あくまでも『可能性』な。そうだとしても生きてる時間はそこそこ長いって話だ」
「……いつ、助けられる?」
「それはダンジョンの広さによる。まあ、幸いにもエンカウントは少ないから探索時間は最初に想定したよりずっと短く済んでる」
「こうしている今も、みなは苦しんでおるんじゃぞ!」
「だから『可能性』だってば」
「……もうイヤじゃ……」
ばあさんは、膝から崩れ落ちた。
すると、彼女の持っていた物が、ばらばらと地面に落ちて広がる。
それは、二十枚ほどの和紙で――
それらはすべて、ここに来るまでに描いていた、地図だった。
「いったい、いくら地図を描けばいい? ……どのぐらいの地図の果てに、わしの、里のみなはおるんじゃ……?」
「わからねーよ。だから進むしかない」
「もうダメじゃ。もう無理じゃ。もう、動かん。脚が……」
「……」
体力の話、じゃないだろう。
心の話だ。
「なぜ、わしばかり、こんな目に遭う……わしがなにをした? わしは、悪いことをしたのか? こんな、こんな……」
「……」
「…………もうイヤじゃ。ふえっ……ぐすっ……もう、イヤじゃ……もう……うああ……うああああ……!」
ばあさんは、見栄も外聞もなく泣き叫んだ。
俺たちはかける言葉もなく立ち尽くすしかない。
人選の問題だ。
俺。サロモン。ダヴィッド。
ここにいる三名は、みんな、『普通の人』の気持ちを理解できない。
サロモンもダヴィッドも、他者とのかかわりを捨て、自分の目標を一人だけで追っていた。
誰に支えられる必要もない、そういう心の『強さ』を――
……いや、『心の欠損』を持っている。
俺は。
……俺は、どうなんだろう?
「……なあ、ばあさん」
俺は、床に両手をついてすすり泣くばあさんの前に、しゃがみこむ。
「ごめんな、ばあさん。『大丈夫』とか『安心しろ』とか言ってやりたいけど、ばあさんに『嘘だ』って言われたら否定できないから、言えないんだ」
「……ふえっ……」
「『全部俺がやっておくよ』とか『心配せずにどこかで休んでてくれ』とか言ってやりたいんだけど、それさえも無理なんだ」
「……うぐ……ぐすっ……」
「過度なプレッシャーのせいで、もうなにもかも『誰かに代わってほしい』って思うことはあるよ。現実ってのは平気で無理難題をふっかけてくるからさ。『俺より優れたなんらかの力が勝手に問題全部解決して、ハッピーエンドをくれないかな』って思うこと、あるよな」
「…………」
「でも、ダメなんだ。そいつは、できない」
「強いのにか……? わしなんかより、よっぽど、強いくせにか……?」
「あんたより腕っ節はあるが、腕っ節で解決できないことが山のようにある」
「……」
「俺たちもいっぱいいっぱいなんだ。戦いはできるけど、それ以外はできないんだ。こうして泣いてるあんたを泣き止ませることさえ、できないんだ」
「……」
「助けてくれ」
「……は?」
「ばあさん、助けてくれ。無力な俺を救ってくれ。あんたを泣きやませる気の利いたことを言えなくて困ってる俺を、救ってやっちゃくれねーか?」
「……それを、わしに、言うのか?」
「だって他に適任者がいねーんだもん」
「……」
「誰もいないなら、いないなりに一番向いてるやつが、やるしかねーよ」
「……一番、向いてても、できなければ、どうする?」
「そりゃあ仕方ない。あきらめるしかないな」
「……」
「『今』『ここにいる』人材で無理なら、それは巡り合わせが悪かったってことだ。……常に万全な手札で物事に当たれたら、そりゃあいいさ。最高だ。でも、現実はそうもいかない。だから『今』『ここにいる』中で一番向いてるやつに頼むしかねーのさ」
「……そんな、すぱりと、あきらめられるものか」
「じゃあ、あがくしかない」
「……」
「『仕方なかった』って結末がイヤなら、あがくしかない。助けてくれよばあさん。俺だってドライアドを助けたい。でも、この中で一番ドライアドを助けたいのは、あんたのはずだ。部外者と家族じゃ、想いの強さが違う」
「想いで、なにができるものか。奇跡でも起こらん限り、こんな、こんな広い場所で、連れ去られたドライアドが、生きて見つかるなどと……! あり得るものか……!」
「奇跡は、今、起ころうとしてる」
「……どこでじゃ」
「そこかしこで、だよ。……いいか、奇跡ってのは、いつだって起こってるんだ。なんせ『奇跡』の正体は『自分に都合のいい、ごく低い確率で起こりうる事象』だからな」
「……」
「取り組む時間が長くなれば、当然、『奇跡』に巡り会う確率も高くなっていく。つまり、最後まであがけばあがくほど、奇跡が起こりやすくなるんだぜ」
「……悪あがきではないか」
「悪あがき、上等じゃねーか。なにが悪い」
「……」
「『絶対にあきらめたくない』っていう、当事者にしか持ち得ない意地が、奇跡を招き寄せるんだ。……俺たち外野が『もう無理だ』って思っても、当事者なら、絶対に『もう無理』なんて思いたくないはずだ。情けなくて弱くて、それでもドライアドたちを一番に想うあんただけが、奇跡を招く確率を上げられる」
「……しかし、どのような奇跡であれば、今から、迅速に、みなを救える……? そんな、そんな想像もし得ぬ奇跡など……」
「想像もできないことは起こるよ」
「なぜ、言い切れる」
「少なくとも俺は、『チート持って異世界に転生する』って奇跡を招いた」
「……」
「誰かが都合良く全部解決してくれることを、もっとガンガン望もうぜ。無力、いいじゃねーか。力がないから望みがふくらむ。欲望を抱けよ。『世界が全部、自分に都合よくいきますように』っていう、人に聞かれるのが恥ずかしいような欲望を、胸を張って堂々望もうぜ」
「……奇跡は、いつ起こる?」
「さあ? そうやって地面に伏せて泣いてるあいだに起こるかもな。でも――」
「……」
「――奇跡が起こるまではまあ、堅実に、やれることをやった方が、望みが叶う確率は上がると思うぜ。奇跡に頼らずに済むなら、それが一番いいだろ?」
ウーばあさんは――
うらみがましく、俺の方を見た。
「アレクサンダー、貴様は、ずるい」
「よく言われ……いや、よくは言われねーな。俺のずるさは、誰にも気付かれたことがない」
「自覚しとるのか。……貴様は、貴様は……どうしてそう、妙に論理的なんじゃ。否定できん……ずるい……卑怯……」
「そうかよ。で、どうする? これはあんたの冒険だ。あんたがそうして止まるなら、俺たちは一歩も進めない。実際問題、どこからモンスターが出るかもわからないダンジョンで、あんたを放置して行くのも無理だしな。確実な生存者一人を取りこぼす羽目になりかねない」
「……わかった。進む。進めばいいんじゃろ!」
ウーばあさんは地面に散らばった地図を拾い集め始めた。
そうして、新たな紙をとる。
「何十枚でも何百枚でも描いてやるわ! わしはあきらめんぞ! それで満足か、アレクサンダー!」
「満足だ。まあしかし、紙はせいぜいあと五枚しか持ってきてない。わりとかさばるし、重いからな。残りは外のイーリィが持ってる」
「貴様は……! 貴様は本当に、なぜそう、やる気に、水をさすようなことを……! どっちなんじゃ! わしを慰めたいのか、それとも、絶望させたいのか!」
「特にないよ。外野がなに言っても、絶望するやつは絶望するさ。……あんたが再び立ち上がったのは、あんたの力だよ。俺は勝手にしゃべる。あんたは勝手に受け取る。そうして立ち上がったのは、あんたの勇気だ」
「……勇気なぞ、わしに、あるのか」
「誰にでもあるさ。いつ発揮できるかは人によるがな。……さて進むぞ。だいぶ長い行軍だった。そろそろ俺らは『空腹』や『眠気』にも襲われるし、いったん引き返さなきゃならねー。慣れない、知らない場所を、いつ出てくるかもわからないモンスターを警戒しながら歩くってのは、かなり心と体力を削るからな」
「……つまり、戻る前に急いで見つけねばならんのか」
「……なるほど、そうだな」
「違うのか!?」
「いや、何度か往復するつもりだったんだけど……まあ、一回目の探索で見つけられるならそれが最上だ。……いいじゃねーか、ばあさん。ずいぶん過分を望みやがる。俺が甘かったぜ。いいぜ、その『都合のいい未来を描く力』。見習いたい」
「褒められておるのか……?」
「大絶賛だぜ。素敵なクソババアだ」
「褒められておらんよなあ!?」
俺たちは騒ぎながら歩き始める。
……結論から言えば。
この探索で、ドライアドたちを見つけることは、できなかった。




