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集落を出て、二人で森の中をさまよい歩いた。
「ここじゃ」
大きな樹の根元でウーばあさんは足を止める。
どうやら『一人ではちょっと恐い』場所にたどり着いたらしい。
が、どこがどう恐いのかが俺にはまだわからない。
それに――
「『姉さまに会いに行く』って言ってたから、てっきり墓参りでもするのかと思ったぜ。……そういや、あんたら、墓を作る風習はあるの?」
少なくとも、ドライアドの集落に墓らしきものはなかった。
だから集落の外部に共同墓地でも作ってあるのかと思ったが……
ただの、森だ。
濃い色の樹皮を持ち、深い緑の葉が茂った樹がある。
このあたり一面に幹の太い木々が立ち並ぶもんだから、地面は根っこまみれで、ただ歩くのにも難儀するほどだ。
そんな隙間なく立ち並ぶ木々の一本に、ウーばあさんは手をつけて、しばし黙っていた。
手持ちぶさただったから、なんとなく上を見る。
夕暮れの赤い光が頭上を覆う葉の隙間から漏れて、あたりをまだらに照らしていた。
ねばつくような緑のにおいが鼻をつき、どこからか、鳥か、虫か、獣か、よくわからない甲高い鳴き声が聞こえてくる。
「わしは、都合の悪いことをすぐに忘れる」
ばあさんは突然、そんなことを言った。
俺は――口を挟むのが、なんとなくためらわれて、黙って彼女の独白を聞く。
「イヤなことも、すぐに忘れる。……んむ。告白しよう。わしはな、己を史上まれに見る英傑であるかのように語っている時、その嘘を信じておった。ありもしない都合のいい己の過去を、捏造ではなく真相であると思っておったんじゃ」
「……」
「ちょっとした脚色をした、ぐらいのつもりであった。……わしはな、己の騙ったことを、『本気を出せば簡単にできること』ぐらいに、思っておったんじゃ」
「……」
「そうしていざ、貴様らが集落を訪れ、子を成す絶好の機会が来て、わしは、子がどうやって作られ、どうして産まれるのかも知らないということに気付いた」
「……まあ、そういうこともあるんじゃねーかな。自分じゃない誰かが当たり前にしてることを矮小化して簡単だって思いこむのは、人類共通のクセみてーなもんだ。一人暮らしをやってみて初めて家事の難しさに気付く、みたいなことはよくある」
「貴様は隙あらば難しい話をぺらぺらとするのう」
「悪いな、性分なんだ」
「まあ、それよりもじゃ。アレクサンダー、あいさつを、せい。姉さまじゃ」
「?」
「貴様が今、無遠慮にじろじろとながめている、この大樹が、姉さまなんじゃ」
「……それは、その樹の根元に埋まってるっていう意味か?」
「違う。わしらドライアドはな、死が近付くと樹化が始まる」
「樹化?」
「んむ。手先か、足先か、とにかく、体の一部が樹になっていき、いずれ、全身が樹木となるんじゃ」
「……マジかよ」
「そうじゃ。……思い出したのは、そのことでな。わしらは、貴様らとは、違う」
ウーばあさんは幹の太いその樹に額をつける。
後ろから見れば――
量の豊富な緑色の髪の中に、彼女の姿はすっぽり隠れてしまっていた。
「わしらは、死して、樹木になる。そしてなにより、寿命が長い。しかし――しかし、貴様らは、すぐに死ぬ。またたくほどの速度で人生を駆け抜け……死したのちに、なにも、残らん。それを、思い出した」
「……そうだな」
樹木という、こんなにハッキリしたかたちで姿を残す彼女らからすれば……
俺らはまあ、『なにも残らない』んだろう。
「どんな気持ちなんじゃろうな。子が、寿命で、自分より早く死んだ時の、母の気持ちは」
「……」
「姉さまたちの、悲しげな顔を思い出す。あれは、たしか……わしの、甥が死んだ時であったか。その亡骸を囲み、姉さまが、『もういい』とつぶやいた。それを、思い出した」
「……」
「イヤなことはすぐに忘れる」と彼女は言って、
「姉さまたちは、繁栄をやめて、滅びる決断をしたんじゃろうな。これ以上悲しまぬために」
「……」
「だから、わしらになにも、残さんかった。……これ以上、子が寿命で先に死ぬ悲しみを味わわぬよう……そして、わしらの世代にも、そんな悲しいことは味わわせぬよう、『繁栄』をあきらめ、『滅び』を選んだ」
「……」
「その決断の果てに、今の、わしらの集落があるんじゃろうな」
「……それは、なんつーか……」
言葉に詰まる。
ウーばあさんは、わなわなと髪を震わせて――
突如、『姉さま』を、その髪でぶん殴った。
「ふざけるな」
ざんざん、と太い樹の幹が揺れ、葉が頭上から落ちてくる。
「ふざけるなよ姉さま! 姉さま! どうしてそういう大事なことを、わしに伝えず逝ってしまうんじゃ! 伝えておけよ! わしだけには! わしでなくとも、せめて誰か一人には!」
ガンガンと、何度も何度も、髪で『姉さま』を殴りつける。
「わしは――苦労したくないんじゃ! 心労を負いたくないんじゃ! ただ、最長老ということで、若者からちやほやされていればそれでよかった!」
俺はなにも言えないので立ち尽くしている。
「普通に、大いなる流れの中で、産まれて、死にたかった……! ただ一人のドライアドとして、なんとなく産まれて、なんとなく成長して、なんとなく子供を産んで、なんとなく老いて、なんとなく死にたかった……!」
彼女の褐色の背中は震えている。
泣いている。
怒っている。
声をかけるのにためらうオーラを発している。
「なんでじゃ……! なんで、わしが、種族が滅びるか、それとも繁栄させるか、その岐路に立たされとるんじゃ……! なぜわしに決断させるような、そういう感じになっとるんじゃ! そういうなあ、責任の重そうな決断はなあ……しとうないんじゃ!」
ようやく、ウーばあさんのことがわかった気がした。
……どうやら俺は、今までの旅路で英雄に属する者たちを見過ぎたらしい。
だからつかめなかったんだけれど――
ウーばあさんは、『普通の人』だった。
おいしい思いはしたい。
でも、責任は負いたくない。
重大な決断のプレッシャーには耐えきれない。
なんとなく、みんなに尊敬されたい。
勇気がなく恐怖に弱く利己的で。
そして、弱々しい、あまりにも普通の人だった。
「決めたくない……!」
ばあさんは、また『姉さま』の幹に額をつけて、嘆く。
「男が来たからなんだっつーんじゃ……! 知らんわそんなの……! 子作りとか、なんかこう、わしに心労をかけない範囲でうまいこといけ……! なんでわしの種族は滅びかけとるんじゃ……! なんで若い世代は当たり前のように男狩りとか始めよったんじゃ……! 知らんわ……! それもこれも、姉さま! あんたらが、わしらが当たり前にしとった男狩って子供産む習慣をやめてしまったからじゃぞ!」
「ウーばあさん、死者はなんにも答えてくれねーぞ」
「知っとるわ! 知っとるけどなあ……! わしより年上が、もう、おらんのじゃ! わしが、困った時に頼る相手が、もう、みんな死んどるんじゃ……!」
「……」
「ふぐっ……うぐっ……こ、ここで、貴様ら男をどうするかで、わしの、里人からの評価が決まる……! 場合によっては、暴動じゃ……! わしの話に目を輝かせとった若いのが、みんなして、わしを責める……!」
「……」
「だのに、貴様らは、わしの都合いいように行動せん……! なんじゃ、旅って! 旅なんか知るか! わしの命と名誉が大事じゃろ! うぐっ……おえっ……気持ち悪くなってきた……なんでこんな、重大な局面に立たされなきゃならんのじゃ……! やだ……! わしは、そんなもん、受け止めきれん……!」
「……」
「わしの、平穏な暮らしを返せ……! 姉さま……アレクサンダー! 男ども! わしの、なんにも決めないで、てきとうなこと言っとるだけでみんなが目を輝かせてわしを尊敬する、そういう暮らしを、返してくれ……! 返してくれよぉ……!」
ばあさんの背中は弱々しく震えていた。
だから俺は、その細い肩に手を置いて、言う。
「わかったよばあさん。悪かった。あんたの願いを叶えよう」
「……どうしてくれるんじゃ?」
「あんたは、責任を負いたくないんだろ?」
「そうじゃ」
「決断をしたくないんだろ?」
「そうじゃ」
「誰かにすがりたいほど追い詰められてるんだろ?」
「そうじゃ!」
「だったら妙案がある」
「子作りか!」
ばあさんは振り向いた。
涙とヨダレと鼻水で、顔はぐちゃぐちゃだ。
俺はその緑色の髪にポンと手を置いて、
「いや。それだと俺の旅が続かないから、それはナシだ」
「じゃあどうするんじゃ!」
「あんたの抱えてる問題は、全部、あんたに決定権があるから引き起こってるんだ」
「んむ……? んむ。んむ!」
「だから、あんたが決定権のない立場になればいい」
「最長老を誰かにゆずるんじゃな?」
「いや、最長老ってんだから無理だろ。年齢は戻せない。死ぬ以外で」
「……まさか」
ウーばあさんは、こわごわと俺を振り返り、半歩あとずさる。
「わしを、殺す気か……?」
おそるおそるたずねてきたウーばあさんに、俺は、笑顔を浮かべて言った。
「あんたを誘拐する」
「……は?」
「喜べよばあさん。あんたを『決定の責任を負う最長老』から『重大な物事を決定する前に誘拐された被害者』にしてやるぜ」




