3-9
「行くか」
村の外で待っていたサロモンはそれだけ言ってついて来た。
正直助かる。
空飛ぶ相手に剣だけじゃあどうしようもないところがあったんだ。
まあ、何本か持ってきたのは、投げるためっていう理由もあってのことだったんだが。
「アレクサンダー、貴様は大人しく地を這っているがいい。我がすべて一人で片付けよう。……闘争だ。見たこともない巨大なる脅威との闘争。――心踊る」
「そこでサロモン、一つ提案があるんだ」
「どうした」
「お前の魔力の矢って物理に干渉できるだろ? そんでもって速くて強い」
「ふん、それがなんだ」
「話をしよう。自分でぶん投げた武器に乗って移動する男の話だ」
「……なるほど」
サロモンは俺の言いたいことを理解してニヤリと笑った。
岩肌の見える山中を歩いていく。
時おり中天に輝く天体を見て目を細める。
あれは太陽なのか。
それとも、途方もなくスケールのでかい照明器具なのか。
わからない。なにもわからない。だから面白い。だからワクワクする。
初めての出会いはなんであれ大好きだ。解き明かされない謎にはたっぷりと中身が詰まっていて、それの堅いカラを割って中身をほじくり出す感じがたまらない。
「うわついているな、アレクサンダー」
隣を歩くサロモンに指摘された。
たしかにそうだ。さっきからウズウズしてたまらない。
「だってドラゴンだぜ。……ああ、なんてファンタジーなんだろう。ドラゴンだ。ドラゴンに遭えるんだ。あの超生物に!」
「ドラゴンというものは、それほど貴様をわきたたせるのか」
「そりゃそうだ! なにせモンスターの中では一番有名なんじゃねーか? アルラウネを知らない人はいるだろう。コボルトを知らない人はいるだろう。でも、ドラゴンという名前を聞いたことがない人なんか、きっと一人もいない! キングオブファンタジー生物! それがドラゴンだ!」
「強いのか?」
「さて、ドラゴンっていうのはたった一匹を指す名称ってわけじゃねーからな。種族名だよ。当然、弱いのも強いのもいる。ただ……」
「なんだ」
「今回、俺たちが相手をするドラゴンは、たぶん強い」
「……ほう」
「村の連中が作ってた壁な、あれ、かなりのもんだった。少なくとも俺がぶん殴った程度じゃあビクともしない」
「殴ったのか」
「壁を見ると殴りたくなるんだ」
「そうか。まあ貴様の奇行について、今さら言うまい」
「冗談だから突っ込めよ。……いや、ドワーフ連中がさ」
「ドワーフ?」
「あの背が低かったりヒゲモジャだったりする連中だよ。お前は『エルフ』な」
「……人、ではないのか」
「人の中のそういう種族って話。……で、あのドワーフ連中がさ、かなりの技術を持ってるわけよ。ご存じの通り俺はステータスを見ることができる。モンスターのステータスも、装備品のステータスもだ。で、村を守っていた壁はどうにも『装備』に分類されるみたいで、数値が見えたんだが……これがすげーんだ」
「ふむ」
「お前の弓でもなかなか壊せないんじゃねーの?」
「……」
「壊そうとするなよ」
「なぜわかった」
「お前はそういうヤツだ。……で、それぐらいの壁が必要な攻撃をしてくるのが、ドラゴンってわけだ」
「……具体的には」
「もしもあの壁の堅さが過剰でなく、必要充分な防御力のものなら、ドラゴンの一撃は、俺の一撃よりは断然重い」
サロモンは黙ったまま口の端を上げた。
大して婉曲的にでもなく『当たったら死ぬ攻撃を上空から一方的にしてくるぞ』という話をしたのだが、なんで楽しそうなツラをするんだよ。
お前は俺か。
「アレクサンダー、あいつは連れてこなかったのか」
「どいつだよ」
「あいつだ。桃色髪の、貴様を『兄さん』と呼ぶ」
「……なぜ名前を呼ばない? イーリィか? あいつは置いてきた。ほらなんていうか忙しそうだったし悪いかなって」
「貴様より重い攻撃をしてくる空飛ぶ怪生物を相手取るのに、あいつを連れてこなかったのか」
「問題が?」
「なにもない。――それでこそ闘争だ。安全が確保されたものなど、闘争ではない。ほんのささいな気の緩みが生命を脅かすモノ。それこそが、闘争」
「お前ならそう言うと思った」
「……しかし、申し訳ない気持ちにもなるな」
サロモンが小高い岩場にのぼりつつ言った。
俺はその岩場のふもとあたりで足を止めてたずねる。
「どうしたんだよサロモン。お前でも『申し訳ない』って感じることなんかあるのか?」
「我をなんだと思っているのだ。……申し訳なかろう。村の連中がなにかをしていることはわかる。それはきっとドラゴンを相手取るためのものなのだろう。そしておそらく貴様が焚きつけたのだ、アレクサンダー」
「どっかで見てた?」
「見ずともわかる。貴様はあの堅物で有名なジルベールさえ焚きつけた男だ。貴様に触れればみな変わる。みな安寧を捨て死に急ぐようになる。きっとドワーフの連中も死に急ぎ始めたのだろう」
「……死に急ぐ、ね。まあ間違ってもねーのかな」
「まあ、実際は貴様の成したことと、ドワーフどものらんちき騒ぎはおおむね見ていたのだが」
「おい」
「そうでなくてはドラゴン襲来に備えられぬであろう。……だからこそ、だ。死に急いでドラゴン対策を進めていたドワーフどもに先んじて――」
サロモンはなにも持っていない左手を斜め上方向へ突き出した。
そして、なにも持っていない右手を、グッと引き絞る。
それは本気の弓を射る動作。
手の中には緑色に光る魔力の弓があらわれて、バチバチと爆ぜながら力を貯める矢が出現した。
サロモンは真っ直ぐに空の向こうを見ている。
俺も、同じ方向を見ていた。
そこに現れた、羽ばたく影を見ていた。
「――この我が一番矢をつけるのだ。すまないという気持ちにもなろう。少しばかりだがな」
矢は放たれた。
それはたっぷりと魔力をこめられた必殺の矢のようだ。
発射音が重苦しい。放たれたあと大地は揺れ、風が逆巻き、そして遠く、まだ手のひらほどの大きさの影へと真っ直ぐに飛んでいった。
ドラゴンの防御力が低ければこれで終わっただろう。
まだステータスを見るには遠い距離だ。
サロモンをさんざん焚きつけた手前、ドラゴンさんには強くあってほしかった。
ドワーフ連中のためにもだ。
努力して超えようとしている障害が弱いだなんて、興ざめだろう。
ドラゴンは、そんな俺の願いを叶えてくれるようだった。
「……クククク! おい、アレクサンダー! 弾かれたぞ!」
サロモンの笑い声が聞こえる。
すぐさまそれをかき消す轟音が鳴り響いた。
重苦しく遠雷のように響き渡るそれは、ドラゴンの鳴き声だった。
矢は弾かれたようだが、ノーダメージでもないらしい。
地上から放たれた意外な一撃に怒ったのか、ドラゴンは速度を上げて俺たちのいる方へと真っ直ぐに滑空しつつ、炎の息を吐き出した。
「息吹だ、避けろ!」
サロモンと俺は大きくその場から飛び退く。
まだまだ遠くに見える場所から放たれたブレスは、直前まで俺たちの立っていた場所を高温で舐め尽くした。
岩は溶け、ぐつぐつと煮えたぎる。
ただのハゲ山だったその場所は、マグマ溜まりへと変化した。
「見たかアレクサンダー! ああ、なんという絶望的な破壊! 緊張するよ。ただの一撃で灰になる! これぞ闘争! 貴様との闘争より楽しいかもしれんぞ!」
「単独でやる? 協力でやる?」
「――面白いことを、しよう」
「どっちだよ」
「宿敵よ、アレクサンダーよ。貴様の言っていたことをやるぞ」
「あいよ!」
サロモンが特別巨大な矢をつがえた。
俺はガシャガシャと腰いっぱいに提げた剣を鳴らしつつ、矢の上に飛び乗る。
「我が矢となれ、宿敵よ」
俺を乗せた矢が、空を舞うドラゴンに向けて放たれた。
矢の上に立った状態だと普通に落ちそうなのでしがみつく。
超痛い。
『攻撃のために編まれたカタチ』である矢は、やじりに限らず相手に痛手を与えるらしい。
しがみついた腕や押しつけた胸や腹からビリビリと電気でも流されているみたいな痛みが走った。
ドラゴンが近付いてくる。
青空に舞う、そいつの姿がようやくハッキリと見えた。
陽光にきらめくウロコは真っ赤だった。
旋回のたびにすさまじい暴風を巻き起こす太く長い尻尾。幾重にもウロコがかみ合ったボディは太く屈強で、そこから伸びる前脚後ろ脚は体格に比してやや短い感じがした。
背にはコウモリを思わせる翼。
長い首。
頭部にある縦長の瞳孔を持った目が、黄金に輝きながらギョロリと俺をにらみつけてくる。
近寄ったことでわかるサイズ感には本当に絶望を覚えた。
サロモンの放った矢は、真っ直ぐにドラゴンの顔へとたどりつきそうなわけだが……
そのドラゴンは、俺なんか簡単にひと呑みにしてしまいそうなぐらいデカイ。
というか進路にあるドラゴンが口を開けた。
上あごと下あごの距離が、俺の身長の倍ぐらいはある。
このままだと食われる、か――
「息吹で迎撃するつもりかよ!?」
想定しとけよ、と自分で思った。
まったく考えなしには困ったもんだ。
やれやれと肩をすくめる俺の前でドラゴンの口内が赤熱しすさまじいエネルギーがそこに集まって、そして放たれた。
間一髪、矢を蹴って上へ跳び上がる。
危ねー、と息をつくヒマもない。
ドラゴンは中空で体を旋回させてその太く長い尻尾を俺に向けて振ってきた。
「サロモン、新しい足場くれ!」
考えることは同じのようで、新たな足場となるべき矢はすでに放たれていた。
次々に放たれていた緑色の矢を蹴りつつ空中で軌道を変えていく。
ドラゴンは息吹で、爪牙で、そして尻尾で俺をはたき落とそうとしてくる。
緊張してきた。
腹の底がヒヤッとするこの感じがたまらない。一撃で体が消し飛びそうな攻撃が数ミリ横を何度も通り過ぎていくこの感覚は、なにをしても死なないはずの俺が死を思い出すぐらいのスリル!
ああ、地面が遠い。
空の中で逆さまになりながら地面を見上げる。
剥き出しの岩肌。落ちたらぐしゃりといきそうな硬さを感じさせる。
俺の目的は時間稼ぎだった。
せいぜい目の前でうろちょろしてやるか、という気持ちだ。
だって時間さえ稼げばダヴィッドが『アレ』を完成させる。
そうしたらあとは見ているだけでいい。
俺は前座だ。この舞台の主役は俺じゃない。わかっている。わかっているのに、
「楽しくてたまらない。うっかり倒しちまいたくなってくる」
死の危険がうなりを上げて真横を通り過ぎるたび、一段飛ばしでテンションは上がっていった。
心音がどんどんうるさくなっていく。全身の血液が空中機動という初体験に高揚しているのがわかる。
世界が広がっていく。
こんな体験、したことがない。
新しい発見だ。『人は、翼がなくても飛べる』。
俺はドラゴンに向けて言った。
「おそろいになろうぜ、俺たちと」
たぶん通じてないのだけれど、ドラゴンは応じるように大きく咆哮した。




