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46.羽根に別れを

 ひんやりとした空気にゆれる朝露、高く掲げられた歓迎の門の装飾は抜けるような青空をキャンバスに煌めく鮮やかさで人々を誘い、学生達はどこかいつもと違うワクワクを胸に感じながらそのアーチをくぐってゆきます。材料待ちで手持ち無沙汰な男子共の屯する模擬店のとなりでは、身体じゅうに派手な手芸アクセを身に纏った売り子の女生徒たちの声が中庭いっぱいに響き渡って、グランドの特設ステージでは準備中のマイクテストが根も葉もない噂を校内に垂れ流しています。受付にちらほら集まって来た訪問客の表情を2階の化学実験室……今日は写真部のウエディングフォトのスタジオに改装されているのですが……その窓から見ていたサツキは、もう興奮を抑えられないといった口調で準備中の部員たちを鼓舞しました。

「うわ〜もう来ちゃってるよ、お客さん!準備終わった?あ、ポスター、はやく貼ってこなくちゃ!」

「ははは、心配しなくてもそんなすぐにウチになんか来ねえって」

「もう、今年はいままでとは違うんだから!いつ来られてもいいようにスタンバイしててよ!」

だらけた時間を過ごすのが通例だった今までの学園祭の日とは大違いのテンションをもたらすサツキにちょっと苦笑気味の新生写真部の部員たち、まあ彼女としては自分の発案だけに責任を感じているのでしょうけど、そんな光景を見ていた西園寺が小声でマオに言いました。

「姫野、お前も大変だな……尻に敷かれる姿が目に浮かぶよ」

「尻って何ですか?……あ、レフ、もう少し下げて下さい」

「こうか?……そうだ、いいか、最初が肝心だからな。びしーっと決めなきゃ駄目だぜ」

「そうですね、こんなスタジオ設定で撮るのは初めてだし……やっぱ『いいねいいねー』とか言わなきゃいけないですかね」

「ま……まあそうだな……よーするに相手より遥かに格上である事を認知させられればこっちのモンだ」

「難しいけど、頑張ってみます」

「おう」(こいつ、全然わかってねーな)

一閃するストロボ光、立ち位置に置いた露出計の数字を確認したマオはその値にニッと笑うと、きょろきょろしてサツキの姿を捜しました。

「湖川?どこ?ちょっとそこに立っててほしいんだけど」

「あ、ごめん、先これ貼りにいかないといけないんだ!部長にでも立ってもらえば?」

「男子は髪が短いから影の具合がよくわかんないんだ……って、お前もショートだったな」

「短い方が好きって言ったじゃない、お誕生会のとき!」

「はぁ?いつの話だよ……あれ、そう言えばセリエは?」

マオはさっきまで自分の後ろでぶつぶつ言っていた彼女がいないのに気がついてサツキに聞きました。でも彼女も何だか舞い上がっていて全然気にもしていなかった模様、はっとしてマオに聞き返しました。

「そう言えば朝一緒に来てたよね……わかった、コレ張るついでに捜して来る」

「ああ、どっかの模擬店にひっかかってるかもしれないからさ、写真撮ってやるからって言って連れ戻して来て」

「う、うん」

サツキはちょっと戸惑ったように答えると、丸めたポスター紙とテープを持って廊下へと出て行きました。もう!今日の撮影の主役は私のはずなのに!……って、まだマオには何も言ってないんだけど……そうだ、セリエちゃん撮ってるときにさり気に言っちゃえばいいか!うん、それなら自然だよね……そうと決まればこんな事はさっさと!サツキは居ても立ってもいられず、校門横のイベント掲示板へポスターを貼りに走り出してゆきました。


「え?じゃあまだ天界へは戻んないの?」

「うん……だってね、セリエのいないときにあのくろてんしがきたら……」

「サリエルか……確かにあのまま……ってことはないだろうな」

何の催しも飾りもない殺風景な校舎の屋上で、セリエは先日から自分を迎えに来ているアナエルに今の自分の気持ちを告げました。エリシャを失った寂しさがつのらせるマオへの想い、大好きなおにーちゃんの側に今はいたい……ほんとは……ほんとはずぅっといたい……でも、せっかくうまく行き始めたサツキとの関係を思うと割り入ることが出来ない寂しさは、ともすればセリエに自分の存在価値を見失わせそうになるのでした。その寂しげな横顔から伺い知れる彼女の胸の内が痛いほどわかるアナエルは中々かける言葉も見つからなくて、座り込んでいるセリエの顔を覗き込みました。

「……セリエ、エリシャになにもしてあげられなかった……だから天使になんかなれない……なっちゃいけないんだ……」

「そ……そんな事ないって!今あの野郎を止められるのはセリエだけだし、それに、お前には何だかとてつもないものを感じるんだ。あたたかくておおきな、全てを癒すようなやさしい輝き……」

「でも……やっぱり……セリエ、天使なんてヤダ……すきなひとといっしょにいられない天使なんて、なりたくない……」

「そんな事言っても、天使にならなかったらお前……ずっとこの下界で過ごすことになるんだぞ」

アナエルには天使への道を閉ざしてでも地上にとどまることが今のセリエにとって良い選択とはとても思えなくて、何度もそう言い聞かせてみてはいるのですが、セリエはただ首を左右に振るばかり、もうさすがのアナエルもお手上げです。

「……わかったよ、お前がそこまで想ってるのならもう何も言うまい……ラファエル様にはそう伝えとくから……あ、そうだ」

アナエルは虹光を纏うおおきな翼をさっと翻すと、その手に抜けるような白いフェザー……自らの羽根を持ってセリエに差し出しました。

「何かあったら僕を呼んで、どこにいてもすぐ飛んでくるからさ」

「うん、ありがとう、アナエルくん」

「じゃな、主のお導きがありますように」

アナエルの凛とした大天使の羽根を胸に、天空へと赴く彼を見送るセリエ、蒼にとけてゆくその輝く宝輪を見送りながら、セリエは自分の夢に別れを告げるのでした。

「さよなら、セリエのなかの天使さん……であってあげられなくて、ごめんね……」


「あ、いたいた、こんなところに!」

「?」

急に背後から聞こえて来た聞き慣れた声に、セリエは思わず背筋をピッとしてしまいました。涙で濡れたほほをあわてて拭いて、頑張って笑顔を作ります。

「サツキねーちゃん?」

「みーつけたっ!あはは、迷っちゃった?ここでは何も催しはしてないよ」

「うん、あのね、おやまみてたんだ。ここからだととおくのまでみえるんだよ!」

話しかけて来たサツキに、セリエはニコニコ笑いながら答えました。そのいつもと変わらない様子にサツキはほっと胸を撫で下ろして、しゃがみ込んでセリエのほほをぷにっとつまみました。

「どこかに行くときはひとこと言ってってよ。今はね、真桜に心配かけちゃだめなの、いい写真撮ってもらわなきゃいけないんだから……」

「うん……ゴメンナサイ……」

「じゃ戻ろう!そうだ、一番にセリエちゃん撮ってくれるって言ってたよ!」

「え?まおにーちゃんが?」

セリエの顔がにわかにぱあっと明るくなりました。ホント?うれしい!まおにーちゃん、やっぱりセリエがいちばんなんだ!浮き立つ心があふれてきたようなキラキラした瞳、幸せなキモチが久しぶりにその表情を明るく輝かせて、サツキは自分の懸念が的外れだった事にホッとするのでした。

「セリエちゃん、最近真桜を避けてるように見えてた……まさかケンカでもしたのかと思って心配してたけど違うみたいね。よかった……でも、あの夜の出来事は……今でも信じられないな、あの子のこと……」

「サツキねーちゃん!はやくぅ!」

もう早くマオの所へ行きたくて仕方のないセリエはサツキの手をぐいぐい引っ張って再び校舎の中へと走ってゆきました。4階建ての長い階段を踏み外しそうに下って下って……でもどうやってここへ来たか、セリエはすっかり忘れてしまっていたのでした

「あれ!?えっと……ねえ、まおにーちゃんとこ、どこだっけ?」

「うわわっ!」

背の低い子供に引っ張られるだけでもつんのめりそうになるのに今度はいきなり立ち止まられて、勢い余ったサツキは足を滑らせてそのまま転んでしまいました。

「あたたた……もう!いっつも急に止まるんだから!かっこわる……青あざ出来たらどうしよう……今日は写真撮ってもらう日なのに……」

階段の途中でへたり込んでしまったサツキ、どうも膝をしこたま打ったようで、じわっと湧いてくる涙をこらえつつ薄皮のむけた膝をさすっています。それを見たセリエは特に悪びれる様子もみせずに、にまにま笑いながらサツキに歩み寄って言いました。

「あーあ、ころんじゃった……サツキねーちゃん、あかちゃんみたい!」

「はァ?」

「ねーちゃんもまおにーちゃんにしゃしん、とってもらうんだ……でもセリエの方がさきなんでしょ?いちばんなんでしょ?」

「あ……あのねぇ」

サツキはいつもの調子で捲し立てたくなるのをぐっとこらえました。今セリエといさかいを起こしてしまったら真桜に頼むきっかけをなくしてしまう……サツキはなんとか感情を押さえ込んで引きつり気味の笑顔で言いました。

「くぅ〜膝いてぇ……あ、そこの角を曲がったら2番めの教室だから、準備の邪魔しちゃだめだよ!」

「ウン!」

そう言うが早いか、セリエはまだ上手く走れないサツキをほったらかして一目散に駆け出していきました。いつの間にか開場時間になってたみたいで、廊下は一般の来校者や生徒たちが興味のあるブースを巡りはじめています。その中を転げるように走って来たセリエは、スタジオになっている教室の入り口に飛び込むなり設えた遮光カーテンを勢いよく開けて言いました。

「まおにーちゃん!とって!セリエ、かわいくとって!」

「ちょ……何だセリエか、湖川は何してるんだ?」

F4のファインダーを覗きつつ、被写体に指示を出しているマオ。相対する秋空のようなブルーのホリゾントの前には、ロングドレスをぎこちなく身につけた高校生くらいの少女が、隣のロビーに座っている友人からいろいろ冷やかされながらポーズを試しています。セリエはびっくりしてマオに尋ねました。

「まおにーちゃん、セリエのばんだよ!いちばんにとってもらうのはセリエなんでしょ?」

「今それどころじゃないんだ。あ、湖川、お客さん来たから着付けお願い」

足を引きずるように何とか走って来たサツキ、でも目の前のドレスを纏った少女の姿に思わず笑顔がこぼれました。やったっ!こんなに早く希望者が来るなんて!サツキは膝の痛みもどこへやら、大喜びでドレスの少女の手をとって大鏡の前へと連れて来ました。

「ちょっとパニエが下すぎるみたい、失礼していいですか?」

さすがに母親の仕事場に出入りしているからなのか、サツキの応対は妙に大人びていて、しかも手際よく適確にプロポーションを整えていきます。マオはそんなサツキの立ち振るまいを目の当たりにして、今まで感じたことのない新しい素顔に心惹かれるのでした。

「皐月のやつ、うるせーだけかと思ってたけど結構いい感性持ってんだな……撮らせたら意外といい絵モノにできるかもしれない……」

「ねえ……まおにーちゃんてば……」

校門横のサツキのポスターが功を奏したのでしょうか、写真部のスタジオは早くも行列が出来るほどの賑わいです。部員達はその殆ど女性ばかりのゲスト達にクラクラ来ながらも、整理と受付に右往左往していました。次々と好みのドレスを見繕っては華麗に着付けてゆくサツキ、そして少し照れながらも良い笑顔を引き出そうとトークに気を遣うマオ、開会早々の大盛況にみんな大わらわで、とても他人の事なんか気にしてられません。笑顔と喧噪の満ちたスタジオの中で、自分だけその奔流から取り残されている事に気づいたセリエは、マオの後ろ姿に小さな声でひとこと言うと、そっとその場を後にするのでした。


「まおにーちゃん……あとででいいからしゃしん、とってね……セリエのこと、わすれないでいてね……」


 呼び込みの声やPAからのBGMを避けるように、セリエはひとり校舎の裏手へと歩いていきました。みんなの楽しそうな声から逃れるように……日の当たらない浄化槽のすみで腰を下ろして、足下に群生しているクローバーの葉を数えます。ひとつ、ふたつ、みっつ……あれ?天のくにのよつばさんよりひとつすくないよ?ねえどうして?まおにーちゃん……

「こんな所でなにやってんだ?チビ」

「まおにーちゃん?……あ!」

見ればそこには同じように行き場のなさそうな少年……宮武が、煙草の箱を手に空を眺めているのでした。セリエはびっくりして、あわててその場から逃げ出そうと立ち上がりました。

「はは、心配すな。お前達をどうこうしようなんてもう思ってねえから」

「?」

「あの後警部さんから聞いたさ。姫野の奴、何か得体の知れないバケモノと戦ってるんだってな。道理で強いわけだ……知らなかったけど、俺も奴のお陰で命拾いしてたんだとさ……フン、無知ってのは怖いもんだな」

「バケモノ?くろてんしってバケモノなのかな……?」

「そんな奴を勝手に変態野郎扱いしていい気になってたなんてほんと、ざまぁねーぜ、俺」

宮武は手にした煙草にポケットから取り出したライターで火をつけようとして、セリエの「?」な視線に気がつきました。

「おっとと、お前に見られたらチクられるな……へへへ、これはね、実はお薬なんだよ」

「たばこはけんこうによくないっていってたよ!まおにーちゃんが!」

「なんだ、知ってたのか、参ったな……ハハ、げ……げふっ」

「……どうしたの?……あ!ち……ちが!……」

笑いかけた宮武の口元から突然滴り落ちる鮮血、その光景に声も出せないセリエの前を2、3歩よろめき歩いてがっくりと膝をついた宮武は、荒い息づかいでセリエを睨みつけました。

「な……何だ……俺に何かしたのか……チビ……」

「え?セ……セリエなんにも……きゃあっ!」

何が起きたかよくわからなくてうろたえるセリエは、不意に背後に覆い被さってくる鉛のような重い空気を感じて振り向きました。

「……よりによって隣に居たのがお前とはな……フン、見えないとは不便なものだ……」

「お……おまえは……くろてんし!?」

瞳が蒸発して落ちくぼんだ眼孔、全身の皮膚は飴のように溶けて裂断し、ところどころに覗く焼け焦げた腱や間接の骨がびくびくと蠢いています。長鎌を手に、ぼろぼろに割けたローブに身を包んだその姿はもはや天使とは言えないほどに醜く、浮かぶシルエットはまさに人の言う「死神」のそれでした。セリエは震えが止まりません。

「魂を奪うどころか傷つけることも叶わないとは……これほど広範に展開する自我結界は初めてだ。更に輝きを増したようだな、セリエ」

「え?じゃあ、いまおにーちゃんがたおれたのは……」

「ふふ、惨めなものよな……あのサリエルが今はこの様だ……だがな、このままでは終わらせない……この私に反した身の程知らずの人間共……一人残らず、この刃の露としてくれるわ!」

「おねがい!もうやめて!こんなかなしいことなんかやめて、セリエと……セリエといっしょにいこうよ!くらいところでも、さむーいところでもいいから!にんげんさまをたすけてくれたら、セリエ、ずーっといっしょにいてあげるから!」

サリエルの心には、もうひとかけらの光も残ってはいませんでした。盲いたその洞にはもう2度とセリエの可憐な姿が届く事はなく、乾ききった魂は血に飢えた獣のようにただひたすら自らに関わった人間の息吹を探し求めているのでした。その波動は今、陽に当たって立つ校舎の中程の階に息づく、あの忘れもしない少年の魂を捉えました。

「……くくく、こんなに近くにいたとはな……お前だけは最初に葬り去っておかねば気が済まぬ!」

「え?まさか!まおにーちゃんとこに!」

サリエルは引き裂かれた漆黒の翼を不気味に拡げて空中へと舞い上がりました。形相を変えてそれを追いかけるセリエ、そのやり取りを見ていた宮武は、まだ痛む胸を押さえつつぺたぺた走ってゆくセリエの手を取りました。

「やめてっ!はなしてよー!」

「姫野の奴が危ないんだな?おぶってやる、どこへ行けばいい?」

言うが早いか宮武はセリエを背負うと、校舎へ向かって猛然と駆け出しました。

「あのね、2かいのあかいカーテンのおへやなの!」

「わかった、落ちるなよ!」

宮武は、飛ぶように花壇を飛び越えると俊敏なステップで人の波を避けてゆきます。必死で背中にしがみついているセリエは、サリエルの飛び去った空を見上げて祈るようにつぶやきました。


「まおにーちゃん……まけないで……セリエ、すぐいくから!」


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