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45.天使、堕つ

「まにあって……!」

エリシャはこみ上げる恐怖を食いしばりながら、薄闇に立ち並ぶビル群の一点に向かって舞い降りていきます。まさか初めてのご主人様に訪れた危機の元凶があのサリエル様だなんて……エリシャは自分の守護天使としての使命感、そしてセリエの嘆願に応えたいという気持ちで何とかその任に立ち向かってはいるのですが、内心は逃げ出したい気持ちでいっぱいなのでした。好意とは言えないけれど不思議と気になる存在、まして天界では熾天使だった彼の比類なき器量は勉強熱心な彼女にはもう痛いほどわかっていて、そんな御方に私のような下級天使が何を……畏怖と勇気、背徳と友情の狭間でせめぎあうエリシャの心、でも迷ってる時間はありません。林立する矩型の中にぽっかりと開いた空間、高い壁に囲まれたその閉ざされた一角では今まさにサリエルの粛正が行われようとしているのでした。現場の直上付近に環状に浮遊している夥しい鋼材の群れ……マオ達が逃げ回るたびにそれらはひとつずつ落下して行く手を潰していって、今や3人は遮断された出入り口のすぐ横の、極めて限られた空間に追いつめられているのでした。満ちてゆく「冥」の風、翼下のすべての物質の組成を掌握しているサリエルにとって、這い回って身を隠し続けるマオ達の命など苦もなく奪い去る事ができるのですが、あくまで自然の理を愛し、また逆に人間への憎悪に満ちている彼としては、相応な理由付けと惨を尽くした演出を加味する事によって成す事の出来る「美しき最後」に至るときの死にゆく者の叫喚を見る愉悦……その達成こそが下界に見いだした自らの存在理由なのでした。恐怖に引きつり、乾いた瞳で必死に逃げ道を探す西園寺と河森、しかしマオは身じろぎひとつせず冥い頭上を、「DEVIL」がいると思われる虚空に目を凝らしています。その態度にサリエルは冷たく呟きました。

「フフ……大したものだね。この期に及んでもそうやすやすとはいかせないという訳ですか。小癪な……何度となく奪い損なったその魂――あの邪魔な天小使のせいでもあるのだが――結果的に、貴様に死の恐怖への耐性をつけすぎてしまったということだな……」

サリエルはおもむろに自身の長鎌を天に翳して、その周りを浮遊する無数の鋼材で覆わせました。意思を持つかのような金属の群れはもともと一つの物であったかのように隙間なく整列して、やがて研ぎ澄まされた錐状の巨大な槍となりました。サリエルは自分の身長の数倍はあろうかというそれを手に取ると、その切っ先をマオ達の潜む鉄骨の檻へと向けました。

「……これで我を知る人間の存在は絶える。さあ、享受するがいい。身の程をわきまえぬ愚僕どもよ……」

まだ傷の癒えぬ右腕で高々と神槍を突き落とす構えをとるサリエル、その鈍色の瞳に、寸分の狂いもなく自分へとレンズを向けているマオの姿が映りました。いつの間にか上っていた十日夜の月を背後にいただき、何者かによって操られているような空中の長槍の動きに、マオははっきりと「DEVIL」の姿をファインダーに描く事が出来たのです。鋭いMF合焦、それと同時に唸るF4の一連写、24枚撮のTX400は数瞬でパトローネを空にしてしまいました。フィルム終了のモータ音を聞いて構えたF4から視線を外したマオは、その闇に確かに息づく死神の姿を確信して不敵に笑いました。

「……今度は完璧だ……DEVIL……」

サリエルは驚愕しました。完全に支配下においているはずの翼下の物体のなかで、マオのF4だけはその影響を全く受けつけずに作動したことに。あいつは……あいつの身を覆っている光は……サリエルはその目に、微かに自我結界を放つマオの姿を見るのでした。それは意思の輝き……時としてまわりのものさえ妄信的に従わせてしまう力を秘めた「魅力」ともいうべきもの……まだ弱いながらも自分と同じ能力を行使するマオの中に翔く「翼」を見いだしたサリエルは、納得したように顎を上げるとぎこちない笑みを浮かべました。

「そうか……貴様にも天使の血が……ならば奴が来る前にッ!」

手にした長槍に一閃の稲妻が被雷し、次の瞬間、哮るように燃え上がるその塊は一直線にマオ達へと突き立てられました。全てを焼き尽くさんばかりに飛散する眩い熱線、槍を形作っていた鋼材は溶解した金属片となってその核より大量にまき散らされて、サリエルは黒翼で身体を覆いながら高温で赤々と揺らぐ爆心を見つめました。

「ふふ、少しやりすぎたか、私とした事が……さて、人間どもがこの現象をどう解釈するかな……む!」

突如、飛び散る鉄骨に混じって目の前に飛来してきた破片の空を切る音に、サリエルはとっさに身を翻してその回転を受け止めました。勢いを失い、眼前へと落ちてきたまだ熱の残る杖状の魔器……禍々しく組織の脈動する自らの長鎌を手にしたサリエルは、陽炎を纏うその刃先の異変に気がついて今しがた鉄槌を下した足下を凝視しました。

「……食ってない……か……?」

見れば槍の投下された場所のほんの上空、まだ残る火種はマオ達の頭上でぶすぶすとその最後の力を燃やし尽くして、やがて辺りは紫煙と静寂に包まれました。身動きすら出来なかった西園寺と河森、虚空を見上げたままのマオ……視界の効かない閉ざされた空間において、サリエルはその中に潜む小さな邪魔者の存在に気がつきました。

「おやおや、誰かと思えば……よくも、私の槍を跳ね返しましたね……見事な結界です、誉めて差し上げますよ……」

立ちこめる煙が薄くなって、再び現場を照らし始めた月光はサリエルの目に傷つき息も絶え絶えなエリシャの姿を映し出しました。自らの全てをマオ達の防御に費やした彼女はもう浮いているのがやっとな程に消耗しきっていて、その目に彼らの無事を認めたエリシャは、とぎれとぎれな言葉でサリエルに嘆願するのでした。

「……サリエル様……この人たちを……人間様を殺めるのは……もう……おやめください……貴方様は……熾天使サリエル……全てを癒すもの……ラファエル様と共に御前におはした……あの、優しきサリエル様なのでしょう……」

本来ならば賛美すべき主の使徒、その尊厳を汚してしまった負い目からか目を伏せて拝を捧げるエリシャ、でもその心からの願う言葉も今のサリエルにはただ鬱陶しいものでしかありませんでした。それどころか、通説的な正義感を振りかざすような彼女の言い分はサリエルの心の闇を無遠慮に掻き回して、その不快感は敵愾心となって彼の瞳を紅く染めてゆくのでした。対峙する両者の間を重苦しく流れる刻……その沈黙に耐えかねて顔を上げたエリシャは、目の前に立つサリエルの紅い瞳に自分の姿が映っているのを見て、自らの運命を悟りました。

「ああ、サリエル様……」

突然貫いて来る偶像、エリシャは幾人もの自らの姿に体中を撃ち抜かれて、静かに地へと落ちました。


「エリシャ……!?」

彼女の後を追いかけて、ようやく工事現場の閉ざされた入り口の前までたどり着いたセリエは、今まで自分を導いてくれていたエリシャの息づかいが消えてしまったのを感じて思わず立ち止まってしまいました。

「エリシャ?どうしたの?おへんじしてよー!なかにいるんでしょ?どうやってはいるのよー!」

「セリエちゃん、ここに真桜たちがいるの?」

ようやく追いついて来たサツキにセリエは小さくうなづいて、でも目の前を塞ぐ鉄骨の山はとても女の子二人ではどうにもなりません。セリエはきょろきょろしながら他に入り口がないか探しましたが、もう闇に包まれている界隈一帯は視界も効かなくて、それに恐がりな二人にはとてもその暗がりに入っていって捜索する勇気なんかありません。セリエはもう一度中へ向かって大声で叫びました。

「エリシャーっ、どこにいるのーっ、セリエなかにはいりたいよーっ!」

いくら呼んでも、エリシャの返答はありません。途方に暮れて、空に突き立つ防音壁を見上げるセリエ、ふうとため息をついてその先端を見つめる瞳に、うっすらと雲間より差し込んで来る一筋の光が映りました。それは優しくも神々しい輝きに満ちてその一角を照らして、セリエはその光の中に、ぼろぼろに傷ついた天使の姿を認めました。

「え?……あの天使さん……エリシャ……エリシャなの?……そんな……どこへ……どこへいっちゃうの?……」

天空より差す光は引き裂かれた翼や無数の挫創痕の残る小さな身体を包み込むように抱いて、ゆっくりと上へと昇ってゆきます。セリエは声を枯らしてその横顔に叫びました。

「エリシャ!いかないで!セリエ、まだききたいことがいっぱいあるのに!くろてんしだってまだいるのに!」

セリエの見守る中、光の回廊に導かれたエリシャの姿は高く高く天上へと昇っていって、やがて彼方へと消えていきました。その昇天を目の当たりにしたセリエの目には大粒の涙がぽろぽろとあふれて来て、震える口元は言葉にならない言葉を繰り返します。サツキは、呆然と立ち尽くすセリエの正面に回ってその目線に顔を寄せました。

「セリエちゃんどうしたの?ねえ、何で?何で泣いてるの?」

「ぐすん……え……エリシャ……めされちゃった……くろてんしに……ええええ……ひっく」

しゃくりあげながら、足下にこぼれる涙の跡を見ているセリエ……込み上げる感情を一生懸命押し殺して……いつものセリエだったら、たまらず大きな声で泣きじゃくっていたでしょう……けれど小さいときからずっと一緒にがんばってきた仲良しの子、ひとあし先に天使になってもセリエの為に色々な助言をしてくれた、ちょっとお熱っぽくなりやすいけどやさしくて頼れる、大好きなエリシャ……今目の前で消えていった彼女の無惨な姿は、すっぽりとセリエの心を覆い尽くした深い悲しみの渦の中に、今まで感じた事もない程の強い感情を呼び覚ますのでした。自分の為に頑張って、そして力尽きた彼女の事を想うたび大きくなってゆくその気持ち……未だ涙は途切れる事はないけれど、セリエは泣きはらした顔をきっぱりと上げて、鉄骨の積み重なる現場の入り口へと歩いていきました。まるで周りが見えていないかのように一点を凝視して、自分の目の前を通り過ぎてゆくセリエの姿を不思議に思ったサツキは思わずその背中に声をかけました。

「セリエちゃん?……みんなは?真桜は?この中にいるの?」

「エリシャ……アリガト……まおにーちゃん、まだげんきだよ……ここからはセリエががんばらなきゃいけないんだもんね……ぐすん……ないてちゃ……ないてちゃいけないんだもんね……」

セリエは急に鉄骨に塞がれた入り口に貼り付きました。そして力を入れて押して押して……明らかに無謀に思える行動をはじめたセリエにサツキはびっくりして尋ねました。

「ねえ!どうしたのよ!私全然わかんない!中にみんながいるの?わかるの?」

「まだだいじょぶ!まおにーちゃんのポカポカがよんでる!くろてんしもいる!エリシャ、みんなをまもってくれたの!ねえ、てつさんたち!」

セリエはやっぱりよくわからない事を口走りつつ、積み重なった鉄骨のひとつにほほを寄せて抱きしめました。

「セリエちゃんってば、そんなのに触んないの!真っ黒になっちゃうじゃないの!あー、油ついてる」

「どうしてこんなことするの?せっかくくらいつちのなかからでてきてかっこよくなったのに!あんなやつのいうことなんかきかないで!おねがい!こんなにきれいにまっすぐにしてくれたのはにんげんさまなんだよ!」

セリエは動かない鋼材に額を押し付けながら叫び続けます。既に顔も手も服も真っ黒で、それでもその一途な行動は壁の向こう側に真桜達がいることをはっきりと感じさせてくれます。サツキは大きな声でマオを呼びました。

「真桜!先生達!中にいるんですか?私です、サツキです!」

「湖川か?どうしてここが?」

「馬鹿!来るんじゃない!……すぐ……ここから離れろ!」

「真桜?無事なの?」

中から返って来るうわずった言葉、サツキはセリエの横に取りついて同じように積み重なった鉄骨を押しはじめました。セリエはそれを見てにこっと笑うと、その手に自分の手を重ねました。

「……おねーちゃんのスキスキ、セリエのといっしょにしていい?」

「うん、でも負けないわよ」

「おい!まだいるのか?早くここから離れろって!」

「いやよ!お願いがあるんだから!ずっと、ずっと絶対一緒にいるんだから!決めたんだから!」

「サツキ!」

「いりぐちのみんな!セリエのいうことをきいて!このままじゃまたさびちゃうんだよ!ぼろぼろになって、またくらーいつちのなかにうめられちゃうんだよ!セリエ、そんなことはぜったいさせない!だからおねがい、ここをとおして!」

「セリエ……お前も……お前も来たのか?」

「まおにーちゃんっ!」


……ったく……バカな奴らだせ、危ねえから呼ばなかったってのに……でも……ありがとう……


「何だと!」

弾けるように飛び散る鉄骨の群れ、突如として動き出した現場の資材達にサリエルは思わず声を上げました。自分の手足のように操っていた夥しい鉄骨は、今や自らの意志を持つかのように現場入り口の封鎖を解き放ち、まるで回廊のように一列に並び始めました。マオ達を閉じ込めていた鋼管もそれに呼応したようにもとあった場所へと再構築されて、あの誘拐事件の起きる前の整った姿へと戻ってゆきます。サリエルは自らの意思を無効にする程の秘跡をもたらすその存在に焦りを隠しきれずに、既に完全に開け放たれた現場の入り口から駆け込んで来るその姿に瞠目しました。

「まおにーちゃんっ!」

「真桜!無事?」

「セリエ!それにサツキも!」

抱き合うセリエとマオ、それをちょっと羨ましく思いながらもしっかり彼の手を握りしめたサツキ。西園寺と河森は顔を見合わせて、自分達の無事と不甲斐なさに苦笑しました。

「あー助かった、これも警部さんお導きのお陰だな」

「皮肉はよしてくれ、こんなの、ハジキだってどうにもならんよ」

「よかった!先生達も元気で!でも、一体何が起こったって言うの?」

「くろてんしーーー!セリエ、もう、ほんとにおこっちゃったんだから!エリシャに、みんなに、こんなひどいことして!」

急に虚空に向かって声を上げたセリエに、皆の視線が集まります。マオはそんなセリエに歩み寄って寄り添い、共に同じ空間の一点を見据えました。

「……あそこにいるんだな?奴は」

「うん……まおにーちゃんもわかるんだね」

「気配って言うのかな……あと、胸がキリキリするから気がつくんだ」

「……やはりお前か……天小使セリエ……お前の秘めたる魂の輝き、一体誰に授かったというのだ……」

エリシャの時とは比べ物にならない圧迫感を感じながら、サリエルはセリエに問いただしました。こんなにチビで羽根もないような奴から、なぜこれ程の光のコトバが溢れ出してくるのか……暖かく慈愛に満ちて、全てを癒すかのような心地良い輝き……それは闇の魂を持つサリエルにとっては不快、いやそれよりも強烈な、自我の崩壊をも起こしかねない程の刃となってその胸を切り裂くのです。もはや自分の意思ではピクリとも動かなくなった鋼材に囲まれて、サリエルは諦めの表情をその仮面に纏いました。

「見事だ、私の意思を遥かに上回るその力……ふふ……断じて……断じて認めるわけにはいかん!」

突如振り下ろされる長鎌、目に見えない程の一振りはセリエのすぐ横をかすめて地表を深々と穿ちました。そこを中心に見る間に広がる蓄積された燐の輝き、隠されていた時系術の封印は今その鎖を解き放って、暗い現場の地表いっぱいに幾何学的な紋様を浮かび上がらせました。

「ふふ、まさかこれを使う事になろうとはな……称賛に値するよ。さあ、静止した時の中で眠りにつくがいい!」

それはマオの家の地下にあったものと同じ方陣……セリエは見覚えのある怪しげな輝きに花時計を動かすときに潜り込んだ、あの低い音のする機械室の情景を思い出しました。あのときもこんなもようがあって、じかんがとまってて……でも、もうまもってくれるエリシャはいない……こんどは……こんどはセリエもとまっちゃうの?……勝ち誇ったように長鎌を構えなおし、マオへとその刃を向けるサリエル、セリエは声にならない声で叫びました。

「やめてぇーーーーーーー!」

「セリエ!この方陣は不完全だ、時は止まらない!」

「誰だッ?」

突然響き渡る声、咄嗟に振り向いたサリエルの目の前には虹色の宝輪も眩しい、その手に方陣の欠片を抱いた長身の天使の姿がありました。釣られてその方向に目をやったセリエは、あっと驚いた表情でその翼の少年を見つめて言いました。

「アナエルくん?……え?きれいなてんしのわ……ど、どうしたの?」

「まったく……少しは気がつけよな……ラファエル様からお前を迎えに行く様に言われて来てみたらこれだ……まあ、僕もコイツにはお返ししたかったから丁度良かったけど」

「……貴様……大天使なのか?……」

「よかった……アリガト、アナエルくん!」

「気にするな、さあぶっとばせ!セリエ!」

「ウン!くろいの、どっかいっちゃえーーーーーーーーーーーーっ!」

セリエの渾身の叫び、夥しい鋼材は今度は眩い白光に包まれて天空に舞い上がり、怒濤のようにサリエルに向かって落下し始めました。それを踊るように、軽々とすり抜けてゆく黒翼の天使、しかしかすめた鋼材の纏っていた光がその翼にまとわりつき始め、徐々にその動きは鈍くなってゆきました。

「な……何と……あぐ!」

その時、サリエルの顔面に巨大なH鋼が突き刺さりました。物凄い勢いで地表へと弾かれたその身体の上に唸りを上げて落下する大量の鋼材、切り裂くような軋み音とともに容赦なく咆哮する金属の群れは地表を抉って尚も突き刺さり、現場はただ無軌道に荒れ狂う破壊に支配されてしまいました。激しく火花を散らしてぶつかりあうその鉄の嵐を固唾をのんで見守るマオ達、セリエは飛び交う歯止めの効かなくなった鋼材たちに向かって声をあげました。

「もう!もういいの!こんなにぐちゃぐちゃにしなくても!アリガト!おねがいだからもとにもどってーッ!」

予想のつかない軌跡を描く鋼材たちを追っかけまわしてはその怒りを諌めてまわるセリエ、声もかすれ、息も追い付かなくてもうしゃがみ込んでしまいたくなるころ、ようやくその危険きわまりない輪舞は終焉を迎えました。静寂が戻り、工事中の整頓された姿に戻った工事現場を月明かりが照らして、ようやく落ち着きを取り戻したマオ達はサリエルが落ちたその場所に駆け寄りました。

「……はあ……はあ……な、なにもないね」

「ああ、でも胸も痛くないし、少なくともここにはいないようだ」

「もうでてこないかな?くろてんし……」

「うーん、でも大丈夫だよ、お前は強い力を持ってるんだから……また奴が来てもやっつけちまうだろ、な?」

「う……うん……」

マオの言葉……前にもそう、エリシャにも言われた「大丈夫」……事件も収まって、怒りや使命感といった猛々しい感情の消えた純粋な魂に寂し気に反響しはじめた、いつも勇気をいっぱいくれたエリシャの残した言葉達……セリエの心はその調べに我慢できずに、また悲しみの波に飲み込まれてしまうのでした。

「今日ばかりは俺も目を疑ったよ、お前があそこまで出来るとはな……本当に、おかげで助かったよ。今度はケーキでも食べにいこう、な?」

「……すん……ぐしぐし……うえ……ええええ……」

「……セリエ?」

「……あ……あのね……がんばったの……セリエだけじゃないんだ……エリシャが、エリシャがぁあああああ……」

急にマオの胸に顔を埋めて大声で泣きはじめるセリエ、マオは彼女の言う事がよくわかんなくて、でもこんな小さい子が対峙するにはあまりにも惨い相手だったのは間違いのない事で、その恐怖に今頃になって打ち震えているなんて……セリエ、お前はよくがんばったよ……マオはその場に腰を降ろすと膝の上にセリエを抱いて、その小刻みにゆれる肩を優しくトントンしてあげました。そんなマオに気を許したのか、背中に手を回して無邪気に求めて来るセリエの揺れる髪……その温もりはどうみても普通の人間の女の子、それがさっきのあの重い鋼材を自在に操って見せたセリエと同じ子だなんて……マオは愛しさの反面、途方もない脅威を内包したその小さな身体に漠然とした畏れを感じるようになってきているのでした。しんと冷え込みはじめた初冬の夜、凍れる空に星は巡り、いつの間にか小さな寝息を立てている腕の中のセリエ、更けゆく夜の空に高々と登った十日夜の月の柔らかな光に照らされて、その濡れた睫毛は真珠のように輝いていました。


「セリエ……お前は……」

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