44.Black or White
駅前に華やかに色彩を連ねるショウウインドウのなかでも、ひときわ目を引く純白のウエディングドレス、柔らかい日差しに描き出される多様なレースの重なりは羽毛のように立ち姿を包み込んで、その清楚できらびやかな輝きに道ゆく人たちはしばし心の奥にしまい込んでいた純粋な時に想いを馳せるのでした。そんなたくさんのドレスに囲まれた明るいショールームで、セリエとサツキは見本写真の冊子とにらめっこしながらメモ帳に目に留まったデザインの番号を控えていました。
「ねえ、このひらひらのたくさんついたの、きっとおねーちゃんにあうよ!」
「んー、この際着やすさとかは考えないで、ひとつどーんと目を引くのが欲しいわね」
サツキは価格帯の高い、ゴージャスなブランド物のウエディングドレスのページを行ったり来たり、いかにも不相応な選択を真剣に悩んでいるサツキに、所用を済ませた母親がカフェ形式のテーブルの隣に座って笑います。
「あれ?今日は珍しい子が一緒なのね」
「うん、この子セリエちゃん。真桜の従姉妹なんだ。今日は用事があってちょっと遅くなるからって頼まれちゃってね」
「へえ、あの姫野君にそんな子がいたなんて……こんにちは、セリエちゃん」
「……ウン……エへへッ」
セリエはちょっと照れくさそうに下を向きながら、でもその優しい声にはにかみながら小さく頷きました。
「……サツキったら、やっぱりそっちのぺージに行ったのね。どれどれ?えっと、Dの31……ああ、この衣装は午前中に予約がはいってるわね」
「えー?私、これが着てみたいのに!」
「着てみたいって……サツキが着るの?」
「いや、あのね、私が着てみたくなるようなドレスだなって思ってさ……でも先約あるんじゃしょうがないなぁ」
サツキはちょっとどぎまぎしてしまって、さり気なく会話を流すのに変な言い訳をしてしまいました。まあそうでなくても母親にはある程度感づかれてはいるのですけど……だから尚の事、彼女はサツキのその願いを何とかしてやりたいと思うのでした。
「学園祭って何時まであるの?」
「う〜ん、3時くらいまではやってるけど……」
「披露宴が終わるのが1時だから、はやければ1時半にはお店に戻って来るわよ」
「ほんと?じゃ戻って来たら電話して!ちょっと抜け出して取りに行くから、あ、それとね、タキシードも一着貸してほしいの。もしかしたらって事もあるかも知れないし」
「ハイハイ」
母親は何かに気がついたかのように小さく笑うと、男性用の衣装の列へと潜り込んでいきました。サツキの頭の中に着々と完成されてゆくその情景、サツキは色付いた街路樹のイチョウの並木にその姿を投影してクスッと笑いました。うん、私だって写真部入ってからいろいろ勉強したんだ……えと、セルフタイマーだっけ?自動でシャッター切ってくれるの。真桜のカメラにもついてるのかな?それとなく聞いてみなくちゃ……
「サツキ、これで全部?そろそろお店、閉めるけど」
「うん、ありがとうママ、土曜日の夕方取りに来るね!じゃ、先にセリエちゃん送ってくる」
「あまり遅くならないでよ、もう暗くなるのが随分早くなって来たから」
「もう!子供扱いして……でも、気をつけるから大丈夫!バイバイ!」
サツキはそう言うと、にまにました口元を何とか平静に保って帰宅を急ぐ人たちの行き交う駅前通りを抜けてゆきます。大通りを坂を駆け上った途中にある自分の家、それより先の、丘のてっぺんにあるマオの家までは20分くらい、真桜、もう帰って来てるかな……もし会ったらなんて言おうか……夕日に照らされてるからなのか、紅潮しているように見えるサツキの横顔をセリエは嬉しそうに見つめていましたが、その心の中にぽっかりと開いた例えようのない寂しさの穴は、あらためてセリエに自分のマオへの思慕を思い起こさせるのでした。
「おねーちゃん、うれしそうだな……スキスキだもんね……でも、セリエもまおにーちゃんスキスキなんだよ……やっぱり、ずっといっしょにいたいな……」
「ん?何か言った?」
「な……なんでもないんだ……おねーちゃん、かけっこしよ!セリエのおうちまで、よーい、ドン!」
「え?あ、待ってよ!ずっる〜い!」
弾けるように坂を駆け上がってゆくセリエを、サツキは笑いながら追いかけます。二つの長い影が坂道のずっと先まで、空へと続く道のように揺れながら伸びて行きました。
「まおにーちゃん、かえったらぎゅっと、ぎゅうっとだっこしてね……」
剥き出しの構造体の長い影が交錯する荒々しい光景、作業が中断したままの建設現場は先日の誘拐事件のおりに発生した資材崩落のあとがきれいに片付けられていて、マオは巧みに光と影をファインダー内で操りながら番号札で示された場所を中心に、多様なアングルでその状態を切り取るように撮影を続けていました。現場への入り口で外の気配に目を光らせている西園寺は、時折振り向いて見るマオのてきぱきとした撮影の気配に昔師事していた茂雄の面影を強く感じて、何ともいえない懐かしい想いについその姿に語りかけてしまうのでした。
「茂雄さんよ、あの時、あんたの目には何が見えてたのか……彼の手にしているF4、あいつはこれはじいちゃんの目だと言っていた……」
西園寺は懐からタバコを取り出すと、茂雄から貰ったZIPPOで火をつけました。
「見ろよ、随分あんたに似てきたぜ、何事にも惑わされず、自分の思った事を脇目もふらず成し遂げてゆく……だからな、頼む、あんたの澄んだ目に真実を焼き付けてやってくれ……」
朱に染まる空に映えるマオのシルエット、そのフィルムを交換している仕草に当時の自分の姿をだぶらせながら、西園寺はマオに状況をたずねました。
「姫野、だいたい撮れたか?あまり長居しない方がいいんだろ」
「ええ、順光でもう1本撮ったら終わりです」
マオは軽く右手を上げて応えると、反対側の影になっている場所に拠点を移しました。そこはちょうど落下して来た鉄骨をひとまとめに積み上げてある場所で、目の前にはいくつもの大穴がまるで月の表面のように散在していました。深く抉られた地面は落下時の凄まじい衝撃を感じさせて、でも不思議とそれらは極めて狭い範囲に集中しているのでした。簡易的に設けられた番号札をつないで再現された死亡した犯人と保護された少女の位置関係、わずか30センチほどの距離で生死を分けたその状況は偶然にしては出来過ぎなほどの緻密さで、まるで狙ってやったかのように思えて仕方のないマオは傍らで無線連絡を取っている河森に小さな声で聞きました。
「警部、鉄骨は何本くらい落ちて来たんですか?」
「うん、検察結果では8本……1本200キロだからな、下敷きになったらとても助からんよ」
「積み上げてるあれですよね、確かにこれが当たったら………あ?……」
河森の言葉を聞きながらファインダー越しに積み上げてある鉄骨をフレーミングしていたマオは、その数に気がついて思わずF4から目を離しました。その瞬間、今まで感じた事のない程の強烈な力で胸を押さえつけられ、マオは折れるように倒れ込んでしまいました。
「くっ……い……息が……」
「!……姫野君……どうした?しっかりしろ!」
まるで口を封じるように呼吸を断ち、その動きを止めるかのように心臓を押しつぶす見えない力、マオは息も出来ない中で必死にその状況を伝えようと喘ぎました。
「む……胸が……け……警部、あそこの鉄骨……6本しかない!」
「何ぃ!?」
河森は彼の言葉に反射的に上を見上げました。その目に飛び込んで来た赤々と錆びた2本の鉄骨!風を切って落下して来るその脅威に河森はマオに向かって全力で飛びつきました。
「危ないッ!」
地を揺るがす激震、鋼材のぶつかり合う甲高い金属音と共に立ちこめる土煙がマオと河森のいたあたりを包み込みます。その音に驚いた西園寺は目の前の光景に血の気が引く思いでしたが、とりもなおさず慌てて二人のもとへと駆け寄りました。
「おい!大丈夫か?姫野!警部さん!」
「……へへっ……生きてるぜ」
「はあっ……はあっ……胸が……」
河森のとっさの機転で何とか直撃を免れた二人、鉄骨は彼らのもといた場所に深々と突き刺さっていて、マオは締め付けられるような胸の痛みにこれが「DEVIL」の仕業であることを確信しました。
「姫野!いるのか?奴が、DEVILが!」
「みんな、ここから出て……狙ってるのは俺一人だから……」
「馬鹿言え!お前が死んじまったら元も子もないんだよ!立てるか?」
西園寺と河森に支えられてふらつくように立ち上がったマオ、その時殆ど組み上がっていた上層階の構造体が突然金切り声のような擦過音を伴って崩れだし、現場の出入り口に殺到するように崩落してきました。さっきとは比べものにならない位の質量の落下に辺りは地震の時のように激しく揺さぶられて、三人は立っていることが出来ずにその場にへたり込んでしまいました。
「くそ!今度は何だ!」
「おい見ろ!出口が……」
「あああ……」
たったひとつの現場への出入り口、その前にうずたかく積み上がった資材の山は建物をすっぽりと囲った防音用の鉄板よりもさらに高く塀を築いて、もはや人の力ではどうすることも出来ません。退路を塞がれ完全に閉鎖された空間、その頭上には死の天使、サリエルが禍々しい闇の翼を広げて降りて来ているのでした。とても人間業とは思えない未知の力、それをありありと目の当たりにしたマオはなぜか不適な笑みを浮かべて、DEVILの支配する四角い虚空を睨みつけました。
「来た……あいつが……」
「まおにーちゃん!?」
夕闇迫る家への坂道を駆け上がっていたセリエは、不意に訪れた心へのこだまにハッとして立ち止まりました。振り向いてみる坂からの景色、今や淡い光を投げかけるだけの夕日は街の陰影を徐々に闇へと塗りつぶしていって、わずかに煌めく雲の残光がかすかに道行く人たちを燈色に浮かび上がらせています。急に立ち止まったセリエに危うくぶつかりそうになったサツキが、つんのめりながら振り向いたセリエに話しかけました。
「おっとと!どうしたの?おねーちゃん追い越しちゃうよぉ〜」
「まおにーちゃん……くろてんしにとじこめられてる……しかくいぼうのたくさんあるとこ!」
「……くろてんし?」
突然かけられた意味不明な言葉に、サツキはびっくりしてセリエの顔を覗き込みました。その瞳は何処か遠くの一点を凝視しているかのように瞬きひとつせず、目の前のサツキの事なんか全然見えていないかのようです。その異様な表情をおかしく思ったサツキは、セリエの肩を抱いてちょっと強く揺さぶりました。
「セリエちゃん?どうしたの?セリエちゃんってば!」
「あ……おねえちゃん……」
セリエは我にかえったかのようにきょとんとしてサツキの顔をまじまじと見つめました。見上げた心配そうな表情、セリエは昂る感情を上手く言葉にする事が出来なくて、サツキに断片的にわめきちらすのでした。
「わるいやつ!くろいのだいっきらい!ほら、くろいはねのあいつ、エリシャはすきみたいだけど!でも、はやくいかないと!しんぱいしんぱいいい−−−−−!」
「ちょっとセリエちゃん!何が言いたいの?」
セリエは急に口を手で押さえてもごもご言いはじめましたが、やがてそれをごっくんと飲み込んで両手をおおきく広げました。
「まおにーちゃんがあぶないの!くろてんしにつれていかれちゃう!」
「え?真桜が?」
そう言うが早いか、セリエは一目散に今来た道を走って戻っていきました。びっくりしたサツキもあわてて後を追いますが、転げ落ちるかのように下ってゆくセリエになかなか追いつきません。いったいこの小さい身体のどこにそんな元気があるのだろう?息を切らせながらサツキはセリエに注意を促しました。
「ちょっと待って!そこ、車が来るから!」
「まおにーちゃーんっ!」
目の前を遮る信号の手前で、ようやくサツキはセリエに追いつきました。無理矢理反対側へ渡ろうとするセリエを何とか押さえ込んで一安心のサツキ、でもセリエは何とか彼女の手を振りほどこうとじたばたしています。
「はなしてよー!まおにーちゃん、とられちゃうよーっ!」
「ちょっと落ち着いて!ねえ、連れてかれるって誰に?何を……何を取られるの?」
「タマシイだよーーーーーーーー!」
「た……魂?」
サツキはやっぱり意味が分からなくて、でも目の前のセリエの慌てようからマオの身に危険が迫っている事だけは感じ取ることが出来ました。真桜、用事って何?……今、何処にいるの?ラッシュ時にさしかかった信号はなかなか変わらなくて、過ぎない時間にキリキリしながら車の流れが途切れるのを待つ二人、その目の前を飛翔してゆく翼の子に気がついたセリエは、人目もはばからず大きな声でその名を呼びました。
「エリシャ!」
「セリエ?うん、わかってる、サリエル様だわ」
「おねがい!まおにーちゃんを……セリエもすぐいくから!」
「何とかやってみる!」
そう言うとエリシャは渾身の力を込めた翔きで夕闇迫るビルの谷間に消えてゆきました。力が抜けたようにその場に座り込んで、茜色の雲を見上げて手を合わせるセリエ、急に虚空に向かって話しかけたり手を振ったりしていたと思えば、今度は静かに祈り始めたセリエを見た周囲の人々の好奇の眼差しが否応無しに集まって来て、サツキはちょっと恥ずかしくなって指先で彼女の頭を小突きましたが、セリエはそんな事なんか全然気がつかない様子で、ただ一心に天の国への礼拝を続けるのでした。
「われらがしゅよ、まおにーちゃんを、エリシャをおまもりください……どうか、どうか、おねがいします!」




