崩れゆく平穏
魔法が弾ける音がする。
壁の奥から聞こえる、誰かの叫び声。
それでも、その一言だけが耳の奥に残った。
敵は、人間--。
......どういう意味や。異獣ちゃうんか?
内門の向こうにおるんは、牙も爪も持たない、
私と同じ、人間。
「エリセル!何をしてる!内門を守れ!」
内壁の上から声が聞こえた。
「...とにかく、早く戻るんだ!」
私にそう言い残し、
エリセルは急いで階段を上がっていった。
......私、ほんまに足手まといなだけやん。
ババアは剣を握りしめたまま、ただ虚しく立ち尽くしていた。
---
「どけ!お前らどきやがれ!!!」
エイヴァルは雑区を通り抜けた後、
そのまま内区を猛スピードで駆け抜けていた。
......このまま最短距離で突っ切る。
「なっ......!」
突然目の前に飛び出した小さな影に、咄嗟に手綱を引く。
間に合わない。
間一髪で影を避けるも、馬体が跳ね、
彼は地面に叩きつけられた。
...痛え!くそ、なんだ?子ども......?
彼の目線の先には、小さな少女が呆然と立っていた。
「申し訳ありません!」
父親がすぐに駆け寄って、
少女を抱きしめながらエイヴァルに頭を下げた。
「てめえ...!」
彼は荒く息を吐き、立ち上がった。
「自分の子どもの世話もできねえのか!
王国の危機なんだぞ!」
「申し訳ありません......!!!」
父親が震えながら地面に額を擦りつける。
少女はあまりにも咄嗟の出来事に、
甲高い声で泣き始めた。
周囲の住民がエイヴァルを遠巻きに見つめる。
「なんだよ...あのエルフ。」
「飛び出したのはあんただろ...。」
彼らの静かな声が、風に混じって彼の耳に届く。
......ちっ。
彼は住民たちには何も言い返さず、
興奮した馬を落ち着かせた。
少女の父親は頭を下げたきり、
怯えながら地面に伏せ続けている。
「二度目はねえぞ!」
彼は馬に勢いよく乗り上げた。
落馬の衝撃で、左腕が強く痛む。
......くそが!俺が悪者かよ。
内門が破られたら、お前らも全員死ぬんだぞ。
彼は城へと、再び駆け出した。
---
内壁の上で数名の騎士が集まった。
「エイヴァルは?」
「つい先ほど、馬で城へ向かわれました。」
「よし、わかった。」
「“戦務長”。お言葉ですが、
なぜこの状況で“副騎士長”を?」
一人の騎士が尋ねた。
「指揮系統が重なっては、混乱を招く。
それに、エイヴァルは馬の扱いに長けている。
最短距離で、城へと向かうだろう。」
彼は少し間を置いて、外区を眺めた。
敵兵が、次々と内門へと押し寄せている。
だが--。
......何だ、この違和感は。
「...おかしい。」
彼の声がわずかに沈む。
敵兵が群がっている。
内門へ、押し寄せている--。はずだ。
ただ、こちらの兵には何一つ損害が出ていない。
彼の目が細くなる。
...”破城槌“すらない。
“外門は破られた”と言うのに......。
「......陽動だ!!!」
彼は大きな声で叫んだ。
「作戦変更!守備隊は攻撃を継続!
歩兵隊は私と共に拠点へ戻れ!」
エルフたちの顔色が変わる。
「敵の狙いは、--蒼晶だ!」
彼がそう声を荒げた瞬間、
蒼晶の方角から衝撃音が鳴り響く。
投石機か......!
彼の目線の先には、
蒼晶やその付近の内壁へと向かって放たれる、
“大きな石”。
その石は不自然なまでに炎を帯び、
彼らの居住区からは煙が立ち上り始めていた。
「まずい...遅かった。」
---
今の音...!
エリセルの母が、小窓から外を覗いた。
周囲は炎が燃え盛り、赤く染まっている。
壁を打つような鈍い音が、地響きとなって揺れた。
魔獣...じゃない......?
次の瞬間、衝撃音と共に何かが地面に叩きつけられた。
「投石...!」
その音とほぼ同時に、扉が勢いよく開かれた。
その扉を開けたのは、慌てふためいた表情のババア。
「サチコさん!」
「お母さん!蒼晶が石で撃たれてる!」
ババアはあの後、居住区へと一人、戻っていた。
その帰り道中にそれを見た。
内壁を越え、
蒼晶へ向かって放たれる炎に包まれた巨大な石--。
「蒼晶を壊そうとしてるんだわ!」
「敵の目的は、最初からこれか!」
くそ、今戦える者は全員出払ってる。
私がなんとかせんと。
ババアは握り閉めた剣を見つめた。
「私も戦うわ。」
エリセルの母は、
迷いのない声で私に告げた。
「待って、どういうこと?」
破砕音が、繰り返し響く。
「エルフは男女問わず、幼い頃から戦い方や魔法を教わる。」
どこか重い表情のまま、私を見る。
「この場所は、居住区でもあり、拠点でもある。
私たちは皆、戦う覚悟はできてるのよ。」
彼女は私の横を抜け、扉へと手をかける。
「--それに私、“訳アリ”なの。」
そう言い残し、彼女は扉を押し開けた。
燃え盛る炎が、彼女の横顔を赤く照らした。
また一歩出遅れた。
私、ビビってるんやろな...。
私は震える手を必死に抑え込み、
もう一度強く、剣を握り直した。
ババアが急いで外へ出ると、
多くの家々から女たちが外へ出ていた。
その中には、まだ幼さが顔に残る青年たちもいた。
内壁は今にも大きな音を立て、崩れようとしている。
ババアは剣を握りしめ、深く息を吐いた。
こうなったらやるしかない。
相手が人間であろうと...。
私は斬る--。
ババアが眉間に皺を刻んだ直後。
--内壁はついに崩れ落ちた。




