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49.イシュタル4

「イシュタル、出て来て」


何と呼ぼうか一瞬迷ったが、キュイではきちんと話を出来るかどうか分からない。ミラは仕方なく、イシュタルの名を呼んだ。

イシュタル……そしてキュイでもあるミラの加護は、彼女の意を酌んで姿を隠しているが、常に身近にいて、ミラを護っている筈なのだ。

そして今の父娘(おやこ)の会話を聞いていたに違いない。


すると向かい合って立っているマルメロ伯爵とミラの間に、フッとイシュタルが姿を現した。

相変わらず美少女と見まごうほど、可愛らしい。

いや、そもそも性別はあるのだろうか? 人ではない精霊(もの)ならではの美しさ、なのだろうか……?

現れた彼は、ジッとミラを見つめていた。

まるで姿を消していた時からそこで、ずっとそうしていたかのように見える。


イシュタルを目の前にしたミラの心情は、複雑だった。

キュイを攫った相手、若しくは仇だと思っていたのに、イシュタルはキュイ本人であったのだ。そしてキュイはイシュタルの一部であり、今は彼に吸収されて同化しているのだという。

彼がキュイの姿を取った時、ミラからキュイを奪っておいて何故そんな悪ふざけをするのかと非常に腹が立った。まるで彼女の感情を逆なでしているようだ、と感じたからだ。

だが―――イシュタルのことを知った今、彼の意図を改めて考えてみると、どうやら嫌味や意地悪でそんな行動を取った訳ではないようだと、ミラは思い始めている。

そう、彼は単純に、ミラが一緒にいるのはキュイが良いと言ったから、キュイの姿を取ったのだ。


人間ではないと、ひとたび知ってしまうと、今まで彼に感じていた様々な違和感の正体も違って見えてくる。

彼がアルフォンス皇太子やエドガー王子に対して取る態度は、全く臣下としてのものでは無かったし、キュイを失って怒り狂うミラの前で姿だけキュイになって(実際は本人……本兎? である筈だが)、それで彼女が納得するなどと考える所も、妙と言えば妙だった。てっきり馬鹿にされているのかと思ったくらいだ。


ミラの中で生まれたイシュタルに対する怒りや理不尽への憤りは、持っていき場のないまま、まだ彼女の中に燻っている。怒り自体はそがれたものの、どう接して良いか分からない。

そして、彼は大好きなキュイでもあるのだ。

だが同時に、純粋にミラの大好きなキュイとは言えない。

彼女の中にあるキュイへの親しみや愛情も、同じく行き場のないままミラの中で右往左往している状態だった。


「聞いていたでしょう? ……その、私にアルフォンス皇太子の妃は無理だわ。でも陛下の意に反するのは、臣下の立場では難しいの。だから……イシュタルには私ではなく、アルフォンス殿下に付いて欲しいの」


ミラの心は、軋んだ。

イシュタルをアルフォンス皇太子に渡すのは、全く構わない。だがキュイと離れ離れになる事に、心が悲鳴を上げそうになる。

だが今のキュイは、果たしてミラのキュイと言えるのだろうか? 以前のような感情を今の『キュイ(イシュタル含む)』に向けられるのかも、分からない以上、マルメロ伯爵が提案したとおり、これが最善の方法のようにも思えた。


マルメロ伯爵は、黙ってイシュタルの出方を観察している。

するとイシュタルはコテリ、と首を傾げた。

その可愛らしい仕草に、ミラはドキリとする。以前の、ふてぶてしいイシュタルが取るべくもないリアクションだった。その仕草にミラは一瞬、イシュタルの中にキュイを見つけたような気分になってしまう。


「それは、無理だ」


即答され、ミラはハッと我に返る。


「何故出来ないの……? あ! 『命令』なら……? そうね、私が契約者として命令するわ! イシュタル、『アルフォンス皇太子を護ってちょうだい』―――それなら、出来るでしょう?」


『お願い』ではなく、『命令』することを思いついた。

実際カルロ国王は、イシュタルに命じてエドガー王子を護らせたのだと言っていた。先代のディミトリオも、契約者としてイシュタルに国家魔術師の真似事をさせたり、カルロ国王に彼を引き継いだりした筈だった。お願いではなく、具体的に言わねばならないのかと思ったのだ。

しかし、イシュタルは再び首を振った。


「どうして? 今まで、貴方は引き継いだ相手の命令に従って来たのでしょう? 何故私の言う事だけ聞けないの……?」


そこで、ミラは嫌な事を思いついてしまう。

ひょっとして、ミラの血筋が問題なのだろうか……と。ミラが半分平民だから、精霊のイシュタルはミラの指示がきけない、ということがあるのではないだろうか。例えば純粋な王族と違って、ミラの魔力量は一般的な貴族程度しかない。


イシュタルは焦るミラをジッと見つめて、淡々とこう返答した。


「君は僕の契約者じゃない」

「え?」

「それにディミトリオも、カルロもエドガーも、僕の契約者じゃない。僕は―――ミュリエルと契約した。だからミュリエルのオーダーにしか従わない」


驚いたミラは、マルメロ伯爵と目を合わせた。

彼も驚いたように目を見開いている。静観姿勢を崩し、今度はマルメロ伯爵自ら、イシュタルに尋ねた。


「しかし、陛下は先ほど、君に命じて体の弱かったエドガー殿下を護らせた、と言っていた。だから第一子であるアルフォンス殿下に君は付いていないのだとおっしゃっていただろう?」

「別にカルロに言われたから、エドガーに付いたわけじゃない」


イシュタルはマルメロ伯爵に視線を向けると、腕組みをして溜息を吐いた。


「僕はミュリエルのオーダーに従って、エドガーを護ることにした。それが、たまたまカルロが口に出した話と合致したに過ぎない。カルロの指示に従っているのではないが、特に否定はしていない。いちいち説明するのが、面倒だからだ」


仮にもこの国の国王に対して何と言う言い草だろう、とミラは思う。だがカルロよりずっと長く生きているイシュタルにとっては、王だろうが平民だろうが大した差ではないのかもしれない。そういえば彼はエドガーやアルフォンスに対する時も、ミラに対するのと変わらない態度で接していた。

だがミュリエルの産んだ子、ディミトリオに対してはどうだったのだろうか。ミラやセイラ、クラウスの祖母である、マルメロ伯爵家に降嫁した王女にはイシュタルから分岐したキュイ(若しくはキュイの元?)が付いて来たというが、一番護りたい相手だった危険な立場にいる息子の命令には従ったのではないだろうか。


「じゃあ、さきの国王陛下……ディミトリオ陛下の時は、どうなの? 国家魔術師になったのは、陛下の指示だったのでしょう?」

「別に同じことだよ。言われなくても、最初からカルロを護るつもりだった。国家魔術師の話を受けたのは、ディミトリオの意見もあったが……僕には経験が圧倒的に足りないと思ったからだ。精霊の僕には、人間の考え方や常識がイマイチ分からない。ディミトリオを護る上で、判断に付きかねる場面が多々あった。それに魔法陣の研究や魔術師に指導するのは、結局ミュリエルの子供を護ることになるからね。僕が関わってから国家魔術師になる人間には、彼女の子供達を決して害しないよう契約を結ばせているんだ。どっちみち、遠からず僕はいなくなるから、もうミュリエルの子供達を護ることはできないし……」

「ちょ……ちょっと待って!」


珍しく饒舌に語るイシュタルが何気なく付け足した最後の台詞に驚いて、ミラは彼の話を遮った。


「あの……『遠からずいなくなる』って……どういう事?」

「……悪いとは思ってるんだ。キュイだけだった時は分からなかった」


少し申し訳なさそうに、イシュタルは視線を落とした。


「君は『キュイ』に『ずっと一緒にいて』と言った。『キュイ』は頷いた。僕はそれを覚えている。僕は『キュイ』でもあったから―――だけど、精霊の森を離れてもう長いこと経っている。僕のエネルギーは尽きかけている。形を保つのは無理だ。だから君とずっと一緒にいるのは無理なんだ」

「え……え?」


ミラは彼が言う事を飲み込むことが出来なかった。戸惑う彼女の代わりに、マルメロ伯爵が改めて尋ね直す。


「イシュタル、つまり、君が人型を保つにはエネルギーの上限がある、と言うことか?」

「そうだ。だから魔術局で加護付きの人間を集めることになった」


戸惑いから抜け出せないミラと違い、マルメロ伯爵は直ぐに状況を察したのか、眉根を寄せて問いを重ねた。


「それは……陛下はご存じなのか?」

「いや? 特に聞かれてないからな。キワノも、カルロがショックを受けるから言わない方が良いと言っていた。何故当たり前のことにショックを受けるのかよく分からんが、人間はそう言うモノなのかもしれないと納得して、直接彼から問われなければ特に口に出さないことにした」


いまだに人間の気持ちは理解しがたい……などと、呟くイシュタルを見て、やはり人間ではないのだ、と少し冷静になりつつミラは思った。


しかしショックを受けるのが、当たり前だと彼女は思う。

現にミラだって、イシュタル―――つまり『キュイ』が、エネルギーが尽きていつ消えるか分からないのだと聞いた今、尋常ではないショックを受けている。イシュタルを王家に引き留めたい、と考えているカルロ国王だって、ミラとは違う意味で衝撃を受けるに違いない。


「キワノ……魔術局長補佐官の、ルワーナ=キワノか?」

「ああ」

「……エネルギーが尽きたら、どうなるんだ?」


父のこの質問に、ミラはハッと息を飲み込んだ。

聞きたくないような、一刻も早く確かめたいような焦燥感が沸き上がる。

しかしイシュタルは表情を特に動かさず、まるでキュイのように、再びキョトンと首を傾げ―――淡々とこう言い放ったのだった。


「僕は、消える」

「え……『消える』って、どういうこと?」


ミラは思わず問い返した。無意識に胸の前で、両手を握りしめる。

言葉の意味は分かるが、分かりたくない、という衝動に突き動かされたのかもしれない。『キュイが消える』と言う言葉を、認めたく無かったのだ。

イシュタルはまっすぐに、ミラを見つめてニコリと笑った。


「言葉通りの意味だ。エネルギーが少なくなるにつれ、まず人間の目に映る人型を保てなくなり―――そしていずれ、全てが消える。そうだな、君たちに分かり易く言うなら……感の良い人間の意識にも引っ掛からない、気配もない存在になる。つまり、無になるんだ」


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