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46.ミュリエル

「祖母ミュリエルは、小国トレビス国の皇女であった。かの国は我が国イクスの西側に隣接するエンダイブ国の更に西にあり、イクスとトレビスでちょうどエンダイブ国を挟むような位置にある。

領地拡大に野心を持つエンダイブ国を両側から牽制するため、我が国とトレビスは同盟を結んだ。イクスはトレビスに比べ領土も広大で、国力についても圧倒的な差がある。彼女の輿入れは当初同盟担保、人質としての意味合いが高かった筈だ。だが蓋を開けてみればミュリエルは、国王の寵愛を一身に集める存在となっていた。


トレビスは小国で経済もそれほど発達していない。だが防衛に長けており、周辺諸国はその力の源を、彼らが有する膨大な魔力だと考えていた。

だが実のところ、トレビスにはそれほど大きな魔力を持つ者がいない。魔力の代わりに、彼らはトレビスの霊山に住まう精霊の力を借りているのだ。

これは極秘事項で、トレビス国外には知らされていない。イクス国の人間にも、決して漏らしてはいけない秘密だ。だからこの場にいるのは、ミュリエルの血を引くものに限られる。


つまりイシュタルは、トレビス皇女ミュリエルと契約した精霊なのだ。

何故彼はミュリエル当人だけでなく、ミュリエルの血を受け継いだ者を護り続けるのか?


それはミュリエルが、そう願った(・・・・・)からだ。


プライドが高く嫉妬深い王妃は、嫁いで来たミュリエルに国王が関心を向けているとしるや否や、陰に日向に攻撃するようになった。国王フェリクスは持てる権力を総動員してミュリエルを庇護したが、議会に多大な影響力を持つ実家を後ろ盾に後宮の権力を握る王妃の横やりを完全に退けるのは難しい。ましてやフェリクス当人は、公務で常に多忙な身だ。

生まれた王子は当然のように日々命を狙われる日常を過ごすようになり、ミュリエルは自分の精霊に息子を護るように命じた。この時から精霊のイシュタルは人型を取り、王子の侍従として仕える事となったのだ。

人型となったイシュタルは、徐々に人間の習慣や特性を学び身に着けて行った。やがて人間の魔術式を会得し、それを発展させる術を身に着ける。厳密には彼の魔術の源は人間の魔力とは異なる。だが、周囲に怪しまれないため魔術を使う体裁をとっているのだ。今では彼独特の魔術式は、イクス国の運営に活かされている。フェリクスは他の人間と違和感なく遣り取りできるようになったイシュタルに国家魔術師の身分を与え、魔術局の顧問をさせたからだ。


ミュリエルが王子の次に産んだのは、王女だった。それがマルメロ伯爵に降嫁したウィルの母であり、君たちの祖母だ。


この国では王女に継承権はない。だからミュリエルは王女にはイシュタルを付けなかった―――と、これまで我々は考えていた。何故ならこれまで加護を授かっていたと思われるのは、男児ばかりだったからだ。

だが実際は、違った。ミュリエルはイシュタルの一部を分離し、王女も秘密裡に守るよう命じていたのだろう……これが、ミラが『キュイ』と呼ぶ加護の原形であると考えられる。


ミュリエルを迎えてから、国王と王妃の仲は一層冷え切ってしまった。ミュリエルをあからさまに冷遇していた王妃を疎ましく感じていた彼は、公式行事以外で王妃と接する事はほとんど無かったと言う。

その間も王妃は幾度も、執拗に王子に対して刺客を放っていたらしい。だが幾度仕掛けても、一向に王子を始末出来ない。

おそらく苛立ちを募らせた王妃の牙は、再びミュリエルに向かう事となった。ミュリエルの死は、流産をきっかけに体調を崩したためとされているが―――真実は、闇の中だ。


彼女は死の床でイシュタルに、王子の庇護を命じた。こうしてイシュタルは、引き続きその王子―――我が父、ディミトリオ前国王付きの侍従として仕える事になる。やがて彼は、イシュタルを私に引き継いだ。


ところで私がイシュタルを譲られる以前から、魔力を持たない人間や、魔力量が少ない人間の中に、他人から受けた攻撃を退ける例が散見されるようになった。しかし彼らは何故か一様に、そのような現象を起こす魔力を持たない者ばかりだ。尚且ついずれも幼く、自らを守るための腕力や権力、経済力を持たない者である。


調べてみると、これがどれもわが父、ディミトリオの血を継ぐ男児である事が発覚する。


そして私以外の息子に関する守護は、ミュリエルの命に従いイシュタルがその時々に分け与えた物らしい。これについては父は何も知らされていなかった。いや、知らされていたかもしれないが、ミュリエルが亡くなった時は幼かったから理解できなかったのかもしれない。あるいは知らせる暇がなかったのか。

だからこれは、調査結果についてイシュタルに確認して、漸く発覚した事実だった。


イシュタルはこちらが聞いた事には答えてくれるし、命じた事は請け負ってくれる。が、尋ねない事柄については、気が向かなければ一切口を開かない。人の形を取り、人の文化や習慣を学んではいるが、なにぶん精霊であるから、人の常識が通じない所がある。彼とは子供の時分からの長い付き合いだが、いまだに何を考えているか分からない部分が多い。


だが味方となれば、これ以上頼もしい存在はいない。

そしてイシュタルが精霊である事を知っているのは、その時点では父と私だけだった。


事象を放置しておけばミュリエルが秘していた、トレビス国の秘密が暴露される恐れがある。即位前の私を差し置いて私の異母兄弟を持ち上げる者が現れ、政治の混乱の火種になるかもしれぬ。

だから敢えて、父ディミトリオはこの現象を『加護』と名付け、魔法とは別の現象であると意図的に広めたのだ。世の中の人間が、加護の現象とミュリエルの血筋との関係に気づく前に先手を打ったのだった。ディミトリオの意図通り、今では『加護』は、魔力とは別の少し珍しい現象と言う位置づけに落ち着いている。


その加護が、マルメロ伯爵家に嫁いだ王女にも与えられていた事も父は知らなかったようだ。幼い王女が、ミュリエルが亡くなってすぐマルメロ伯爵家に嫁いだ為かもしらぬ。王妃から危害を受ける危険を避けるための急な措置だった。


イシュタルが言うには、枝分かれした自分の一部には、直接顔を合わせなければ何処にいるか感知できないものなのらしい。だが一旦その存在を感知できれば、取り込む事が可能なのだと言う。


ミラ、君が受け継いだイシュタルの一部『キュイ』は、こうしてイシュタルに吸収されたのだ。


ただ一世代ぶりの邂逅だから、顔を合わせた当初はよく分からなかったそうだ。

だが、何度かエドガーに付いてミラと会う内に、彼が言うには……互いに磁力のようなもので引き寄せられたらしい。だから相手をハッキリ認識する前に、一度うっかり無意識にキュイに同化してしまった事もあったようだ」


ミラはここで、あっと息を飲んだ。


あの朝、キュイがいる筈のベッドに現れたイシュタル。

一度は、夢だと思った。

夢でなければ、何処から入り込む事が出来たのか理解できなかったからだ。


もしかして人間ではない、精霊と言う存在をマルメロ伯爵邸の防御網が感知出来なかったのかもしれない。そして自分の一部であるキュイと言う存在に、うっかり引き寄せられてしまった。


「あの……その時から、キュイはイシュタルだったのでしょうか?」

「いや、その時は一度分離出来たそうだ。けれどもエドガーとミラが顔を合わせるたびに二体の親和性が強まってしまい、ついには分離する事が出来なくなったそうだ」

「……」


何と応えてよいか、分からなかった。

ミラは下を向きしばらく黙っていたが、再び顔を上げる。先ほどまでミュリエルの木に額を当てていたイシュタルが、いつの間にかミラを見ていた。


その視線に、ミラはドキリとする。


彼の零れそうな大きな瞳が、気づけばミラを優しく見つめている。

それは、キュイの記憶のせいだろうか。

それとも、ミラの祖母であるミュリエルの血に向ける憧憬の所為だろうか。


「そこで提案だが」


カルロ国王が咳払いをして、マルメロ伯爵ウィルフレッドをまっすぐ見据えた。


「イシュタルは、どうやらミラから離れないと決めたらしい。彼は王家にとって重要な存在だ。ミュリエルがもたらした特別な精霊と言う存在であるだけではなく、現実に魔術局の顧問でもある。王子に継承させている分には問題はないが―――その彼が、いつの間にか伯爵家の一令嬢に付き纏っているとなると……大変困った事になる」


マルメロ伯爵は、カルロ国王が言わんとしている事をこの時察していた。いや、実際はイシュタルの素性を聞いた時から、うすうす気づいている。

だがこちらから口を開くのは得策ではないと判断し、ジッとその言葉に耳を澄ませた。更に若干の威圧を込めて、高貴な存在をしっかりと見返しさえした。


「ミラを、王家に引き渡して欲しい」

「それは―――予定通りエドガー王子の婚約者として、と言う事でしょうか」

「いや、アルフォンスの婚約者だ。アルフォンスが正妃を娶ってからとなるが、側妃として仕えて欲しい。だが婚約以前から、即刻王宮に出仕する事が、肝要だ」

「父上?!」


それまでずっと黙っていたエドガー王子が、立ち上がった。


「ミラは、私の婚約者です!」

「『婚約者候補』であろう。アンジェリーナを泣き落とししてねじ込んだようだが、自ら張った罠に嵌ってミラに一時的な感情を抱いていると言う事情は、説明していなかったそうだな」

「それは―――母上が、余計な心配なさるのではと考えて……」


もともと皇太子ではないエドガー王子の妃となる人間に対するハードルは低かった。恋の魔法に掛かってしまったエドガーは、王妃アンジェリーナに『一世一代の恋に落ちた、今までのただれた生活には戻らず、ミラを妃として尊重する』と誓い、助力を願ったのだ。

弟王子の派手な女性関係に胸を痛めていた王妃は、息子が誠実な男性になる絶好の機会だと考えた。彼女の口添えもあって、カルロは彼の要望を受け入れようと考えたのだ。


セイラとアルフォンスの婚約について見直すことは、それほど支障はなかった。元々セイラは王妃のお気に入りで、政治的にも家格的にも適当な相手だったし、アルフォンスも気に入っていたようだから、認める方向で検討していたのだ。

王妃がエドガーの婚約を優先するなら、アルフォンスの相手は他の候補に変えれば良い。アルフォンスも、そしてセイラも、エドガーの訴えに特に否やを唱えることも無く、水面下で進みつつあった二人の婚約を白紙に戻す事に同意したのだった。


だが、エドガーの思いが期間限定であるとなると、話は別だ。

エドガーがミラに誠実になる保証がないのであれば、そもそも前提から崩れることになる。


それにイシュタルがもしエドガーの息子に加護を与え続けるような事があれば、不都合極まりない。

カルロは今、散らばったイシュタルの一部をかき集めている。そのために魔術局に、加護を持つ者を集めるよう指示を出していた。それがエドガーの女遊びで、再びばら撒かれるような状況は避けなければならないのだ。


「お前にイシュタルを付けていたのは、幼い頃魔力が安定せず暴走しがちだったからだ。本来はアルフォンスに引き継がせるべきだが、王宮は前王の処分により大きな膿を出し切った。今ではあからさまに皇太子の命を狙うような愚かな真似をする者は存在しないし、アルフォンスの希望もあったからそうしたまでだ。

だが成長し、悪い意味で『ディミトリオの再来』と言われるようになってしまった今、イシュタルを引き継がせるのは危険だ」

「私は―――ミラに誠実であると誓います!」

「……魔法が解けた後も、そう誓えるといいのだが」


駄々っ子の妄言に付き合っている時間はないとばかりに、カルロ国王は、溜息を吐いた。

ミラも、この溜息に同意したい気持ちだ。以前エドガーは軽口で、魔法が解けた後のことは自由にやるかもしれない……と言った趣旨の微妙な『浮気宣言』をしていた。魔法が解けたらまた、女性の誘いを断らない女たらしの王子に戻ってしまうかもしれない。


ただイシュタルは『ミラに付く』と言っていた筈だ。

だからミラが、ミラの子供にだけ加護を付けるよう念押しすれば良いのでは……と、思わないでもない。

決してエドガー王子を好きだから、とか第二王子の正妃が惜しいからなどと言う動機でそう考えている訳ではない。だが近しく接してきて、ミラは彼をそれほど悪い人間ではないのだと感じるようになってきた。割と気を遣わずにいられる存在にもなっていた。単に身内、従兄弟としての情が湧いただけかもしれないが。


王宮で見るエドガーは老若男女、貴賤を問わず人に好かれている。

好かれ過ぎて、女性からの誘いも多いのは問題だが。

だからちゃんと肝に銘じて過ごせば、隠し子やら側妃やら、大量に作る事はしないのではないだろうか……?


いやしかし、彼の素質……と言うかポテンシャルを考えると、愛人の一人や二人……数人? は結婚後あっさり出来てしまうかもしれないし、ミラ以外の腹から生まれる子供が数人くらい……は、生まれるかもしれない。その光景も、かなり容易に想像できる気がした。


ぐるぐる考えるうちに、ミラにもどうして良いのか分からなくなってきた。エドガー王子を擁護すべきか、すべきでないか。そもそもミラに決定権なんて、ありはしないのかもしれないけれども。


ただアルフォンスの妃……それも側妃となる事を考えると、かなりずっと―――落ち着かない。

半分平民の時分が、皇太子の妃になるのがそもそも畏れ多い。そして贅沢な事を言っているのは重々承知だが、正妃がいる人の側妃になるのは、やはり御免被りたい。高貴なプライドの高い令嬢、または他国のお姫様に、めちゃくちゃ虐められる予感しかない。

それこそ、ミュリエルの二の舞である。

確かにミラの体自体は、常にキュイが……つまり『イシュタル』が護ってくれるのだろう。だから、命の心配はないかもしれない。


だが、ミラは何より―――正直、アルフォンス自身が怖かった。


天使のような外皮に包まれた、魔王のような中身を知ってしまったからだ。

婚約者と仲睦まじく接しているのに、その裏で平然と既婚者の従妹と戯れている。何より素の状態の彼から放たれる言葉からは、ミラを単なる駒としか見ていないことが滲み出ていた。


やっぱり、皇太子は怖すぎる……!


それを考えると、エドガーはずっと親しみやすい気がするのだ。

ただアルフォンスはエドガーと違って、うっかり子供が出来るなんて状態には陥らなそう気がした。浮気をするならするで、証拠は残さず、表面はおきれいな天使のまま押し通す……みたいな。


ああ! でも、それがもっと怖いかもしれない―――やっぱり、アルフォンス殿下の妃も、エドガー殿下の妃も、どっちも嫌だわ……!!


このようにパニックになったミラは、心の中で思いっきり動揺しまくり叫んでいた。

だが、本心をさらけ出すのは不敬に当たるのも重々承知していたため、何とか平静を保って押し黙っている。

そう今、カルロ国王はミラに話しかけている訳ではない。彼はあくまでミラの処遇を決める権利を持つマルメロ伯爵と、交渉しているのだ。


「イシュタルは、本来イクス国王に引き継ぐものだ。つまり、アルフォンスの子に引き継がなければならない」


既に話題は、ミラの結婚を通り過ぎて、子供の方に移っている!

恋もしていないのに、結婚も通り過ぎて出産後の話をされている。


目の前の国王が、思っていたよりずっと優しい人……であると感じたのは大きな間違いだった。為政者にとってミラの人生など、所詮駒の一つでしかないのだろう。


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[気になる点] >嫁いで来たミュリエルに国王が関心を向けているとしるや否や、陰に日向に攻撃するようになった。国王ディミトリオは持てる権力を総動員してミュリエルを庇護した  >イシュタルは、引き続きそ…
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