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41.イシュタル3

イシュタルが歩み出て、白い掌をすっと割れた茶器に向けた。

すると、欠片が全てがふわりと浮き上がる。


「処分するのか?」


エドガーが尋ねると、イシュタルは首を振った。


「これは、ミュリエルが使っていたカップだ。だから、直して置くよ」


『ミュリエル』? 聞き覚えがあるような無いような名前に、ミラは首を傾げる。

しかし次の瞬間放たれた見事な魔術に、ミラの思考は釘付けになってしまった。


イシュタルが欠片の浮き上がった空間に人差し指を向ける。すると瞬時に、そこに光る魔法陣が紡がれた。魔法陣は高さを保ったままその場所を通過し、元通りツルリとした光沢のカップが現れる。割れた事実が、まるで無かったかのような完成度である。


「すごい……」


鮮やかに披露される魔術に、ミラは思わず感嘆の声を上げた。


壊れた物を修復する魔術は存在する。だがこのように完全な形で元通りに、しかも一瞬で直してしまえる人間は、かなり稀であろう。少なくともミラ自身は見た事も聞いた事もない。


女学院の授業で、修復の魔術は習う事ができる。

だが実技指導を行う工芸や修復が得意だと言う錬金術の教師も、これほど短時間に精緻な魔法を使う事は出来なかった。実際の授業でお手本を見せてくれるのだが、それももう少し大きな欠片に割った皿だった。ひとまずパズルを組み立てくっつける要領で欠片を繋ぎ、それでも割れ目が分かる状態である。完全な形に修復するには、その後じっくり修復の魔術を掛けて仕上げなければならないと教師は言っていた。

一度壊れたものは、じっくり時間を掛けなければ、完全な形に修復するのは難しい。更にいうと、粉々になったものを組み立てるのはもっとずっと細心の注意と労力、時間が必要である。

ちなみに、物を粉々に破壊するのは、魔力量さえ多ければ割と簡単に出来るの。

つまり、加減のいる作業は、手作業にしろ魔術にしろ、技量と経験が必要なのである。


「ミラ」


食い入るようにイシュタルの魔術を見守るミラに、エドガーは慌てて言った。


「イシュタルに、惚れては駄目だ」


ミラは、一瞬何を言われているのか分からずポカンとした。

それから我に返り、少し苛立ちを含んだ声で反論する。


「何を言っているのですか? そんな訳ないでしょう……!」


恋の魔法に掛かったエドガーには、何を見ても嫉妬の対象になるらしい。呆れる、を通り越して腹が立ってしまった。

確か魔法に掛かってしまった当初も、イシュタルと言葉を交わしただけで嫉妬心を向けられた気がする。


貴族令嬢達に大人気の、色気たっぷりの遊び人の黒王子。そして意外と気さくで、身分にかかわらず相手を気に掛けるそんな側面もある、老若男女に好意を持たれるエドガー。

そんな彼に嫉妬心を向けられて、年ごろの娘なら優越感を抱いてもおかしくない場面かもしれない。

しかし、その好意の源が、本当の彼の気持ちに由来しているものでない事をミラは知っている。


「誰が、キュイを攫った相手に惚れるものですか!」


見当はずれの嫉妬を向けられるのは、不愉快でしか無かった。


しかし話題になっている当のイシュタルが動じる事はない。二人の遣り取りをしり目に魔法陣を放った腕を静かに下げた。浮いていたカップが、すっとソーサーに戻る。

カップを完璧に直し終えたイシュタルが、唐突にミラに尋ねた。


「『キュイ』であれば、良いのか?」

「は?」

「キュイであれば、ミラを守っても構わないのか? 一緒にいても、良いのか?」


エドガーと言い、イシュタルと言い、どうしてこうもマイペースなのだろうか。会話の流れと言うものを無視した言葉が発されるたび、ミラは今何を言われているのか理解するのに精いっぱいになってしまう。


「当たり前でしょう」


その問いを発するイシュタルの意図を掴めないままに、とりあえずそう答えるしかない。

しかし答えつつも、ミラは怒りで眩暈を覚えた。


何度も同じことを、言わせないで欲しい。

さっきから、ミラはずっと同じことを訴えているのに。

ミラのキュイを返して欲しいと、繰り返しそれしか言っていない。

何のためにミラはイシュタルに掴みかかったり、無意識に泣き出したり、怒鳴ったりしたのか。同じ言葉をしゃべっているのに、外国人と話しているような気分になってしまう。


ひょっとすると、この少年は外国人なのだろうか……? などと考えてしまう。そもそも、ミラの言葉が上手く伝わっていないのでは? と。

だからミラが言う事にいちいちピンと来ないような顔をするし、頓珍漢な回答をしてくるのではないだろうか。言葉が不自由だから、この国で二番目か三番目に偉い、皇太子やその弟王子にゾンザイな口をきいているのだとしたら?


ミラはおかしな質問を放つ美しい少年を、まじまじと見返した。

改めて観察すると、彼は全く王族と似ていない。ミラでさえ、似ている所があるのに。


と言っても、ミラが似ているのは耳の形としっかりした眉くらいのものだが。

眉と耳の形だけ言えば、ミラは肖像画の国王とそっくりだった。父であるマルメロ伯爵にも、その特徴がある。

どうせなら、もっと違う所が似たかった。色気のある美貌とか、スタイルとか。サファイヤのような蒼い瞳とか、キラキラサラサラの金髪とか……


「分かった。そこで、待っていろ」


ミラが益体も無い事に思考を散らしかけた所で、イシュタルが大きく頷いた。


「イシュタル?」


イシュタルは、戸惑うように名を呼ぶエドガーを一瞥したが、返事もせずに背を向けた。先ほどミラが着替えをした小部屋へとスタスタと歩いて行く。


ミラの頭には、疑問符しか浮かばない。


小部屋には鏡台や椅子、小さなテーブルと長椅子があり、衣装掛けを兼ねたスクリーンがあるだけだった。何処にもキュイはいないし、隠す場所も無かった筈だ。


「な、なんなのですか? あの人。ずっとキュイを消したって、言っていたのに、今度は突然、返してくれる気になったのですか? 何故?」


エドガーは、苦虫を嚙み潰したような顔をしている。ミラにどう答えて良いか戸惑ってもいるようだった。


「やっぱりあの人達は、加護を何処かに閉じ込める事が出来るのですか?」

「いや……そうではなくて……」


エドガー王子は歯切れ悪く、口元を覆った。


「エドガー王子、これが国家魔術師の……魔術局のやり口なのですか? 私のキュイを、宿主に無断で攫って、監禁するなんて……」

「きゅい?」


聞き覚えのある鳴き声に、ミラは言葉を切った。

エドガーが目を見開き、ミラの背後の空間を注視している。


振り向くと、そこにキュイがいた。


空間にふわふわと浮かんで小首を傾げる、小さなうさぎのぬいぐるみのような、ふかふかの存在が―――そう。ミラの、キュイだ。


「キュイ!!」


ミラは立ち上がり、キュイに駆け寄るとその小さな体を捉えてギュッと抱きしめた。


「もう! どこに行ってたの? どこに連れてかれていたの?! 酷い事されてない? 痛かったりしない?! 大丈夫なの??」


加護が痛さを知覚するかどうか、なんてミラは知らない。

習った事もない。そもそも、加護の事例自体が少ない。

それにキュイとは肝心かなめの所で、言葉が通じないと言う壁があるのだ。

聞いたって、キュイの心の機微が正確に分かるわけがない。

だけど、確かめずにはいられなかった。

とてもとても、心配したのだ。淋しかったし、イシュタルに『消えた』と断言された時は信じられ無かったし、本当だったらと考えるのが怖かった。


「キュイ、消えたって聞いて―――心臓が止まるかと思った!」

「きゅう……」

「もう、何処にも行かないで! ずっと私の傍にいてよ―――!!」


ぎゅうっと、けれども壊れないように注意して、キュイの、小さなふかふかの体を彼女は抱きしめる。すると返事をするように、キュイが小さな手(前足?)で、ミラの服をきゅっと掴んだ。


「!」


ミラの目から、涙がこぼれる。


今、確かに。ミラとキュイの心は通じあったのだ……!


ミラが思うように、キュイもミラと離れてさみしかったのだと、その『きゅっ』と言う仕草でミラは確信できる。

これこそ、感動の再会だ。


しかし空気を読まない、恋の魔法に狂った俺様王子が不機嫌な声を放つ。


「おい、離れろ」


エドガーが苛立ったように、キュイに命令する。


どうやらエドガーにもキュイが、かなり正確に認識できているらしい。王族ほどの魔力量であれば、驚く事ではないのかもしれない。そしてキュイが姿を隠そうとしていないから、彼にはキュイの姿が認識出来ているのだろう。

だが、こんなに可愛らしく、小さな存在に声を荒げる神経が、ミラには理解できなかった。


「嫌です」


ミラはキュイを庇うように抱き込みんだまま、命令されたキュイの代わりに返答する。そしてエドガーを、睨みつけた。


「なっ……違う。ミラに言ったのではない。その……『毛玉』に、言ったんだ!」

「『毛玉』じゃありません。キュイです!」

「じゃあ『キュイ』、改めて言う。ミラから、離れろ」


ビシッとエドガー王子が指をさす。さされた先で、キュイがきょとんと首を傾げた。


「ええい、なんだその気味の悪い仕草は! 返事をしろ!」

「『その仕草』って! 可愛いじゃありませんか!!」

「『可愛い』だと? では、その『可愛い』振りをやめろ! 背筋がかゆくなる!」

「ひどい! 『振り』なんて!」

「いや、ミラに言っているのではなくてな―――」


ひとしきり、そんな遣り取りをして一日が終わった。


恋の魔法に掛かったエドガー王子はぬいぐるみにも嫉妬するくらい重症なので、結局ミラも折れてキュイと一旦離れて見せた。


だがキュイを連れて帰ろうとして、何度か引き留められる。キュイを置いて行けと言われたが、ミラが素直に『ハイ』と言う訳がない。

しまいには『代わりに、俺がミラに付いて行く』と言い出す始末だ。


「皇太子殿下は、エドガー殿下と私の婚約はないってハッキリおっしゃっておりました。婚約者になる予定もない殿方を、これから夜も更けていくと言うのに連れ帰るわけには行きません。私の身はキュイが、これまで通り守ってくれますのでご心配なく!」


ぴしりと跳ねつけると、悔しそうにエドガー王子はキュイを睨む。

キュイは我関せず、とでも言うように。くるりんくるりんと可愛らしく空中で回っていた。心なしかウキウキと踊っているようにも見える。

苛立つエドガー王子に対しても、まるで注意を払う仕草はない。キュイはミラの加護だから、他人が何を言ったって関係ないのだろう。

……ただ単に、言葉が伝わらないだけかもしれないが。




そうしてミラは気配を消したキュイを連れて、マルメロ伯爵邸へ戻ったのだった。

だが再会の感動のあまり、疑問に思うべき二つの事について、彼女はすっかり忘れてしまっていた。


一つは、小部屋へ消えたイシュタルが、その後全く姿を現さなかったこと。

もう一つは、カップを使っていたミュリエルと言う人物について。


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