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33.迫る期限

ミラが王宮に通うのは、三週間の約束だった。女学院の長期休暇に合わせて期間を設定したからだ。

あと数日で、王宮通いもおさらばだ。今さらながらに騙されたと気が付いたミラは、もうさっさとここを逃げ出したい、と考えていた。


ただ王宮に通っている間、楽しいことがなかったわけじゃない。

血筋はともあれ、ミラは、現実には由緒あるマルメロ伯爵家の箱入り令嬢だ。女学院と屋敷を往復する以外は、基本お付きの者が付き添うので自由に振舞う事などできなかった。

だから王宮を隅から隅まで見学するなんて経験は初めてだし、裏方の仕事を覗き見るのも勿論初めてだ。それに仮初めとは言え、お茶くみ侍女として仕事を経験したのだ。こんな事はこれまで無かったし、これからもミラの人生ではあり得ないに違いない。

毎日、普通の貴族令嬢として生きて行くだけなら経験し得ないような新しい体験ができる。だから、朝見送りをしてくれるセイラに「楽しそうね」を目を細められ、改めて気を引き締める事もしばしばだった。そうでなければ、今日はどんな場所へ行き何を学ぶのだろう……と想像するだけで馬車の中でわくわくして、自らの使命を忘れてしまったかもしれない。


しかし働く経験が楽しいと感じられるのは、雇ってくれる主に寄るのだろう。人生経験の少ないミラにだって、そう察することは出来た。白王子アルフォンスは、その容姿や血筋を差し引いても極上の雇い主だ。

一介の侍女にさえ丁寧に接してくれる。彼の元で働くのはミラにとって喜ばしい事だった。慣れない仕事に苦労を感じても、同時にやりがいも感じる事が出来るから良い、と胸を張って断言できる。

周りの先輩侍女たちも、同じように感じているらしかった。

ただこれだけ魅力的な王子に仕えていて、年ごろの娘は恋に落ちてしまうのではないか? そう言う心配がありそうなものだが、皆、ただただ崇拝している、と言う印象を受ける。それは、まさにアルフォンスの人柄、性質に寄るものなのかもしれない。

黒王子に微笑まれて甘い溜息を吐く真面目な侍女も、こっそり秋波を送るたくましい女性官吏も、白王子アルフォンスに掛かると、その神々しさにすっかり大人しくなるのだ。


今日もミラは執務の合間、休憩時間にアルフォンスにお茶を出す役目を担っていた。

「ありがとう」と、またしても神々しい笑顔で微笑まれ、純粋に誇らしい気持ちが沸き上がる。そして胸の中でこっそり黒王子エドガーを思い出し、溜息を吐くのだ。ぜひとも兄王子を見習ってほしい、と。

お茶の時間は、四半時ほどの短い時間だ。

静かにお茶が終わるのを待って控えていると、扉の向こうがにわかに騒がしくなった。

かと思うと扉が開いて、前室の文官が客の訪れを告げる。


「殿下……リシェンヌ様が、お会いしたいとおっしゃっていますが如何致しますか?」


どうやら、アポなしの相手らしい。

そんな無礼な真似が許されるのか? とミラが固唾を飲んで見守っていると、アルフォンス王子は数秒考えてから、頷いた。


「通して下さい」


何と、アルフォンスはこのアポなし訪問を受け入れるらしい。ミラは内心、この返事に驚いていたが、かろうじて顔には出さなかった。

護衛騎士はすぐに「承知しました」と頭を下げて、扉の向こうに戻る。それから再び扉が開き、背の高い女性を伴って先ほどの護衛騎士が現れた。


「アルフ、久しぶりね」


その背の高い女性は、たおやかに笑った。

口元に浮かべた笑みを目にしたミラは、この時その微笑みが誰かに似ていると言うことには気が付いたものの、誰に似ているのかまでは思い出せなかった。


「……久しぶり」

「喜んでくれないの? 随分、つれないのね」


意味深に笑うリシェンヌと言う女性は、未来の国王、皇太子の面前だと言うのに躊躇せずまっすぐにアルフォンス王子の傍らまで歩み寄る。

アルフォンス王子はと言うと、彼女が差し伸べた手をすんなりと取り、優雅な仕草でソファに誘導した。歓迎している、と言うよりは女性に対して丁寧に接する仕草が骨の髄まで染み込んでいる、と言った卒の無い流れるような仕草だ。

彼女が腰を下ろした後、王子は応接セットのローテーブルを挟んだ向いに腰掛けた。


「隣に座ってくれないの……?」

「他人の奥方に、そう馴れ馴れしくはできないよ」

「従姉なのだから、関係ないじゃない」

「そういう訳には行かない。貴女の夫は同盟国の元大使で、彼の国では重鎮だ」


何と、リシェンヌと言う背の高い女性は、アルフォンスの従姉であるらしい。

誰かに似ていると感じた意味が、そこで漸く分かった。彼女は従弟であるアルフォンス王子には似ていない。と言うより、エドガー王子に似ているのだ。ぽってりとした口元や妖艶な眼差し、色気ったっぷりな様子など、これはまさに女版黒王子と言った風情である。


そういえば、とミラは思い出す。

アグネスから、王族について聞いた事があった。


今の国王には、正妃は一人しかいない。王子は二人だけ。けれどもこの王子達には、『いとこ』が、それこそたくさん存在するようだ。

先の国王には正妃の他に側妃が二人、愛妾が三人いたとのこと。このため、彼は大変な子だくさんだった。加えて王子時代は、特に女性関係が派手だったと言う。

お忍びで街に降りる事が多く、更には平民にも非公式な愛人がいたと言われている。おそらく一人や二人ではない。噂では、一晩の情けを受けただけの女性も多かったそうだ。大層魅力的な男性だったそうで、寄ってくる女性が後を絶たず、本人も据え膳はまず口にするタイプだったらしい。

と言うのも、実は彼には兄がいて当時は皇太子では無かったのだ。

王位継承直前にその兄が狩猟中の事故で命を落とし、急遽弟王子が代わりに即位する事になった。このため、兄の婚約者である隣国の王女を正妃に娶る事になる。

流石に国王になってからは落ち着き、ほうぼうに種をまくような真似はしなかったそうだ。


女性関係に精力的なこの前国王は、一方で即位後政治や経済にも積極的に関わることになる。

即位するや否や、政治や経済、土木工事、農地革命などあらゆる分野に対して稀有な手腕を次々と発揮した。

これまで自由に市井を歩き回り、様々な人脈を持っていた王子はあらゆる方面に顔が利き、結果有能な人材を次々と登用する。更には年に似合わぬ老獪さで、王宮に巣食う既得権益にしがみつく議員達を翻弄し、文官、武官の絶大な支持を得、この国の権力を遍く掌握することとなる。敢然たるリーダーシップを発揮し、ついにはこの時代に国は大きく躍進したのだ。


実はエドガー王子は、一部でこの前国王の再来と言われていたりする。

エドガーは、女性関係が派手だ。まず、そこが似ている。

しかし、決してそれだけではない。意外に、男性からの人気もあるのだ。平民、貴族にかかわらず分け隔てなく接する所に好感を持つ人間も多く、少し話すだけでも相手を楽しませようとするサービス精神に長けていて、見た目とイメージとのギャップにやられてファンになる人物も多いのだろう。そう、ミラは推測する。王子の横で、女性ばかりではなく、男性たちも目をハートにしている様子をミラは目の当たりにしてきた。だからそう言われるのも、悔しいが何となく納得できてしまう。


一方白王子アルフォンスは、誠実で真面目、神々しいまで美しさと清廉さを身に着けている立派な王子だ。だが、それはすなわち「近寄りがたい」と言うことと同義である。

彼に自ら親し気に話をする人間は、いない。様々な種類の人間に囲まれている黒王子と比較して、孤高の存在に見えるのは、このためだった。


確かに、前国王はその手腕で王国を活性化し、結果この国の経済も随分躍進した。

が、一方で女性遍歴の多さから国庫負担の増額を招き、跡目争いなど色々とトラブルを招いている。現国王が皇太子時代、命を狙われることも多かったとか。

これに懲りて、現国王は自らの妃を正妃一人だけとし、側妃も愛妾も娶ることはしなかったと言う。加えて国の制度を改正して、愛妾の公的な地位を撤廃、公費補助を取りやめた。更に、皇太子は原則、正妃の子が王位を継ぐと言う事を、きちんと明文化した。側妃とその後ろ盾達に、余計な野心を抱かせない為だ。

ただ側妃制度については正妃に子がなかった場合の保険として、どうしても切り捨てる事はできなかったらしい。が、無事王子が二人生まれた為、現国王は当初の予定通り今も側妃を娶らずにいる。


前国王による活性化と、現国王が体系化した政策により、今、この国の治世は非常に安定していると言える。

しかしアグネスによると、かつての躍進時期を懐かしむ人間は確実に存在して、黒王子ことエドガー王子に密かに期待を寄せ続ける者もいるらしい。


ただ、エドガー王子は前国王に似ているのは女性関係が派手な所だけだ、と言うのが、世論の大多数の意見だった。このためアルフォンス皇太子は、順調に王位を継承する事になるだろう。反対する者も、表立っては声を上げてはいない。

実際、エドガー自身も政治にあまり興味がないようだった。政治とは距離を置く代わり、騎士団関係者との交流が深いようだ。

なお、ゴシップ寄りの新聞では、政治よりも騎士団よりも『黒王子は、女性達との交流が一番深い』と揶揄されることも多いらしい……


ああ……余計な事まで、うっかり思い出してしまった。と、ミラは一瞬目を閉じ頭の中をリセットする。

そして改めて侍女として、この場の二人のやり取りに意識を向ける。


ここに居て、良いのだろうか? それとも、お茶を追加するべきだろうか……?


先ほどリシェンヌを案内した護衛騎士は、王子の指示ですぐに扉の外に戻ってしまった。だからこの部屋には今、リシェンヌとアルフォンス皇太子、それからミラしかいない。

お茶セットを乗せたカートの傍らでミラは、状況を注視した。幸い、ここに予備のカップはある。だが、指示も無く勝手にお茶を追加するのは憚られた。王子から指示があれば、すぐにお茶を追加できるのに……とジリジリする。と同時に、本来はもっと他のことを気にするべきかもしれないのに、すっかりお茶くみ侍女の思考が身についてしまっている自分に気が付いた。


けれどもアルフォンス皇太子は、向かいに座ったリシェンヌと言う女性をまっすぐに見据えたまま、ゆったりとソファに腰かけている。

その落ち着き払った、とも見える自然なたたずまいに、女性は拗ねるように苛立ったような視線を向けた。


「だから、連絡をくれなかったの? さみしくて、直接来てしまったわ」

「……」

「遠慮しなくて良いのに。夫は夫、貴方は貴方よ。それに夫は国に残っているのだから、気を遣う必要はないわ」

「そういうわけには、行かないだろう」

「だって、私達は『いとこ』ですもの。何を遠慮する必要があるの?」


ぶわっ……と壁際に控えるミラの背に汗が噴き出した。

ここで、会話の意味に漸く気が付いたからだ。

今聞かされているのは『睦言』だ……!

言動から推測するに、彼女は他国に嫁いだ身らしい。そしてきっと、里帰り中なのだろう。

そして夫の居ぬ間に―――アルフォンスに会いに来たのだ。それほど親しい相手だと、彼女はわざわざ主張しているのだ。ミラと言う人間が、同じ室内にいるにも拘わらず。

いや、ミラは貴族と言うものを、知っている。

このリシェンヌと言う女性は、貴族だ。しかし、彼女はセイラやマルメロ伯爵とは違う貴族である。つまり……使用人を人間だとは思わず、家具と同等に考えている種類の貴族なのだ。


「ねぇ、二人きりになりたい」


甘い声で囁くのを聞いて、ミラは思わず耳を疑う。

ミラの周りの身近な人間は、家族に誠実な人間ばかりだった。だからこそ、リシェンヌが夫以外の男性に対して発する甘い囁きに、思わず背筋を凍らせてしまう。


「……」


ここでアルフォンスが、軽く眉を寄せた。

今度はミラは、自らの目を疑った。白王子が顔にハッキリとした人間らしい表情を浮かべるのを見るのは、この三週間弱で初めてのことだったからだ。


重ねてミラは思う。この国の皇太子に対して、何という口をきくのか、と。

いとこだから、親し気な口をきくのは仕方ないかもしれない。でも人妻が、このような誘いの文句を、しかも人目のある(彼女にとってミラは家具同等なのかもしれないが)公の場で口にするのはいかがなものか。


清廉な白王子のことだ。ミラは、彼はその誘いを当然断るものと思っていた。

しかし、ざわざわと不安は足元にうごめいている。

ついには―――『断って欲しい』と切実に祈っていた。


「君、席を外して欲しい」


始め、その柔らかな台詞が自分に言われたものだとは思わなかった。

顔をソロソロと上げて―――柔らかな金髪に彩られた王子の輪郭に宿る、蒼い瞳と視線がぶつかる。そこで初めて、その台詞が自分に対して発せられたものだと理解した。


「あ、あの……」


戸惑うミラに、こちらに背を向けていたリシェンヌが振り向く。


「ふっ」


眉を下げて嫣然と微笑むリシェンヌの目に、優越感が漂っている。

ある意味、初めて彼女に存在を認められたと言うのに。ミラの心は、失望で冷たく冷えるばかりだった。


「失礼いたします……」


か細い声でそれだけ呟いて、頭を下げる。


ショックだった。

エドガー王子の言っていたのは、このことなのか、とここで漸く理解する。


白王子、アルフォンス皇太子の『切ることの出来ない愛人』とは。愛し合っていて、だからこそ離れられない相手であると、ミラは考えていたのだ。だから、周囲に女性の気配の無い王子に疑いを持たなかった。

だが、エドガー王子の言葉は、ミラが考えているのとまるで意味が違った(・・・・・・)

『切れない』と言うのは、愛情や未練云々の話じゃない。もっと現実的な『血の繋がり』のことだったのだ。


確かに白王子、アルフォンス皇太子の愛人は『切ることの出来ない相手』に間違いない。

―――つまり彼女は、例え何があっても縁が切れることはない、皇太子の『いとこ』だったのだ。

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