28.侍女のマリー
「ちょっとマリー、それ違うわよ」
ミランダが眉を寄せて厳しい声を出したのに、新しいお仕着せを来た若い侍女は手にしたクロスをそのまま、カートの上に乗せようとする。
「マリー!」
肩に手を置くと、漸くその侍女はハッとして振り返った。
王宮に勤めて、三年目となる。浮ついた様子も見せず懸命に励んだ結果、晴れてこの春から皇太子付きとなったミランダだ。新人の手際の悪さに、内心つい苛立ってしまう。中途半端な人間に、本当はこの大任を任せたくはない。
「はい、何でしょうか。ミランダさん」
案の定、何を指摘されたのか全く見当すら付いていない顔だ。
ミランダは、溜息を吐いた。
マリーは、この通りド素人と表現できるような新人でありながら、いきなり皇太子付きの侍女を任ぜられたのだ。侍女長の含みを感じる言い方から察するに、さる身分の高い方の縁故にあたるらしい……
婚約者の決まらない皇太子にめあわせるため、送り込まれたどこぞの高貴な令嬢かもしれない。などと、先輩の侍女は憶測していたが。
目の前の『マリー』は、特に秀でた美しさを有している訳ではないし、身分の高い女性が無意識に有する高慢さ(『高潔さ』とも言える)も無い。決して将来の王妃候補ではあり得ない、とミランダ自身は感じている。
ただ、ずぶの素人がこうして皇太子付きとして突然配属される本当の理由が分からないだけに、不気味ではある。
だからこそ「かかわって睨まれたくない」と、先輩侍女達は一番新人のミランダにマリーの世話を押し付けたのだった。
確かに―――『マリー』と言う自分の名を呼ばれて咄嗟に反応出来ないのは、偽名だからかもしれない。
下級貴族の娘であるミランダが、王宮内でここまで登りつめたのは、仕事に熱心であることだけでなく空気を読む能力に長けていたからだ。
仕事の能力の無い人間を縁故採用でねじ込まれて腹立たしく思わないでもないが、意地悪な物言いをして恨まれては溜まらない。彼女にどんな裏があるか分からないからだ。
侍女長をして、皇太子妃付きにねじ込める縁故なんて、どんな有力者であるか想像も出来ない。少なくとも侯爵、若しくは公爵……ひょっとすると王妃様に縁のもの、と言う可能性もあり得なくはないだろう。
苛立ちを抑えて、ミランダは引きつった微笑みを浮かべた。
「マリー、そのクロスはランチ用よ。お茶の時はこちらを使って」
「は、はい! すみません。有難うございます」
ただ、こうして素直に謝る様子を見ている限り。娘の気質は、それほど癇に障るものではない。
皇太子妃になり得るような高貴な身分の女性は、男爵家出身の侍女なんかに注意を受けてすんなり頭を下げるような令嬢ではないだろう。では、愛人か側室志望の割と身分の高い女性だろうか?
やはりどちらにしろ、睨まれたくはないので無難に接するに限ると言う結論に達する。
そう、例えば危険な兆候―――毒殺や暗殺、間諜であるような怪しい気配―――がない限りは。一介の侍女である自分に、余計な詮索は無用である。
そこへ、先輩のシエラが現れる。
「ミラ、出来たわよ」
シエラは、厨房からカートで出来たばかりのマカロンを運んできたのだ。そのマカロンを良い感じにプレートに並べ、お茶をポットに入れて運ぶことになっている。
「は……」
「はいっ!」
シエラはミランダの愛称を呼んだのに、なぜかマリーが返事をする。
ミランダとシエラは、一秒ほど視線を合わせた。これで、マリーが偽名であることがより確実になった。おそらく、本来の名はミランダと愛称が似た名前なのだろう。
色々詰めが甘すぎるような気もするが、それを指摘するのも躊躇われた。シエラも同じように考えているらしく、黙って目を伏せる。誰だって、自分の身が可愛いのだ。
マリーは銀髪にたれ目がちな黒い瞳の、少しふっくらとした頬の少女だ。
愛人志望にしては、体は平坦と言えるくらい薄くあまりメリハリがない。十八歳と言う触れ込みだが、十四、五歳と言われても頷いてしまうだろう。
白王子と呼ばれ、全貴族令嬢の憧れの的と言われるアルフォンス皇太子は御年十九歳。
その王子の相手として今はまだ若すぎるかもしれないが、正妃を迎えた後、数年後には側室として妥当な年齢差となるであろう。
……ひょっとして、身分の高い令嬢の侍女ごっこだったりして……? アルフォンス皇太子と面識がある王族にゆかりの姫や令嬢が、悪戯心で潜入したのかもしれない……!
などと言う妄想が、一瞬ふっとミランダの頭をかすめた。それは彼女が最近耽溺している流行りの恋愛冒険小説とそっくりな展開である。
しかしさすがに、それは無い、と冷静になって自らの妄想を振り払った。現実にそんな突拍子もないことが起こるなんて、あり得ないのだ。ここは国の中枢、王族が住まう王宮である。
それに、例えその突拍子もない妄想が当たっていたとしても―――だからどうだ、と言うこともない。
そう、どちらにしろ。彼女が出来る事は決まっているのだから。
ミランダは今度こそ余計な詮索欲を心から追い出し、淡々とマリーに手順を説明し始めたのだった。
察しの良い侍女たちが考える通り、この侍女の正体は「マリー・クワント」ではない。
擬態した、ミラである。
ただミラの擬態は詳細にイメージする必要があり、モデルが必要だった。
ミラが今回擬態のモデルとしたのは、マルメロ伯爵家の彼女と年の近い侍女、新人のカリナの容姿を擬態していたのだった……!




