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17.ミラの災難


「く……黒王子?!」


まるで悲鳴を飲み込むような、馬車の中にいるアグネスのうろたえた声が背中に響いた。

王族マニアの彼女の動揺が、背中にびりびり伝わってくる。

帰宅途中の女生徒達は、まっすぐにマルメロ伯爵家の馬車を目指すエドガー王子に気が付き、まるで機械仕掛けのように次々と道を開けた。

そうして一心に注がれる彼女達の視線を引き連れながら、冗談みたいに均整の取れた素晴らしい体格の美男子が、ついにミラの目の前で立ち止まったのだった。


あまりの状況にミラの気は遠くなりかける。


もしかして……もしかしなくても、最悪の状況なのではないだろうか?


エドガー王子が『会いたかった』と発した時、比較的近くに馬車を止めている女生徒の息を飲む音が聞こえた気がした。確か、上級生の筈だ。つまりこの情報は、明日もれなくカレン=グァバ嬢とその取り巻き達に伝わってしまう事だろう……! ちょっと想像するだけでも、嫌な汗が背中を伝っていく。


「ミラ、昨日は屋敷まで送れずにすまない。イシュタルが邪魔をした所為だ」


―――謝るとこ、ソコ?!


と、そんな場合ではないのに、思わず発された台詞に突っ込みを入れたくなった。

だが王子相手に、しかも衆人環視の中でそんな指摘をできるわけがない。昨日の出来事を周囲に知られるのだって、勿論あり得ない事だ。


「いえ……いいえ。お気になさらず……」


だから今のミラにできるのは、ただ弱々しい否定とともに首を振るだけだ。


「本当は朝一番に迎えに行こうかと思っていたのだが、勉学の邪魔になるとイシュタルに諭されてな。こうして放課後、会いに来る事にしたのだ」

「いえ、いえ、いえ……! 本当にもう! お忙しい中、私などにお気遣いいただくなんて、もったいない事です。本当に……もう……ええと、その! 公務もおありでしょうし、本当に、私などにお時間を割いていただかなくても……」


『来なくて良い! むしろ来るな!!』と、きっぱりと言い放ちたい所だ。

けれども、はっきりそうは言えない。女生徒達が注視するこの場で王族に逆らうなど、出来るわけがない。どうにか婉曲に、私に近づくのを遠慮していただきたい、と言う趣旨の返答を何とか絞り出す。


て言うか、もう帰りたい。

いつまでこうして人目にさらされながら話さなきゃならないんだぁあ!―――と、ミラはジリジリしてしまう。


「……ミラ!……私、帰った方が良いよね?」


馬車を降りて来たアグネスに、ツンと背中をつつかれた。

ただならぬ状況に、いたたまれなくなったらしい。気を利かせて彼女は言ってくれたのだろうが―――ミラは慌てた。


とんでもない! 黒王子の前に置いてきぼりにされては溜まらない!

直ぐにグルン! と勢い良く振り向き、万が一にも逃げられないようにと、アグネスの手を握る。そしてその手を離さずに、エドガー王子に向き直った。


「エドガー殿下! あの、お会いできて大変光栄です!!」

「そうか」


エドガーは満足げに頷いた。

彼が腕組みして見下ろす様は、いかにも高飛車で偉そうだ。いや、実際この国で片手に指に収まるくらいに偉い人なのだけれども。

なのに半分平民の、彼から見れば全然っ偉くないミラが『会えて嬉しい』と言う言葉を発した途端、うっすら頬を染めるのは何故だ?

いや、その答えはミラには分かりすぎるくらい分かっているのだけれども―――やはり認めたくなかった。頬を染めてうっすら口角を上げる黒王子から、隠しきれない色気が滲み出ている。

その様子を目にした周囲の女生徒達が、ホゥッと悩ましいため息を漏らす。

しかしミラは、見てはいけないモノを見てしまったような気分になった。思わず、スッと目を逸らす。


「本当に……光栄なのですが……」


ミラは言いにくそうに、言葉を濁した。


「本日は私、友人と先約がありまして―――」

「えっ?」


これには、アグネスが慌てた。

王子に聞こえないような小声で、必死の抗議をする。


(ミラ……! 私は良いから!! 殿下を優先して……!)


彼女は、ミラが黒王子と親しいなどと聞いた事はない。が、ミラの姉セイラが王太子の婚約者候補であることは、知っている。だからきっと、その関係で何か用事があるのだと推測した。

それに王族が呼び止めた相手を、先に約束しているからと言って奪うような真似、平民の彼女には恐れ多くてできる筈がない。

しかし当のミラは、アグネスの必死の訴えに耳を貸す余裕は無かった。


「あの、失礼してもよろしいでしょうか」


頭を下げて、こう言ってのけたのだ。


それを聞いた、エドガー王子の眉間が曇る。

今度は、アグネスが気を失いそうになった。

叱責を受けるのでは、とミラの背後でアグネスがハラハラしていると、溜息を一つ付いた王子が腕組を解いてこう言った。


「―――帰宅の前にリッツで甘い物でもどうか、と思ったのだが……」


『リッツ』とは、王都で一番ハイクオリティかつハイソサエティなホテル直営のレストランである。もちろんお値段も、ワイン一杯でさえ庶民じゃ全く手が出ない。そのうえ一見(いちげん)さんはご法度で、常連の紹介なしには出入りできないという噂だ。

これを聞いたアグネスが、またしてもミラの腰のあたりをつつき、囁き声で(私の事は気にしないで、黒王子とリッツに行ってよー!)と訴える。

だが、ミラはきっぱりと頭を下げた。


「申し訳ありません」

「そうか、残念だ」


エドガー王子は、意外にもあっさりとミラの言葉を受け止めた。

ミラはホッと、緊張を解く。一つ難関を切り抜けたような、達成感を感じた。背後のアグネスは逆に卒倒しそうになっていたのだが。

ホッとしたミラは頬が緩むのを抑えきれず、笑顔を隠すように頭を下げた。


「有難うございます」

「ならば、仕方がない―――イシュタル!」


聞き覚えのある呼び名に、ミラは思わずエドガーの背後や周囲に視線をさまよわせる。どう見ても、エドガー王子は一人だった。

正門近くに陣取っている、王家の豪華な馬車の脇に御者が一人立っているだけだ。もしかすると護衛もいるのかもしれないが、あの忌まわしい、一見美少女にしか見えない少年の姿は全く見当たらない。


其処へ、上空高い所で弧を描いていた一匹の白い鷹が一気に舞い降りて来る。ぶつかる手前でバサリと一つ羽ばたいて勢いを殺し、エドガー王子が伸ばした肘にすんなりと留まった。

その白鷹に向かい、威厳の籠った声で王子はこう命令する。


あれ(・・)を持て」


もしや伝書鳩ならぬ伝書鷹か? 

ミラとアグネスは、顔を見合わせた。

しかし鷹は飛び立つのではなく、ひと声鋭く鳴くと地面に降り立った。

―――かと思うと、それは瞬く間に小柄な少年に姿を変える。


「あ! イシュタル……!」


白い鷹はイシュタルだった。

服装と髪型がなければ絶世の美少女かと見間違う相貌は、確かにあの、にっくき国家魔術師である。


「わっ……凄い!」


ミラの背後で、アグネスが歓声を上げた。

変わり身の魔術は、かなりの高等魔術だ。膨大な魔力を消費する為、出来る人間は限られている。例えば学院の運営側でも、学院長と数人の教師しかこの術を使えない。当然学生で出来る人物も限られている。アグネスにいたっては、それを目の前で見るのは初めてだった。

素直な賛辞を示す彼女に向けて、イシュタルはニッコリと微笑む。その天使のような微笑みを目にして、アグネスは真っ赤になった。


「こちらに」


どこから取り出したのか、イシュタルは大きな花束をエドガー王子に差し出す。

ピンクと黄色、オレンジの色とりどりのマーガレットが瑞々しい。受け取ったエドガー王子は、それを抱えてミラの方へ歩みよる。反射的に逃げを打つ彼女の体が、後ずさりしそうになったものの、背後のアグネスがそれを押しとどめた。


「ミラ。今日、エスコートできない代わりに、これを受け取ってくれ」

「う……」


ミラだって貴族令嬢だ。マーガレットの花言葉だって、当然知っている。

マーガレットの花言葉は―――確か『真実の愛』。勘弁してほしい。言葉にしなくても、これじゃ大声で求愛しているのと一緒である。

さきほどの、イシュタルの芝居っけたっぷりなパフォーマンスに感銘を受けたらしいアグネスが興奮冷めやらぬ様子で、精悍な黒王子の演出過剰な求愛行動に反応する。頬を押さえ「きゃあ!」と黄色い声を上げた。

王子がミラに向けて、その色とりどりの大きな花束を差し出したのだ。


周囲が、にわかにザワつく。

その瞬間、ミラは「ああ、失敗した!」と後悔した。


彼女は王子に言われるまま、おとなしくついて行けば良かったのだ。

そうすれば後で「セイラお姉さまの用事で」とかなんとか言って、誤魔化す事ができた筈だ。

けれども、この花束を差し出されてしまっては、言い訳も軌道修正も不可能である。二人の言葉のやり取りが聞こえない位置にいる大勢の女生徒に、エドガー王子の思いが伝わってしまったのだ。


羨望と嫉妬のまなざしが、周囲から突き刺さる。

だがそれは、王子を突き動かすその情熱的な感情は。二ヶ月後には、きれいさっぱり消えて無くなるモノなのだ……!


ミラはその場から全速力で逃走したい衝動に駆られた。

しかし、結局はうつむいてその大きな花束を―――過剰な色気を振りまく黒王子ことエドガー王子から、受け取るしか無かったのだ。


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