16.放課後のミラ
授業を終えたミラは、友人のアグネスと連れ立って女学院の正面玄関を出た。
アグネスは平民出身の特待生であり、在学中は女学院に隣接する女子寮で暮らす事を許されている。この為いつもは玄関で分かれるのだが、翌日が休日となる今日、ミラは彼女をマルメロ伯爵家に招待しようとしている。一泊して貰い、思う存分おしゃべりするのだ!
ちなみにもう一人の親しい友人である男爵家のユミルは、急遽貿易商を営む父親の観劇に同行する事になり泣く泣く女子会を欠席した。ため息を吐きながら早退し、おそらく速やかに馬車で連行されていった筈だ。
実の所、観劇にかこつけたお見合いであるらしい。帰宅次第ピカピカに磨き上げられ、贅を凝らした衣装や宝石で飾り立てられるそうだ。いまだに婚約者もおらず、見合いも未経験のミラとアグネスは同情の視線を向けながら彼女を送り出したのだった。
馬車寄せには、王都から通う令嬢達を迎える為各家から向けられた馬車がズラリと並んでいる。玄関から暫く歩いた位置、目立たない場所でありながらそれほど遠くない程よい場所に、マルメロ家の家紋の付いた馬車が停められていた。傍には、馬の首を優しく叩いている御者のディートがいる。
「あ、良かった。もうそこにいるわ」
「わぁ、立派な馬車ねぇ」
「そうかな。普通だと思うけど」
自家用馬車など持たない平民出身のアグネスにとってはそう見えるかもしれないが、バランスを何より大事にするマルメロ伯爵家の馬車は、地味でも派手でもない、それ相応のデザインである。とは言え品質の良い木材をふんだんに使用し、居心地の良さにこだわった内装をしつらえるなど、掛けるとこにはお金を掛けている。
けれどもミラにとっては、ごく普通の昔から使っている馬車だ。
「ユミルのうちの馬車ほどじゃないしね」
「……そうね……あれは派手……いや、ものすごく……立派よね」
アグネスは言葉を濁した。
ユミルを迎えに来るパシュケ男爵家の馬車は、新しくてピカピカだ。馬車寄せ全体を眺めると、周囲から浮き上がって見えるほどだ。つまり、大変目立ってしまう。
ここ十年ほどで貿易により莫大な富を手に入れたパシュケ男爵家は、いわゆる成金である。しかし上級生に目を付けられたくないので、当のユミルはあまり目立ちたくないと考えている。だから授業が終わった後、彼女は誰よりも早く帰る支度をする。速攻で馬車に乗り込む為だ。
今日も見合い自体より、ゴテゴテ飾り付けられるのをひたすら嫌がっていた。実家に勢いがあるのも、お金が有り余っているのも、それはそれで大変なのである。正反対の立場のアグネスでさえ、時々同情してしまうくらいだ。金持ちには金持ちなりの、苦労があるらしい。
「うん、ユミルのトコに比べれば……普通ね」
「でしょ?」
気を取り直して二人は馬車に歩み寄る。気づいたディートが笑顔で迎えた。
「ミラ様、お帰りなさいませ」
「ディート、お待たせ!」
ミラは傍らのアグネスの腕を引き寄せ、自らの腕を絡める。
「ディート、こちらが私の友人のアグネス。アグネス、御者のディートよ。」
ディートが帽子を取ってうやうやしく頭を下げたので、アグネスはミラに片腕を押さえられたまま恐縮しつつスカートをつまみ、小さく腰を下ろし礼を取った。
「今日はよろしくお願いします」
世間には御者をモノ扱いする貴族もいるそうだが、マルメロ家では違う。ミラは友人を御者に紹介するのは当たり前の事だと考えているのだ。ミラの友人も同じように考えてくれているらしい―――ディートの頬に、自然と笑みが浮かんだ。
「では、参りましょうか」
ディートが馬車の扉を開け、手を差し出した。
「乗って、乗って」
ミラがアグネスを促すと、彼女は照れながらディートの手を支えに乗り込んだ。慣れない豪奢な内装にソワソワしながら腰掛ける彼女に、ミラは励ますようにこう声を掛ける。
「道のりはちょっと長いけど、ディートの腕は確かだから快適よ!」
昨年入学したての頃、馬車に酔って青い顔をしていた事などすっかり忘れているミラである。ディートはそのことには触れずに、こっそり笑いをかみ殺す。
続いてミラが、彼の手を取ってステップに足を掛けた。
が、そこでディートが振り返り―――乗り込もうとしたミラを制止する。
「ミラ様、あれを」
「?」
振り返ると貴族女性の群れをかき分けて、立派な体格の男性がこちらに向かって来るのが見えた。
「……ラ……ミラ……!」
「……げっ……」
思わず淑女らしからぬ声が出てしまい、咎めるような視線をディートから向けられる。ミラは続く言葉を飲み込んだ。
「ミラ=マルメロ!」
あっという間に、もう背後に迫っている。
ミラは一瞬―――馬車に飛び込んで扉を閉め、ディートに命じて馬車を走らせてしまいたい衝動に駆られた。
しかしそれでは、どんなお咎めがあるか分からない。ぐっとその衝動を抑えてステップを降り、異様な圧力を放つ立派な体躯の、キラキラしい美形に向き直った。
そして恭しく、頭を下げる。
「ミラ……会いたかった」
「……!……」
その瞬間のミラの気持ちを、どう表現したら良いだろうか。
「エドガー殿下……」
ミラは唾を一つ飲み込み、胸を押さえてあえぐように彼の名を呼び返すのが精いっぱいだった。




