荊棘は潜む・01
お祭りから帰ると、ヒューゴさんはもう〈ヒラソール〉に到着していた。着飾った私とベイルさんを見た時は少し驚いた様子だったけれど、いつものように陽気に笑って「似合ってんじゃねえか」と褒めてくれた。その後でベイルさんに「馬子にも衣装」と言って、お腹にパンチされて悶絶していた――のは、見なかったことにして。
とにかく、これでいつでも出発できる。いつもの旅支度に着替え、ヒメナさんに衣装を返すと、私たちは急いで三階の部屋へ向かった。
「――で? 今後の予定はどうなってんだ?」
部屋の中央のテーブルに地図を広げて、その周りにお祭りで買ってきた夕食――ベイルさんがやけにたくさん買っていると思ったら、ヒューゴさんの分だったらしい――を並べて、話し合いは始まる。
「必要な荷物はテオドロに頼んで、二週間は持つように整えてもらった。補給はアーブルの街でする」
「となると、山越えか」
「ああ。今後は極力街を避けて行かねえと、どれだけ被害が拡大するか分からねえ」
「敵――〈爪〉ってのは、そんなに強えのか?」
不思議そうにヒューゴさんが首を捻る。それに答えるベイルさんの口調は淡々としていながらも、どこか皮肉っぽいようにも聞こえた。
「その気になれば、街の一つ二つは片手間に滅ぼすさ。それだけの性能を持ってる。油断はするな」
「そりゃ大物だ、りょーかい」
「ああ。出発は明日の早朝だ、最初の目的地はボワフォレ山。俺と直生はハーヴィで出るが」
「したら、適当に並走するわ。ディーネあるし」
「分かった。――直生、次に出てくる奴の検討はつくかい」
「どちらが先に来るかは分かりませんけど、どんな人かなら、分かります。一人はゾエ・ミッテランという女の人で、剣が得意でした。でも、魔術も相当上手かったです。ただ、結氷系の人なので……雪が降り始めてから動きますよね」
雪は氷に近いので、結氷系の魔術師は水辺よりも雪の降った場所の方が有利だと聞いたことがある。
それを思い出しながら言ってみると、ベイルさんも頷いて、
「有り得るな。二人目は?」
「リオネル・ルジュヌという男の人で、属性は光。四人の中で、一番魔術が上手でした」
「げ。こっちもこっちで雪が積もると面倒だな」
「更に翠珠からも追手が出る。千客万来だな」
ベイルさんがため息を吐く。
それからも打ち合わせは続いて、必要な話題が全部上りきる頃には、すっかり夜になっていた。話に夢中で夕食はほとんど味も分からなかったけれど、こんな状況なのだし、贅沢は言えない。
食べたものの後片付けをした後は、明日の出発が朝早いということもあって、ヒューゴさんもすぐに自分の部屋に戻っていった。また明日、と挨拶をして見送る。
ヒューゴさんがいなくなると、部屋の中は嘘みたいに静かに感じられた。部屋の明かりを消して、ベッドに入る準備をしていても、時計の針の動く音ばかりがよく聞こえる。それでも、明日に備えて早く寝なくちゃいけない。
いよいよ靴を脱いでベッドに入ろうとした時、ふとベイルさんが「直生」と私を呼んだ。
「そのミッテランとルジュヌは、職務に忠実かい」
「……私が従わないと分かれば、たぶん、二人とも殺すのに躊躇いはないと思います」
ゾエさんはナタンさん以上に軍やハーデさんに忠実で、とても厳しい人だった。とてもじゃないけれど、躊躇ってくれたりなんてしないと思う。
リオネルさんも普段こそ穏やかで優しい雰囲気をしていたものの、この件で手加減をしてくれるかといえば、一番有り得ない気がする。リオネルさんは軍そのものよりも、ハーデさんに従っていたというか……エジードさんが「信奉者」なんて形容するくらいには、ハーデさんに心酔していた。
首を横に振って答えれば、いつも通りの口調で「そうかい」と呟くのが聞こえる。
「なら、気を引き締めていくとするか」
「……よろしく、お願いします」
ベッドの傍に立ったまま、背筋を伸ばして頭を下げる。すると、ベッドを挟んだ向こう側に立つ人が手を伸ばしてくるのが、薄暗闇を透かして見えた。
下げた頭に、大きな手が載せられる。
「任せとけ」
静かな、それでいて確かに強い声。
きっと大丈夫だろうと、楽観してしまいたくなるような響きだった。
「道中、どうか気を付けて」
「ナオ、もう無理しちゃ駄目よ」
「が、頑張ります」
「信用できない返事ねえ……。ま、いいわ。あの服はとっておくから、またいらっしゃい。春にもお祭りがあるのよ」
「あ、ありがとうございます」
短い挨拶を交わして、まだ薄暗い早朝に私たちはアランシオーネを出発した。見送りはヒメナさんとテオドロさんの二人きりで、ジョージナさんたちは起こさないようにお願いしておいた。
会いたくない訳じゃなかったけど、会ってしまったら必要以上に感情的になってしまう気がして。
「子供連中には、本当に会わなくて良かったのかい」
「会っても、しんみりしちゃうので」
ベイルさんとヒューゴさんの運転する二台のウェンテは、縦に並んで街道をまっすぐ北に進んでいく。道沿いには馬車の停留所が一定の間隔で作られていたけれど、この管理も領主の役目だとかで、竜巻の後でも壊れた様子はなかった。
「お、そろそろ昼だな。飯にしようぜ、飯!」
三つ目の停留所が近づいてきた頃、ヒューゴさんが持っていた懐中時計を示しながら言った。ベイルさんも「そうするか」と言ってくれたので、通りがかった停留所で昼食をとることにする。
ウェンテは裏に停めて停留所の中に入ると、ちょうど窓の外に私たちの向かう方から馬車がやってきて、アランシオーネの方へ走り去って行くのが見えた。馬車を使った定期便は、街に定住する人の貴重な移動手段なのだという。街から街へは何日もかかることが多いので、利用者の多い停留所には専属で管理する人が置かれていたり、そうでなくても宿泊施設を兼ねて整備されている。
ご飯食べながら、そんな話をヒューゴさんから聞いていた時、
「そう言えば」
黙々と食事をしていたベイルさんが、おもむろに口を開いた。四角いテーブルには私とベイルさんが向かい合うように、私から見て右手にヒューゴさんが座っている。
何だろう、と正面に顔を戻してみれば、藍色の眼がじっと私を見つめていた。
「護符は渡せたのかい」
護符、とヒューゴさんが首を傾ける。ベイルさんは答えることなく、顎で私を示した。
「何だ、ナオ、何か用事があったのか?」
「ええと、あると言えばあるような……」
何だそりゃ、と目を瞬かせるヒューゴさんに曖昧な笑いを返しつつ、足元に置いていた鞄を開く。一番上に置いていた小さな包みを取り出すと、ベイルさんが目を細めた。
「渡し損ねたかい」
「あの、いえ、これは――」
口の中でもごもごしていると、何を察してしまったのか、ヒューゴさんが急にニヤニヤし始めるのが見えた。……どうして私は、出発の前に渡してしまわなかったのだろう。タイムマシンがあるなら、今すぐ過去の自分を殴り倒しに行きたい。
「えーと、その……どうぞ」
テーブルの上に置き、向かいに座るベイルさんの前へ両手で押し出す。
「俺に?」
短い間の後に聞こえたのは、分かりやすく意外に思っている風の声だった。
「め、迷惑でなければ」
「本当に、良いのかい」
「む、無理にとは、言いませんけれども」
こんな時にどういう顔をしていればいいのかも分からなくて、ひどく落ち着かない気分で答える。そうしたら普通にどもってしまうし、何かもう今日の私は本当にだめな感じがする……。
自分に自分で呆れていると、不意にかさりと乾いた音がした。反射で肩が震える。視界の端で長い指が包みを拾い上げ――その中から、あの銀と碧の色が顔を出すのが見えた。
「へえ、随分と上等だな」
「そうなんですか?」
「えらく純度の高い魔力を感じる気がする」
ヒューゴさんと話していると、何とか緊張も解けてきた気がする。こっそり息を吐いていると、
「直生」
今度も突然に名前を呼ばれて、危うく飛び上がりそうになった。
「は、はい! ……な、何でしょう」
「感謝を。有難く受け取った」
どう致しまして、と更にどもりながら答える。
隣でヒューゴさんがまた笑っていたけれど、今度は目を逸らして見なかったことにしておいた。
アランシオーネを発って一日目の夜は、昼間と同じように停留所を使って泊まった。ヒューゴさんによると、もう二日もすれば草原ものっぺりとした砂地へ変わって、ぐっと寒くなるらしい。
そして出発から三日目にもなると、私はヒューゴさんの言葉の正しさを実感していた。
「さ、寒……」
「バドギオンに近づけば近づくほど、ホヴォロニカも寒冷になるからな」
そう言うベイルさんも、鼻がちょっと赤い。
ただ立っているならともかく、ウェンテに乗っていると吹き付ける風が一層に冷たく感じられた。用意してきたマフラーで鼻まで覆っていれば耐えられないこともないけれど、パッと見ちょっと怪しく見えてしまいそうな気がしてしまうのが悩ましい。
とはいえ、旅は決して辛いものでもなかった。寒くても防寒着の備えがあるし、ニーノイエにいた頃の経験で、硬い床に丸まって眠ることも苦にはならない。ベイルさんとヒューゴさんは夜の間も交代で見張りを続けてくれているのだから、暢気に眠っていられる私はそれだけで幸せというものだ。
旅が始まって四日目になると、ついに私たちは街道から外れることになった。人の足で踏み均されただけの道を、遠く見えてきた山に向かって進んでいく。もちろん停留所なんてないし、夕方は野営場所を探すことから始めなくてはいけないから、自然と一日に進める距離は減っていった。
「ミスミの追手は追いつくと思うか」
夜。焚き火を囲んで夕食をとっていると、厳しい声でヒューゴさんが切り出した。
「追いつくだろうな」
ベイルさんの返事はあっさりとしている。
「粋蓮からアイオニオンに向かう経路自体、数が多くねえ」
「んで、ありったけ動員するとなりゃあ――追いつくか。王子と竜の交渉も、破談に終わりそうだって噂だぜ。ま、当然は当然だよな。あっちだってニーノイエを襲う理由はあっても、ミスミに味方する理由はねえんだし」
「だが、それで諦めやしねえんだろう」
「――と、聞いてる。それも噂だけどな。王子の野郎は俺たちが運んでると思ってるものを奪取して、取引っつか、脅迫する腹らしいや」
「御偉方の考えそうなことだ」
「面倒くせえよなあ。誤魔化してやり過ごせるか、〈爪〉と潰し合ってくれりゃ最上なんだが」
「おそらく、追手には〈花禽〉も出る。そう楽にはいかねえさ」
ベイルさんが肩をすくめて、会話は途切れた。
翠珠のことは詳しくないから話に混ざれなくて黙っていた私と同じように、二人も黙々と食事をすすめる。そうして食べ終わってしまえば、後はもう寝るだけだ。空が白くなり始める頃には出発するのだから、とにかく早く寝ておかないと。
――と、思うのだけれど。
「夜も寒いですねえ」
テントに向かう間に吐く息も白い。
野営用の魔術具で作り出されたテントの周囲には侵入者を感知するものだけでなく、寒さを和らげる結界も張られている。更にテントの中には熱を生む魔術具までも置いてもらっていたけれど、それでも焚き火を離れると寒かった。
「ヒューゴ」
「おう、そろそろだな。ナオ、ちょい顔出してみ」
呼ばれたので、毛布を身体に巻きつけてからテントの外へ顔を出す。焚き火の傍にいたヒューゴさんが立ち上がったかと思うと、
「うひぇ!?」
その姿が、消えた――のでは、なくて。一瞬で、まるで違うものに変わっていた。
「え? ええ?」
頭の中が「?」でいっぱいだった。信じられないとしか言いようがない。
だって、ヒューゴさんが立っていた場所にいるのは――どう見ても人じゃなく、犬なのだから。
「期待通りの反応だなー」
笑う声を響かせて、犬が近づいてくる。
白銀の毛並みの、とにかく大きな犬。長い毛が焚き火の赤にきらきら光って、夕焼けを切り抜いたみたい。銀色の犬は軽やかな足取りでテントに近付いてくると、橙色の双眸で私を見上げた。
「俺は人獣族だ。人と獣の二つの姿を持つ。――てことで、中に入れてくれや」
呆然としたまま、一歩退いて道を開ける。悠然とテントに入ってくるのは、やっぱり大きな犬で、犬以外の何物でもなかった。
ただし、ヒューゴさんの声で喋る犬。
「……はー、びっくりしました」
「まあ、お前にゃ珍しいよな」
そうですね、と頷く私の前で、ヒューゴさんがごろりと寝転がる。そして、もこもこふわふわした毛並みの前足で手招き。気づけば、私はヒューゴさんの隣ににじり寄っていた。
「さ、触っても良いですか?」
「おう」
犬の姿になっても、ヒューゴさんであることに変わりはない。分かっていても、止められなかった。そうっと手を伸ばして、背中に掌を乗せる。
温かくて、柔らかな手触り。
「ひえー、すっごいもふもふですねえ! ぎゅーってしたい……」
「さすがにそれは止めとけ。ほれ、暖房んなっててやるから、もっと寒くなる前に寝ちまいな」
「ありがとうございます!」
銀色の毛並にくっついて寝転がる。ふんわりと漂う焚き火の匂いを感じながら目を閉じると、すぐに睡魔はやってきた。
ふと、目が覚めた。瞬きをして、辺りを見回す。魔力で編まれた布越しに窺える空はまだ暗く、ひどく静かだった。一晩中絶やされることのない焚き火の音が、パチパチと外でかすかに聞こえている。
どれくらい眠っていたんだろう? 隣にはまだヒューゴさんがいるから、そんなに長い時間ではないのかもしれない。だったら、余計にもう一度眠り直すべきだとは分かっていたけれど、妙に目が冴えてしまっていた。そろりと起き上がる。
ヒューゴさんが身動ぎしないことを確認してから、毛布を身体に巻きつけ直し、頭の上からすっぽりと被るようにして足を踏み出した。テントの入り口から顔を出してみれば、闇に慣れた目が焚き火の光に眩む。鈍い痛み。
「えらく早起きだな」
短い間の後、密やかな声が聞こえた。目を擦りながら、取り出した靴を突っかけて、焚き火の傍へと足を進める。
「目が、覚めてしまって」
もごもご答えれば、「そうかい」と短い返事。毛布に包まって座るベイルさんは私を見上げ、
「なら、少し座るか」
自分の隣を掌で叩いた。はい、と頷いて、更に足を動かす。体に巻き付けた毛布を下敷きにするようにして座ってみると、何だか少しどきどきした。肩がくっつきそうで、くっつかない。
私が隣に座ると、ベイルさんは焚き火へ目を戻して、近くに積んでいた薪を差し入れた。パチ、と大きく音を立てて火の粉が上がる。
「寝つきの悪い子供には、子守歌か寝物語と相場が決まってるが」
「……してくれるんですか?」
子供扱いされている不満のようなものもあったけれど、ベイルさんの「子守歌」とか「寝物語」がどんな風なのかということの方が気になった。
頭まで被った毛布の下から、隣を見上げる。一瞬だけ、ベイルさんが私を見た。
「ご所望かい」
「で、できれば、お願いしたいです」
その言葉がするりと出たのは、きっと距離の近さに助けられたからだと思う。いつもより近くて、何だか許してもらえそうな気がして。
ふむ、とベイルさんが親指で顎を擦る。
「何がいいか……」
「な、何でも大丈夫です」
「何でも、ね」
そう呟くと、ベイルさんは焚き火に向けていた目を細めた。すう、と息を吸い込む様子に、背筋が震える。それは、間違いなく準備のはずで。
「――果てなき奈落の洞」
そして、低い声が空気を震わせた。
ひそやかな音色。焚き火に照らされた横顔が唇だけを動かして、静かな旋律を紡いでゆく。
囁くように、息を吐くように。
「玄き帝の睡る墓所 黒き竜の鎖す寝所
呼んではならぬ 見てはならぬ
呼ばう名は標 臨む眼は光
昏んだ僕が辿り彷徨う 飢えた鬼が這い流離う
声あらば噤め 眼あらば塞げ
誰も呼んではならぬ 誰も見てはならぬ……」
歌が途切れると、自然に感嘆の息が漏れた。耳の奥にはまだ、低い響きが残っている。その余韻に浸っていると、ほのかに笑う気配した。
「何でもいいにしても、こんな時に歌うものじゃねえな」
「何の、うたなんですか?」
「アルトの山奥に伝わる、古い――旧い詩だ。神話の時代を物語る、忘れかけられた、な」
「何だか切ない感じ、ですね」
「そうかい」
「でも、」
その先を言うのには、さすがにちょっと躊躇いがあった。でも――そう、「でも」だ。
今更、ここで止められない。
「またいつか、聞かせてもらえますか?」
隣に座った時より、もっとどきどきしながら言うと、ベイルさんは「ああ」と軽く頷いてくれた。
「その機会があればな。――そう言えば、エンディスはどうしてる?」
「寒いのが苦手なので、今は休んでます」
ヒューゴさんとも、〈ヒラソール〉で口頭の挨拶をしたきりだ。ここのところは「もう私の出る幕でもあるまい」と、喋りかけてくることも少ない。
「さすがの魔祇も、四季には逆らえねえか」
「出てこられれば、本当に頼りになるんですけど」
「こればっかりは仕方ねえさ、無いものねだりはするだけ無駄だ。――ああ、ついでに何か疑問や質問があれば、今のうちに答えておくが」
思えば、ベイルさんはいつもきちんと状況を説明してくれていた。当事者が何も知らないままではいけないということもあるのだろうけど、まるきり戦力外扱いされている訳でもないようにも思えて、少し嬉しくなる。
「あ、じゃあ、一つ訊いても良いですか?」
「ん」
「〈花禽〉が追ってくる、って言ってましたよね」
「それが何者か、かい」
「はい。何かの特殊部隊? とかですか?」
「まあ、そんなようなもんだな。翠珠の王家直属の隠密部隊。諜報やら暗殺やらの後ろ暗い仕事を請け負ってる連中で――暗殺専門の奴は、また別に〈彩李〉だとか言うんだったか」
「その〈彩李〉の人が、追ってくるんでしょうか」
「だろうよ。連中はこういう場合にこそ動かされ、こういう状況の為にこそ組織されている」
迷いのない断言に、思わずうめいてしまう。
暗殺を仕事にしている人が追ってくるなんて、さすがに怖い。……ううん、止めよう。寝れなくなっちゃいそうだし、もっと他のこと考えよう……。
他のこと――そうだ、チェリアとディーター。あの二人はどうなったんだろう。明日、ヒューゴさんに訊いてみようかな。
「直生」
現実逃避っぽく考えていたら、名前を呼ばれた。はい、と答えて首を横に回せば、平べったい包みが差し出されている。……うん?
「護符の返礼って訳でもねえがな」
言いながら、ベイルさんはぽかんとしている私の手を取って、包みを持たせた。薄い紙で包まれているそれは軽くて、硬い。
「どうした」
動きが止まったままの私の顔を、ベイルさんが覗き込む。ハッとして、慌てて首を横に振った。
「あの、開けても……?」
「どうぞ」
許可をもらえたので、そうっと包みを開く。
中にあったのは、赤い石の飾られた銀のバングルだった。赤い石の周囲を彩る、波のような炎のような紋様は、私が渡した護符と同じ――魔除け。
「あの、こ、これ」
「身を守るものは、多いに方がいい」
「ありがとう、ございます。あわ、その、ごめんなさい、言うのが遅くなって、ほんとに、ありがとうございます」
「どう致しまして」
震え出しそうな手で、バングルを左手に通す。くすぐったいような、誇らしいような。ゆるゆるになった顔のまま焚き火に手をかざしていると、横から伸びてきた手がくしゃりと頭を撫でた。
「祭りでお前とはぐれそうになった時、これを買ってた。一言、言えば良かったな」
「や、そんな、こちらこそ! お買い物の邪魔を」
「お前が謝ることはねえ。邪魔をしたのは俺だ」
「え?」
「祭り見物の。それはともかく、他に質問は」
「あ、いえ、大丈夫です」
「なら、そろそろ戻れ。まだ起きるには早い」
「……はい」
まだ空は暗くて、しばらく朝にはならない。それならもう少しここにいたかったけれど、そんな我がままを言う訳にもいかなかった。
立ち上がって、中腰になる。その時、もう一度ベイルさんの手が伸びてくるのが見えた。
するりと、右手の指先が私の額に触れる。
「月と眠りの女神の祝福を」
何かの魔術かと思ったものの、その気配もない。何だったんだろうと瞬いていると、ベイルさんがおもむろに唇の端を持ち上げた。
ちょっと悪戯っぽい、片頬の笑顔。初めて見る表情に、どきりと心臓が跳ねた。
「ただのまじない、気休めだ。よく休め」
「あ、は、はい。あ、りがとうございます」
「ああ。――おやすみ」
「お、おやすみなさい」
軽く頭を下げて、小走りにテントに戻る。脱いだ靴をうっかりテントの中に戻し忘れそうになりながらもヒューゴさんの隣に戻り、寝転がる。
ほう、と息を吐いた瞬間、
「――!」
びくん、と肩が跳ねた。もふりとした感触。肉球の前脚が頭を撫でている。
ちょっと訳が分からなかった。ヒューゴさんだって傭兵の人なんだから、本当に起きていない訳じゃなくて、気づいていて見逃してくれていたんだろうとは思っていた。でも、何で、頭……?




