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花降る街・08

「うん、似合ってるわ! 凛々しくて、いい感じ」

 大きな鏡の前でジョージナさんに後ろから肩を叩かれて、私は引きつった顔で笑った。鏡の中の着飾られた自分は、まるで別人みたいに見える。緑の結晶で花を形作った髪飾りから垂れる銀の鎖が視界の端にちらついて、どうも落ち着かない。

「もう少しで終わるから、ちょっとだけ辛抱ね」

 そう言って、ジョージナさんは私の前に回り込む。

 ホヴォロニカは草原の国だ。だからか、古くから着られているという伝統衣装は、社会科の資料集で見た遊牧民のものによく似ていた。

 一番下には白い薄手のブラウスを着て、ふわふわしたスカートを巻いたり、ひらひらとした裾の長い上着を羽織ったり。そうしてたくさん重ね着したものを、ぎゅっと帯で留める。ちょっと息が止まりそうなくらいの強さで締められてから、髪に挿されているような結晶細工で、最後の飾り付け。

「よし、これでいいわ。どう? あの人が藍と黒を基調にしているから、ナオは朱と黒にしてみたの」

 ジョージナさんの言う通り、上着の黒い布地は朱色をメインにした、色鮮やかな刺繍で飾られていた。モチーフは花や植物のようで、袖や襟までの至るところに咲いた、たくさんの花が可愛い。

「すごく、綺麗ですね」

 でしょ、と笑うジョージナさんがまた私の背中の後ろに回り込んで、わざわざ逸らしていた顔を正面に向けさせた。鏡には、頭のてっぺんから爪先まで着飾った自分が映り込んでいる。

 微妙に、気まずい。衣装は可愛いけど、やっぱり私には似合わないと思うのだ。だって、髪は短いし、身体はぺったんこだし、普通に男子に間違えられるし。衣装だって、そんな女子もどきみたいなのに着られるより、ジョージナさんみたいに綺麗な人に着てもらった方が嬉しいんじゃないのかな。

 衣装や飾りが可愛いだけに、どうしてもそんなことを考えてしまう。そうすると、自然に顔は鏡から逸れていってしまった。

「やっぱり、私と母さんの見立てに間違いはなかったわ。ナオ、可愛いわよ。最高に可愛い!」

 それでも、ジョージナさんは満面の笑顔でそう言ってくれる。それがくすぐったくて仕方がなかった。

「あ、ありがとうございます……」

「照れない照れない! あ、それからこれ、靴ね!」

 最後に衣装に合わせたブーツを借りて、ついに私はジョージナさんの部屋から送り出されてしまった。

 何度も「似合ってる」とか、「可愛い」とか言ってもらえたけれど、それでもやっぱり不安……というか、緊張せずにはいられない。カサノーバ家の小さい子たちは男子も女子も同じように着飾られて、とっくにテオドロさんに連れられて街へ飛び出しているし、昼間は〈ヒラソール〉もお休みだ。ひっそりとした廊下の静けさが、余計に不安を掻き立てるようだった。

 ドキドキしながら、三階まで繋がる階段を上る。周りが静かだからなのか、やけに自分の足音が大きく聞こえる気がした。そうして階段を上がりきると、何やら部屋の方から声が聞こえてくる。

 足を止めて耳を澄ませてみると、ベイルさんとヒメナさんのようだった。まだ私から二人の姿が見えないように、私のことも見えていないはずだ。お邪魔してもいけないし、そそくさと踊り場に下りる。

「――あなたは、どこまで無関心なの?」

 なのに、すぐそこで話しているような大きさで、声は届いた。思わず目が見開く。どうして?

「自分の生きている、自分を取り巻く世界を、どうしてそこまで突き放していられるの」

「興味がねえからだろう。お前自身がそう言った」

「ええ、そうね。でも、それは私の見たものでしかない。言葉遊びはいらないのよ。あなたの言葉で、答えが聞きたい」

 ヒメナさんの声はもどかしげだった。

「質問を変えるわ。一体、何が起きているの。何が起きたの。何が起ころうとしているの。ハーデは何をしたいの?」

「お前が知る必要はねえ」

 ベイルさんは突き放す。ヒメナさんのため息。

「どうしても教えてくれないのね。――じゃあ、最後に一つ聞かせて。あの子、ナオは何? あなたがここまで気にかける、初めての存在。それが何の意味も持っていないはずはないでしょう」

「それで?」

「そこに打算があるだけでなければ良いと、そう思うだけよ。……人も獣も、魔でさえも群れる。竜だって永久に孤独ではいられない。――あなただって、きっとそうだわ。そうでしょう?」

 ヒメナさんの声は懇願するようだった。それでも、ベイルさんは答えない。

「あの子が、あなたの幸いであることを祈るわ。……ナオ、出てらっしゃい」

 そして、呼ばれた。そうなんだろうなと思ってはいたけど、やっぱりそういうことだったみたいだ。

 そろりと階段を上がって、廊下を部屋の方に進む。部屋の前には、やっぱりヒメナさんとベイルさんがいた。ヒメナさんは私を見て、苦笑を浮かべる。

「ごめんなさいね、気を遣わせちゃって」

「こちらこそ、あの、お邪魔しました」

「謝らないで。その気遣いを、私が自分で無下にしたのだもの。勝手だけれど、聞いておいて欲しかったのよ。で、それはさて置き――」

 そう言って言葉を切ると、ヒメナさんは私を正面からじっと見つめた。その視線は強く、反射的に後ずさりしてしまいそうなくらい。

 何か変なところとか、駄目なところがあるのかな。でも、ジョージナさんは綺麗に着せてくれたし、おかしなところがあるとすれば、それは私自身の問題なんじゃあ……? 嫌な考えが頭の中を回り始めた時、ヒメナさんはにっこりと満面の笑顔を浮かべた。

「うん、似合ってるわ! 可愛いわよ」

 その一言に、ほっとして肩の力が抜けた。

 嬉しくない訳ではないのだけれど、変に緊張してしまった後だけに、どうしても「何もなくてよかった」みたいな安心が先に来てしまう。それに褒められるのってあんまり慣れてないから、ちょっと居心地が悪い感じもなくはなかった。

「ジョージナさんのお陰です。すごく上手で、綺麗に着せて、飾ってくれて」

「でしょう? 何たって、私の娘だもの」

 そう言うヒメナさんは、今までで一番嬉しそうで、何より自慢そうだった。

 ヒメナさんとジョージナさんは親子だけど友達みたいに仲良しで、きっとお互いにお互いが大好きなんだと思う。それはとてもいいことで、喜ぶべきことだっていうことは、分かる。分かる、気がする。

 でも、少しだけ、お腹の奥が重くなった気がした。

 いいな、とか。羨ましいな、とか。そんなこと思ったって、どうしようもない。どうやったって手に入らないものなんだから、羨んだって仕方がない。そうやって諦めたはずなのに、まだしつこく残っているものが、お腹の中でとぐろを巻いている。

 馬鹿みたい。自分で自分に思った、その時。

「直生」

 呼ばれた名前に、俯きかけていた顔を上げる。藍色の眼が、じっと私を見据えていた。

「支度が済んだなら、出るぞ」

 淡々とした言葉に、ハッとする。

 ……そうだ、お祭り。こんなに綺麗な服を、こんなに綺麗に着せてもらえたのは、その為なんだから。ここで沈んでなんていられない。

 強張った顔の筋肉を動かして、「はい」と頷く。ベイルさんが歩き出すのに続いて、私も歩き――

「ちょっと、隊長! 『出るぞ』じゃなくて、その前に言うことがあるでしょう?」

 だそうとして、ヒメナさんに止められた。

 その時ちょうど私とベイルさんは横に並ぶような位置になっていて、ヒメナさんはそこに目にも止まらない速さで近付いてくると、私の肩を掴んだのだった。怒ったような声で言いながら、私の身体をベイルさんの方に向け直す。ベイルさんは黙って私を見下ろし、それから、眉間に皺を寄せてヒメナさんを見た。

「お前は昔からお節介だな」

「どういたしまして」

 つっけんどんな答えに、ベイルさんが肩をすくめる。そうして、また私を見下ろした。びくりと肩が動く。その視線から逃げたいような、でも逆に気になるような、変にドキドキした気分だった。

 俺は、とベイルさんが口を開く。

「他人の服装に興味はねえが、まあ、その格好がこれきりなのは、いくらか惜しいと思わなくもねえな」

 いつも通りに淡々とした声。表情だって、何も変わらない。雑談の延長の、ちょっとしたお世辞。

そんなこと分かってるのに、耳から頬までがカーッと熱くなった気がした。ジョージナさんが薄くお化粧もしてくれたから、そんなに顔色が変わって見えないといいんだけど……!

『何とも婉曲なことよなあ』

 エンデの笑い声は、私にしか聞こえない。私はまだ上手く頭が動かなくて、どうしたことなのかヒメナさんも何も言わない。

 微妙な沈黙が流れた時、

「隊長、お手紙が届いてますー!」

 階段の方から、大きな声が聞こえた。テオドロさんだ。一瞬だけそちらに目を向けたベイルさんは「先に行ってる」とだけ言って、音もなく歩き出す。離れていく背中をぽかんとしたまま見送り、あ、と今更に気がついた。ベイルさんも、着替えてたんだ。

 ジョージナさんの言っていた通り、黒と藍の衣装。私の着ているものと基本的な形は同じはずなのに、それほどひらひらした印象はない。ベイルさんが、すっと背筋を伸ばして歩くからかもしれなかった。

 すらっと背が高くて、ぴんと背筋が伸びて、

(格好いいなあ)

 ――って、ちょっと待て、今何考えた私!?

 自分の考えたことに、自分で驚く。エンデが爆笑している気配が伝わってきても、何一つ言い返せない。

「びっくりした~」

 そんな時、背中の向こうからしみじみとした呟きが落ちて、またもう一度驚いた。まさか、何か口に出してしまっていたんじゃないかと。

 恐る恐る後ろを振り向けば、ヒメナさんとばっちり目が合った。その頬に、にやりとした笑みが浮かぶ。

「何が『びっくりした』かって?」

「あ、はい」

 頷きながら、内心ホッとしていた。そういう風に訊くってことは、私が余計なことを口に出しちゃったんじゃないってことだろうから。

「あのね、隊長って今まで誰がどんなに言っても、人の服装とかに自分の感想、言ったことないのよ。いつでもどんなのでも『興味がない』って」

「全然、一度もなんですか?」

「ええ、全く。そんな偏屈が、いきなりこれだもの。驚いたも驚いた、今年一番の驚きだったかもだわ。まあ、気が利かないってことに変わりはないんだけど。素直に『似合う』って言いなさいってのよね。あんな回りくどい言い方しなくったって」

 ヒメナさんの呆れ顔の言葉に、私は何とも答えられなかった。……その、なんて答えればいいのか、分からなくって。



 ヒメナさんとの会話を終えて一階に下りると、ベイルさんは階段の傍に立ったまま、何かを読んでいた。白い紙――届いたっていう手紙かな。

「すみません、お待たせしました」

「大して待ってねえ。暇潰しもあったしな」

「テオドロさんが言っていた、お手紙ですか?」

「ああ、ヒューゴからだ」

 小走りにベイルさんの傍に近付くと、その紙が差し出された。反射的に受け取って開いてみれば、

「……個性的な字ですね」

「あいつは昔から字が下手だ」

 ベイルさんがため息を吐く。

 紙の上には、一つ一つが大きくて、ちょっと崩れ気味な字が綴られていた。「上手くやってるか、凸凹コンビ」の一文から、手紙は始まる。その文面には、今日の夕方頃にアランシオーネに到着する予定であることや、シェルさんと粋蓮の状況も書かれていた。

「シェルさんは、まだ島から出られないんですね」

「当然と言えば当然の話だが、王家が相当力を入れて封鎖してやがるんだろう。出発はヒューゴの合流を待ってからだな。……ああ、祭りに行くなり何なり、子供連中と約束でもあれば、可能な範囲で考慮するが」

「大丈夫です、特にはないので」

 ちょうど衣装を着せてもらっている時に、カサノーバ家の女の子たちに一緒にお祭りに行こうと誘ってもらったりもしたけれど、狙われている身の上で同行して、何かトラブルでも起こったらいけない。かといって、お祭りがあんまり好きじゃなさそうなベイルさんを、何度も巻き込むのも申し訳ないし……。だから、誘ってもらえたのは嬉しかったけど、ジョージナさんとも相談して、断らせてもらった。

 また今度、約束ね。そう口々に言っていた妹たちをやんわりと止める風だったジョージナさんは、きっと「今度」なんてないことが分かっていたのだと思う。

 ちょっとしんみりした気分になりつつ、手紙を畳み直して、ベイルさんに差し出す。受け取られた手紙はポケットへと収められ、

「絶対に明日出発しなけりゃならねえって訳でもねえ。用事があるなら、それをこなした後でもいい」

 さらりとそう言ったベイルさんは、私の考えていることなんてお見通しだったのかもしれない。

 でも、街の中は安全でも、街の外に誘い出される可能性だってある訳だし、もっと違う形での接触もあるかもしれない。そう考えるとやっぱり心配で、誘ってもらっても頷くことはできなかった。

「大丈夫です、本当に。あんまり外を出歩いても、私がハラハラしちゃって落ち着けないだけなので」

 曖昧に笑って答えると、ベイルさんはほんの少し眉間に皺を寄せて、両目を細めるようにした。目を凝らして、何かを見透かそうとするみたいに。

 ……でも、これは間違いなく本当のことだから、見透かされるも何もない。大丈夫、のはず。たぶん。

「まあ、お前がそう言い張るなら、そういうことにしておくさ」

「い、言い張ってなんて……」

「ともかく、この街に心残りがねえなら、明日発つことにする。それでいいかい」

「あ、はい。大丈夫です」

 頷いて返すと、ベイルさんもまた「分かった」と頷く。それから廊下のある方向を指差した。裏口の方。

「なら、そろそろ出るとするか。お前もそろそろ我慢の限界だろう」

「えっ」

「どうにも外が気になるようだからな」

 えっ……。バレてた……?

 一階に下りてきたら、外で奏でられている音楽が一層大きく聞こえてきて、確かにそわそわしてたけど。それでも、あんまり分かりやすく表に出ないように、我慢してたつもりだったんだけど……!

「お前は、そういうところは分かりやすい」

 わ、分かりやすい……。そうなんだ……。

 ちょっとショックなような、そうでもないような。微妙な心境を噛み締めていると、ベイルさんは「行くぞ」と言って歩き始めた。我に返って、藍と黒で彩られた背中を追い駆ける。

 廊下を歩いていても裏口に近付けば近付くほど、外から聞こえる音楽が大きくなっていくのが分かった。ドキドキと心臓が高鳴る。お祭りはどんな風なんだろう、楽しみでしょうがない。

「う、わあ……!」

 ついに裏口から外に出た瞬間、そんな声が漏れた。

 賑やかな音楽があちらこちらから流れてきて、空からは色とりどりの花弁が絶え間なく雨のように降り注いでいる。ふわふわと舞い落ちる花弁は、地面に落ちると溶けるように消えて、決して後を汚さない。

 ファンタジーそのものの、本当に夢みたいな景色。

 両手の掌を上に向けてくっつけて、水をすくう時みたいな形にして宙に差し伸べてみれば、ひらひらと花弁が入り込んでくる。赤や白、黄色やピンク。形も色も様々な花弁が重なって、さらさらとした手触りがした。ただ、花弁が掌にあったのはほんの数秒だけで、やっぱりすぐに消えてしまう。

「なくなっちゃった」

 くっつけていた手を離して、消えかけの花弁を落としながらの呟きは、自分で思ったより未練っぽい声をしていた。私からすると少し物足りないような気もするけど、これはこれで風流とか風情とかいうものなのかもしれない。わびさび? ……それは違うかな。

「花が好きかい」

 すぐ傍から声が落ちてきて、思わず小さく唸る。

 私が花と遊んでいる間、ベイルさんはすぐ隣で立ったまま、歩き出すこともなく待っていてくれた。

「あんまり意識したことはなかったんですけど、好きは好きだと思います。綺麗ですよね」

 そうかい、とだけベイルさんは言った。

 肯定も否定もしない。ただ、私の答えに相槌を打つだけ。花にも、特に興味がないのかもしれなかった。

「なら、本物の花を見に行くとするか」

「本物?」

 首を捻ると、ベイルさんは「ああ」と頷く。

「上から降ってくる奴は、魔力を押し固めて作った造花だ。何かに触ったら崩れて消えるよう、予め仕組んであるんだろう。その方が後始末も楽に済むからな」

「あ、なるほど」

 本物の花だったら積もった後のお掃除も大変そうだし、踏まれた後はあんまり見栄えもしなさそうだ。

 ベイルさんが歩き出すので、その隣に並ぶ。裏庭から脇の路地に出て、それから表通りへ。

「だが、これだけの規模で、これだけ派手な術式を展開維持するのは、さすがは竜といったところか」

 表通りに踏み出した瞬間、わっと音の波が押し寄せてきた。遠くに聞こえていた音楽、屋台から上がる威勢のいい呼び込み、道を行くお祭りを楽しむ人たちのお喋り。

 想像を超えた賑やかさに圧倒されて、一瞬立ち尽くしてしまった。

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